闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第百二三節/怨念の小部屋】

 煌都ラヴェンナの王城バシリカは、旧時代の要塞跡に大燈台を増設して造られた巨大な建造物である。

 天然の岩山を土台とし、裾野には市街地が広がっている。要塞だったころの城壁は今でも現役で使われており、バシリカ城の威容を際立てている。要所には投石機や櫓が設置されており、他の煌都よりも物々しい雰囲気を漂わせていた。
 城そのものは旧時代の意匠を色濃く踏襲しており、複雑な彫刻や巨大な石像が建築の中に盛り込まれている。城壁をわざわざ削って人型の像を彫り込むなど、明らかに無駄と思われるような拘りも見られたが、城が引き出す威容は初めてラヴェンナを訪れた人間に大きな衝撃を与えるのだ。

 その城壁の一歩内側に入ると、広大な練兵場や武器庫、工房、製鉄所が詰め込まれているのが分かる。倉庫には五千人の兵士を半年間賄うだけの食料が蓄えられており、万一籠城戦になろうとも容易には陥落しない。

 もっとも、今の平和な時代に籠城戦をするような機会など滅多になく、バシリカの防衛設備はほとんどが無駄か、良くて過剰と言ったところだ。

 むしろ現在では、煌都間の様々な駆け引き……つまりは、政治的な暗闘の方が主流と言って良い。代々武断的な性格を残して来たラヴェンナは、バシリカ城地下の迷路のような空間で、様々な陰謀を巡らせて来たのだ。

 その中の一つ……かつてエマヌエル・ゴートが私室として使っていた部屋に、ラヴェンナの現当主と幾人かの影がひしめいていた。

 夜魔憑きのサラは、部屋の隅に陣取って会議の流れを傍観していた。

「陛下。パルミラを出発した闇渡りの軍勢は、すでにラヴェンナ国境を越えたと聞いております。これは一刻も早く対策を取られた方が……」

 ネルグリッサルの無感動な言葉を遮るように、上席に座った女性……少女がテーブルを叩き付けた。

「分かっているわよ! それくらい!」

 怒鳴るのと同時に、白色金の髪の上に乗ったティアラが僅かにずれた。それが少女の分不相応ぶりを強調しているかのようで、サラは小さく鼻を鳴らした。

 煌都ラヴェンナの新女王、マリオン・ゴートは、即位以前から能力の不足が噂されてきた人物だった。

 先代女王の無関心からろくに期待を掛けられず、本人もまた期待されていないことに満足して特権のみを享受してきた。成人するまでは勉学より遊びに費やした時間の方が多く、浪費した税以上の何かを市民に還元することもなかった。

 文化方面で優れた才能があるわけでもなく、衣装も流行に流されるだけで、自ら潮流を作ろうという意思も持たなかった。

 ゴート家は代々優秀な人間を生み出してきた血筋であり、エマヌエルはその代表とも言えるような人物だった。マリオンとて決して無能力者として生まれたわけではなく、彼女の周囲にいる人物は、彼女の才能の片りんとでも言えるものをたびたび目撃している。それも、姉エマヌエル同様多方面に発揮されるため、まっとうな努力をしていれば決して貶められることも無かっただろう。

 問題は彼女が自分自身の能力を伸ばすことに全く意義を見出さなかった点だ。だから、いくら優秀さの片りんを覗かせたところで物にならず、周囲からは無能というレッテルを張られる結果となってしまった。

 そんな彼女でも、天火だけはゴート家に伝わる白炎を完全に受け継いでいた。

 だがむしろ、明確な血縁の証拠がある方が、彼女にとっては不幸だったかもしれない。

 エマヌエル・ゴートの救征軍が失敗に終わり、次代の女王と目されていた彼女が戦死したことによって、次女であったマリオンは必然的に王位継承権第一位の座に押し上げられた。

 王政は市民に対して強制力を持つ一方、王族にも「王にならねばならない」という制約を持つ。マリオンがそこから逃げ出すことなど不可能だった。

 そのうえ、先代女王は全てを託していたエマヌエルの戦死を受け入れられず精神の均衡を失い、発狂した翌年には食欲不振から来る栄養不足で衰弱死してしまった。ラヴェンナに権力の空白を作る余裕などあるはずもなく、マリオン・ゴートは嵐のような性急さの中で王冠を被ることになってしまった。

 今は、その重さに押しつぶされそうになっている。

「闇渡り、闇渡り……闇渡り! なんで殺したら駄目なのよっ!?」

 唾を飛ばし、隣に座っていたギヌエット大臣に食って掛かる。身を乗り出した拍子に、身体にかぶせていた毛布がわずかにずれた。それに構わず大臣を睨みつける。

 五十過ぎの忠臣は汗を拭きながら肩を縮こまらせていた。どう説明してもマリオンの癇癪を鎮めることなど出来ないだろうが、それでも無言を貫くわけにもいかなかった。

「恐れながら、陛下……我々が彼らを殲滅するとしても、確実に遂行出来るとは限りません。それに彼らはパルミラへ降伏し、今は継火手カナンの管理下に置かれております。シャティオン卿までもが第二次救征軍を支持している以上、無暗な武力行使は戦乱を引き起こす可能性もあります」

 マリオンはわずらわし気に頭を振った。頭ではギヌエットの言うことも理解しているが、彼女は悟性よりも感情の方が強い人物だった。

「じゃあ何、私はあんな臭くて汚い連中のために国庫を開かないといけないの? 他に必要な出費はいくらもあるって、そう言ったのはあなたでしょ!」

 今にも飛び掛からんばかりのマリオンと、ひたすら小さくなるギヌエットを見かねたネルグリッサルは、彼にしては珍しく溜息をついて仲裁に入った。

「……女王陛下。私からも、ギヌエット大臣の意見を推薦させていただきます。つまり、継火手カナンを支援し、救征軍として辺獄へと送り出すのが最上の策なのです」

「何よ。内密に話がしたいと言っておいて、結局はその程度のことしか言えないの?」

「左様。ですが少々補足させていただくなら、我々ウルクの人間が救征軍を支持することにこそ、意味があるのです」

「……どういうこと?」

 ネルグリッサルの無表情ぶりは、時として豪胆さとして見えることもある。実際はベイベルに長く付き従っていたために恐怖の感情が麻痺してしまったのだが、それは他人には推察できないことだ。

 刺々しい苛立ちを発散していたマリオンも、ネルグリッサルの言葉に少しだけ冷静さを取り戻していた。ギヌエットだけは、唐突に訪問してきたウルクの役人に対して警戒心を抱いていたが、今横やりを入れればまたマリオンを怒らせてしまう。そうなったら話どころではない。

「御存じのように、我がウルクは現在、少々まずい立場にあります。信頼の失墜と収益の大幅な減少、さらにはウルク市民への説明や対処に追われている状態です」

「それくらい知っているわ。全部あなたたちの自業自得でしょう?」

「返す言葉もございません。ですから一刻も早く、信頼だけでも回復する必要があるのです。
 そのためには、他の煌都の関心を買う必要があります。此度招集された全煌都会議で良識と協調の姿勢を見せることで、我々に信頼回復の意思ありと知らしめ……」

 ネルグリッサルが言い終わる前に、マリオンが「全部そっちの都合じゃない!」と怒鳴っていた。それはそうなのだが、もちろんまだ話は終わっていない。せめて文言だけでも最後まで聞いてほしかった。

「確かにこれは我々が得する方法であります。しかし、ラヴェンナも同様に恩恵を受けることが出来るのです。
 三年前の失敗もあり、救征軍に対して懐疑的な煌都は多いでしょう。ですが今回は、反乱を起こした闇渡り達が中核になっています。対処したパルミラはもとより、ラヴェンナ近辺の煌都……ニヌアやタルシシュは、闇渡り達の流入を警戒するはず。そうなれば必然的に救征軍を支持せざるを得ない。
 問題は、パルミラよりもさらに遠方にある諸都市です。彼らが非承認ないし不支持を表明すれば、それだけ救征軍への援助が減り、ラヴェンナの負担は増えるのです」

 一旦言葉を区切り、両者の様子を伺う。マリオンは面倒そうな表情を崩していないが、おとなしく聞く姿勢だけは保っていた。一方ギヌエットは不信感も露わにネルグリッサルを観察している。

 ちらりと大臣の方に視線を送ってから、ネルグリッサルは説明を再開した。

「エルシャや、さらに西方にあるテサロニカは賛成しないでしょう。そんな中、近隣にあるウルクが支持を表明すれば、彼らとて無碍には出来ないはずです」

 ネルグリッサルの断言に対して、マリオンよりも先にギヌエットが口を挟んできた。

「何故そう言い切れるのですか? 失礼ですが、ウルクの信用はすでに地に落ちています。ウルクが賛成したからと言って、西方諸都市が動くとは断言出来ないでしょう」

「果たしてそうでしょうか。
 ラヴェンナ、パルミラ、ニヌア、タルシシュ……仮に継火手カナンが闇渡り達を押さえられなくなった場合、直接被害を被る可能性があるのはこの四都市です。もし西方の都市が不支持を表明した場合、四つの煌都だけが救征軍を支援しなければならない。
 ところがここに西方都市のひとつであるウルクが入るとなると、話は別です。彼らが不支持を表明したとしても『ウルクまで参加しているのに』と言い返すことが出来るのです」

「……なるほど。そうやって逃げ道を潰すわけね」

「その通りです。煌都間の距離が問題でなくなれば、今度は信義や協調といった言葉で追い詰めることも出来るのです。『これは全ての煌都で共有すべき問題なのに、エルシャやテサロニカは逃げようとしている』『東方の諸都市に問題を押し付けようとしている』……逆にそう言いふらすことも出来るのです」

 現在、大燈台を擁した煌都は世界中に十か所しか存在しない。各都市は互いに勢力を伸ばそうと凌ぎを削っているが、決して相手を滅ぼそうなどとは考えないし、表面上は決して協調姿勢を崩さない。戦争をする余力も無ければ、戦争によって減った人数を補填する方法も無いからだ。

 ネルグリッサルの言うことが成った場合、煌都の意見は大きく二分されることになる。それは誰も望んでいないことだが、旧時代ではこうした些細な行き違いから戦争が起きてしまった。

 それを知っているために、煌都の指導者たちは決して信義や協調をおろそかにしない。

「なるほどね。確かに、あなたたちウルクが参加するのは理に適っているわ」

 机の上に肩肘をついたまま、マリオンが呟いた。ギヌエットは「陛下!」と諫めに入るが、マリオンは気だるげに片手を振った。

「黙ってギヌエット。良いじゃない、手伝ってくれるって言うんだから。他の煌都に日和見を決め込まれないなら、なんだっていいわ。せいぜい巻き込んであげましょう?」

 それでいいのよね、とマリオンが言う。「左様にございます」と、ネルグリッサルは頭を下げた。



◇◇◇



「ダメじゃないの? あの人。こんなにかんたんに信じちゃうなんて」

 ウルクに割り当てられた公館に戻るなり、長椅子に転がり込んだサラはそう言い放った。執務席に着いたネルグリッサルは、書類に目を通しながら「そうだな」とぶっきらぼうに答えた。

「ラヴェンナの新女王が凡愚だということは前から知れ渡っていた。我々としては、それをうまく利用させてもらうだけだ」

「協力するとかいっておいて、本当はめちゃくちゃにする気なんでしょう?」

「ああ。彼女は私の理屈を信じたようだし、難民共が内部分裂を起こしたように見せかければ、ウルクに矛先が向くことも無い」

「そして、ばらばらになった難民がラヴェンナやパルミラを荒らしまわるのね」

「そんなところだな……君にはまた働いてもらうことになる」

「かまわないわ。わたしはどれだけ嫌われたっていいの。もともとそういうものなんだから」

 サラは自らに言い聞かせるかのように、そう呟いた。

 ふと、マリオンのことを思い返し、そこにベイベルの影を重ねてみた……だが、上手く合わさらなかった。

 マリオンとベイベルは、ともに支配者に向かない女性という点で共通している。

 だが、ベイベルはあえて暴君役を演じる道を選んだ。役者として悪人を演じている間は、精神の均衡を保つことが出来た。それが健全かどうかは置くとして、ある意味自分の身の回りの世界を受け入れようとしていたのだとサラは思っている。
 そして、自分が彼女と同じ呪われた力を持っているからこそ、その考え方や立ち回りを継承しようと思ったのだ。

あの人マリオンは、悪役にだってなれないんだろうな)

 自ら進んで悪役を選んだ者として、サラは密かな優越感を抱いた。

「それに、あんな状態じゃ、ね……」



◇◇◇



 バシリカ城の地下、かつて姉が使っていた部屋に一人残ったマリオンは、募る苛立ちを暴言に変えて吐き続けた。

 生きた人は誰もいない。ギヌエットも行ってしまった。だがマリオンは、部屋の中に染み付いた姉の気配を感じ取っていた。

 そして、それに向かって恨み言を吐き出しながら、ずれかけた毛布を胸に引き寄せた。

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