闇渡りのイスラと蒼炎の御子

井上数樹

【第二十節/闇渡りの戦い】

 イスラは突っ込んだ。

 待ちの姿勢を作りたくないし、第一性に合わない。

 闇渡りの戦いは先制必殺が信条。敵の数がこちらより多く、良い装備を持っていることを前提として考えられている。
 だから、卑怯と言われようが、まずは全力で数的優位を覆すのだ。

 正面の騎士は盾を構えて迎え撃とうとする。が、そう易々と敵の戦術に乗る気は無い。
 走りながら左手のナイフを投げつける。騎士が首を竦めた。目線がイスラから離れる。
 飛び込むだけの隙としては十分過ぎる。

 蛇のように低く潜り込み、左の脛に刀身を叩き付ける。骨を砕く感触があった。悲鳴を上げながらもその騎士は剣を振り下ろすが、それより速くイスラは当身を食らわせていた。
 騎士が態勢を崩す。橋の上から奈落に身を乗り出しながらも彼は剣を振り回していたが、もう誰もそんな行為に注意はしていなかった。断末魔とともに落ちていく。それを聞いて、ようやくイスラはぽつりと呟いた。「一つ……!」

 奇襲が効くのはここまで。残りの四人は、実力と立ち回りでどうにかするしかない。

 二人の騎士が同時に攻め立ててくる。大型のカイトシールドを壁のように並べて圧迫し、さらにその隙間から長剣による刺突を狙っている。戦術的には最も採られたくない手だった。
 しかし連携が取れているかというとそうではなく、どちらも先んじてイスラの首を獲ろうとしている。そのちぐはぐさが、イスラのつけ入る隙になった。

 イスラは斜め後方に跳び退った。つられた騎士の片割れが追撃に走るが、それこそイスラの目論見通りだった。
 伐剣で敵の攻撃を跳ね上げ、すかさず左手で腕を掴み引っ張る。相手は踏み留まるが、一瞬だけ動きが止まった。その隙にイスラは懐へ潜り込む。剣で相手の盾を押さえながら顔面に頭突きを食らわせ、跳び退きつつ喉を切り裂く。浅い。まだ仕留めきれていないが、二人目の騎士が横から襲い掛かってきた。
 転がるように剣撃を避け、あるいは受け流し、少しずつ距離を取る。進んでは退いて、まるで押し競饅頭だな。攻撃を捌きながらも、頭の中では呑気なことを言っている自分がいる。

 だが余裕があるわけではない。後ろで順番待ち・・・・をしていた四人目が迫っているし、先ほど怯ませた騎士も態勢を立て直しつつあった。もたもたしてはいられない。

 イスラは戦法を変えた。

 剣の持ち手を背中側に大きく反らせて、思い切り地面を蹴る。闇渡りの典型的な攻撃方法だが、見通しの良い場所では返って迎撃され易い。そんなことはイスラも承知している。
 案の定、相手は盾を構え、手ぐすね引いて待っていた。


 だから、イスラは跳んだ。


 盾の縁を踏みつけ、敵の頭も踏みつけ、そこを踏み台にして背後の敵に斬り掛かる。完全に意表を突いた。足元から突き出された剣が太腿を削るが、イスラは意に介さなかった。

 伐剣は先ほど喉を斬りつけた騎士の首に当たり、その中程まで刀身を埋まらせる。皮は断っていないが、気道と骨を潰した手応えがあった。蛙の潰れたような声を聞きながら振り返り、飛び越した騎士に襲い掛かる。相手の剣が顔を掠めたが、イスラの伐剣は鎖骨をへし折り、その下の肺を押し潰した。

 首を折られた騎士は即死した。肺を潰された方は痛みが追いついていないらしく、目を白黒させている。

「二つ、三つ!」

 四人目が斬り掛かって来た。イスラは受け止めるが、右脚の裂傷から痛みが這い上がってきた。思わず顔をしかめる。敵は、そんなイスラの表情につけ上がり攻勢を強めた。

 剣では小手先の技を繰り返し、隙を見て盾で殴りつけてくる。剣だけなら捌けるが、両方同時に気に掛けるとなると困難だった。弾いた瞬間に鼻先を叩かれ、そうして怯んだところをじりじりと攻め立てられる。伐剣一本しか持っていないイスラは明らかに不利だった。

「なら……!」

 ジリ貧なら、手数を増やせば良い。

 イスラは伐剣の鞘を腰から外し、それを逆手に持ち替える。盾の代わりだ。相手は苦し紛れと受け取ったのか大胆な斬撃を繰り出したが、イスラはあっさりとそれを打ち払い、鞘で強かに顔を殴りつけた。鼻血が流れる。

 イスラの反撃は敵の怒りを買ったが、冷静さを欠いた動きは対処し易い。殴打を弾き、あるいは受け流す。手数が対等になったおかげで形勢はあっさりと逆転した。
 まず膝の皿を蹴りつけ態勢を崩す。伐剣で牽制し、盾での防御が崩れると同時に鞘で胴を殴りつける。衝撃は斜め下から内臓を襲った。騎士の口から空気の漏れる音がした。「とどめ!」伐剣を構えて突撃する。

 切っ先が埋まる直前、イスラは違和感を覚えた。五人目は?

「がっ!?」

 四人目の騎士が呻いた。イスラの目の前に血みどろの剣の切っ先が現れる。反射的に身体を捻るが、突撃の勢いまでは殺しきれなかった。左肩に剣が突き刺さる。鞘が手からこぼれ落ちた。

 イスラは何とか態勢を立て直そうとするが、こめかみを強かに蹴り飛ばされた。頭の中で火花が散る。耳鳴り以外の音が聞こえなくなった。
 足裏から地面の感触が消える。やばいと思うより早く、左手で橋の縁に手を掛けていた。

 底の見えない奈落に身を晒しながら、必死で身体を持ち上げようとする。その指先を思い切り踏み潰された。

「汚らしい闇渡りめ……貴様さえいなければ、こんなことにはならなかったのだ」

 唾が吐き掛けられる。見覚えのある顔だった。

「あんた……見たことあるな……」

 馴れ馴れしい口をきくな、とレヴィンは軍靴に込める力を強めた。

「貴様は分不相応なことをしたのだ。よりにもよって、闇渡りなぞがあのお方の守火手になるなど……貴様は、その瞬間に自害して、守火手の権利を手放すべきだったのだ!」

「無茶苦茶なこと言うんじゃねえよ……! あんたらの業突く張りなところが嫌だから、あいつは街を出たんだ」

 指の骨が軋む。肩の傷が燃えるように痛む。だが、怒りの方がより一層激しく燃えている。

「あんたの欲しいものは、そんなに価値があるのかよ! 味方殺しをやってまで……!?」

 血刀が突き立ったままの死体から流れた血が、橋の縁を伝ってポタポタと落ちていく。

「ああ、欲しいとも! ……豚に真珠というが、その顔だと本当に分からんようだな。地位、名誉、財産の旨味!」

 レヴィンがベロリと舌舐めずりをした。

「ついでに女の味も、な」

「手前!!」

「く。くひ、ひひひ! こんな地の底では何も望むべくもないが、まだ残っているものもあるな! はは! あの女が夜魔に引き裂かれていようが構わん! 腰から下さえ残っていれば満足してやるさ!」

 哄笑とともにレヴィンはイスラの指を蹴り落とす。身体が重力に捕まるが、イスラは壁を蹴ってまた別の橋に着地した。右脚の痛みに思わず膝をついてしまう。溢れ出た血がズボンの上に広がっていった。
 レヴィンは悠々と立ち去ろうとしている。後を追いかけようとするが、その前に何体もの夜魔が立ち塞がった。イスラの殺意に引き寄せられたか、それともレヴィンのどす黒い欲望を嗅ぎつけたのか、いずれにせよ彼一人の手に余る数ではない。

 だが、イスラはいささかも怖気づかなかった。

「どけえええぇぇぇぇぇぇ!!」

 喉を嗄らすほどの咆哮とともに、伐剣を振りかぶって夜魔の群れに立ち向かう。脚の痛みなど忘れていた。
 瞬く間に彼の姿は、群がって来た夜魔の中に消えた。
 黒い外套が千々に千切れ、大発着場の奈落の中へ落ちていった。

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