絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第二百六十八話 レステア殲滅戦Ⅱ

 『マーク・ツー』及び『マーク・スリー』はレステアに到着していた。しかしながら突然何も考えずにただ出撃するのは馬鹿な話である。先ずは外から街の様子を眺め、それから判断する。
 街は見た感じ活気に溢れていた。まるでそこだけが戦争なぞ起きていないように錯覚してしまう。だが、他の地区では紛れもなく戦争の痕跡が残っている。焼き払われた大地や建物、さらには幾重にも積み重なった人間の山、それに火を点け燃やしていく。脂が焼ける匂いがする。それがどの地区でも行われていた。まさに『地獄絵図』であった。
 作戦開始及びその具体的な手段については本人に一任されている。なので、彼女たちがいつ始めても問題ないのであった。
 リフィリアは笑みを浮かべ、兄であるイグネルに告げた。

「時は満ちましたわ……。さぁ、はじめましょう。お兄様」


 ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇


 唐突だった。
 日が暮れて、夜。人々は内乱の恐怖に怯えながらも食事を楽しんでいた。食事を囲めば、人々は笑顔になる。これがどういうメカニズムによるものなのかあまり解明されない。解明せずとも、現に食卓を囲み、話をすれば、笑顔になるというものである。
 ベクターもアニーと一緒に食事を取っていた。彼女と食事を取るのは二日ぶりのことだったが、ベクターにとっては一週間、或いはそれ以上の時間が経っていたような気がした。
 アニーの作る料理は他人が見ればバランスよく作られてはいるが、バリエーションに富んだものではない。大量に作って保存しているわけではなく、毎日作っている。だから毎日、僅かであるが味付けが違っているのである。
 肉じゃがのじゃがいもを箸で掴み、それを口に入れる。じゃがいもはホクホクしており、それでいて味が染み込んでいる。そしてその味を忘れないうちにご飯を掻っ込んだ。

「……毎回思うが、君の作る料理はこの世界のものとは思えないものばかりだ。味付けも珍しいし……」

 そう言ってベクターは水を一口。
 それを聞いたアニーは頬を紅潮させつつ笑った。
 その刹那、窓が内側から吹き飛ばされた。何が起きたのかまったく解らなかったが、即座に彼はアニーを守るべく自らの身体を盾とした。
 彼の背中にガラスの破片が落ちていく。それを背中で受け止めていく。痛みはあったが、我慢した。我慢するべきだと思った。我慢しなくてはならないと思った。

「先生……!」

 アニーの声がかかって、ベクターは顔を上げた。

「大丈夫だ。とにかく、君は急いで逃げるんだ……!」

 その時、ベクターは初めて選択を間違えた。ここで彼は外を見て様子を確認するべきだった。それさえすれば、もっと冷静な判断をできたのだ。できたはずだったのだ。
 ドドドド、と地面を揺るがす音。
 その音はあまりにも巨大でその音を生み出している源は何かと考えた。

「先生、そんなこと考えている場合ですか! 逃げましょう!」

 アニーは手を取る。
 しかしベクターは動かない。否、動けない。動くことができないのだ。
 何故なら彼は、このタイミングで『あるもの』を見てしまったからだ。
 建物よりも遥かに高い背丈を誇る人形が、二台そこにはあった。一見すると巨大な人間がフルフェイスの鎧を着ているようにも錯覚してしまう。

「何だよあれ……。あれってまさか!」
「先生!」

 アニーはもう我慢出来なくなって、彼のシャツの裾をぐい、と引っ張った。
 それにより、彼の思考はこちらに引き戻される。
 ベクターがアニーの方を見ると、彼女は頬を膨らませていた。

「とにかく! 急いでここを出ましょう! 診療所が破壊されてしまうのははっきり言って痛手ですが、でも、先生が居ます。先生が生きています! 先生さえ生きていれば……たとえどんな場所だろうと、作られた診療所はベクター診療所せんせいのものになります。そこは先生がいるからそうなるんです。先生が居ない診療所はベクター診療所ではないんです!」
「だが……」
「だがとかでもとか! そんな言葉の類いはあちらには敵いません! 行動で示すほか無いんですよ……!」

 彼女の声はとても力強かった。か細い声であったのは確かだったが、その中に一本の芯が通っているようにも思えた。
 アニーは孤児だ。彼女を初めて見たときの様子を彼は未だに覚えている。父親とともにメインストリートを通っていた時のことでだ。地面に腰掛けていたぼろ布だけを身に纏っていた少女だった。小麦色に焼けた――あるいは汚れていると見ることが出来る。
 その一瞬だけを見て、ベクターの父親は彼女がどういう存在かを見極めたらしかった。だから彼女はベクターの父親には頭が上がらない。自分の人生を激変させた人間だ。だからその子供であるベクターにも、その感情は残されている。直接的に彼女の人生と関わっている彼の父親よりその感情は薄れてしまうが、それでも彼女はただ忠誠心だけでベクターと共に居るのだ。
 だから、アニーにとってベクターは大切な人なのだ。愛情にも友情にも似たその感情を、彼女はずっと持っていたのだ。

「逃げましょう、先生」

 すっかり話さなくなったベクターにアニーは問い掛ける。
 アニーの話は続く。

「敵に背中を見せてもいいんです。生きていれば……生きてさえいれば、いつか必ずいいことが起きます。いつか必ず報われます……! ティパ神様も……きっと私たちに『試練』を与えているだけなんです!」

 ティパ教の信者は苦行について『神が与えた試練』であると認識している。死後、また人間に生まれ変わり幸せになりたいのならば、試練を乗り越えなくてはならない。そういうルールめいた何かがあった。
 そして、アニーはこの状況を試練と認識した。試練と解釈した。そうすることを、認識することを、彼女は昔から刷り込まれていた――そう言ってもいいだろう。
 しかしティパ教を理解出来ない他者からすれば、それは立派な現実逃避ではないのだろうか――そう思うに違いない。
 思考が誰しも必ず一致するわけではない。寧ろ、全員が全員一致する方がおかしな話だと言ってもいいだろう。思考が完全に一致するならばそれは洗脳を疑ったほうがいい。

「ティパ神……か」

 落胆しながら、ベクターは言った。
 ベクターは未だ動こうとはしない。このままでは二人共死んでしまう可能性すらある。何故彼は逃げないのか。何故彼は逃げようとするアニーを無視しているのだろうか。疑問が膨らんでいく。
 だが、それでも彼はぶつぶつと話を続ける。

「神とは何だ? 宗教とは何だ? 信じることで救われるのか? そんなことがほんとうに有り得るのか? まったく解らない……解らないんだよ」
「そんなことを考えなくたって、ティパ神様はみんなを救ってくれます……救ってくださいます……! だって、これは神様がお与えになった試練なのですから……!」

 ベクターにはアニーの言っている言葉の意味が理解できなかった。試練、救う、ティパ神……。ほんとうに神は試練を与えているだけなのだろうか? ほんとうに神は存在し得るのだろうか? ということに、疑問を抱き始めたのだ。
 確かに、神はいるのかもしれない。だが、それを見たことのある人間はいない。しかしそう言うと決まって彼らはこう言う。神は人間が見ることのできない世界に住んでいる、と。ならば人間は視認できない存在をわざわざ崇拝しているというのだろうか?
 彼には解らなかった。そして、その問は人間に答えられるものでもないだろう。人間が答えて、それが正しいと誰もが言える答えを導けるはずがない。なぜなら人間の考えはどれも同一ではなく、違っていくからだ。違いがあるからこそ、人間は人間と長く共存出来るのかもしれない。
 ベクターはアニーとともに行くことを選択した。それが神の啓示だとかそういう理由ではない。自分でそれを選んだからだ。それしか道がないからだ。
 そして、ベクターはゆっくりと歩き始める。
 並んで二人で。



 マーク・ツー及びマーク・スリーのレステア殲滅作戦も半分以上が終了していた。

「意外にもあっさり終わってしまいそうだね」

 イグネルは言った。
 リフィリアは答える。

『当然ですわ、だって私がずっと戦ってきたんですもの。あのミジンコ程度にしか見えない人間など動くだけで勝手に潰れて消えていってしまいますし、武器などたかが知れていますから攻撃してきても蚊が刺してくるよりも反応が悪い。だから攻撃された認識が無いんですよね。厄介なところです』
「……概ね、順調ということだね」

 リフィリアの言葉を一言でまとめあげるイグネル。それについてリフィリアは頬を膨らませる。納得いっていないようだが、彼にとって長い言葉を聞く予定はなく、一言でまとめあげて欲しかったので彼にとってはこうする方が都合良かったのである。

「……それにしても粗方人は死んでしまったかな? 建物を潰すのも何かあれな気がするし……」
『いいじゃない、建物を潰しても。病気を潰す時も建物ごと燃やしてしまうのが一番の方法だって言うでしょう? だったら潰してしまったほうが楽なんじゃない?』
「生憎病気のヤツじゃないからなあ……。一応残しておいてもいいんじゃないか。殲滅とは言われたけれど、大半の人間は生きていないことはこのセンサーで確認済み……おや、」
『どうしたんですの、お兄様?』
「……まだ二人残っているようだね」

 イグネルはニヤリと笑みを浮かべる。
 センサーが指していた場所は――ベクターとアニーがいる病院だった。



「先生、走ってください! 急いで……」
「そうはいうがね……。私だってあまり走っていないのだよ! 病院で待機して患者が来るのを待っていたからね……!」

 ベクターとアニーは走っていた。急いで隠れられる場所まで向かうためだ。

「急いで、急がなくちゃ……!」

 隠れられる場所。それは各地区にひとつずつある寺院だ。ティパ教の寺院は各地区に一箇所づつ存在しており、どんなときにも人がやってくる。さしずめ災害時の避難場所と言ってもいいだろう。

「しかし寺院に隠れられるという保証はあるのか? 僧も流石に逃げてしまっているだろうに」
「僧は逃げませんよ。ティパ教の教えに背くことになります。僧は最後まで神と一緒にその運命を共にする……そう教典に書いてありますから」
「そうか」

 ベクターは俯いて、アニーの後を追った。
 その時だった。
 ベクターの背後に、リリーファーが立っていた。リリーファーは外部スピーカーをオンにしているのか、声が聞こえてくる。

『みーつけた♪』

 女性の声にも聞こえるそれだったが、聞いただけでベクターは恐怖を覚えた。あれは人間の声ではない。死神だ。人々に恐怖を叩き込む悪魔の声だ。いや、そのどちらでもないからもしれない。
 ベクターは怖くて動けなかった。しかし、それでもリリーファーは歩を止めない。

「先生っ!! 早く逃げて!!」

 逃げる。考えている。解っている。
 だが、肝心の足が動かないのだ。そこから逃げたくても、まるで根を張ったかのように動けなくなってしまっているのだ。それがどういうメカニズムによるものなのか、彼にも解らなかった。
 リリーファーに乗っている女性は呟く。歌うように、言った。まるで今からやることを遊戯だと思っているように。これから行われるのは紛れもない殺戮だということを、ベクターは解っていた。だから、逃げたかった。でもそうしようと思うたびに身体の硬直が解除できない。

『もしここにいるのが私ではなくお兄様だったら……助かったかもしれないわね。少しくらい慈悲は与えられたかもしれない。でも、私は無駄。はっきり言ってそんな甘えが通用するわけがないし通用しない。私のパイロット・オプション「真紅の薔薇」に敵う人間は居ないのだから』
「この硬直させているのが……お前の言う、パイロット・オプションだというのか……!」
『おまえぇ?』

 女性は言うと、リリーファーの腕でベクターを掴み、そのまま持ち上げた。コックピットと同じ高さまで瞬時に持ち上げられたが、ベクターは動転することもなくただそのままにしていた。

『あなた。今「おまえ」といったわね? 立場わかってて言っているつもりかしら? だとしても、そうでなかったとしても、私はあなたを殺すつもりでいるけれど。どちらにしろ殺せと命令されているわけだし』
「無慈悲にも人を殺すことが……それほどまで簡単に出来るというのか……。心が痛まないのか!!」
『心? そんなものあったらとっくにこんな仕事出来ないわよ。起動従士はそういう常識めいたものが崩れていて、なおかつ狂っている人間である。だからこそ階級も違っていて、特殊な存在ばかり集まる。それが起動従士であり起動従士たる所以。それ以上でもそれ以下でもない』

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