絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第三百二十七話 実戦演習(中編)

 コックピットは狭くも広くも無く、一人がゆっくりと過ごすにはちょうどいい空間である。この空間が仮想空間であることが勿体無いくらいだ。
 でも、エイミーはこの空間が嫌いだった。現実世界とは違い、仮想空間独特の窮屈な感覚に襲われるのだという。
 仮想空間と現実世界の乖離は、仮想空間を作り上げていく上で避けて通れない問題である。その多くは感覚の乖離である。現実世界では実際に痛覚などの感覚が神経を通して人間の身体そのものに伝わっていく。しかしながら、仮想空間では感覚も凡て電気信号で執り行われる。即ち、実際に伝わるものでは無い。だから、その乖離に苦しむ。
 エイミーもその乖離に苦しむ一人だった。慣れればどうってことは無い――エンジニア側はそう言うのだが、彼らは実際に操縦することは出来ないので、そう言われても実感が湧かないのである。

『それでは模擬演習を開始してください』
「了解」

 短くエイミーは答え、リリーファーコントローラを強く握った。
 ところで、仮想空間においてもリリーファーの操縦はコントローラをもって行われる。それはあくまでシミュレートの面が強いためである。シミュレートを行うためには、電気信号で動かすシステムにするとシミュレートの意味が無い。
 リリーファーコントローラを巧みに操り、外に出る。
 対してゲッコウの乗るリリーファーはまったく動いていない。

「どうしたのよ、大丈夫?」

 嘲笑を込めた声で訊ねるエイミー。
 その程度の人間ならば、負けるはずもない――そう思っていた。

『ああ、大丈夫だ。少し、見たことが無いタイプだったから、考えるのに時間がかかっただけだ。それ以上でもそれ以下でも無い。問題ない』
「あらそう。なら、問題ないね。取り敢えず急いできてもらえるかしら? 何が起こるか解ったものじゃないの。私たちが戦っている間に戦争が起きる可能性だって充分に有り得るからね。だから、そう時間をかけられない。オーケイ?」
『オーケイ。それは解っているよ。だったら、始めようじゃないか』

 ゲッコウに急かされる気など毛頭なかった。
 エイミーは苛立ちを隠しながら、リリーファーコントローラを握る。

「一気にやっつけてやる……」

 焦っていたのかもしれない。憎かったのかもしれない。
 どちらにせよ、彼女の頭の中の序列はしめされているという。

「ゲッコウ、申し訳ないけれどここであなたに負けるわけにはいかないの。私はずっとこのレーヴを守ってきた。だから、私は常に強くなければならない。ええ、強くなくてはいけないのよ!」
『君が言っていることも解る。……だが、僕だってやることはある。戦うことだってある。いや、戦わなくてはならないと言ってもいいだろうね。僕はそのためにやってきた』

 それを聞いてエイミーは耳を疑った。
 なぜ突然そんなことを言い出したのか、解らなかったからだ。

「……あんた、いったい何者?」

 それを聞いたゲッコウは、微笑んだような気がした。

『さあね。君がこの模擬戦に勝利したら、教えてあげてもいいかもしれない』
「へえ。自信でもあるわけ?」
『自信があるというか、負ける気がしないだけだ。君だって考えたことはあるのではないかな? どこからやってきたか解らないが、ただ強そうな気配だけは感じるだろう。でも、僕は気配だけでは無い。強いよ』
「言っていればいい。強いかどうかは、これから決める」

 そして。
 静かに決戦の火蓋が切って落とされた――。


 ◇◇◇


 その頃、数機のリリーファーと巨大トラック群が荒野を走っていた。
 リリーファーには『HALLEY』と書かれていた。それを見て殆どの人たちは、それをハリー騎士団のものであると理解できるだろう。しかしながら、それについて誰も考えようとはしない。

「……まさかこんなことになるとはね」

 ヴィエンスは小さく溜息を吐いた。
 あれから、ハリー騎士団は正式に国属ではなくなった。正確に言えば騎士団の名前をはく奪されたと言ってもいいだろう。騎士団とは国に属しているリリーファーを複数所有している団体のことを指すのだから。
 だから、今彼らは騎士団ではない。傭兵団とでも言えばいいだろう。

「ほんと……まさかあいつらがこんなことを考えているとは思いもしませんでした」

 ダイモスはリリーファーを操縦するヴィエンスに通信で言った。
 ヴィエンスはそれを聞いて溜息を吐く。それは解り切っていたことだからだ。
 ダイモスとハル、二人の父親が崇人であることは、二人は知らない。知っておく必要が無い、知らなくていいというマーズの意志からによるものだった。だからヴィエンスもそれについて伝えることはしなかった。
 だから彼ら二人にとって、マーズは突然処罰されたと思い込んでいる。かつて、タカト・オーノとともに過ごしていたから、それについて処罰を受けたと思っている。
 その理不尽とともに、ダイモスとハルは崇人を憎んでいた。当然だろう、彼らにとって母親が死んでしまった直接的原因に成り得るのだから。

(ダイモスとハルに、いつ、どのタイミングでそれについて言えばいいのだろうか……。少なくとも今のタイミングで言えば、崇人に対する殺意がごちゃまぜになってしまう。ちくしょう、どうしてここまで世界ってもんは優しいもので出来ていないんだろうなあ……)
『どうしました、ヴィエンスさん?』
「……ん、いや、何でもない。とにかく南に進むぞ。どうなるかは解らないが……少なくとも、今はここから離れる必要がある。どこへ向かうかも決まっていない、はっきり言って前途多難だ。だが、やり切るしかない。乗り切るしかないんだ」
『ええ、解っています。だって僕たちは今、生きているのですから』

 生きている人間には生きていくための場所が必要だ。
 生存権、というものが法王庁の教えに存在する。
 その定義は『人間が生存するうえで必要最低限のものを保障する』ということだ。抽象的なことなのは、具体的に法王庁が決定するのではなく、自分自身或いはその管理者が決定するものだという風に定義されているためである。
 しかしながら、数年前に法王庁が本体機能を停止して、『機人教』を謳う団体がその地域で活動を始めたため、現在はその生存権が起動従士ではさらに拡大されて解釈される形となっている。
 たとえば起動従士は機人教で保護する必要があるとか、リリーファーは神として崇める必要があるとか、そういうことだ。リリーファーと起動従士は、実際に世界を救っているのだから、神やその類として認められてもあり得なくはない。寧ろ今までなぜそのような活動が起きなかったのか、と疑問が浮かぶくらいである。
 生存権は人間が必要とする権利である。
 それは機人教の人間も知っている。だが、機人教は凡ての考えをリリーファー中心に考える。リリーファーのために死ねと言われれば喜んで死ぬ人間である。――さすがにそれは言い過ぎかもしれないが。

「起動従士が褒め称えられ、国のステータスとなって、国同士の戦争、その代行者となった時代はもうとっくに終わった。今は国が契約する傭兵となっている。それじゃ、ただの傭兵と変わらない。騎士の地位はとっくに地に落ちている。……俺はこんなことをするために、起動従士を目指したわけじゃなかったがね……」

 嘆いても、状況が変わることは無い。
 寧ろそれで何かが変わるならば、とっくに嘆いている。
 起動従士も、リリーファーも、その立ち位置が僅か十年で変わってしまった。それを一番自覚しているのは他ならない起動従士なのだろう。

『いったいこれから私たちはどうすればいいのでしょう……?』

 次の通信はハルからだった。
 ハルの言い分も解る。怖い気持ちも解る。今までずっとハリー=ティパモール共和国の国属として活動してきたのだから。その安定した地位が、こんなあっさりとした出来事で凡て消えてしまうなんて思いもしなかったのだろう。
 まさに砂上の楼閣。
 あっという間に崩れ去ってしまった楼閣が、ダイモスとハルは受け入れられないのだ。
 ヴィエンスは冷静に分析していた。――彼も小さい頃、それに近いことを経験したというのに。
 それを考えると、ヴィエンスは成長した――単純ではあるが、それが証明されたと言ってもいいだろう。

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