闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百三五節/ティヴォリ 上】

 オーディス・シャティオン曰く、前回の救征軍が失敗した原因の一端に、補給の問題がある。軍隊が移動する上で兵站は最重要課題だが、そこが不徹底だったのだ。

 もちろん、指導者であったエマヌエルは最初から綿密な補給計画を立てていたし、出陣する直前では十分な量の物資を確保していた。それを運ぶための経路や護衛の人数まで計算に入れていたのは言うまでもない。

 それでも辺獄の現実は生易しくなかった。補給路を陸路のみに限定する以上、どこかで脆くなる部分が出来るため、そこで受け渡しが滞ってしまう。最初は些細な失敗だったが、ラヴェンナからの距離が伸び、瘴土の中で心理的な不安感が増してくると、任務を放棄したり物資をくすねる輩が出てくる。あとは連鎖的に問題が噴き出し、前線の戦力を低下させてしまう。エマヌエル自身が監督しようにも、彼女が戦線を離れれば、その時点で全軍が崩壊するのは目に見えていた。

 つまるところ、長過ぎる補給線の問題に、組織上の欠点が上乗せされてしまったのだ。

「解決すべき点は、大まかに分ければ以上の二つです。その内、前者の問題に関しては、彼らの協力を得ることで解決しました」
 
 ティヴォリ遺跡は、かつて旧時代の貴族達が保養地ときて使った建築群の成れの果てだ。
 世界のあちこちに点在する遺跡と同じく、今は崩れかけた岩塊が積み上がっており、庭園の跡は巨大な草原と化している。

 だが、オーディスの呼び寄せた彼ら・・にとっては、その方が好都合だ。

 大きな羽音が大気を揺らす。人々が夜空を見上げると、星々の絨毯を切り抜くように、いくつもの巨影が浮かんでいた。それが地面に近づくにつれ、生い茂った草木が大きく靡《なび》く。

「オーディスさん、あれってまさか……」

「そう、竜《ユラン》です」

 蜥蜴にも似た巨大な体躯に、一対の黒い翼を持った生き物が、次々とティヴォリの草原に舞い降りてくる。鎧のような鱗に月光を反射させ、丸みを帯びた顔からは赤い舌をチロチロと覗かせている。

 その内の一頭の背中から、一人の女性が飛び降りた。

「オーディス・シャティオン、壮健だったか!」

「クリシャ殿こそ、招集に応じていただき感謝しております」

「亡きエマヌエル殿下より賜った御恩を思えば、これくらい物の数ではないさ。それよりも……そちらの方が、殿下の後継者か?」

 やや圧倒され気味だったカナンは、一拍遅れて挨拶を返した。だが、緊張していたからではない。竜《ゆユラン》の登場に意表を突かれたこともあったが、それ以上にクリシャの姿に驚いていた。



◇◇◇



「改めてご挨拶申し上げる。我が名はクリシャ、クリシャ・ツィルニトラ。ラヴェンナ管区管轄の少数民族、操蛇族の長にして継火手です。以後お見知り置きを、カナン様」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 会議用の天幕のなかで二人は握手を交わした。だが、カナンはついまじまじとクリシャの頭を見てしまった。

 頭頂部と天井の間に、拳一つ分程度の隙間しか空いていない。

 クリシャ・ツィルニトラは、これまでカナンが出会ってきた誰よりも背が高かった。長身といえばギデオンやベイベルもそうなのだが、クリシャの方がさらに一回りほど上回っている。優に二ミトラ(約二メートル)は超えているだろう。

 視線に気付いたクリシャが、少し恥ずかし気に頭を掻いた。ふと我に返ったカナンは謝るが、「どうも、見上げられるのには慣れてますから」と返された。

 身長以外にも、クリシャは珍しい特徴をいくつも持っていた。灰色の長い髪をマフラーのかわりとして首の周りに巻き付けてある。他の継火手が皆そうであるようにクリシャの顔立ちも悪くなかったが、男性のようにがっしりとした体格のせいで弱々しさは全く感じさせない。歳の頃はサイモンやオルファと同じくらいで、おそらく二十代前半だろう。

 毛皮を何枚も重ねて織られた服は、竜の背中に乗って飛ぶことを前提とした作りだ。もちろん煌都ではこのような服装はあまり見られない。どちらかと言えば闇渡りに通ずるものがある。他にも、竜の爪や牙を加工して作った腕輪やピアスを着けていた。

 だが、何にも増して特徴的なのは、その話し言葉だった。


おれ・・の家系の継火手は、代々こんな風にデカくなるんです。母も祖母も、いつも旦那を見下ろしてましたよ」


 そう言ってクリシャは豪快に笑った。

 どう見ても継火手というより山賊だ。悪いとは感じつつも、カナンはそう思わざるを得なかった。そんな彼女の表情を見て、クリシャも笑い声をだんだんと小さくしていく。

「……あー、柄が悪い、と思ってらっしゃる?」

「いえいえ。私の守火手もあまり言葉遣いは良くないですから、大丈夫ですよ」「悪かったな」「でも、ラヴェンナの王族はそう思わなかった。違いますか?」

 カナンはクリシャと、天幕に集まった他の面々とを見比べた。合点がいった、といった表情の者もいれば、イスラやペトラのように疑問符を浮かべている者もいる。

「ご名答、はっきり申し上げれば下心のためです。
 我々操蛇族は、代々ラヴェンナと辺獄の狭間にてひっそりと暮らしてきました。小さいながら燈台もありましたし、この通り継火手も一緒になって集落を守っていました。ですが先代……母が族長をやっていた頃から、少しずつ辺獄に呑まれる土地が増えてきた。おれが受け継いだ頃には、牧草地のいくつかを捨てざるを得ない状況でした」

 イスラとカナンの脳裏に、同時にトビアの一件が浮かび上がった。風読みの一族が直面したのと全く同じ話だ。そしてここから先の展開も、おそらく似たものとなるだろうと思った。

「……でも、ラヴェンナは救援を拒んだ」

「その通りです。まあ、うちの竜どもを見てもらったら分かると思いますが……おっかないんでしょうねえ。ああ見えて草食だから大人しいのに、話なんて聞いちゃくれない。もちろん移住なんて夢のまた夢。辛うじてエマヌエル殿下が救援令を出してくださったから良かったものの、それが無ければ今頃一族揃って飢え死にするか、本物の盗賊になるしかなかった」

 煌都が他の文化の流入を頑なに拒むのは、今に始まった話ではない。クリシャら操蛇族も、遅かれ早かれ迫害を受けるのは必然だったのだ。

 無論、そう易々と滅びを受け入れることなど出来ない。操蛇族が救征軍の思想に共鳴することも、また必然と言えるだろう。

「そういうわけで、そこのオーディス・シャティオンに誘われて参加させてもらった次第です。我々の手持ちの竜を使えば、物資の運搬も楽に行える。きっと役に立ちますよ」

「物資を竜で運ぶ……?」

 目からうろこの思いだった。物を運ぶことの大変さはカナンも経験則で理解しているが、陸路以外の輸送方法などまるで思いつかなかった。一度はシムルグで運んでもらったこともあるというのに、完全に発想から抜け落ちていた。

 確かに竜を使って空輸した方が、危険な陸路を進むよりも安全に物資を届けられる。あれだけ強靭な体躯の生物なら、一頭だけでも十分な量を運べるだろう。
 さらに言うなら、陸路の場合道そのものを維持する必要があるが、空輸の場合は着地点を点在させるだけで事足りる。辺獄内に侵入した後、少しずつ常夜灯を稼働させていけば、それを目印として駅を作ることが出来る。

「オーディスさんが言っていた解決案って、このことだったんですね」

「その通りです。発案したのは私ですが、結局は実現に至りませんでした」

 そう答えるオーディスの横顔には、珍しく悔悟の色がわずかながら浮かび上がっていた。

「どうしてですか? こんな案があったなら、前回の遠征も……」

 カナンがそう呟いた時、天幕の外がにわかに騒がしくなった。オーディスとクリシャが同時に顔を見合わせる。

「……思ったよりも早かったな」

「つけられてはいないはず、だけど」

「当然だ。飛んでいる竜《ユラン》に追いつけるはずがない。となると、全くの偶然か……」

 二人の間で進められる会話にカナンはついていけなかったが、何か好ましからざる状況が近づいていることだけは分かった。

「厄介事か?」

「……そうならなければ良いですけど」

 イスラは明星《ルシフェル》の柄を撫で、カナンも立て掛けていた杖を手に取った。
 口で言ったこととは裏腹に、二人とも無意識のうちに得物に触れていたのは、これから起こることが決して楽には済まないと察していたからだった。

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