絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第二百三話 ワーカーホリック

「忙しそうだったら、シミュレートマシンに乗るのは難しいかしらね」

 そう言ってマーズは踵を返した。

「いや」

 カタカタと鳴っていたキーボードの打鍵音が止まった。

「出来ないことはないよ」

 くるり、と椅子を回転させてメリアは立ち上がる。若干ふらふらしていたが、マーズの目の前に立つと少しだけかっこつけているのかしゃきっと背伸びした。
 メリアの微笑みに、マーズは意味が解らなかった。

「でもあなた、忙しいのでしょう? シミュレートを行うにはあなたの権限が必要だし、あなたが忙しいなら無理にする必要もないのだけれど」
「大丈夫よ。その代わり……新しいシミュレートマシンのテスターをしてもらえないかしら」

 そう言ってメリアは愉悦な笑みを浮かべる。それを聞いてメリアの思考の真意を理解した。
 ああ、そういうことだったのか。メリアは新しいシミュレートマシンのテスターを探していたのだ。確かにさっきそんなことを言っていたような気もする。

「でも、問題ないの? 正規の起動従士をそんなことさせて……危険性とか?」

 そんなことを訊ねたマーズではあったが、心では乗りたい一心が強まっていた。それをどうにか抑えようとしていたが、メリアにはそれがお見通しだった様子で、

「そんなこと言っているけど、乗りたい感じがするのは気のせいかしら? うずうずしているように見えるわよ?」

 あう。
 マーズはそう言うと、メリアはくつくつと笑っていた。

「ほんとにマーズはワーカーホリックよね。リリーファーに関することだったらすぐ食いつく。あなたも私のことが言えないんじゃない?」
「それはお互い様、でしょう?」

 マーズはそう言うと、メリアはそりゃそうだとだけ言った。


 ◇◇◇


 そのシミュレートマシンは赤色だった。血のように真っ赤だった。シミュレートマシンのコックピットは彼女が今まで使っていたそれと同じタイプだった。

「動かし方とかそういうのは変わりないみたいね」

 マーズはコックピットに備え付けられている通信装置から、ワークステーションで何か作業を行っているメリアに言った。
 メリアは視線を動かすことなく、

『ええ。ただレスポンスを若干早くしたり行動を簡易化したり……あとは敵の方かな。それは実際にシミュレートを開始してもらえれば解る話になるけれど。それじゃ、大丈夫かな?』
「ええ。問題ないわ」

 それを聞いて、メリアはスイッチを入れた。
 刹那、マーズの視界に広がっていた白い世界は作り替えられた。そして一瞬の間も与えることなく、世界は変わっていた。
 そこに広がっていたのは草原だった。山も、森も、何もない――それは即ち隠れる場所がないことを意味している――場所だった。

「ふうん……草原エリアね。確かにこれはあんまりない経験かも……!」

 マーズはその時、背後に気配を覚えた。
 リリーファーコントローラを強く握って、踵を返す。
 そこには、黒いリリーファーが立っていた。そしてそれが敵のリリーファーであることを認識するのに、そう時間はかからなかった。

「まさか開幕から不意打ちをかけてくるとはね……。メリア、AIのレベルを上げた?」
『ええ。様々なパターンに対処するためにね。結構苦労したんだから、このパターンを形成するのは』

 だが、そんな悠長に話をしている場合ではない。その話をしている間でも、リリーファーは待ってくれることなんてせず、マーズの乗るリリーファーに攻撃を与え続けていた。
 もちろんこれはただのシミュレーションだから死ぬことなんてない。だが、それでも負けるわけにはいかない。ここで手を抜いて、本番でも失敗してしまえばそれこそ終了だ。現実にはゲームめいた残機設定なんて存在しないのだから。
 マーズは攻撃を与えるチャンスを待っていた。相手の攻撃が切れる一瞬のタイミング、それを待っていたのだ。
 そして、それはやってきた。
 ほんの僅か、相手の挙動が遅れたのだ。
 そしてその一瞬の隙を、マーズが見逃すことはなかった。
 その隙をついて、リリーファーは敵のリリーファーの右手を掠め取った。そして、マーズの乗るリリーファーはそのリリーファーの右手を掴んだまま振り回した。
 マーズの乗るリリーファーを軸として、そのリリーファーは遠心力がかかっていく。
 そして、あるタイミングでそれを離した。敵のリリーファーは吹き飛ばされて、少し離れた場所へ落下した。

「……まあ、ざっとこんなもんよね」

 そう言ったのと同時に、空間が再び白の空間に戻された。

『さすがね、初めてなのにあっという間に終わらせちゃって』

 メリアは未だにワークステーションに何かを打ち込んでいるようで、視線はこちらに向けることはなかった。

「そんな難易度も上がっていなかったしね。どちらかといえばこの前のやつよりも難易度は下がっているんじゃないの? ……そう、まるで学生に使わせるために開発しているみたいに」
『……勘が鋭いね。ほんと、きみは』
「それが私の取り柄なもんでね」

 そう言うと、メリアは微笑む。

『まあ、なんだ。少し私も休憩したかったところだ。マーズ、あなたもなんだか積もる話があるみたいだし……。少し話でもしないか、私の部屋で。コーヒーを入れて待っているよ』

 そりゃいい、とマーズは言ってシミュレートマシンを後にした。



 メリアの部屋でマーズとメリアはコーヒーを飲みながらティーブレイクに興じた。

「飲んでいるのはコーヒーなのにティーブレイクなのよね……。なんでなんだか」
「そんなこと突っ込んじゃダメよ。えーと、ティーブレイクっての由来がお茶から来ているから実際にはブレイクタイム、かしら?」
「いや、疑問形で聞かれても……」

 それはさておき。

「さっきのシミュレートマシン。ありゃ難易度が極端に落ちているけれど……いったいどういう意味?」
「さっきマーズが言ったとおりのことだよ」

 メリアはコーヒーを一口飲んだあとに、テーブルに置かれているキャラメルが入ったクッキーを手にとって一口。
 メリアは口を撫でながら言った。

「マーズが言ったのは、学生に対応したもの……そう、まさにそのとおり。実は、ヴァリエイブルにある四つの起動従士訓練学校に配置する予定になっている。その第一段階として、先ずは中央に試験的に配置を行う」

 中央……崇人やヴィエンスが通っている学校のことだ。そこは最初に出来た起動従士訓練学校だから便宜上そう呼ばれるのだ。

「中央に配置するためにそれがある……か。しかし急だな。前からやっていたのか?」
「いや、これを作るよう命令が出されたのはあの戦争が終わったタイミングだ。だから、一月前になる」
「一ヶ月でここまで形にしたのか。すごいな」

 マーズは改めてメリアの凄さに驚愕する。
 対してメリアはコーヒーを一口。

「そんなにすごいことではないよ。すでに形ができている旧型をベースにグレードアップして、難しさを下げたんだから。まあ、このタイミングでマーズが来たのはラッキーだったかな。最悪呼びつけようかと思っていたくらいだからね」
「呼び出されるのは勘弁願いたかったね」

 そう冗談を言うマーズ。

「……まあ、それはさておき私からも一つ話題を持ってきたわ。話題というよりは質問になるんだけど」
「うん、どうかしたの?」
「……中央の進級試験が変わった、って聞いたんだけど本当?」

 それを聞いてメリアは目を丸くする。

「……マーズ、それをあんたどこで聞いたの?」
「タカトから」
「あいつか……。というかあいつもどこから聞いたんだよ」
「タカトはアリシエンス先生から聞いたって言ってたわね。戦争とかで頑張っているお詫びだってさ」
「先生、ねえ……。守秘義務をきちんとして欲しいと思うわ」
「ということは、本当なのね。アスレティックコースだというのは」

 その言葉にメリアはゆっくりと頷いた。彼女としても隠しておきたかったのだろうが、こう面と向かって言われてしまうと仕方なかった。

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