絶望世界の最強機≪インフィニティ≫ ~三十五歳、異世界に立つ。~

巫夏希

第二十三話 プールの三角関係(後編)

 崇人とフィナンスの水泳対決は謂わば互角ともいえるものだった。フィナンスが追い越せば、さらに早い速度で崇人が追い越す。崇人が追い越せば、さらに速い速度で……といったかたちで、だ。
 ちらり、と崇人はフィナンスの方を見る。彼も対決を挑むだけのことはあるようだ。さすがのスピードである。

(……やはり、そう簡単にはへばってくれないか……)

 崇人はさっさとフィナンスが諦めてくれるものだと考えていた。けれども、フィナンスは崇人が考えている以上に諦めない、よく言えば猪突猛進の性格だった。
 そしてそれを遠くで見ていたエスティとアーデルハイト。それぞれ口には言わないものの、崇人を応援していた。他のクラスメイトも気付けばその対決に目がクギ付けになっており、どちらを応援するかとか言っていた。挙げ句の果てにはどちらが勝つかという賭けもしているらしく、先生もそれに参加しているようだった。エスティはそれを見て、「ダメな大人……」と小さく呟いたが、それが本人に届くことはない。
 崇人とフィナンスはそれぞれ一進一退のまま、二十五メートルのプールを残り五メートルといったところまで来た。問題はターンだ。ターンを含む水泳で、最も難しいとされている箇所である。
 くるり、と。
 フィナンスが、ターンを決める。ついで、崇人も、だ。
 その綺麗なターンにクラスメイトからはどよめきが上がる。流石というか、当たり前というか、気付けば彼らはこの戦いの虜になっていた。

「……どちらが勝つか、解らないわね……」

 恐らく賭け金だと思われる紙幣を握り締めるキャメルが言う。それさえなければいい言葉なのだろうが。
 ターンを決めたふたりは最後の十五メートルを泳いでいた。未だにお互いがお互いを追い抜いていた。どちらが勝つかは――未だに解らない。

「……どうなるんだ、これ」
「解らねえ……。お互いに、互いを牽制している……。もしかしたら、このまま同時にゴールすることだって有りうるぞ!?」

 そんな群衆クラスメイトの声が二人に届くこともなく、ふたりはほぼ揃った状態で残り五メートルにまで差し掛かっていた。

(あと、少し……! このまま行けば、勝ち負けが決まる……)

 崇人は、恐らくはフィナンスも、自分が勝つことを考えていた。
 けれど、勝者は――ゴールにたどり着くまでは解らない。ふたりはそんな一進一退の攻防を続けていたからだ。
 そして――漸く二人に五十メートルのゴールラインが見えてきた。あと少しだ――そうふたりは考えて、水を蹴った。
 動きを見せたのは、崇人だった。
 崇人が水を蹴ると、ぐん、と体は進み、ヴィエンスを驚かせる。ヴィエンスはそれを見てさらに足で水を蹴る。
 しかし、その行動が命取りになってしまった。

(ぐっ……あ、足が……っ!?)

 足が攣ってしまったのだ。
 全力を出した状態でのレース。それが五十メートルも続いた。ヴィエンスの体力は彼自身が分析しても、限界に近かった。にもかかわらず、彼は更に加速を行った。その代償、と考えれば間違っていない。
 ヴィエンスが思ったように加速できないのを、崇人はもはや眼中には収めていない。崇人は、前しか見ていないのだから。
 そして、崇人は五十メートルのラインをタッチして、水上へ浮上した。


 ◇◇◇


 戦いが終わり、彼らは幾つもの表情を見せるグループに分かれていた。あるグループは落胆の表情を、またあるグループは嬉々とした表情を、天国と地獄のように対比したそれはヴィエンスと崇人の水泳対決の賭けによって齎されたことを、彼らは知らない。

「賭け事をしていたことを言わなくてもいいよね?」
「どうせ私たちはやっていないのだから言わなくてもいいのでしょう」

 アーデルハイトとエスティはそんなことを話していた。先程の剣呑な雰囲気は何とやら、といった感じだ。アーデルハイトは最早この状況がどうでもいいと思っていたのか、防水のスマートフォンを操作していた。エスティはそれを見て何となくどうでもよくなってしまった。

「……プールの授業もそろそろ終わりかねえ」

 そう言ってキャメルは賭けで勝ったであろう紙幣を捲って何枚か確認していた。何なんだこの教師失格の人間は、とエスティはジト目でキャメルを見つめる。

「どうした、エスティ?」

 水泳対決から戻ってきた崇人がエスティに訊ねる。

「い、いや。なんでもないよ」

 エスティは何とか取り繕うとして答えた。

「そうか?」

 崇人が何も気づかなかったようなので、エスティは小さくため息をついた。
 水泳の時間も終わり、放課後の時間となった。放課後は自由の時間だ。だから、皆様々な時間の過ごし方を送っている。
 しかし崇人は学校には残らず、直ぐに帰ってしまうものなのだ。
 家に帰ると、いつものようにマーズがスマートフォンを弄っていた。

「暇人だな、あんた」
「やることがないだけだ。好きに暇人になっているわけではない」
「結果として暇人になっていることに、気づいていただけると嬉しいんだがね」
「ああ、そうかもしれないな。……そうだ、崇人。君、あと三日もすれば大会のためにティパモールへ向かうだろう?」
「そうだな」

 崇人はカレンダーを見て、言う。

「……それが、どうしたんだ?」
「私も一応ティパモールに向かう。この前も言ったかもしれないが、殲滅作戦のためだ。大会にも出てくる可能性だって、十分に有り得るし、もしそうなれば私だって出ることになるだろう。どうなるかは解らない。ただ、頑張ってもらわねば困る。私が出られる可能性は十分に低いのだからね」

 マーズは呟いて、テーブルの上に置かれているパックのオレンジジュースを吸い込む。

「まあ、そういうわけは於いて、ともかく、だ。私の手を煩わせることはさせないでくれよ、頼むから。めんどくさいんだよ、君だけで出来るだろう。どうせそれ以外にほかにも居るだろうしな」
「そうかもしれないが……俺が考えているのはもうひとつの可能性なんだよ」
「もう一つ?」
「ああ。……アーデルハイトが敵である可能性、だ」

 崇人の言葉にマーズは吹き出した。

「なぜ笑う。可能性だろ」
「そうだけれど、それは愚問だね。そんなことは有り得ない」
「……随分と強気だな」

 マーズはオレンジジュースを飲み干し、その空になったものをゴミ箱に投げ捨てた。

「まあ、私の長年の勘……ってやつだよ」
「勘ってものを、信じるのか。特に今回は死ぬ可能性だって有りうるっていうのに?」
「その時はそのときさ」

 マーズの顔は笑っていた。それがなぜなのか、崇人にはさっぱり分からなかった。

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