クリフエッジシリーズ第三部:「砲艦戦隊出撃せよ」
第十二話
宇宙歴四五一八年七月四日。
ゾンファ共和国のヤシマ解放艦隊司令官ホアン・ゴングゥル上将は、アルビオン王国軍のジュンツェン星系侵攻を聞き、司令官室の豪華な机を両手で叩き、怒りを爆発させた。
「ジュンツェン方面軍司令部は何をやっておる! 本国との連絡線を確保するのは戦略の初歩であろう!」
ホアンは怒りを見せながらも悩んでいた。
(ヤシマは確保できた。ここにいれば戦力の補充は無理でも補給物資の心配はいらん……それにアルビオンは六個艦隊をジュンツェンに侵攻させている。ならば、仮にここに艦隊を進めるとしても三個艦隊程度だろう。その程度なら、今の戦力でも何とかできる……奴らは自由星系国家連合が敗れたことを知らん。その事実を教えてやれば、戦わずして引く可能性もある……)
ヤシマに残るという選択肢が安全策であるのだが、ジュンツェン星系側を放置した場合の影響を考えていく。
(ジュンツェンが完全に陥落することはあるまい。J5要塞を落とすには戦力が少なすぎる。懸念があるとすれば、敵がジュンツェンからシアメン、イーグンを経由してヤシマに侵攻してくることだろう。そうなれば、アテナ星系から来る三個艦隊に加え、六個艦隊が加わる。連合軍艦隊ならば倍でも勝てるが、さすがにアルビオン相手に倍の戦力では勝利は望めん……兵たちのこともある。既に里心がついておる兵も多い。もし、ジュンツェンが陥落の危機にあると知れば、兵たちは動揺するだろう……)
ホアンは参謀たちを集め、今後の方針について協議を行った。
参謀たちから出た意見はヤシマを確保し続けるべきというものが多く、ほとんどの理由は命令もなく、占領地を放棄することは命令違反に当たり、仮にジュンツェンで勝利を得たとしても処分される可能性があるというものだった。
その一方で、この状況でジュンツェンを放置することは、ヤシマを放棄することに繋がるという意見も出された。ジュンツェンから本国ゾンファまでは約三十パーセク(約百六十三光年)あり、情報が届くだけでも一ヶ月以上は掛かる。更に奪還のための艦隊を直ちに編成したとしても、更に一ヶ月以上、常識的に考えれば三ヶ月は掛かるだろう。六月半ばに情報が発信されているから、奪還艦隊が到着するのは九月に入ってからになる。その間に食料が尽きれば、J5要塞といえども陥落する可能性は高い。もし、ジュンツェン星系がアルビオンの手に渡った場合、ヤシマは完全に孤立する。そうなれば、現状の戦力で確保し続けることは難しく、結局、ヤシマを放棄することになるという意見だった。
ホアンは参謀たちの意見を聞きながら、ジュンツェンに戻ることに魅力を感じていた。
(ここで手を拱いていても、いずれヤシマを放棄せねばならん。ならば、ジュンツェン防衛艦隊が飢える前に逆侵攻を掛ければ、敵を殲滅することもできよう……今回のタカマガハラでの大勝利に加え、ジュンツェンで勝利すれば、特級上将――元帥に当たる軍の最高位――にすら手が届く……)
ゾンファ共和国軍――正式には国民解放軍――では、特級上将は慣例として、国家主席のみに与えられる名誉階級であり、現役の特級上将は存在しない。ただし、過去には数人の現役特級上将がおり、ホアンはその前例を思い出したのだ。
(ヤシマには損傷した艦で編成した一個艦隊と地上軍を残していけばよい。アルビオンが来ようが、連合国軍が来ようが、市民を人質に時間を稼げばよい。その間にジュンツェンで勝利し、戻ってこればいいだけだ……)
ホアンはジュンツェン行きを決めた。
「ジュンツェンにいるアルビオン艦隊を殲滅する!」
翌日、ホアンは四個艦隊一万八千隻を率い、ジュンツェン星系に向かった。
ホアンが去った後、残された司令官代行は艦隊が戻ってくるまでの時間を稼ぐため、不安要素を一掃し始めた。
まず、ヤシマの反ゾンファ勢力を排除するため、疑わしい者はすべて投獄し、更に反抗する者は容赦なく殺した。十個師団、二十万人に及ぶゾンファ治安維持部隊が元軍人、政治家、ジャーナリストなどを手当たり次第に拘束し、更には反ゾンファを叫ぶ学生たちを投獄していく。
それでも反ゾンファのデモは至るところで発生し続けた。それに伴い、治安維持部隊は拘束するという面倒な手段を放棄し、非殺傷性の武器による制圧を開始した。それもヤシマ市民の更なる反発を招いただけであった。
数日もすると、ゾンファ艦隊の大半が星系内から消えていることが噂になり、それが一層活動を活発化させていく。
総人口二十億人のヤシマに対し、ゾンファ地上軍は兵力が少なすぎた。五十万人以上の地方都市だけでも千を超え、その全てに兵士を割くわけにはいかない。強引な手段に出れば出るほど、ヤシマ国民は反発し、反ゾンファ活動を活発化させていく。
七月十日。
ホアン艦隊がヤシマを去ったという情報が首都星タカマガハラにある首都タカチホに流れた。数十万人にも及ぶ市民たちがデモ行進を開始した。ゾンファの治安維持部隊は直ちに鎮圧活動を開始する。一部、暴徒化した市民たちが武器を奪い反撃を開始したが、装甲車や武装反重力ホバーなどによる攻撃で数万人の市民が死傷し、暴動は鎮圧された。この事件は“タカチホの虐殺”と呼ばれ、死者・行方不明者一万五千人以上、重傷者三万人以上の大惨事として歴史に名を残した。
危惧を抱いたゾンファの情報機関は協力者たちを使い、密告などを奨励したが、売国奴たちですら、ゾンファが危機に陥っていると考え、ゾンファへの協力に消極的になっていく。
更に親ゾンファのキョクジツニューズでさえ、ゾンファの強引な手法に対し、批判めいた記事を掲載し始めた。キョクジツニューズの記者たちはジュンツェンにアルビオン艦隊が進攻しているという事実を掴んでいたのだ。記者たちは戦後に向け、自分たちがどう生き残るかを模索し始めていた。
ホアンが出発してから七日後の七月十二日。
アルビオン側に当たるレインボー星系ジャンプポイントから、アルビオン艦隊二万隻とヤシマ防衛艦隊の生き残り四千隻が現れた。敷設されていた機雷を排除すると、ゆっくりとした速度で首都星タカマガハラに向けて進み始めるとともに降伏勧告を行った。
当初、ゾンファ側は市民を人質にして降伏を拒否した。それに対し、アルビオン側の総司令官パーシバル・フェアファックス大将は鋭い眼光を放ちながらこう言い放った。
「ヤシマ国民にこれ以上手を出せば、ゾンファ将兵すべてをこの宇宙から消し去ってやる。やれぬと思うな」
フェアファックス提督は蒼い瞳の眼光鋭い壮年の将官で、銀色の髪をオールバックに固めた見た目は怜悧な官僚そのものに見える。また、抑揚のないしゃべり方と相まって、第一印象は冷血な感じを受けることが多い。実際には人間味のある、下士官兵に人気の高い提督なのだが、初見のゾンファ将兵にとっては蒼い氷を固めたような瞳と一切の感情を排した口調から、言ったことは必ず実行すると思われ、恐怖に震えることになる。
ゾンファ軍の司令官代行は三日間耐えていたが、アルビオン艦隊がゾンファ艦隊を攻撃する姿勢を見せると、すぐに降伏を受諾した。
彼はフェアファックスがヤシマ国民の命より、自国の安全保障を優先する人物、つまり自国ゾンファの軍人と同じであると考え、人質作戦では時間稼ぎすらできないと思い込んでしまったのだ。
七月十四日。
五ヶ月にも及ぶ占領状態から、ヤシマは遂に解放された。ゾンファ軍は地上兵力を含め、直ちに武器を捨て、降伏を受け入れる。一部の政治将校などが反抗し混乱はあったものの、能力的には大したことはなく、半日もしないうちに混乱は収まった。
亡命政権の首班であるヤシマ防衛艦隊のサイトウ少将はゾンファの傀儡政権に対し、政権の譲渡を迫った。傀儡政権の首相は直ちに総辞職し、サイトウ少将を首班とする新政権が発足した。
サイトウは非常事態宣言を発布し、ゾンファ軍を小惑星の採掘基地などに拘禁すると、敵の協力者を徹底的に追及した。更に行方不明者の捜索に全力を注いでいく。
十万人を超える行方不明者がいたが、最終的にはその半数以上が見つからなかった。
ゾンファに拉致された者、秘密裏に処刑された者などが多く、戦後に大きな禍根を残すことになった。
アルビオン艦隊はサイトウ政権が安定するまで治安維持を担うことになったが、基本的には内政には干渉しなかった。唯一、アルビオン市民の保護を要求しているだけだった。
フェアファックス提督は自由星系国家連合にヤシマ星系解放の報を送ると共に、ヤシマの防衛強化を開始した。
ヤシマ進攻後にジュンツェン星系に向かうことも検討されていたが、自由星系国家連合軍艦隊が駐留しない限り、アルビオン艦隊はここヤシマを離れないことになっている。これには二つの理由があった。
一つ目の理由はスヴァローグ帝国の動きが不明なことだ。帝国はゾンファと同じくヤシマ星系への進出を狙っており、ゾンファに占領されたヤシマを解放するという名目で侵攻してくる可能性があった。幸い、スヴァローグ帝国は恒常的に内紛が続いており、即座に艦隊を差し向けることはなかったのだが、自由星系国家連合艦隊とゾンファ艦隊が激しい戦闘を繰り広げ、ゾンファ側が疲弊したところで漁夫の利を狙う可能性は否定できない。更に言えば、この状況であってもヤシマ艦隊だけしか残っていなければ、治安維持に協力するという名目で駐留する可能性がある。しかし、アルビオン艦隊がヤシマ艦隊と共同で防衛に当たっている姿勢を見せれば、スヴァローグに口実を与えることはないという判断だ。
もう一つの理由は今からジュンツェンに向かってもあまり意味がないということだ。ヤシマからジュンツェンまでは約十五パーセク(約四十九光年)あり、イーグン星系とシアメン星系の二つの星系を経なければならない。
ホアン率いるゾンファ艦隊は九日前に出発しており、更に二つの星系のジャンプポイント付近に展開されている機雷群を排除する時間が加わるため、十日以上の遅れとなる。
つまり、今から行ってもジュンツェンでの戦闘の帰趨は決まっているということだ。アルビオン側が勝利しているなら行く意味はないし、敗れているなら各個撃破されに行くようなもので意味がないのだ。
それよりもヤシマをスヴァローグに奪われないことの方がアルビオンの安全保障にとって重要になる。アルビオンとしては領土の拡大を目指すゾンファやスヴァローグが豊かなヤシマ星系に進出することを望ましく思っていない。国力的にアルビオン、ゾンファ、スヴァローグはほぼ拮抗しており、三すくみに近い状態だ。この状態を崩すことは戦争の拡大を意味する。
一方、アルビオンとしては、この守りにくいヤシマ星系を領土としても持ちたくなかった。平和な状態であれば、交易による利益が期待できるが、戦争状態の国と接する星系が、キャメロット星系に加えヤシマ星系まで加わることは、国防上の負担が大きすぎる。このため、アルビオンとしてはヤシマを自国に加えたいという要求は小さい。
つまり、ヤシマ星系は今まで通り独立国として三ヶ国の緩衝地帯として存在してくれることがアルビオンの国益に叶っているのだ。
これらのことから、アルビオンのヤシマ解放艦隊はジュンツェン星系に向かうことなく、ヤシマを守ることを選択した。
しかし、数日後、フェアファックス提督はこの決定を後悔する。
ヤシマに在留していたアルビオン関係者のうち、二百人以上が行方不明になっていたのだ。ヤシマ政府が調査を行ったが、調査は遅々として進まず、事実はなかなか判明しなかった。フェアファックスは内政干渉という批判を受けることを承知で、アルビオン軍の軍警察に調査を行わせた。
その結果、アルビオン政府関係者、有力な企業関係者など、百名程度がホアン艦隊とともにジュンツェン星系に向かったという事実が判明した。
捕虜となったゾンファ将官は厳しい追求の末、アルビオン側に対する交渉カードとして拉致したと証言した。
■■■
宇宙歴四五一八年七月十八日。
ゾンファ共和国軍のホアン・ゴングゥル上将率いる四個艦隊約一万八千隻――うち、戦闘艦は約一万四千五百隻――はシアメン星系に到着し、ジュンツェン星系JPに向け、最大巡航速度で航行していた。
ホアンはジュンツェン星系に突入し、一気にアルビオン側を殲滅するつもりでいた。
(ジュンツェン星系の損害は三千隻程度。つまり、二万隻近い数が残っているということだ。これに我が艦隊が加われば少なく見積もっても三万四千。敵より七千隻近く多い。これだけの戦力差があれば、十分に勝利は得られるはずだ……後はマオ上将がどう動くかだが、奴もこちらが戻ってくると分かっていれば、タイミングを合わせて敵に向かうはずだ。正確な到着時刻が分かっていれば、時間稼ぎも難しくはない……)
ホアンの考えた作戦は以下のようなものだった。
敵はジュンツェン星系のJP付近で待ち受けている可能性が高い。これはヤシマから戻ってくる艦隊が最大でも二万五千隻であり、更にステルス機雷を敷設することにより、JP付近での戦闘の方が有利に進められるからだ。
彼はそれを逆手にとることにした。
情報通報艦から決死隊を募り、ジュンツェン星系にFTLで突入させる。この際、機雷で破壊される前にホアン艦隊の到着時刻と戦力等の情報をマオ・チーガイ上将率いるジュンツェン防衛艦隊に伝える。マオ艦隊がいるJ5要塞からシアメンJPまでは約二百五十光分であり、最大巡航速度〇・二Cで航行すれば二十時間強でシアメンJPに到着できる。通信のタイムラグ、加速・減速時間などを考慮しても三十時間前にホアン艦隊の到着時刻を通告しておけば、マオ艦隊はシアメンJP付近に到着し、アルビオン艦隊を挟撃できる。
もちろん、アルビオン艦隊がJ5要塞から出てきたマオ艦隊に向かえば、ゾンファ側は不利な戦闘を強いられるが、その場合はJ5要塞に逃げ込めばいい。その間にホアン艦隊が到着するから、戦力差を一気にひっくり返せる。
いずれにせよ、こちらは有利な条件で戦えるという作戦だった。
ホアンは全艦に対し、訓示を行った。
「敵の戦力は約二万七千隻である。我らの二倍近い戦力だ。しかし、J5要塞の防衛艦隊を加えれば、我が軍は八個艦隊に匹敵する三万四千隻を超える。ジュンツェン星系で敵を挟み撃ちにし、一気に殲滅するのだ!」
ホアンが得ている情報に誤りがあった。マオ艦隊の損害は三千隻ではなく五千隻強であり、マオ艦隊の保有戦力は一万七千隻余、ホアン艦隊と合わせても三万一千隻強であり、二万七千隻を保有するアルビオン艦隊より十七パーセント程度多いだけだった。更にホアン艦隊はアルビオン側の敷設した機雷原に突入する必要があり、その損害を考えるとほぼ互角になる。
ホアンの命を受けた情報通報艦が超光速航行に入っていく。彼らは機雷原に突入することになり、生き残る可能性は極めて低い。通信を送った後、対消滅炉を停止し、降伏の意思を示せば、艦隊司令部がステルス機雷の目標から外す手続きを取ることができるが、実際にはジャンプアウトの直後にステルス機雷が検知していることが多く、艦隊司令部が降伏の意思を確認している間に撃破されることがほとんどだった。無人艦を送り込むという方法もあるが、不測の事態に備え、最少人数の乗組員が艦に残っていた。
七月二十日。
ホアン艦隊の戦闘艦約一万四千五百隻はジュンツェン星系JPに到着した。彼らは決戦に向け、一斉に超空間に突入した。
ゾンファ共和国のヤシマ解放艦隊司令官ホアン・ゴングゥル上将は、アルビオン王国軍のジュンツェン星系侵攻を聞き、司令官室の豪華な机を両手で叩き、怒りを爆発させた。
「ジュンツェン方面軍司令部は何をやっておる! 本国との連絡線を確保するのは戦略の初歩であろう!」
ホアンは怒りを見せながらも悩んでいた。
(ヤシマは確保できた。ここにいれば戦力の補充は無理でも補給物資の心配はいらん……それにアルビオンは六個艦隊をジュンツェンに侵攻させている。ならば、仮にここに艦隊を進めるとしても三個艦隊程度だろう。その程度なら、今の戦力でも何とかできる……奴らは自由星系国家連合が敗れたことを知らん。その事実を教えてやれば、戦わずして引く可能性もある……)
ヤシマに残るという選択肢が安全策であるのだが、ジュンツェン星系側を放置した場合の影響を考えていく。
(ジュンツェンが完全に陥落することはあるまい。J5要塞を落とすには戦力が少なすぎる。懸念があるとすれば、敵がジュンツェンからシアメン、イーグンを経由してヤシマに侵攻してくることだろう。そうなれば、アテナ星系から来る三個艦隊に加え、六個艦隊が加わる。連合軍艦隊ならば倍でも勝てるが、さすがにアルビオン相手に倍の戦力では勝利は望めん……兵たちのこともある。既に里心がついておる兵も多い。もし、ジュンツェンが陥落の危機にあると知れば、兵たちは動揺するだろう……)
ホアンは参謀たちを集め、今後の方針について協議を行った。
参謀たちから出た意見はヤシマを確保し続けるべきというものが多く、ほとんどの理由は命令もなく、占領地を放棄することは命令違反に当たり、仮にジュンツェンで勝利を得たとしても処分される可能性があるというものだった。
その一方で、この状況でジュンツェンを放置することは、ヤシマを放棄することに繋がるという意見も出された。ジュンツェンから本国ゾンファまでは約三十パーセク(約百六十三光年)あり、情報が届くだけでも一ヶ月以上は掛かる。更に奪還のための艦隊を直ちに編成したとしても、更に一ヶ月以上、常識的に考えれば三ヶ月は掛かるだろう。六月半ばに情報が発信されているから、奪還艦隊が到着するのは九月に入ってからになる。その間に食料が尽きれば、J5要塞といえども陥落する可能性は高い。もし、ジュンツェン星系がアルビオンの手に渡った場合、ヤシマは完全に孤立する。そうなれば、現状の戦力で確保し続けることは難しく、結局、ヤシマを放棄することになるという意見だった。
ホアンは参謀たちの意見を聞きながら、ジュンツェンに戻ることに魅力を感じていた。
(ここで手を拱いていても、いずれヤシマを放棄せねばならん。ならば、ジュンツェン防衛艦隊が飢える前に逆侵攻を掛ければ、敵を殲滅することもできよう……今回のタカマガハラでの大勝利に加え、ジュンツェンで勝利すれば、特級上将――元帥に当たる軍の最高位――にすら手が届く……)
ゾンファ共和国軍――正式には国民解放軍――では、特級上将は慣例として、国家主席のみに与えられる名誉階級であり、現役の特級上将は存在しない。ただし、過去には数人の現役特級上将がおり、ホアンはその前例を思い出したのだ。
(ヤシマには損傷した艦で編成した一個艦隊と地上軍を残していけばよい。アルビオンが来ようが、連合国軍が来ようが、市民を人質に時間を稼げばよい。その間にジュンツェンで勝利し、戻ってこればいいだけだ……)
ホアンはジュンツェン行きを決めた。
「ジュンツェンにいるアルビオン艦隊を殲滅する!」
翌日、ホアンは四個艦隊一万八千隻を率い、ジュンツェン星系に向かった。
ホアンが去った後、残された司令官代行は艦隊が戻ってくるまでの時間を稼ぐため、不安要素を一掃し始めた。
まず、ヤシマの反ゾンファ勢力を排除するため、疑わしい者はすべて投獄し、更に反抗する者は容赦なく殺した。十個師団、二十万人に及ぶゾンファ治安維持部隊が元軍人、政治家、ジャーナリストなどを手当たり次第に拘束し、更には反ゾンファを叫ぶ学生たちを投獄していく。
それでも反ゾンファのデモは至るところで発生し続けた。それに伴い、治安維持部隊は拘束するという面倒な手段を放棄し、非殺傷性の武器による制圧を開始した。それもヤシマ市民の更なる反発を招いただけであった。
数日もすると、ゾンファ艦隊の大半が星系内から消えていることが噂になり、それが一層活動を活発化させていく。
総人口二十億人のヤシマに対し、ゾンファ地上軍は兵力が少なすぎた。五十万人以上の地方都市だけでも千を超え、その全てに兵士を割くわけにはいかない。強引な手段に出れば出るほど、ヤシマ国民は反発し、反ゾンファ活動を活発化させていく。
七月十日。
ホアン艦隊がヤシマを去ったという情報が首都星タカマガハラにある首都タカチホに流れた。数十万人にも及ぶ市民たちがデモ行進を開始した。ゾンファの治安維持部隊は直ちに鎮圧活動を開始する。一部、暴徒化した市民たちが武器を奪い反撃を開始したが、装甲車や武装反重力ホバーなどによる攻撃で数万人の市民が死傷し、暴動は鎮圧された。この事件は“タカチホの虐殺”と呼ばれ、死者・行方不明者一万五千人以上、重傷者三万人以上の大惨事として歴史に名を残した。
危惧を抱いたゾンファの情報機関は協力者たちを使い、密告などを奨励したが、売国奴たちですら、ゾンファが危機に陥っていると考え、ゾンファへの協力に消極的になっていく。
更に親ゾンファのキョクジツニューズでさえ、ゾンファの強引な手法に対し、批判めいた記事を掲載し始めた。キョクジツニューズの記者たちはジュンツェンにアルビオン艦隊が進攻しているという事実を掴んでいたのだ。記者たちは戦後に向け、自分たちがどう生き残るかを模索し始めていた。
ホアンが出発してから七日後の七月十二日。
アルビオン側に当たるレインボー星系ジャンプポイントから、アルビオン艦隊二万隻とヤシマ防衛艦隊の生き残り四千隻が現れた。敷設されていた機雷を排除すると、ゆっくりとした速度で首都星タカマガハラに向けて進み始めるとともに降伏勧告を行った。
当初、ゾンファ側は市民を人質にして降伏を拒否した。それに対し、アルビオン側の総司令官パーシバル・フェアファックス大将は鋭い眼光を放ちながらこう言い放った。
「ヤシマ国民にこれ以上手を出せば、ゾンファ将兵すべてをこの宇宙から消し去ってやる。やれぬと思うな」
フェアファックス提督は蒼い瞳の眼光鋭い壮年の将官で、銀色の髪をオールバックに固めた見た目は怜悧な官僚そのものに見える。また、抑揚のないしゃべり方と相まって、第一印象は冷血な感じを受けることが多い。実際には人間味のある、下士官兵に人気の高い提督なのだが、初見のゾンファ将兵にとっては蒼い氷を固めたような瞳と一切の感情を排した口調から、言ったことは必ず実行すると思われ、恐怖に震えることになる。
ゾンファ軍の司令官代行は三日間耐えていたが、アルビオン艦隊がゾンファ艦隊を攻撃する姿勢を見せると、すぐに降伏を受諾した。
彼はフェアファックスがヤシマ国民の命より、自国の安全保障を優先する人物、つまり自国ゾンファの軍人と同じであると考え、人質作戦では時間稼ぎすらできないと思い込んでしまったのだ。
七月十四日。
五ヶ月にも及ぶ占領状態から、ヤシマは遂に解放された。ゾンファ軍は地上兵力を含め、直ちに武器を捨て、降伏を受け入れる。一部の政治将校などが反抗し混乱はあったものの、能力的には大したことはなく、半日もしないうちに混乱は収まった。
亡命政権の首班であるヤシマ防衛艦隊のサイトウ少将はゾンファの傀儡政権に対し、政権の譲渡を迫った。傀儡政権の首相は直ちに総辞職し、サイトウ少将を首班とする新政権が発足した。
サイトウは非常事態宣言を発布し、ゾンファ軍を小惑星の採掘基地などに拘禁すると、敵の協力者を徹底的に追及した。更に行方不明者の捜索に全力を注いでいく。
十万人を超える行方不明者がいたが、最終的にはその半数以上が見つからなかった。
ゾンファに拉致された者、秘密裏に処刑された者などが多く、戦後に大きな禍根を残すことになった。
アルビオン艦隊はサイトウ政権が安定するまで治安維持を担うことになったが、基本的には内政には干渉しなかった。唯一、アルビオン市民の保護を要求しているだけだった。
フェアファックス提督は自由星系国家連合にヤシマ星系解放の報を送ると共に、ヤシマの防衛強化を開始した。
ヤシマ進攻後にジュンツェン星系に向かうことも検討されていたが、自由星系国家連合軍艦隊が駐留しない限り、アルビオン艦隊はここヤシマを離れないことになっている。これには二つの理由があった。
一つ目の理由はスヴァローグ帝国の動きが不明なことだ。帝国はゾンファと同じくヤシマ星系への進出を狙っており、ゾンファに占領されたヤシマを解放するという名目で侵攻してくる可能性があった。幸い、スヴァローグ帝国は恒常的に内紛が続いており、即座に艦隊を差し向けることはなかったのだが、自由星系国家連合艦隊とゾンファ艦隊が激しい戦闘を繰り広げ、ゾンファ側が疲弊したところで漁夫の利を狙う可能性は否定できない。更に言えば、この状況であってもヤシマ艦隊だけしか残っていなければ、治安維持に協力するという名目で駐留する可能性がある。しかし、アルビオン艦隊がヤシマ艦隊と共同で防衛に当たっている姿勢を見せれば、スヴァローグに口実を与えることはないという判断だ。
もう一つの理由は今からジュンツェンに向かってもあまり意味がないということだ。ヤシマからジュンツェンまでは約十五パーセク(約四十九光年)あり、イーグン星系とシアメン星系の二つの星系を経なければならない。
ホアン率いるゾンファ艦隊は九日前に出発しており、更に二つの星系のジャンプポイント付近に展開されている機雷群を排除する時間が加わるため、十日以上の遅れとなる。
つまり、今から行ってもジュンツェンでの戦闘の帰趨は決まっているということだ。アルビオン側が勝利しているなら行く意味はないし、敗れているなら各個撃破されに行くようなもので意味がないのだ。
それよりもヤシマをスヴァローグに奪われないことの方がアルビオンの安全保障にとって重要になる。アルビオンとしては領土の拡大を目指すゾンファやスヴァローグが豊かなヤシマ星系に進出することを望ましく思っていない。国力的にアルビオン、ゾンファ、スヴァローグはほぼ拮抗しており、三すくみに近い状態だ。この状態を崩すことは戦争の拡大を意味する。
一方、アルビオンとしては、この守りにくいヤシマ星系を領土としても持ちたくなかった。平和な状態であれば、交易による利益が期待できるが、戦争状態の国と接する星系が、キャメロット星系に加えヤシマ星系まで加わることは、国防上の負担が大きすぎる。このため、アルビオンとしてはヤシマを自国に加えたいという要求は小さい。
つまり、ヤシマ星系は今まで通り独立国として三ヶ国の緩衝地帯として存在してくれることがアルビオンの国益に叶っているのだ。
これらのことから、アルビオンのヤシマ解放艦隊はジュンツェン星系に向かうことなく、ヤシマを守ることを選択した。
しかし、数日後、フェアファックス提督はこの決定を後悔する。
ヤシマに在留していたアルビオン関係者のうち、二百人以上が行方不明になっていたのだ。ヤシマ政府が調査を行ったが、調査は遅々として進まず、事実はなかなか判明しなかった。フェアファックスは内政干渉という批判を受けることを承知で、アルビオン軍の軍警察に調査を行わせた。
その結果、アルビオン政府関係者、有力な企業関係者など、百名程度がホアン艦隊とともにジュンツェン星系に向かったという事実が判明した。
捕虜となったゾンファ将官は厳しい追求の末、アルビオン側に対する交渉カードとして拉致したと証言した。
■■■
宇宙歴四五一八年七月十八日。
ゾンファ共和国軍のホアン・ゴングゥル上将率いる四個艦隊約一万八千隻――うち、戦闘艦は約一万四千五百隻――はシアメン星系に到着し、ジュンツェン星系JPに向け、最大巡航速度で航行していた。
ホアンはジュンツェン星系に突入し、一気にアルビオン側を殲滅するつもりでいた。
(ジュンツェン星系の損害は三千隻程度。つまり、二万隻近い数が残っているということだ。これに我が艦隊が加われば少なく見積もっても三万四千。敵より七千隻近く多い。これだけの戦力差があれば、十分に勝利は得られるはずだ……後はマオ上将がどう動くかだが、奴もこちらが戻ってくると分かっていれば、タイミングを合わせて敵に向かうはずだ。正確な到着時刻が分かっていれば、時間稼ぎも難しくはない……)
ホアンの考えた作戦は以下のようなものだった。
敵はジュンツェン星系のJP付近で待ち受けている可能性が高い。これはヤシマから戻ってくる艦隊が最大でも二万五千隻であり、更にステルス機雷を敷設することにより、JP付近での戦闘の方が有利に進められるからだ。
彼はそれを逆手にとることにした。
情報通報艦から決死隊を募り、ジュンツェン星系にFTLで突入させる。この際、機雷で破壊される前にホアン艦隊の到着時刻と戦力等の情報をマオ・チーガイ上将率いるジュンツェン防衛艦隊に伝える。マオ艦隊がいるJ5要塞からシアメンJPまでは約二百五十光分であり、最大巡航速度〇・二Cで航行すれば二十時間強でシアメンJPに到着できる。通信のタイムラグ、加速・減速時間などを考慮しても三十時間前にホアン艦隊の到着時刻を通告しておけば、マオ艦隊はシアメンJP付近に到着し、アルビオン艦隊を挟撃できる。
もちろん、アルビオン艦隊がJ5要塞から出てきたマオ艦隊に向かえば、ゾンファ側は不利な戦闘を強いられるが、その場合はJ5要塞に逃げ込めばいい。その間にホアン艦隊が到着するから、戦力差を一気にひっくり返せる。
いずれにせよ、こちらは有利な条件で戦えるという作戦だった。
ホアンは全艦に対し、訓示を行った。
「敵の戦力は約二万七千隻である。我らの二倍近い戦力だ。しかし、J5要塞の防衛艦隊を加えれば、我が軍は八個艦隊に匹敵する三万四千隻を超える。ジュンツェン星系で敵を挟み撃ちにし、一気に殲滅するのだ!」
ホアンが得ている情報に誤りがあった。マオ艦隊の損害は三千隻ではなく五千隻強であり、マオ艦隊の保有戦力は一万七千隻余、ホアン艦隊と合わせても三万一千隻強であり、二万七千隻を保有するアルビオン艦隊より十七パーセント程度多いだけだった。更にホアン艦隊はアルビオン側の敷設した機雷原に突入する必要があり、その損害を考えるとほぼ互角になる。
ホアンの命を受けた情報通報艦が超光速航行に入っていく。彼らは機雷原に突入することになり、生き残る可能性は極めて低い。通信を送った後、対消滅炉を停止し、降伏の意思を示せば、艦隊司令部がステルス機雷の目標から外す手続きを取ることができるが、実際にはジャンプアウトの直後にステルス機雷が検知していることが多く、艦隊司令部が降伏の意思を確認している間に撃破されることがほとんどだった。無人艦を送り込むという方法もあるが、不測の事態に備え、最少人数の乗組員が艦に残っていた。
七月二十日。
ホアン艦隊の戦闘艦約一万四千五百隻はジュンツェン星系JPに到着した。彼らは決戦に向け、一斉に超空間に突入した。
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