絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第二百四十八話 アリスの成長

「アリスも順調に『封印』前へと調子を取り戻しつつあるね」

 ハンプティ・ダンプティの言葉を聞いて帽子屋は頷く。
 彼らは彼女を元の状態に戻す必要があった。特に帽子屋の計画にアリスは必要不可欠であったのだ。

「まさかアリスも計画に組み込ませるとか……君も末恐ろしいねえ」

 ハンプティ・ダンプティの言葉には失望というよりも期待が含まれていた。シリーズにとって上位となる存在『アリス』を計画に組み込ませることで何が起きるというのか、ハンプティ・ダンプティ自身も気になっていたからだ。
 もちろん、アリスを組み込ませることでシリーズという存在自体に何らかの悪影響をもたらすのではないかと考えられていたが、しかしながら、最終的には組み込まれていくことによって何が得られるのか――まったくわからなかった。
 アリスと計画の融合……それによるビッグバン的反応が示されるのか否か、それは誰にも解ることなどないのであった。

「……アリスはこのまま封印前の様子に戻す。そして近いうちに『覚醒』させる。それによる効果は計り知れないものになるだろうね。覚醒には融合も含まれているが、融合さえ済ましてしまえばあとは簡単だ。さっさと終わらせてしまえばいい。さっさと世界をやり直してしまえばいい」
「人間の文明はあまりにも進みすぎたからね。ここで一旦リセットするのもアリかもしれない」
「リセットするの?」

 ハンプティ・ダンプティと帽子屋の会話に割り入ってきたのはバンダースナッチだった。バンダースナッチは悲しげな目線をそちらに向けて、言った。
 バンダースナッチの頭を撫でて、帽子屋は笑みを浮かべる。

「君はもともと人間だったからね。人間には思い入れがあるのかもしれない。でも、でもね。もうダメだ。人間はカミという存在を拾って自分たちのために使った。この試練に失敗したんだよ。所詮人間は目の前に力があればそれを使うに越したことはないと思って使う。人間はそれだけの存在だ。それしか価値がないが、それは邪悪と言っても過言ではない」
「人間が存在してはいけない、ということ?」
「違う。人間はこの世界を好き勝手に使いすぎた。使ってもいい、管理は確かに人間に任せた。だが、不測の事態に備えて、最終的な権限は僕たちシリーズ……特にアリスに持たされていたんだ。でもアリスはまだ封印前まで力を回復していない」
「だから、そのために力を回復させる、と?」

 バンダースナッチの言葉を聞いて帽子屋は頷く。

「そうだ、その通りだ。察しがいいな、バンダースナッチ。つまりはそういうことなんだ。……人間の消費により疲弊した世界を修復するプログラム、それが僕たちシリーズの役目でもあり任務でもある」

 帽子屋の言葉にバンダースナッチは首を傾げる。今のバンダースナッチはシリーズに入って日が浅い。さらに前のバンダースナッチの記憶は完全に消している。そのためか、残っているのは曖昧な記憶だけだった。
 帽子屋にとってそれは都合が良かったし、ほかのシリーズにとってみても同様だった。前のバンダースナッチはシリーズの中で一番人間に興味を持っていた。もしかしたらある種の愛情を持っていたのかもしれないが、結果的にはそれが作戦に無意味だと判断され、『初期化フォーマット』された。
 そして『丁度良く』死んでしまった一人の人間の魂をよりしろにして、初期化したバンダースナッチを封入させた。それによりバンダースナッチは、謂わば再起動の形を取った。

「エスティ・パロングという少女は死してなお生きたいと思った。僕たちみたいな『異形』を目の前にしても、恐れることはなかった。……素晴らしい人材だと思ったよ、僕の狙いはあたった。僕の計画は正しかったんだよ」
「……慢心は失敗の素、だったか。かつて君が言った言葉を覚えているか?」

 唐突に。
 ハンプティ・ダンプティは言った。
 帽子屋は笑みを浮かべ、頷く。

「何を言っているんだ。僕が言った言葉だ。僕が忘れてしまうわけがないだろう?」
「だったらいい。だったら構わないよ。……ただ、慢心して油断を怠り、死んでいった連中を私は何度も見てきている。私はシリーズの中でも最初に生まれた存在……言うならば兄、だ」
「僕たちに性別なんて存在しないじゃないか」

 帽子屋の言葉にハンプティ・ダンプティは鼻で笑った。
 それを見た帽子屋は小さく溜め息を吐く。

「あぁ、別に君が悪いわけではないよ? ただそういえばそうだなぁ、と我々の事実を再確認したまでだ。我々には性別という概念がない。かつてのカミですら、それはあったというのに」

 シリーズから性別という概念を取り払ったのは誰なのか、はっきりしていない。まったく解っていないのが現状である。
 だが、彼らにとってそれは小さな問題だ。もしかしたら問題とすら規定されていないのかもしれない。

「……まぁ、そんな無駄話は程々にしておこう。とりあえず今は計画について。一体全体、これからどうするつもりだい?」
「未だ人間が動くターンだよ。僕たちがどうこうする場面ではない」
「そうか……」

 ハンプティ・ダンプティはそう言って小さく溜め息を吐いた。

「やぁ、帽子屋にハンプティ・ダンプティ、それにバンダースナッチ。紅茶でも一杯どうだい?」

 チェシャ猫が帽子屋とハンプティ・ダンプティ、そしてバンダースナッチの会話に割り入ったのはちょうどその時だった。お盆に三人分のソーサーに乗ったティーカップを乗せ、持っていた。ティーカップから湯気が出ており、中に入っている紅茶がとても温かいことを思わせる。

「おっ、済まないね。……でも、アリスの『食事』は未だ終わっていないのではないのかい?」
「アリスなら食事が終わって眠ってしまったよ。ろくなことじゃ起きないけど、一応大きい音は出さない方がいいだろうね。彼女の寝起きでみんな消えたくないだろ?」

 それを聞いて帽子屋は頷くと、ソファーに静かに腰掛けた。ゆっくりと帽子屋たちの腰がソファーに沈み込んでいく。
 チェシャ猫が渡したそれを受け取り、帽子屋は紅茶を啜ろうとして――そこで気がついた。

「そういえばチェシャ猫、君の分は?」
「僕は飲んだから大丈夫だよ。……さて、アリスが食べた大量のパンケーキを載せたお皿を洗わなくちゃね」

 そう言って腰を叩くと踵を返した。

「待てよチェシャ猫。そんなので僕を騙せるとでも思っているのか?」

 刹那。
 帽子屋の指が針のように形状を変え、チェシャ猫の『心臓』を貫いた。
 チェシャ猫は何があったのか解らなかった。自分が何でこうなったのかは、どうやら理解しているようだったが。

「君はシリーズの自制役だ。だからシリーズを殺せる知識も持っている。……だからってこれはないよなぁ」
「まさか……毒か!」

 ハンプティ・ダンプティの言葉に帽子屋は頷く。バンダースナッチは何も反応を示さなかったが、紅茶に手をつけていないところをみると、どうやら状況は理解しているようだ。

「き……君はアリスを! アリスを君自身の作戦へと、計画へと組み込んだ! これがダメなことだって、やってはいけないことだって、どうして誰も言わないんだよ!! アリスを敬う気持ちを、みんな忘れてしまったのか……!?」

 チェシャ猫は口から血を吐きながら言った。恐らくは最後の力を振り絞った言葉なのかもしれない。
 だが、帽子屋はそれを一笑に付して、

「だからどうした」

 とだけ言った。それを見てチェシャ猫の顔が青ざめていく。それが出血多量によるものなのか帽子屋の発言によるものなのかは解らなかった。

「お、お前は世界を修復しようなんて思っちゃいない! 過去の神罰に酔いしれた……カミもどきだ! カミ擬きはどうあがいてもカミになんてなれるはずがない! この世界ですら、カミが作り出した空間なんだぞ!」
「カミカミカミカミ……煩いな。シリーズでも知能を司った君だったが、とうとう呆けてしまったか? だとしたら残念だよ、チェシャ猫」

 そして。
 帽子屋はチェシャ猫の身体にさらにもう一本指を突き刺し、チェシャ猫の身体からあるものを取り出した。
 それはチェシャ猫の心臓だった。

「チェシャ猫、喜べよ。これから君は僕の中で生きる。あぁ、安心してくれ。君が持っていた知識も、凡て僕の中に生きる。最高だろう? じゃあ、さっさと死ねよ」

 そして。
 帽子屋はチェシャ猫の心臓を口に放り込み、飴めいたそれを噛み砕いた。
 それと同時にチェシャ猫の姿は消えた。
 ハンプティ・ダンプティは呟く。

「紅茶を作るやつが、居なくなってしまったな」

 うん? と帽子屋は首を傾げ、ハンプティ・ダンプティに答えた。

「大丈夫だ。紅茶の知識も入っているよ。知識の多さに頭がガンガンするが……まぁじきに慣れるだろう。先ずはウォーミングアップとして紅茶を振る舞おうじゃないか」

 そう言って帽子屋は立ち上がり、キッチンのある方へと向かった。
 アリスはそんなことがあっても、未だ眠っていた。


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