闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百三九節/「僕の英雄」 中】

「立てるか?」

「っ、はい!」

 イスラの差し出した手を強く握り、トビアはふらつく脚に力を込めて立ち上がった。ボロボロになりながらも闘志を失わない彼を見て、イスラは少しだけ笑った。

「俺が引き継ごうかと思ったけど……その様子だと、まだやる気だな?」

「当然です。だって、あいつの中にはサラがいますから!」

「サラってのは、例の夜魔憑きの娘か。なるほどな」

 トビアの発言でおおよその経緯は察することが出来た。さすがに、あんな巨大な怪物が暴れまわる事態にまで発展するとは思わなかったが、夜魔憑きの力は未知数だ。このような出来事があったとて、不思議ではない。

「だがどうする。正直、とっとと退治しないと酷いことになるぞ」

 魔神は身体の中心に出来た刀傷を修復しようとしていた。だが、天火で焼かれた箇所はそう簡単には治らない。むしろ、夜魔にとって耐えがたい苦痛を常に与え続ける。ために、痛撃を加えたイスラを見ようともしない。

 しかし、その意識がイスラに向けられるのも時間の問題だろう。

 全力でぶつかれば倒す自信はある……だが、それは取り込まれた少女を考慮しなかった場合の話だ。それに最初の一撃は奇襲だった。真正面から同じことが出来るとは限らない。となると、必然的に戦いは長期化するだろう。その過程で新たな死者が出る可能性は否めない。

 イスラの意見は正論だった。トビアは両手を下ろしたまま俯いた。


「……分かっています、それぐらい」


 だが、最早理屈では引き下がれない。彼は顔をあげると、真っ直ぐにイスラの金色の瞳を見据えた。


「でも、サラはあの時……あいつに取り込まれる前、確かに助けてって言ったんです!!」


 悪魔の紋章《シジル》が現れ、無数の黒い腕にサラが包み込まれた時、振り返った彼女の表情をトビアは決して忘れないだろう。今までの冷徹な言動や、無感動な眼差しが嘘のように、その表情は脆く儚げだった。恐怖に歪んだ青紫の瞳が焼き付いて離れない。

「サラだって、本当はあんな力を持ちたく無かったんだ……それで、あんな化け物に呑み込まれて……サラをあのままにしておくなんて、僕には出来ないッ!!」

 右腕は垂れ下がったまま。全身打撲や火傷だらけで、体力の消耗から風術の使用もおぼつかない。それでもトビアは諦めていなかった。こんなところで、今まで追いかけてきたものを投げ捨てるつもりなど、さらさらなかった。

 イスラはただ、「そうか」とだけ答えた。

 そして明星《ルシフェル》を地面に突き立てると、おもむろにトビアの右肩を掴んで押し上げた。

 あまりに唐突過ぎて、トビアは一瞬放心状態に陥ってしまった。だが、彼を現実へと引き戻すかのように、直後猛烈な痛みが襲い掛かってきた。コキッ、という滑稽な音とともに、右腕の骨があるべき場所へと収まった。

「よぉし、気絶しなかったな」

 涙目のままイスラを見ると、彼は明星を引き抜きつつ意地の悪そうな表情を浮かべていた。

「っ……! これくらい、なんてことないです!」

「その活きだ。ちょうど、奴さんも立ち直ったみたいだしな」

 見ると、魔神もまた、身体のあちこちに出来た傷を修復し終えたところだった。赤い眼球は憎悪に燃え、二人を見下ろしている。

「行くぞ!」

「はい!」

 号令と同時に二人は駆け出す。直後、立っていた場所に槍が振り下ろされていた。

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