天井裏のウロボロス

夙多史

Section-End エピローグ

 帰る家を物理的に失ってしまった紘也たちはその日、葛木家で一夜を明かすことになった。
 最初は遠慮しようと思った紘也だが、妹たちを含めると総勢七人の大人数。蒼谷市に住んでいる紘也の知り合いで受け入れてもらえそうな家は他になかった。愛沙の家も神社故に大きいが、今は里帰り中で蒼谷市にいないのだ。
「遠慮しなくていいわよ。うちは分家の人間も大勢住んでるから、今さらあなたたちが増えたところで大差ないわ」
「悪いな、葛木。この恩はいつか返すから」
「い、いらないわよ。知り合いが公園や橋の下で寝泊まりしてる姿を見たくないだけよ」
 流石は街の有力者と言うべきか、香雅里の懐の深さに感謝の言葉もない紘也だった。
「香雅里さん……ふぅん、そういうこと」
「どうしたんだ、柚音?」
「お兄、頑張れ」
 なんか気合いを入れるように拳を握って見せる柚音に、紘也は意味がわからず首を傾げた。なにを? と問いかけたが、適当にはぐらかされてしまった。
 そんなこんなで紘也たちは香雅里の言葉に甘えて一泊したのだった。精神的ショックや肉体的疲労も重なっていたため泥のように眠ってしまったが、おかげでだいぶ回復したと思う。
 ちなみに妖刀で斬られたウロは――
《こら金髪! それは吾の焼き鮭ぞ! 横から掠め盗るでないわ!》
「いいじゃあないですか! あんた今回はなにもしてないんでしょうが!」
「……ウロボロス、それはウェルシュのシジミ汁です」
「私の生卵もいつの間にか消えています」
「こちとら呪いのせいで体力消耗してお腹減ってんですよ!」
「みゃあのところだけ納豆が山盛りににゃってるにゃ!?」
「「「《ケットシーの大好物だと聞いて》」」」
「絶対おみゃあらが嫌いにゃだけにゃ!?」
 一晩で妖刀の呪いから完全回復し、今では他の幻獣たちの朝食にまで手を出す〝貪欲〟ぶりを見せているのだった。
 そんな応接間の様子を廊下からチラ見しつつ、紘也は携帯電話を取り出した。アドレス帳から目的の人物を選択し、通話ボタンを押す。
 今回はツーコールで出てくれた。
『はろはろ☆ ヒロりん元気してる? おっさんは元気だぁよん♪』
 開口一番のギャルっぽい口調のオヤジ声に吐きそうになったが、今回は後ろめたさから来る空元気のような雰囲気を感じた。だからいつも通り持前のスルースキルを発揮する。
「ずいぶんと回りくどいことをしてくれたみたいだな、親父」
 後ろめたさの核心を突かないとは言っていない。
『い、いやだってほら、いくら自衛のためとはいえこっちの世界に戻るとなるといろいろ面倒よ? 厄介事のオンパレードよ? そこんところは紘也少年もわかってるとは思うけど、やっぱりお父様としては心配なわけで……』
「わかってる。俺もどこかで甘く見積もってた部分もあったのは確かだ。今回の件でそこんところを思い知らされた。親父は間違っちゃいない」
『あれ? 紘也少年が優しい……?』
「家が壊れた件に関しては親父の詰めの甘さが百パーセントだと思ってるけどな」
『それに関しちゃ返す言葉もありません』
 電話の向こうで父親が頭を下げた光景を紘也は幻視した。
『家については紘也がロンドンに滞在してる間にこちらでなんとかしよう。一応聞くけど、こっちに住む気はやっぱりないのん?』
「蒼谷市がイギリス国内に転移でもしない限りあり得ないな。こっちには俺の大切な人がたくさんいるんだ」
 孝一に愛沙はもちろん、学校の友人たち。最近では葛木家の香雅里以外の人々とも交友を持ったりしている。今の関係をぶった切って海外で生活するなど紘也には考えられなかった。
『なるほど、蒼谷市の転移か。その発想はなかった』
「待て親父!? あんたが言うと冗談に聞こえなくなるから!?」
 やろうと思えばできそうだから連盟の大魔術師は本気で困る。しかもその偉業を片手間程度でやってのけそうなイメージ。世界中の頑張っている魔術師たちに謝ってほしい。
『そういえば、紘也少年は海外初めてだっけ? 案内は柚たちに任せていいとして、観光とかしたかったらお父様が手配してあげますよん?』
「いいよ。そこまで暇じゃないだろ?」
『ういうい。紘也少年にはもうお父様の力は必要ないのかねぇ』
 どこか寂しそうに辰久は呟いた。無論、紘也にもはっきり聞こえる音量で。わざとだ。
『あ、そだ、柚はそこにいる?』
「柚音? いや、朝早くから用事があるとか言って出てったけど?」
『あらそう? んじゃまあいいや。帰りの飛行機のチケット、山田ちゃんの分を数え忘れてた件について聞こうとしたんだけど』
 なんて不憫な山田だ。うちの山田ちゃんのことじゃなければ紘也は全力で憐れんでいただろう。
「山田は置いてってもいいだろ。ダメならケットシーを置き去りに――」
《ふざけるでない人間の雄! また吾を置いていく気か!》
「なんでみゃあまで置き去り候補に上ってんだ猫耳出すぞコラ人間!?」
 どうやら紘也の通話はしっかり聞こえていたらしい。
「あーお前ら鬱陶しい!?」
 背中にしがみついてくる和服幼女と猫耳少女を、紘也は背中から倒れ込むことで問答無用に引き剥がした。山田は「ぷぎゃ」と潰れたが、ケットシーはその身軽さで紘也から離れていた。危うく猫アレルギーが発症するところだった。
「ああ、悪い親父。一つだけ予定を組んでくれ」
 紘也は通話を切る前に重要な案件を思い出し、電話の向こうで疑問符を浮かべているだろう父親に告げる。

「母さんと面会する予定を」

        ∞

 喫茶店『秦皮とねりこ』。
「それで文海のクソ野郎には逃げられちゃったんですよー」
 秋幡柚音は開店前の店内の椅子に腰かけ、諫早孝一たちと行動を共にしていた友人――美良山仁菜からこちら側の状況報告を聞いていた。
 一通り聞いた後、店内を軽く見回す。
「天明朔夜はどうしたの?」
「天明先輩なら昨日の夜にフラリといなくなったよ」
 答えたのはアイスコーヒーを淹れてくれたウェイター姿の諫早孝一だった。
「妖刀は結局あの人が持っている。言い訳が難しいな。そこは親父さんに丸投げしとくか。元はと言えば親父さんの人を見る目がなかったせいだしな」
 執務室で悲鳴を上げる最愛の父親の姿を想像し、柚音はクスリと苦笑した。
「パパだけの問題じゃないわ。というか、誰も気づくことなんてできなかったんじゃないかしら」
 魔術師商会『払暁の糧』は、長い年月をかけて連盟内部の深い場所までその触手を伸ばしていた。大魔術師に個人的な仕事の依頼をできるほどだ。連盟とて最初は疑ってかかっただろう。しかし一から積み上げられた信頼は、やがて誰にも疑念を抱かせないほど強固なものとなってしまっていた。
 今では魔術界の流通の一部を牛耳っている組織の離反だ。その打撃はかなり大きい。『黎明の兆』のように水面下で行動してくれていた方がどれだけ楽だったか。『払暁の糧』の会長はかなりの食わせ者だと思われる。
「『払暁の糧』もそうだが、『早天の座』まで動き出したらしいな」
 現代最強最大の魔巧傭兵団『早天の座』――こちらも連盟に加入していた組織だ。大規模な戦闘にはいつも力を借りていたようであり、『払暁の糧』ほどではないが、その戦力は大いに信頼されていた。
 だが、『早天の座』に関しては少し前からマークされていたらしい。
 連盟に幽閉されているリベカ・シャドレーヌが僅かに情報を喋ったからだ。
「パパが言うには、『早天の座』には連盟からスパイを送り込んでいるそうよ」
「おおぅ、スパイ! ホントに裏の組織って感じがしますね!」
「……」
「……」
 手に汗握るようにテンション上げている美良山は、映画かなにかと勘違いしているのではなかろうか?
 もっとも、彼女のこういうところを見込んで、秋幡辰久は『諫早孝一の抑止力』として今回の任務に派遣したのだが。
「もしこの二つの組織と連盟がぶつかることになれば、潰し合いなんて可愛いレベルじゃ済まなくなるわ。戦争よ」
「戦争!?」
 一気に顔色を青くする美良山。魔術界の戦争は表の歴史にこそ乗らないが、表以上の凄惨さを極めた戦いも過去にはあったらしい。
「きな臭くなって来やがった。やっぱりオレもロンドンに行くべきか?」
「お兄とコウ兄が向こうでバッタリ遭遇しても知らないわよ?」
「言い訳が厳しいよなぁ……」
 こればっかりは辰久に丸投げすることはできない。『来ちゃった♪』で済まないことは当人たちではない柚音にすら目に見えている。
「コウ兄たちはお兄が帰って来るこの街を護ってくれてたらいいわよ。愛沙さんの身辺の警戒もまだ続ける必要があると思うし」
 この街には葛木家もいるが、彼らだけで対処できないことだって多い。諫早孝一たちの存在は紘也の居る居ないを問わず必要なのだ。
「どうでもいいけどさー」
 と、美良山が行儀悪く椅子の背凭れに抱きつくようにして唇を尖らせた。
「柚ちゃんが孝一先輩のこと『コウ兄』って呼んでて、私よりずっと親しげでなんかジェラシー」
 諫早孝一とは幼い頃からの知り合いだ。友人や親友、幼馴染と呼べるほど距離を縮めてはいないものの、柚音の方が付き合いは長いのだから仕方ない。
「安心して。仁菜ちゃんの思ってるようなことにはならないから」
「大丈夫ですよー。私は柚ちゃんが重度のファザコンだって知ってるし。そんな心配はしてませんから」
「ちょ!? 私のどこがファザコンなのよ!? 普通でしょ普通!?」
「本人に自覚ないのが立ち悪いですよねー」
 同意を求められた孝一は苦笑していた。失礼である。確かに柚音は父親が好きだが、それは一般的な家族愛であり決して『重度』などと表現していいものではない。
 不愉快さを紛らわすために柚音は孝一の淹れてくれたアイスコーヒーに口をつけた。
 ミルクとガムシロップを入れ忘れて口の中がちょっぴり苦くなった。

        ∞

 同時刻――ロシア某所。
 ヨーロッパに近い西側に鬱蒼と繁る深い森の中で、一人の少女が巨樹の枝に包まれるようにして眠っていた。
 少女の周囲は光の膜で覆われ、その中はまるで無重力空間のように少女の体を浮遊させている。服は着ていない。裸だ。
 それだけでも充分過ぎるほど異様な光景だが、眠っている少女は上半身と下半身が繋がっていなかった。いや、その巨大な刃物で斬断されたような木目・・の断面から芽が伸びるようにして繋がりかけている、と言うべきか。
「誰だ? この場は我の聖域。簡単に足を踏み入れてよい場所ではない」
 少女――滅亡主義団体『朝明けの福音』の〝聖女〟ことヨハネ・アウレーリア・ル・イネス・ローゼンハインは、瞼を閉ざしたまま感知した侵入者を誰何した。
「俺です。覚えておいでですか?」
 侵入者はあっさりと姿を見せた。魔術の込められた武具で全身を武装した、四十を過ぎた頃の貫禄ある男だった。そして彼に続いて雪山のような美しい白い髪をした少女がとてとてと歩いてくる。
 ヨハネが目を開く。瞼の奥にあった深緑色の瞳が男の姿を捉える。
「……オーギュスト・シガンか? リベカといい、二十年の歳月は人を老けさせるな」
「ベルナデットの魔女は全く変わっていませんがね」
 男――オーギュストは軽い態度で肩を竦めた。
「懐かしい。其方に与えた役割、きっちりこなしておるようで安心したぞ」

 魔術的宗教団体『黎明の兆』の総帥――リベカ・シャドレーヌ。
 魔術師商会『払暁の糧』の会長――ベルナデット・ラ・フーセ。
 魔巧傭兵団『早天の座』の団長――オーギュスト・シガン。

 かつてヨハネが先導していた『朝明けの福音』における三人の側近たち。それぞれに役目を課し、組織が復興するその日まで、決してその内を表に出さず歩んできた信頼における者たち。
 リベカは捕まってしまったが、彼女は役割を完璧に遂行した。となれば、あとはヨハネが彼女を輝かしき『来世』に導くだけである。たとえ処刑されていようと魂は救ってみせる。
「『主』を最初に発見できたのが俺たちでよかったです。実際見つけたのはベルナデットの魔女ですが、連盟に先を越されていたらと思うと夜も眠れませんでした」
 多少大げさだが、彼の目元に僅かな隈ができていることにヨハネは気づいた。冗談ではないらしい。
「これからは、俺ら『早天の座』が『主』をお守りいたします」
 オーギュストは直立すると、胸のプレートに籠手の嵌めた手をあてて最上の敬礼をした。
「頼りにしている。が、尾行されていることに気づいていないのであれば不安が残るぞ」
 ヨハネはオーギュストの背後を見やる。そこには誰もいないように見えるが――ヨハネは手を翳すと、その小枝のような指先から白い光線を射出させた。光線はなにもなかった空間を貫き、パァン! と真っ赤な花弁を空中に飛散させる。
 迷彩魔術で透明化していた魔術師だ。彼は心臓を貫かれて悲鳴も上げられず即死した。地面に倒れた体は数秒後には白い粒子と化し、そこを中心に多種雑多な植物の芽が生え伸びた。
 人類は自然に還るべし。
 これがヨハネの能力だ。
「流石です。もうこれほどの力を取り戻していましたか」
「其方、我を試すためにわざと尾けられてきたな?」
 ヨハネは呆れたように溜息を吐くと、瞼を閉じて体から力を抜いた。
「我は万全ではない。残りは其方が片づけよ」
 言うや、次々と迷彩魔術を解除して魔術師たちが姿を現してくる。その数は最初の犠牲者を含めて十人程度だった。
 オーギュストは恭しく一礼すると、傍に侍らせていた白い少女に命令する。
「殺れ」
「……了解した」
 白い少女の翳した掌の前に魔法陣が展開される。無感情の灰色の目が敵を捉え、魔法陣から射出された純白の炎が彼らを一気に呑み込んだ。
 純白の炎を浴びた魔術師たちは、肌をただ焼かれるのではなく、まるで侵食されるように体内から灰となって朽ち果てていく。
「そやつはやはり人間ではないな?」
 目を閉じていてもなにが起こったのかヨハネにはわかる。ただの魔術的な炎ではなかった。先日相対したウロボロス等の幻獣。その特性が宿っている。
「ええ、今のは〈侵略の炎〉。こいつは俺の契約幻獣あいぼうです」
 一瞬で襲撃者たちを駆逐した白い少女を、オーギュストは自慢げに笑って紹介した。

「グウィバー――ゲルマンの白き竜になります」

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