絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第二百四十七話 練習

 マーズは騎士道部の面々にルールを伝えた後、もう一度ルールを確認した。ルールは未々簡略化されたものであって、穴がある。それを見つけて考慮する必要がある――とマーズは考えていた。
 メールに添付されたテキストファイルを印刷して、紙の状態で眺める。その方がメモも書けるし、修正も容易に出来る。
 テキストファイルの量は紙換算で十七枚。文字数は一万二千字程度に達する。枚数のわりに文字数が少ないのは図表を多く使用しているからだ。
 それを一枚一枚長々と見つめ、気になった点にチェックを加えていく。その作業は大変なものであったが、しかしそれも顧問としての役目であり、それを充分に果たす必要があった。

「なんというか……曖昧模糊とはこのことね」

 彼女はチェックしながら、そう呟いた。
 曖昧模糊――彼女がそう表現するほどに、大会のルールは穴だらけだった。即ち、その穴を掻い潜って様々な策を講じることが可能だということも示していた。

「ルールは穴だらけ。これじゃあ、この穴を潜ってくださいとでも言っているようなもの」

 そう言ってさらにチェックをつけていく。もちろんそれは素案である可能性が高く、今後公式発表されるもので変更される可能性だって、考えられるわけだ。
 しかしながらマーズはその可能性を捨てていた。そんなことを考慮する必要などないと考えたのだ。
 なぜならそれは流石に『選手』のことを顧みないやり方だからだ。選手あってこその大会だ。選手を敬う――まではいかないが、せめて選手には最高のパフォーマンスをしてほしいものだ。にもかかわらず、運営側がそのようなことをしてしまっては元も子もない。

「選手あってこその大会……」

 アリシエンスがよく口にする言葉を、彼女は反芻する。大会の主役は選手――それはあまりにも解りきったことだ。解りきったことであるとともに、運営が忘れつつあることであった。運営は選手を軽視してはならない。アリシエンスは常常そう思っていた。
 だから、今回の大会で仮にルールが急に変更なんてことが起きた場合、アリシエンスが恐れていた事態が発生するということだ。

「それは起きてはならないわ……。大会が選手を軽視する。そんなことがあっては大会の根本から崩れることになってしまう。それはあってはいけない。起きてはいけない。だからこそ、『オプティマス』が存在しているわけだけれど、それでもその干渉には限界がある」

 歌うようにマーズは言う。

「オプティマスの干渉をすり抜けていくことだって考えられるし充分に有り得る。とはいえ……オプティマスがそれを看過するような事態に発展していけばそれこそオプティマスは凋落していくに違いない」

 寧ろ。
 それが狙いという可能性は考えられないだろうか?
 出来ることなら考えたくない。監視機関を排除するためにわざとそのような手段に打って出たというのだから。しかもその仮説が合っているとするならば、買収されている可能性だってあるわけだ。
 オプティマスを不必要とするのはあまりにも多い。それはその数が具体的に把握出来ないぐらいだ。
 だがオプティマスの存在は大会の公平を維持するためには非常に重要なものだ。オプティマスが居なければ大会の公平が維持出来なくなってしまう。それは大会の運営にも関わってしまうのであった。
 大会の運営がストップしたとして、喜ぶのは誰だ――そう考えたときに直ぐに浮かぶのは誰一人として居なかった。恨まれることのないわけではない。あまりにも多すぎて特定がしづらいということだ。
 マーズは考える。果たして今回の大会はいったい誰のためのものなのか、誰に向けてのものなのか。
 それが解るのは――それから幾らか経った日のことになるのであった。


  ◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇◇ ◇


 実際に練習することになったシルヴィアたちであったが、いざ練習しようと思っても何をすればいいのか解らなかった。

「練習、ねえ……。実際に何をすれば練習と呼べるのか、解ったものではないし……」
「だからってここに来るのもどうかと思うけど? 練習の不均一が疑われかねないよ?」
「それはそっちがやってないだけでしょ。やっていないことを不均一がどうのこうの言うのはただの言い訳に過ぎないし、見苦しいよ」

 マーズとメリアの会話の横で、シミュレートマシンを通してシルヴィアたちはシミュレートコースを通っていた。コースは進級試験に用いられたそれと同じであったが、一部メリアの手によって改良が加えられていた。

「……なんというか、難しいわね」
「コースのことについて?」
「ええ、そうね。コースは改良しているつもりなんだけど、それでもダメっぽいし。やっぱりなんというかなあ……なんと言えばいいのかなあ……」
「勿体ぶらずに教えてよ。すぐに対応させるから」

 それを聞いてメリアの表情は一瞬綻んだ。そして、理解を得られたのを見て、彼女は肩の力を抜いて非常にルーズな雰囲気で言った。

「リリーファーに乗り慣れてない」

 しかし、メリアが言ったことは非常に的確なものだった。それはシミュレートコースでの彼らの様子――正確には彼らが乗るリリーファーの様子だが、特にこれに関してあまり長々と表現する必要もないだろう――を見るだけで明らかだったのだ。
 一つ簡単にその点を述べるならば先ず最初に挙げられるのは、動きがぎこちないということだろうか。確かにシミュレートマシンで再現される世界は『現実actual』ではなく『仮想virtual』である。そして現実と仮想には僅かながらズレが生じてしまう。
 その理由は至ってシンプルで、シミュレートマシン及びそのサーバ群から構成されるVRワールドの『管理者』である人工知能【アリス】の存在だ。人工知能は人間が組み込んだプログラムを前提に動く。だから、人間めいた『感情』や『仮定』が組み込まれた推論を実施することが出来ず、さらにそれから発展して、それが組み込まれた時にはエラーを吐き出してしまう。これを科学者は『人工知能自己認識問題』として定義し、現在もなお科学者の疑問の一つになっている。

「【アリス】のズレについては適宜調整しているから問題ないけど……うん、やっぱり何が悪いんだろうねえ?」
「私に言われても困るわよメリア」

 そう。
 マーズはこんな状況でありながらも、別のことを考えていたのだ。それを騎士道部の面々に感づかれてしまってはならなかった。
 アリス――人工知能の名前が帽子屋などの『シリーズ』が時折言っていたそれと同じだったのだ。
 果たしてアリスとは何なのか? 何と定義すべき存在なのか? そもそも可視化された空間に存在しているのだろうか? マーズの考えはぐるぐると頭の中を回っていた。
 マーズはそこまで考えたところで一旦思考を切り替えた。ここは彼女の家彼女の部屋ではなくリリーファーシミュレートセンター……即ち外だ。だから長々と考え事をしてしまっては他人に心配されてしまうのがオチだった。


 ――アリス、その存在についてマーズはさらに調べる必要がある。彼女はこの時、そう思ったのであった。




 白の部屋ではアリスが蜂蜜をたっぷりかけたパンケーキを頬張っていた。まだ完成して時間が浅いのだろう、パンケーキの上に乗せられているアイスクリームが溶けかけていた。
 帽子屋はモニターを通してマーズが考えている様子を見ながら、笑みを浮かべる。

「どうやら『真実』に一番近付くことが出来るのは彼女……マーズ・リッペンバーのようだね」

 ハンプティ・ダンプティの話を聞いて、帽子屋は薄ら笑いを浮かべながら紅茶を一口啜った。
 アリスは七枚目のパンケーキを完食したようだが、それでもまだ食べたりない様子でチェシャ猫の方を見て涎を垂らしながら目を輝かせている。
 それを見てチェシャ猫は小さく溜め息を吐くと、ソファーから立ち上がりアリスの目の前にあるお皿を一旦回収した。それを見てアリスは一瞬悲しげな表情を見せたが、「直ぐに新しいのを焼いてきますから」とぶっきらぼうにチェシャ猫が言うと、直ぐに目を耀かせた先程の表情へと復元された。



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