天井裏のウロボロス

夙多史

Section2-7 天之秘剣

「うんうん、紘也くんのあの顔はあたしを心配してる顔だね」
 盛大に勘違いしていることにも気づかず嬉しそうに笑うウロボロス。そこに、式神の一体が後ろから紙製の刃を振り下ろす。それをウロボロスは体を捻ってかわし、頭部に裏拳を叩き込んだ。パン! と風船が割れるような破裂音と同時に式神は消滅する。
 それが、四体目だった。
「あのさ、こんな紙人形じゃあたしに掠り傷一つつけることもできないよ?」
 表面上は飄々としているが、ウロボロスは紘也たちに戦闘から遠ざけるためとはいえ乱暴を働いた陰陽師に怒りを覚えていた。契約者である紘也はもちろん、あの一般人の二人も自分を受け入れてくれた特別な存在なのだ。故に、彼らを傷つけた彼女にはお仕置きが必要だ。
 最後の式神に守られる葛木家の陰陽師は、素手で他の式神たちを殲滅した幻獣をしばらく観察するような視線で見据えていた。そして不意に、口元をフッと緩ませる。
「別に侮ってるわけじゃないわ。少しでもあなたの能力を見ておきたかったの。もっとも、ただの格闘戦でやられたから意味なかったけれど」
 ポン! と愉快な音を立てて香雅里の盾となっていた式神が破裂する。
 式神を消した? もっとランク上のやつを出すのだろうか?
 そう推測したウロボロスだが、違った。
 弾けた式神の破片が消滅せず空中で静止、そのまま無数の刃となってウロボロスに襲いかかった。素手じゃ捌き切れない。そう判断してウロボロスは横に飛んだ。
「はっ!」
 しかし、香雅里が胸元で印を結ぶと全ての刃がほぼ直角に方向を変えた。予想外の動きに、ウロボロスは刃の雨に打たれてしまう。
「あぐっ……」
「フン、まさかその程度でお終いってわけじゃないでしょうね?」
「まさか。それよりせっかく用意した制服がズタズタになっちゃったよ。どうしてくれんですか?」
 ウロボロスは自分の姿を見て悲嘆した。制服の衣服としての機能が最低限になってしまったため、下着や肌やらが男子が喜びそうなくらい露になっている。とはいっても、戦闘が始まると同時に個種結界を張ったのでそのうち再生するけれど。
「ようやく妖魔の姿を現したわね」
 ウロボロスを覆う金色の鱗を見て香雅里が満足げに言う。ウロボロスが無傷だったのはこの〈竜鱗の鎧〉のおかげだ。
「いやいや、まだ九割は『人化』のままだよ」
「だったら全部解いちゃいなさいよ。その方が私も人の姿より戦いやすいから」
「んと、これ紘也くんにも言ったんだけど、あたしの本来の姿は大き過ぎてこの街を押し潰しちゃうかもしれないんだよね」
 ぽりぽりと頬を掻きながら困り顔で言ったウロボロスに、香雅里は僅かながらも戦慄したようだ。瞠目し、冷や汗を垂らしている。
「そう。流石はウロボロス――〝無限〟の大蛇ってことね」
「そこ勘違い! あたしは蛇じゃなくってドラゴンタイプなんだよ!」
「どっちでもいいわよ、そんなの。あなたが妖魔であることには変わりないし」
 くだらなそうに言いながら、香雅里は次の護符を取り出した。式神でもなければ周囲に張ってある結界のものでもない。紘也たちを吹き飛ばしたものとも梵字が異なっている。
「――来なさい、〈天之秘剣あまのひつるぎ冰迦理ひかり〉」
 香雅里が唱えるように呟いた瞬間、護符を中心に方陣が展開し、細長い物体がそこから伸びてきた。それを香雅里は掴み、一気に引き抜く。
 日光を青白く反射する、見事な反りをした日本刀だった。
「なるほど、陰陽剣士とかいうやつですか」
「そうよ。元々、葛木家は小手先の術には頼らないの。余裕ぶってられるのも今のうちよ」
 日本刀を刺突に構える香雅里。――と、その姿が一瞬ぶれた。かと思った時には既に香雅里はウロボロスの眼前まで迫っていた。
 人間にしては、速い。
 まだ彼女を侮っていたウロボロスはかわすタイミングを逸した。銀の閃光がウロボロスの首を貫く――直前、ウロボロスは鱗化した右腕でそれを弾いた。
 だが――
「痛っ……」
 掠り傷程度ではあるが、ハルピュイアの毒爪も防いだ強靭な〈竜鱗の鎧〉がすっぱりと斬り裂かれていた。僅かに赤い液体も流れている。ただの刀ではないとは思っていたが、どうやら厄介なレベルの業物らしい。
「このっ」
 反撃しようと右拳を振るうも、簡単にかわされる。とその時、ウロボロスは右腕に違和感を覚えた。
 手が、思うように動かなかったのだ。
 見ると、〝再生〟するはずの傷がまだ残っていた。しかもそれだけではなく、流れていた血が変色しないまま固まり、傷口辺りから異様な冷気を感じる。
「――凍ってる」
 そう、ウロボロスの右腕はまるで霜が降りたように凍結していたのだ。
 距離を取った香雅里は日本刀を一振りして僅かに付着した血を払い、
「どう? 口で説明するより体験した方がわかりやすいでしょ?」
「斬った場所を凍らせる能力かな?」
「正確には、斬った場所の周辺魔力を問答無用で氷結させる能力よ。葛木家の宝剣の一つ――〈天之秘剣・冰迦理〉。妖魔にとってはきつい力のはずよ」
 確かに幻獣はマナの乖離を防ぐために全身に魔力を巡らせている。それはウロボロスとて同じだ。魔力で『人化』しているのだからなおさら影響を受けてしまう。
「ふうん、なかなかやるじゃん」
「次は全身を氷結させてあげるわ」
 あの刀は想像以上に厄介だ。凍らされたら〝再生〟は役に立たないし、〈竜鱗の鎧〉にも傷がつくのだから下手に受けるわけにもいかない。
「いやまあ、でもでも、斬られなければいいだけの簡単な話だよね」
「なによ、全部避ける気? それとも得物を奪う気かしら? 後者だとすれば残念、〈冰迦理〉は手離しても持ち主の意思で手元に帰って来る術式が組み込まれているの」
「いえいえ、そうじゃないですよ」
 ウロボロスは凍っていない左手を真横に伸ばす。すると次の瞬間、左手の先端の空間がぐにゃりと歪んだ。そしてそこから、まるで光学迷彩を解除したかのように一振りの大剣が出現した。
 淡い金色をした、透き通った刃の両刃剣である。トパーズを削って剣にしたような美しい刀身には、ルーン文字に似た紋様が刻まれていた。
 ウロボロスは『人化』した自分の身長よりも巨大な剣を軽々と肩に担ぐ。
「フッフッフ、これは知り合いのドワーフを脅しゲフンゲフン! 協力してあたしの鱗から鍛え上げた至高の剣。その名を〈竜鱗の剣スケイルソード〉。またの名を〈ウロボロカリバー〉! 欠けても〝再生〟するから刃こぼれしない優れもの!〝永遠〟に使えますよ!」
 ちなみに個人的には後者の名称がお気に入りだったりする。ベストチョイス。
 自信たっぷりのウロボロスに対し、香雅里はつまらなそうに鼻で笑う。
「まさかそれで戦う気? 蛇なら蛇らしい戦い方をしなさいよ」
「ああもう! 紘也くんといいあんたといい、あたしはドラゴンだってーの! 蛇の姿が一般的なのは、昔どっかの錬金術師が初めて象徴としてウロボロスを描いた時、手足と翼が書きづらかったって理由で省略されただけなんだよ!」
「それはお気の毒ね。でも私には関係ないわ。妖魔はただ滅ぼすのみよ!」
 語気を強めに言い終わるやいなや、香雅里の姿が消えた。あの常人離れした動きは恐らく魔術による肉体強化。並の幻獣では目で追うことも叶わないだろう。葛木家がどのくらいの名家かは知らないが、次期宗主候補と名乗っただけのことはある。だが――
「余裕で見えるね」
 ウロボロスは、並の幻獣ではない。
 ザキィン! と不思議な金属音が鳴り響く。右側からの斬撃を、ウロボロスは左手の大剣で器用に防いでいた。使えない右手側からの攻撃は防がれないと思っていたのだろう、香雅里は驚愕に目を丸くしている。
「よ、よく防げたわね」
「あたしは両利きなんでね」
 ブォン! と腕力に任せて〈ウロボロカリバー〉を振るう。武器の重みの差もあり、香雅里は簡単に組み合った状態から弾かれた。
 一息の間もなく香雅里はまた消えた。そして今度もウロボロスの死角から〈冰迦理〉の刃を閃かせる。背後からの攻撃だったが、やはりそれもウロボロスは大剣で受け止めた。
「くっ」
 香雅里は呻き、さらに何度も何度も撹乱するように様々な方向・角度から斬撃を加える。しかしそのことごとくをウロボロスは防ぎ切る。無数の剣戟音。香雅里の動きは人間にしては速い。だが、ウロボロスにとってはそうでもないのだ。
「ふあぁ……ねえ、そろそろ飽きてきたんだけど?」
 ウロボロスは欠伸を噛み殺すことさえしない。最初は目と気配で香雅里を追っていたが、今ではもう気配だけで充分だった。
 ようやく止まった香雅里は息を切らせつつ戦慄していた。
「なんで、なんで傷もつかないのよ、その剣。少しでも斬れれば〈冰迦理〉の能力が発動するのに……」
「フフフ、残念ながらこれを鍛えたあたしの知人は幻獣界屈指の名匠でね。その鍛え上げし剣はどんなナマクラでもベヒモスに踏み潰されたくらいじゃ欠けもしないって評判なのですよ」
 中でも〈ウロボロカリバー〉は傑作中の傑作に違いない。この完全無敵たるウロボロスの鱗が使われているのだから当然だ。なんか遠くから「ついにアイテムまでチートだ!」とかいう紘也っぽい叫びが聞こえた気がする。きっと気のせいだろう。
「だったらいいわ。戦術を変える」
 香雅里は息を整えると、両手持ちした〈冰迦理〉を中段に、刃を床と水平に構える。そして小さく短く呪文を唱えた。
 刹那、刃の先に貯水タンクほどもある巨大な氷塊が出現した。それは槍のように先端を尖らせ、ウロボロスに向かって射出される。
「へえ、あの刀、装備者の魔力を喰らって力を発動させることもできるんだね」
 簡単な分析をしつつもウロボロスは大剣を握る左手に力を込める。砲弾のごとく迫りくる巨大な氷槍。それを、掬い上げるような一閃で真っ二つに砕き割った。
 所詮はこの程度、と勝ち誇るウロボロス。

 その眼前数センチのところに〈冰迦理〉の剣尖があった。

「おわっと! 危ないなあもう」
 が、紙一重でかわす。
「嘘っ!? 今のなんで避けれるのきゃあっ!?」
 隙のできた香雅里をウロボロスは大剣の腹で横薙ぎに殴りつけた。手加減はしたものの、ワンバウンドした香雅里の体は落下防止用のフェンスをぐしゃりと変形させた。

「うわ、大丈夫かよあれ」
 紘也は吹き飛ばされた葛木香雅里を見て肝を冷やした。
 ウロに殺す気がないのは戦いを見ていてわかった。だが、軽く病院送りにしてしまいそうで紘也は不安だった。
「葛木もすごいが、フローラの強さは次元が違うな。流石は紘也の親父さんの幻獣だ」
 自分では結界を破ることはできないと判断したためか、孝一は実況者のように戦いを分析している。どうでもいいことだが、『フローラ』と呼び続ける限りいつまでも進展しないと思う。
「ウロちゃん、そんなの持ったら危ないよぅ」
 愛沙はどこかずれている。あのチート剣をどこから取り出したのか? とか、〈ウロボロカリバー〉ってなんぞや? とか、突っ込みたいことは山ほどあるというのに。ちなみに向こうからの声はぼんやりとだが届いていた。
「とにかく、葛木の結界をどうにかしないと……」
 屋上全域を包むように張られたウロボロスの個種結界は、契約者である紘也には影響しない。幻獣に関する魔術書にそう記載されていた。つまり、ここから先に近づけるのは紘也だけだ。
 ――あまり、こういうことはやりたくないのだが……。
 紘也は魔術を使えない。しかし一つだけ、習得した技術を持っている。
 母に病院生活を余儀なくさせたのは、紘也の魔力が暴走したからである。
 そのため、紘也は自分自身の罰として魔術を習うことをやめてしまった。
 でも、それだけでは事足りないと思った紘也は、必死になって修行した。
 二度とあのような事故を起こさないために。
 二度と他の誰かを傷つけないために。
 己の魔力を完璧に制御する方法を。

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