闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第四十二節/茶会】

 煌都ウルクの表の支配階層は、主に法官、神官、武官の三柱によって構成されている。それぞれが政治と法律、神事、軍事を司り、他の都市で言う継火手と守火手は、それぞれ神官と軍官の家から排出される。

 法官に政治と法律が任されるのは、継火手と守火手を出すことが出来ない不公平を埋めるためだ。煌都を動かすためには政治は不可欠であり、決して軽んじられるものではない。外交交渉においても主に法官が取り仕切るため、彼らと意思疎通を図ることが、ユディトが成すべき最初のことだった。

 応接室に入ったユディトは、招待したウルクの法官たちの前で腰を折った。少しだけ上体をかがめ、右手を左胸に当てるのが継火手流の挨拶だ。

「皆様、本日はわたくしの招待に応じていただき、喜びに堪えません。エルシャの使節としてではなく、純粋な友誼を結びたくお招きいたしました。些細な席ではありますが、どうぞおくつろぎになってください」

 応接室は大理石の壁に囲まれた小さな部屋で、元々大人数を招くことは想定されていない。今日の茶会においても、ユディトはウルクの法官から三名のみを選んで招待していた。建前はどうあれ、彼女が何の目的で派遣されたかはウルクの全ての法官が知っている。隠密性など気にしても仕方が無い以上、手ごたえのありそうな面子だけを選んだ方が、何か分かるかもしれないとユディトは考えた。今日の茶会は、部屋といい状況といい、全て彼女の戦略の上に成り立っているのだ。

「こちらこそ、エルシャを担う新たな継火手に呼んでいただけるなど、光栄の極みであります」

 三名のうち最も年配の法官が返礼した。名はサルゴンと言い、歳は四十半ばといったところか。法官の前に「大」の一文字がついていない以上、うだつの上がらない小役人といったところだろう。何かボロを出す可能性が一番高いが、同時に何も知らないという可能性もある。
 二人目は二十後半の太った男で、ヘガルという名前だ。名家の出で、ウルクでも将来を嘱望された法官の一人である。ただ、以前話した限りでは、評判ほど頭が切れるというようにも見えなかった。生まれながらの地位のおかげで優位に立っているという印象をユディトは持っている。

 そして三人目、遺産管理を司る法官の一人、ネルグリッサル。

 ヘガルと同年代のようだが、やや痩せすぎと思わせる顔は、あまり血色が良くない。表情は理知的ではあるが、常に無感動で、ユディトに対しても非礼にならず、かといって愛嬌の無い返事を返した。
 エルシャがウルクの遺産に興味を持っている以上、一人は必ず遺産管理官を選ぶ必要があった。ある意味、今日の茶会の大本命と言える。

 ただ、この男が簡単に口を割るようには思えなかった。しかし、他の遺産管理官がのほほん・・・・としている中、この男だけが異様な雰囲気をまとっているのには、何かしらの意味があるのかもしれない。それを期待してユディトは彼を招待したのだ。むしろ、こうして招待に応じてくれたことが意外である。

 三人を席に座らせたユディトは、呼び鈴を鳴らしてすぐに茶菓を持ってくるよう促した。それを待つ間も、運ばれてきたあとも、ユディトは招き主として何気ない会話を交わしながら、一方では継火手として情報を収集しようとしていた。
 席の空気が良い具合にほぐれてきたのを見計らって、ユディトは切り出した。

「そう言えば、昨日私たちの前に現れた賊について、何か分かりましたか?」

 昨日、イスラを救助した際に襲ってきた賊の死体は、ウルクの都軍に差し出しておいた。あの男がウルクと無関係であれば問題無いが、もし何らかのつながりがあった場合、この話題を使って何か反応が見れるかもしれない。ありえないとは思うが、もし糾弾されても正当防衛だったと言うことが出来る。
 だが、良い手だと思ったそれは、ネルグリッサルの「我々とは管轄が違うので、まだ分かりません」という言葉によってあっさり無力化されてしまった。

 見事に技を外された形だが、その程度で動揺するようでは継火手の仕事は務まらない。ユディトは顔色一つ変えずに「残念ですわ」と答えた。

「でも、あんな賊が現れるのなら、昨夜のような大規模な討伐も必要ですわね」

「ええ。我々法官としても頭の痛い問題です。闇渡りのような、賊の集まりはいくら叩いてもすぐに湧き出てくる。挙句、エルシャからの客人に危険が及んだなど、武官の連中が聞けば青くなるでしょう」

「まあ。では、昨日の賊の正体は闇渡りだったのですね」

 ここで、ユディトはあえて視線をサルゴンの方に向けた。それまでネルグリッサルだけが会話を牽引していたため、サルゴンにも油断が生じていた。加えて、ユディトは自分の美貌がこういう場でどのような効果を発揮するのかよく心得ている。
 ギデオンから武術を一通り教えられたユディトだが、その技術は何も身を守るためだけに使うものではない。一人で複数の敵を相手にする場合、まずは実力の低い者から崩していくのが定石だ。

 案の定、急に話題を振られたサルゴンは「いえ、闇渡りでは……」とバラしてしまった

「それでは、闇渡りの他にも危険な輩が徘徊しているのですね?」

 一気に踏み込もうとしたユディトだが、その試みはまたしてもネルグリッサルに遮られた。

「賊は賊ですよ。第一、何を以って闇渡りと言うのか、それが問題です。黒い外套に伐剣を携えている者だけをそう言うのか、あるいはそれ以外の特徴を持った連中も闇渡りなのか。へガル殿はどうお考えになりますか?」

「そうですなあ。やはり闇渡りには、彼ら特有の野蛮さが……」

 やられた、とユディトは思った。これで昨夜の一件を追求することは出来なくなった。完全にはぐらかされた形だ。無理矢理話の軌道を戻すことも、茶会という状況では出来ない。
 正直、「闇渡りの定義」などどうでも良いのだが、今はそれに付き合うしかない。回転木馬が一周するように、もう一度主導権が回ってくるまで待たなければならない。しかも、その間ずっとにこやかに会話し続けなければならない。

 ふと、カナンならどうするだろう、と思った。彼女なら、こんな回りくどいことはせず、直接真相を突こうとするかもしれない。

 あるいは……。

「……それが一番確実?」

「どうかされましたか?」

 サルゴンに声を掛けられハッとしたユディトは、表情を取り繕うのに若干の苦労を要した。

「いえ、少し考え事を」

「何か悩み事がおありで?」

「そうですね……まあ、大したことではありません」

 そう、大それたことなど何も考えていない。


◇◇◇


 三人を見送ったユディトは、百花宮の廊下を歩きながら人知れずため息をついた。

 結論から言えば、今回の茶会は全くの無駄だった。いくら調べようにも、ネルグリッサルにのらりくらりと躱され、はぐらかされてしまう。あの男を呼んだのは間違いだったかもしれない。

 ただ、その態度から何となく察せたこともある。彼が他の二人の発言を補完したり、はぐらかそうとしたのは、背後に知られてはならない事実があるからだ。その後ろめたいことを二人が隠しきれないと判断し、横槍を入れ続けたのだろう。
 だが、その態度自体が、彼らの背後にある何かを語っている。ネルグリッサルもそれを承知しているはずだ。

 つまり、自分たちが何かを隠していることは認めるが、その正体を確かめることは許さない。

「でも、そう簡単に引き下がるものですか……!」

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