絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第二百六十九話 レステア殲滅戦Ⅲ

 とどのつまり起動従士は狂っている。女性はそう言っている。起動従士は人間として、一般人としての常識を既に持ち合わせておらず、その常識が欠如しているのだ、と言う。それを自覚しているのであれば何故治すことが出来ないのか。治そうとしないのか。ベクターは考えた。
 女性の話は続く。

『まあ、それをあなたのような人間に言ったところで何も変わりませんし変わることも無いのですが。……しかし残念なことねえ、見つからなければ死ぬこともなかったのに。どうしてわざわざ外に出たのかしら? 死にたかったの? 自殺志願者?』
「そうかもしれないな……。私はリリーファーを見て怖かった。心が恐怖に染まってしまったんだ。だから、逃げるのを躊躇ってしまった。あんなものに敵うわけがない……そう思っていたよ」
『思っていた? ならば今は思っていないというのか。人間は新しい思考を続けないと、頭が腐ってしまう。別に実際に腐ってしまうわけではないけれど、少なくとも脳細胞の動きは如実に変わっていくでしょうね』
「そもそも年をとっていけばそれは経年劣化として変化を及ぼすものだよ。それ以上でもそれ以下でもない。さりとて、人間というのは進化を続ける必要がある。それを拒んだ人間は大きく考えるならば人間という存在を自ら捨てた立場になっているのかもしれない」

 ベクターと女性の会話は至極哲学的なものだった。それを地上から見ていたアニーはどうにかしてベクターを救おうと策を考えていたが、しかしリリーファーに人間が適う訳もなく、結局はその場で立ち往生するほかなかった。
 どうすれば彼を救うことが出来るのか。どうすればあのリリーファーを倒すことが出来るのか。倒さずともベクターを助けて、そのままリリーファーには気付かないで逃げるなんてほぼ不可能に近い。
 ほんとうに不可能なのだろうか――? ふと彼女はそんなことを思いリリーファーを見つめた。まだリリーファーとベクターは話を続けている。余程話が長いのかベクターが興味を持っているからかもしれない。何れにしろ、少なくとも未だ多少は起動従士から目を離させることが出来た。

「やるなら今しか無い……!」

 そう言って彼女は駆け出した。
 だが、はっきり言ってそれが失敗だった。
 ズシン、と何かが着地したような音が、あろうことか彼女の背後から聞こえてきたのだ。
 それを聞いて、彼女は立ち止まる。ふと思い出したのはコックピット内部に居るであろう女性が言っていた、ある一言だ。


 ――お兄様でなくて私に出会ったということ


 これが意味することに早く気づいていればよかった。少なくとも言葉を聞いていただけでそんなことは容易に想像ついたはずだというのに。
 背後から音の正体が姿を現す。そこに居たのは目の前にいる、ベクターを掴んでいるリリーファーと瓜二つのリリーファーだった。
 それを見て、彼女の心はある一言で覆い尽くされた。それは『絶望』だ。希望よりも暗く希望よりも脆く希望よりも冷たい。そんな感情で埋め尽くされたのだ。

『まだ「終わってない」じゃないか、リア。君らしくも無い』

 リリーファーはベクターを掴むリリーファーに告げる。

『あら、お兄様……。申し訳ありません、私がもう少し頑張れば良かったのですが……、いや、それ以上に面白い存在に会いましたもので。少しだけ話をしていた……というのもありますが』
『君が持っているその人間のことかい?』

 ベクターを指差して言った。
 リリーファーは頷く。

『その通りです。起動従士には心が無いのか……そう言われました。珍しいですわよね? このような状況だというのにそのような質問をしたのです。まったく、面白いとは思いませんか?』

 確かにそうだとリリーファーに乗っている男は思った。彼はそれを口に出すつもりは無かったが、かといって否定するつもりも無かった。結局、誰が異端かということは誰かが基準を設けなくてはならない。そこでその基準がどちらかといえば異端寄りだったならばそれを異端と定義することは無理だろう。異端とはそういうものだ。違うとはそういうことだった。

「何が面白いんだ……! 人が死んでいるんだ。リリーファーに乗って、それを操縦することで結果としてたくさんの人間が死んでしまった……。その意味を理解しているのか!!」
『理解しないといけないのかしら?』

 女性の解答は淡白だった。あまりにも純粋で、真っ直ぐで、濁りの無い言葉。だがそれにはそんなことなど関係無いと言いたげに、考える必要性など無いと思っているかのようだった。
 ベクターは舌打ちして、それに答える。

「子供を殺しても、君たちは何の感情も抱かないというのか……! いや、それだけじゃない! 大人もそうだし妊婦もそうだ! 君たちは人間を殺しても何の感情も」
『あぁ、抱かないね。抱く必要性がまったく感じられないから。皆無と言った方がいいかもしれないけれど』

 言葉を言い切るまでもなく、男がそれに答えた。
 その返事はベクターが予想していた中のひとつに入るものだった。しかしいざその発言を聞いてみると内から怒りが込み上げてくる。

『……さて、リア。そろそろ時間だよ、もう「あちら」は待ってくれない。急がないと今晩はレーションすら食べることを許されないかもしれないね』

 それを聞いて女性は小さく舌打ちをした。

『そうですか。なかなか楽しいものだったのですが』
『僕にとっては暇でしか無かったよ。会話の途中で参加したからかもしれないがね』
「終わりって……どういうことだ」

 ベクターが訊ねる。それを聞いた女性は高らかに笑った。

『あぁ、簡単なことですよ。この地区はもう完全に崩壊しました。人間はもうあなたくらいしか生きていません。さしずめティパモール最後の人間……とも言えるでしょう。まぁ、実際ティパモールにはたくさんの抜け道があると言われていますから、逃げている人間ももしかしたら居るかもしれません。そうなったら、その人たちは我々に「勝った」ということになりますがね』
「勝った、だと……!? やはり君たちは人命を軽視し過ぎているじゃないか! そんなこと、人間がしていいわけ……」

 ぐちゅり、と音がした。その音はベクターの身体を思いきり握り潰した音だということに気付いたのは、それから少ししてのことだった。
 パイロット・オプション『真紅の薔薇』によって未だ身体が硬直されている彼女だったが、どうにかしてそれから脱け出したかった。早く、早く、早く、早く。逃げたかった。本当ならばベクターとともに安全な所へ逃げたかった。
 それが。どうして。

『あーあ、さっさと終わらしたかったからこの手段を取りましたが、はっきり言って最悪ですわね。血がこびりついてしまいます』
『どうせ作戦が終われば高周波洗浄機で直ぐ綺麗になるさ。さぁ、あと一人だ』

 この状況で拘束の状態が解かれていないアニーを逃がすほど、彼らも甘くはなかった。
 男はつまらなそうに言葉を呟いて、アニーの頭上にリリーファーを動かした。
 そして、そして、そして。
 アニーの身体がゆっくりと踏み潰され――彼女は痛みと苦しみを味わいながら、死んだ。

 ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇



「先ずは作戦完了といったところかな。ティパモールも無事に紋を刻むことが出来た。あとは未だ時間がかかるから仕方ないが……それに」

 ニヤリ、と笑みを浮かべて帽子屋はそちらを向いた。
 そこにいたのはアニーだった。しかし彼女はソファに横たわっており、すうすうと寝息を立てている。

「副産物も手に入った。まさか……まさかねえ、『彼女』の子孫がティパモールに居るなんて思いもしなかった。ちょうど欠員もあるし、そこに入れてしまおう」

 そう言って彼はあるものを取り出した。
 それは液体だった。重力に逆らうことなく、粘り気はあったが落ちていく液体だった。赤い液体は、鈍い光を放っていた。どちらかといえば悪いものに見える。くすんで見える。
 帽子屋はその液体を躊躇することなく彼女の口に流し入れた。彼女の身体が一瞬大きく震えたが、それは彼にとって至極どうでもいいことだった。別に何も関係ないことだったからだ。この液体を体内に入れることで発生する当然の対価と言ってもいい。
 今帽子屋が入れたものは、『シリーズ』の証となるモノだ。人間に使うと人間の中にある白血球が病気だと思い込み抵抗する。その抵抗と証が戦うため、身体はダメージを受ける。しかしシリーズは生命体を超越した存在であり、それゆえに人間では考えられないほどの回復力を持っていることから瞬時に身体は回復される。それが繰り返され、証が身体に定着するのを待つのだ。
 時折身体が震え、それを艶美な表情で見つめる帽子屋。その光景は滑稽というよりも不気味に思えた。
 震えが収まり、彼女は再びすうすうと寝息を立て始める。それを見て彼は笑みを浮かべた。

「成功だ。……おめでとう、『白ウサギ』、君が今日からその名前を引き継ぐんだよ」

 その声は安らぎというか優しさが含まれているように思えた。
 そして帽子屋はアニー――白ウサギの顔を撫でた。


 ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇


 こうして、ティパモール内乱は静かに終結した。そのとき、彼らには余韻も何も与えられなかった。ただ、上司から紙切れで通知があっただけに過ぎなかった。

「終わったのか……やっと」

 ティズは溜息を吐きながら、ソファに腰掛けて終戦宣言を聞いていた。
 やっと帰れる。やっと帰ることが出来る。それだけを考えるととても嬉しかった。帰れるということ。家があるということ。その幸福を噛み締めることができるのだから。
 近くにいる兵士は様々な言葉を交わしている。

「ほんとうに終わっちまったのか……なあ、すぐ帰れるのか?」
「知らねえよ、あくまでも上司からそういう通知がきたまでに過ぎねえ。正式な通知を待ったほうがいいだろうが、まあ、確実だろうな」
「マジかよ。お土産とかどうすっかな」
「お土産、って……。そんなもんティパモールに売ってるわけねえだろ。もう人もいねえし建物も破壊された。残っているのは小動物くらいだろうよ。小動物でも狩ってくるか?」
「よせやい。適当な場所で買うとするさ。お前んとこはそういうの買わないわけ? 手土産とか買っとかないと怒っちまうからよ、俺のフィアンセが」
「あーあー。結婚出来る人間がいるやつはいいねえ。噂だと今回は彼女がいるやつはあまり死なないようにしたと聞いたがどうなのかね」
「それはねえな。だって結婚したばかりのジョンが散弾銃をくらって全身穴ボコだらけになっていたからな。きっとそれは妄想に過ぎねえぜ。ま、お前もはやくいい相手を見つけろって話だ」
「式には呼べよ。最高にかっこいい祝辞を読んでやろうじゃねえか」

 ……と、まあ、もう祝賀会のような雰囲気が漂っている基地であった。



 基地の外にある瓦礫の山、その脇にある小さながれきにロスは腰掛けていた。

「どうぞ」

 差し出されたマグカップを受け取るロス。

「済まないな、持ってきてもらって」
「その様子だと覚えていないようですね」
「覚えていない?」

 ええ、と男は頷きながらロスが持つマグカップにウイスキーを注いだ。
 会釈してから、ロスはそれを一口飲む。

「俺はあなたと同じ隊の人間ですよ、ロス隊長」

 ロスはそれを聞いて思い出す。最後のクロウザ陥落時、ロスは前線の隊長を務めたということを。

「……そうか、君はそうだったな」
「俺だけじゃありません」

 そう言ったと同時に褐色の肌をした男がやってきた。髪をピンで止めるかわりにタオルをまいている。

「ルノスっていいます。ヘイズさん、俺も一杯飲みますよ」

 ヘイズと呼ばれた男はルノスの言葉を聞いて、彼が持つマグカップにも酒を注ぐ。
 リリーファーが戦争の中心となった世界になって久しいが、それでも人間の兵士の存在は欠かせない。人数が少なくなってしまったのもあり、今では一つの隊に五名程度しか置くことができない。しかしながら、その五人というのはよく言う『少数精鋭』となっており、チームメイト皆が個々に高い能力であることが求められるのである。

「俺は……君たちのことを覚えていなかった」
「仕方ありませんよ。あなたが俺たちの隊を任せられたのはつい数日前のことだ。あなたがそれを嘆く必要はないです」

 ロスはヘイズの言葉を聞いてそのままウイスキーを飲み干した。喉が焼けるように熱い。アルコールが高いことを意味しているようだ。

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