闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第六十四節/夜魔憑き 上】

 カナン達は大坑窟の中を一路、上層に向かって走っていた。動力塔が復活したため通路の壁面は淡く発光しており、瘴土の闇を払いのけている。あの生臭い臭気は依然として鼻につくのだが、夜魔の影は少しも見当たらない。

「良かったのかい?」

 オルファは走りながらカナンに訊ねた。「何がです?」

「ようやく再会出来たのに、すぐに別行動なんてさ。あいつと一緒にいた方が、あんただって心強いだろ?」

 カナンは微笑を浮かべた。

「そうですね。でも、さっきまでは生きているか死んでいるかすら分からなかったんです。だからもう心配する必要なんてありません」

「信用してるんだね、あいつのこと」

「はい」

 二人より少し後ろを走っていたトビアは、そのやり取りを聞きながら互いに信頼し合えるイスラとカナンを羨ましく思った。
 初めて会った時からそうだ。カナンの第一声は「心配いりませんよ」だった。そしてイスラは常に危機を乗り越え、彼女を守り続けてきた。


 ―――格好良いよな……。


 これまで誰かに守られ続けてきたトビアにとって、それは初めて抱く感情だった。守られていたからこそ気付けなかったのかもしれない。だが今の彼の中には、イスラという他者の存在が根付いている。

 イスラとまるきり同じに……というのは無理だと、トビアも分かっている。彼は彼、自分は自分だ。空の上でティアマトに斬り掛かったり、タロスの巨体によじ登って剣を突き立てるようなことは、トビアには出来ない。
 それでも、彼のように何かを、誰かを守るような戦いが出来れば、守られるばかりの子供ではなくなるのではないか。

 オルファに先導された一行は、やがて舗装された通路にたどり着いた。坑道とは別に造られた、発着場に到達するための本来の通路の一つだ。大人数や荷物の移動を目的としているため、造りは頑丈で幅も広い。壁際に建てられた柱のような構造物から光が発せられており、薄暗い通路の中を多少なりとも明るくしていた。

 だが、その柱は待ち伏せる者にとっての隠れ場所でもあった。

 柱の陰から次々と不死隊アタナトイが飛び出してくる。面食らったオルファが一瞬たじろいだのに対して、即座に反応したカナンは先頭の一人を杖で殴り倒した。

「慌てないで、落ち着いて!」

 カナンの叱咤に我を取り戻したトビアは腰の山刀を抜き、斬り掛かってきた不死隊兵士の剣を受け止めた。腕力差で押し込まれるが、その腹を蹴りつけてひるませ、山刀で薙ぐ。盾で受け止められるが、その横合いから飛び込んだカナンが杖を振り下ろして気絶させた。

「大丈夫ですか?」

「はい……」

 また助けられてしまったな、と思った。カナンが自分よりもずっと強いということは分かっているのだが、それでも女性に助けられるのは何だか悔しい。それが子供っぽいと自覚してはいるが、割り切れないのがトビアの幼さだった。
 それでもトビアの逡巡が無ければ、カナンに迫る危機にも気付かなかっただろう。立ち止まっていたおかげで、カナンの背後から忍び寄るそれ・・が視界に入った。

 最初は目の錯覚かと思ったが、それは確かに手の形をしていた。まるで影法師のように揺らめいている。決して力強くは見えないが、鋭い鍵爪は危機感を覚えさせるには十分だった。「カナンさん!」トビアが叫ぶのがあと少し遅ければ、カナンは背中を切り裂かれていただろう。咄嗟に杖を振るって払い除ける。

 カナンを襲った影の腕は、方々で抵抗組織の戦士たちに襲い掛かっている。いずれも空間の影から生え出ていた。一つ斬り払っても、次から次へと湧き出てくる。腕だけではない、中には旗付きの槍を持ったもの、蛇のようなもの、鳥の足のようなものまで様々だ。さながら影人形劇の様相を呈している。
 しかし、それらの一つ一つには確実に人を傷つける力がある。

「何だってんだ、こいつら!」

 影人形の攻撃を避けながら、不死隊からも逃げ回っていたオルファが叫ぶ。他の戦士たちも似たり寄ったりの状況だった。
 それに答える声が、通路の闇の向こうから響いてきた。

「それはぜんぶ、わたしの影。わたしの悪魔たちよ」

 囁くような、幼さと妖艶さを一緒に感じさせる声。柔らかなようでいて、凍てつくような冷たさを備えた響きは、トビアの鼓膜に未だ残っていた。
 こつん、こつん、と石の床を軽やかに踏む音が、少しずつ近づいてくる。

 どうか、別の人であってくれ、とトビアは願った。そしてそれは即座に裏切られた。

 闇をそのまま纏ったような黒いころもをなびかせて、ほっそりとした少女が姿を現した。
 彼女もまた、居並ぶ人々の中にトビアの姿を認め、驚き、そして悲し気に目を伏せた。

「サラ……どうして君が……」

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