闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百三八節/風読みの秘奥義 上】

「ぶっとばしてあげるよ」

 遺跡の石柱の上に陣取ったサラが大きく両腕を振った。鳥の翼を思わせる裾が大きくひるがえり、その中から影の軍勢が次々と湧き出してくる。その様はまるで、影が本物の翼となって織り上げられているかのようだ。

 彼女が呼び出した影達は即座に形を整え、異形の軍勢となってペトラ達に襲い掛かった。濁流にも似た勢いで降り掛かり、敵対者を呑み込もうとする。

「させませんっ!」

 杖を振りかぶったヒルデが矢面に立ち、詠唱と共に魔法陣を展開させる。

「我が焔《ほむら》よ、御怒りの奔流となり悪を滅せよ、出でよ断罪の光!」

「そ、その技は!」

 ペトラにとって聞き覚えのある詠唱だった。蒼炎の継火手たるカナンが決定打として使っている法術であり、その威力と威容は誰よりも理解している。

 夜魔憑きと天火の相性は抜群だ。この強力な法術が放たれれば、いくら無尽蔵に影を生み出せる怪物といえど一たまりもないだろう。

 と、思っていた。

能天使の閃光エクシアス・ブレイズ!!」

 ヒルデの真正面に展開していた魔法陣から、紅蓮の熱線が放たれる。束ねられた天火の熱が髪を揺らし、ティヴォリ遺跡の荒涼とした光景を明々と照らしだした。風切り音を想起させる爆音が轟き、居並ぶ人間の鼓膜を激しく叩く。

 ……がしかし、ペトラが想像していたのとは全く規模が異なっていた。

「細っ」

 思わず口について出た通り、ヒルデの能天使の閃光エクシアス・ブレイズは細かった。カナンの一撃が大樹の幹ほどの太さとすれば、ヒルデの術はせいぜい幹から生え分かれた枝程度の直径でしかない。

 それでも威力だけなら折り紙付きでは、と思ったが、そちらもやはり期待していたほどのものではなかった。確かに夜魔の壁を易々貫きはしたものの、本丸であるサラまでは届かず、防御を抜くうちに減衰して最後は手に焦げ目さえつかないほど勢いを殺されてしまった。

「よっわ。ちゃんと殺すつもりでやってる?」

「んなっ!? も、もちろんですともっ」

 ヒルデがなんと言ったところで強がりにしか聞こえず、敵であるサラには鼻先で笑い飛ばされた。

 だが、その僅かなやり取りの間隙を突いてゴドフロアがサラの足元へと接近していた。

 老騎士は見た目からは想像も出来ないほど軽やかに遺跡の岩塊を飛び越え、石柱の上のサラに肉薄する。すんでのところで夜魔の壁が出現するが、襲い来る爪など物ともせずに蹴散らし、メイスを投擲した。

 サラの足元から生え出た腕がそれを受け止めるが、ゴドフロアにとっては織り込み済みだった。すでに腰に吊るした長剣を引き抜き、振りかぶっている。

「覚悟ッ!」

 ゴドフロアの繰り出した連激は、明らかにサラの対処出来る限界を超えていた。彼女自身はメイスを受け止めた時点で思考を停止させており、そのさらに先の一手にまで予測が及ばない。

 しかし、追い詰められた状況下でもサラに焦りは無かった。

 誰もが彼女の首が刎ねられると思っていた。しかし、ゴドフロアが剣を振り下ろす直前、その動きが石のように硬直する。再び意識を戻した時には、サラはすでに場所を移した後だった。

「ぬっ……」

 老騎士が短く呻き声を発した。直後、竜の尾のような形の影が真横から襲い掛かり、甲冑もろとも石柱の上から叩き落した。

「爺さん!」「ロタール卿!」

 ぺトラとヒルデが同時に叫ぶ。彼はそれに応えるように立ち上がったが、右足首からは血を流していた。まるで狩猟用の罠に掛けられたかのようだ。

「何、どうということも無いわ」

 当人はそう嘯いているが、傍目に見れば重傷なのは明らかだった。千切れるというほどではないものの、鎧を着込んだ騎士の身体を支えるには心もとない。それだけでなく、頭からもいくらか血が流れていた。打撲も多いだろう。このまま戦闘を継続するなど無謀としか言いようがない。

「ばかだなぁ……あなたたちみたいな人間がいくら頑張ったって、怪物の力には勝てないんだよ?」

「ハッ、ちょっとくらい有利だからって、もう勝ったつもりかい。見込違いも良いところさね!」

「ふぅん」

 ペトラの挑発を軽く受け流すと、サラは再び両腕を広げ多数の夜魔を呼び出した。

「じゃあ、これならどうかな」

 軍旗や槍を携えた影が立ち並び、ペトラ達に向けて突入してくる。一つ一つは簡単に潰せても、その圧倒的な物量は脅威以外の何物でもない。

 ペトラは即座にゴーレムを召喚し、ゴドフロアとギスカールも彼女達を守るように夜魔と斬り結ぶ。片足が満足に動かない状態でも老騎士は強く、ギスカールもまた、ヒルデから受けた秘蹟サクラメントのお陰で互角以上に戦えていた。

 だが、彼らがもう少し冷静であったなら、サラの仕掛けた攻撃の不自然さに気付いたかもしれない。

「きゃあっ!」

 法術の詠唱に入っていたヒルデが悲鳴を上げる。「ヒルデ様!」ギスカールの視線の先で、ヒルデは大蛇のように長く伸びた腕によって拘束されていた。

 そのままティヴォリ遺跡を見下ろす位置にまで持ち上げられる。闇渡りのような体術を会得していても到底耐え切れないような高さだ。

「前ばかりみてるから、こうなるんだよ。誰だっていちばん弱いところをねらうに決まってるじゃない」

 サラが使ったのは、何ということはない、正面戦力で敵の目を引きその間に後方を叩くという極々普通の戦術だ。だが、たった四人では正面からの攻撃を防ぐのに手いっぱいで、とても迂回や奇襲にまで気を配っていられない。最も戦慣れしたゴドフロアが負傷している状況ではなおさらだ。

「……人質のつもりかい?」

「ううん、そんなつもりはないよ。このまま手を放すつもり。その前に……」

 手詰まりになったペトラ達を押し潰すかのように、無数の夜魔が襲い掛かる。サラが何と言おうと、ヒルデが彼女の手中にある以上何も出来ない。せいぜいゴーレムや石壁を作って防御するのが関の山だ。

 そんな状況下でも、ヒルデの守火手であるギスカールは必死に立ち塞がる影の兵隊を薙ぎ倒して継火手を助けようとした。無論、爪や戦槍によって身体のあちこちは傷だらけになっているが、そんなことなど構わずに進み続ける。

 しかし、ヒルデを捕らえた腕に斬りかかる直前、右肩に槍が深く突き刺さる。囚われていたヒルデが悲鳴交じりに彼の名を叫んだ。

「大丈夫、です……!」

 剣を覆っていた天火がギスカールの体内へと流れ込み、即座に傷口を癒していく。せいぜい出血を止める程度の役にしか立たないが、何も無いよりはましだった。

 だが、それは同時に秘蹟《サクラメント》が切れてしまうことを意味していた。

「だめだよ、人のちからでズルしちゃ」

 ギスカールがサラの言葉に反応した時には既に、その身体は牛型の影によって弾き飛ばされていた。地面の上を何度か跳ねてから石垣に打ち付けられ、意識を刈り取られた。

「ギスカール!」

 ペトラが名前を呼ぶが、彼女とて余所見を許される状況には無い。

 先ほども作られた獅子型の夜魔が再び影の中から這い上がり、ゴーレムに襲い掛かっていた。石人形はあっさりと粉砕され、その後ろに居たペトラは獅子の頭突きを喰らって泥の中を転がされる。ゴドフロアは長剣で挑みかかるものの、到底戦えるような状態ではなく、ペトラと同じように弾き飛ばされてしまった。


「ここまでだね。じゃあ、手放すよ」


 サラは冷酷に言い放った。同時にヒルデを縛っていた拘束が解かれ、その身体は地面に向かって落ちていく。ペトラはただ見ていることしか出来なかった。

 しかし、その身体がティヴォリの大地に叩き付けられることは無かった。


「空に踊る者達、風の眷属よ。契約に従い、彼の身を運べッ!!」


 悲鳴を上げながら落下するヒルデを、緑色の風が包み込む。地面にぶつかる直前でのことだった。暴風の中心部で、ヒルデの身体はそっと地面の上へと下ろされた。

「この術は……」

 ペトラのみならず、敵であるサラにとっても印象深いものだった。
 
 ティヴォリ遺跡の混乱した戦場に、場違いなほど爽やかな風が駆け抜ける。その発生源となっている少年は、両腕に掘られた魔法陣を輝かせながら、真っ直ぐに夜魔憑きの少女を見据えていた。

「やっぱりまた会ったね、サラ」

「トビア……」

 パルミラを出る時、遠からず再会するのではないかと思っていた。その直感は見事に当たってしまった。

 やはり、こうして敵対する形で向かい合うのは心苦しい。しかし、トビアも今さら迷ってなどいなかった。己のやりたいこと、やらなければならないことの両方をしっかりと心得ている。サラと理解し合えるか、それとも戦って殺してしまうべきか。互いに相矛盾することだが、それさえも押し通して解決するつもりだった。

「三度目の正直って言うよね。今度こそ、君を止めて見せる」

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