闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第八十八節/継火手殺し】

 最初に村の影が見えた時、調査隊の誰もが同様の違和感を覚えた。

 地図によると、この先にある村には天火を戴く燈台があるはずだ。辺境の小集落とはいえ、真っ暗闇の中なら燈台は明々と輝く。
 それが見えないとなると、遮光壁が降りてしまっているのか。だが、空に月の姿は見当たらない。すなわち、今はまだ昼だ。

「サイモン、どう思う?」

 イスラは声を落としてサイモンにたずねた。敵の気配はどこにもないが、イスラは本能的に危機感を感じていた。それが声を潜めさせたのだろう。

「どう思う、って聞かれてもな……胡散臭いとしか言いようがねえよ」

 隊長として調査隊を率いているサイモンも、事態の異常さには気付いていた。本来は軽い性格の男だが、大坑窟での長年の生活によって後天的に慎重さも身に着けている。少人数を率いての探索には最も向いた人材だ。

「俺が斥候に行こうか?」

「……そうだな。任せた。俺たちも村のすぐ近くまで進んで潜んでおく。困ったらその剣ルシフェルで天火でも何でも打ち上げてくれ」

「分かった。ちょっと行ってくる」

 そう答えるなり、イスラは外套をサイモンに押し付けると、音もなく木々の間へと飛び込んでいった。


◇◇◇


 鬱蒼とした森の中を、イスラは疾風の如く駆け抜ける。木の枝が肌を引っ掻くが、その程度の痛みなど物ともしない。耳朶を打つ風の音が心地よかった。

 身も心も軽かった。こんな風に木々の枝を走るのはいつぶりだろう? ウルクを逃れて以来、ずっと砂漠を歩いてきたから、枝葉の感触が懐かしかった。


 こうしていると、本当の自分に戻ったような気がする……。


(本当の自分? なんだよ、それ)

 イスラはふと浮かんだ考えを即座に搔き消した。恥ずかしくなるような問いだ。以前にオアシスで、カナンに向かって「俺は俺だ」と偉そうにのたまっていたではないか。

「……カナン」

 一瞬、目の前に、居留地を去る時のカナンの寂しげな表情が蘇った。

 分からない。何故自分のような人間に、そんな表情を向けられるのだろう? 長い間旅を続け、共に幾度も死線を乗り越えてきたから……それはそうかもしれない。



 だが、俺は闇渡りではないか。



 野蛮で暴力的な、犯罪者たちの末裔……イスラ自身、一体誰が父親なのか分からない有様だ。
 そんな出自も身分も低い自分に、どうして目を向けようとするのだろう。

「まさか……いや、何考えてんだか……」

 考え事を中断し、イスラは地面に降りた。

 音を立てないよう慎重に茂みを掻き分け、村へと向かう。

 村の周囲には高さ三ミトラ(約3メートル)程度の石垣が造られていたが、それは見るも無残に破壊されていた。壁の一部が叩き壊され、辺りに石の欠けらが飛び散っている。


 だが、そこに在るべき天火の不在という事実に比べれば、大したことではなかった。


 村の中は闇と静寂に包まれ、月明かりだけが破壊と略奪の跡を照らしている。全ての家の扉が破られ、目につくものは根こそぎ奪われていた。

 一軒の家の中に踏み込んだイスラは、水桶に溜まった水の臭いを嗅いでみた。まだ腐っていない。藻も浮かんでいなかった。竃の炭に埃は積もっておらず、日常を唐突にひっくり返された痕跡が散見された。

 一体何が……そう思った時、窓の外から女の叫び声が聞こえてきた。

 家から飛び出す直前に、薪割りのための小さな手斧を拝借。声の聞こえた方向に向かって全力で走る。

 音が聞こえたのは、村の離れにある一軒家だった。そこも扉が破られていて、そこから人の揉み合う音が聞こえてくる。イスラは息をひそめ、明星ルシフェルの柄に手を掛けながら忍び寄った。
 戸口から中を覗く。三人の男が、一人の娘の上に圧し掛かっていた。

「……嫌なこと思い出させやがって」

 イスラの脳裏に、アラルト山脈での一件が否応なしに思い出された。

 その時に見たカナンのあられもない姿も。

 そして、搔き乱された自分の感情も。

 脳裏に浮かんだ様々な記憶が、イスラの苛立ちを掻き立てた。それを吐き出すかのように、イスラは左手に握った手斧に力を込め、今まさに覆いかぶさろうとした男の背中に向けて投擲した。

 斧が男の背中に突き立つ。蛙の潰れるような短い断末魔が上がった。他の二人の男が反応するよりも早く、イスラは明星ルシフェルを抜いて駆け出し、もう一人の男を斬り伏せていた。血飛沫が飛び散り、娘がさっきとは別種の悲鳴を上げる。それに構わず、イスラは残った敵を睨みつけた。

 最後の一人は伐剣を手に応戦しようとする。が、その動きはあくびが出るほど単純で、鈍くて、遅い。数々の死線を潜り抜けたイスラにとって、この程度の相手など敵ではなかった。

 机の上に乗っていた鍋を投げつけひるませる。男は伐剣を滅茶苦茶に振り回すが、最短距離で突進したイスラは胸に明星ルシフェルの切っ先を突き刺し、壁に縫い付けた。なおも悪あがきをしようとするが、頭突きを喰らわせてひるませ、明星を真横に向けて引き斬る。肉と骨の断たれる音とともに、千切れた動脈が血を噴き出してイスラの顔を汚した。

 緊張も恐怖も感じていなかった。それでも、イスラの肩は大きく上下していた。「……おい」床に倒された娘に向かって声を掛ける。相手は後ずさり、近くにあった伐剣を拾ってイスラに向け突き付けた。
 切っ先がぶるぶると震えている。これまで武器など持ったこともなかったのだろう。それでも、血まみれの闇渡りよりは恐ろしくないのかもしれない。

「心配するな。敵じゃない」

 我ながら虚しいな、とイスラは思った。

「あんたに狼藉を働くつもりもない。いい加減にそれを下ろせ」

「嘘だッ!!」

 娘が叫ぶ。イスラは嘆息しつつ明星の血糊を拭い、鞘の中に納めた。

「まあ、それが普通だよな……あいつがおかしいんだよ、あいつが……」

 イスラは上着を脱いだ。娘が肩を震わせるが、そんな彼女に向けてイスラは上着を放り投げた。

「着ろ。ちょっと汚れてるけど、今のザマよりはずっとましだ」

 相手が服を着たかどうかは確認せず、イスラは家の外に出て明星を掲げた。その切っ先から蒼い光が飛び、花火のように空中で輝く。

 ほどなくしてサイモンたちがやってくると、イスラはそれまでにあったことを全て伝えた。娘の身柄は女の隊員に任せた。その段に至って、ようやく娘は緊張を解いたようだった。イスラの上着は、着ていなかった。

「……一体何なんだ、この村は。人はいない、天火はない、闇渡りだけがいるなんて……」

「さあな。あの娘が喋る気になったら良いけど……だいぶ怖い目にあったからな」

「お前の見た目も含めてか?」

「言っとけ」

 サイモンの革袋から水を飲んでいると、調査隊の一人が血相を変えて駆け込んできた。

「た、大変ですサイモンさん! 村の広場に死体が……!」

「……そりゃあ、あるだろうな。案内しろ」

 だが、それはただの死体ではなかった。

 イスラとサイモンは村の広場に向かった。そこは本来村役場のある場所で、屋敷の上には小規模な燈台が設けられているはずだった。

 ところが天火の姿は影も形も無く、燈台の台座ごと消失している。
 そして、役場の入り口の前に、一体の遺体がはりつけになって晒されていた。

 全身がくまなく焼け焦げ、はた目には性別さえ定かでない。しばらく野晒しになっていたせいか、鳥にむさぼられている箇所もあった。顔も髪も分からない。

 だが、足元に落ちた杖の残骸だけが、持ち主の身分を語っていた。

「この仏さんは……継火手か」

 サイモンの声は震えていた。当然だ。今の世界において、継火手を殺すことほど罪深いことは無い。まさに神をも恐れぬ蛮行だ。

 役場の前の広場は大きく円状に焼け焦げている。地面がえぐれ、そこで起きた破壊の大きさを物語っていた。

「こいつは……まいったなあ。どうするよ、イスラ?」

「カナンに相談しよう。俺たちの手には余る。……でも、その前に、ともかくこいつを葬ってやらないとな……」

「……だな」

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