天井裏のウロボロス

夙多史

Section-End エピローグ

 場所はデンマーク自治領・フェロー諸島――ヴォーアル空港内。
『本当にいいんだな、親父』
「いいともいいとも。ちゃんと返してくれるんなら、お父様的には問題ナッシング」
 世界魔術師連盟の大魔術師――秋幡辰久は、空港ロビーの椅子を複数占領してだらしなく寝そべっていた。電話の相手は日本にいる息子だ。
 わざわざ北欧の秘境地まで足を運んでいる目的は、言うまでもなく幻獣狩りだ。各地の魔術師だけでは対処不能な大物が現れた場合、こうして連盟に十人といない大魔術師の称号を持つ者が派遣されるのだった。……いい迷惑である。
「どうだ? ウェルシュは真面目でいい子だろう?」
『真面目過ぎて融通の利かないところが今回の騒動を招いたんだよ。あんたがちゃんと指示してなかったのも悪い』
「そうは言うけどね、紘也少年。父さんは紘也がまさか幻獣契約しているとは思ってなかったわけよ。勘違いしていた紘也も悪いってことでプラマイゼロにしようや」
『どこにプラスがあるんだよ』
 呆れた溜息が電話口から聞こえてきた。
「それはそうと、ウロボロスのウロちゃんだっけ? 今度父さんにも紹介してよ」
『あんたが帰ってくりゃ嫌でも会えるさ。あー、帰ってくる、てのは間違った表現だよな。もうそっちが本宅になってるようなもんだから』
「年中海外で暮らしていても、日本は心の故郷さ」
『いいこと言ったつもりか?』
「そうそう、父さん今ロンドンじゃないのよ。幻獣狩りであっちこっち引っ張りだこでもう勘弁って感じ」
『あんたの実験が失敗したせいだろうがちゃんと責任持て!』
「この前なんかマダガスカルでロック鳥を狩った時にでっかい卵拾ってさ。国中に日本伝統のたまごかけごはんを振舞ったりなんかしちゃってハッハッハッ♪」
『実は楽しんでないかっ!? ていうか食ったのかよ!?』
 息子の元気なツッコミが本当に無事だという証拠を示してくれる。今回はまだ一度もスルーされていないのだが、どうしてそれがこんなにも嬉しいのだろう?
「まあ、なんだ。ウロちゃんの紹介ついでに紘也少年がロンドンへ来るという手もあ――」
 ――プツッ! ツー ツー ツー。
 一方的に切られてしまった。今日は機嫌がいいと思って話を持ちかけたが、失敗した。
「もう少し時間が必要なんだろうな」
 十年。随分と経ったと思うのだが、まだ母親に会いに来る覚悟はできないらしい。母親は紘也のことを全く恨んではいないというのに……。もしかすると、ただ恥ずかしいだけなのかもしれない。
「あーあー、ロンドンからの旅は疲れたなぁ。おっさんには応える重労働だ。てことで、今日はだるいから寝る」
「なにを言っているのですか、主任。これからすぐに幻獣狩りを始めますよ。さっさと起きて指揮を取ってください」
 目線だけ動かすと、そこに専属部下の女魔術師が睨みを利かせていた。
「えー、だってだるいし」
「えー、ではありません! 動かないのならば、引きずってでも連れていきますからね!」
 宣告通り、女魔術師は辰久の手を取って椅子から引きずり落とした。その際にゴチン! と床で後頭部を強打する。
「痛っ!? ちょ、痛いんだけど!? 引きずるならもっと丁寧に俺ワレモノですからワレモノがはっ!? は、柱で膝打った……」
 これから戦う幻獣からのダメージよりも、この時のダメージ量の方が遥かに多い大魔術師様だった。

        ∞

 ところ変わって日本は蒼谷市――秋幡家のリビング。
 時は夕刻。網戸の換気など物ともしないカレー独特のスパイシーな芳香が部屋中に満ち溢れ、食欲という名の暴君をこれでもかと活気づけている。
 ウロと、急遽主役参加が決定したウェルシュの歓迎カレーパーティーである。
 厨房には愛沙と孝一が立った。紘也もそうだが、孝一は料理をやらないだけで別段できないわけではない。といっても、三人を競わせれば愛沙がダントツ優勝を掻っ攫うことは火を見るよりも明らかである。
 真っ先に手伝いを申し出てきたのはウェルシュだ。彼女に触発されるようにウロも手伝うとか言い出したのだが、紘也が頑としてキッチンには入れなかった。人間様の料理に幻獣が手を加えるなど許さない。特に彼女らは幻獣界の食材(?)を当たり前のように使用しやがるから困る。よって紘也の任務は、隙あらばキッチンへ潜入しようとする二人をブロックすることであった。
 約一時間でカレーが完成し、現在はリビングのテーブルを五人で囲って食事している。
 あと一人、葛木香雅里の姿はない。来るとは連絡があったのだが、連盟関係の仕事で遅れるそうだ。だから彼女抜きで先に歓迎会を開始する運びとなった。
 賑々した食卓を久し振りに感じながら、紘也は自分のカレーを口に運んだ。数種類のルーをブレンドした辛過ぎず、甘過ぎずの絶妙な中辛加減。それでいて牛乳を使用したまろやかな風味が口内に広がる。大き目に切ったジャガイモやニンジンはホクホクで柔らかく、角切りタイプの牛肉はタマネギとシナジーしてとろける旨味を引き立てる。
 まさに絶品。これだけで店を開けそうだ。
「どう? ウェルシュちゃん?」
 愛沙が味の評価をウェルシュに求める。皆が美味そうに食べているので愛沙の表情はニッコニコだった。
「はい、とてもおいしいです。……ですが、実はウェルシュは甘口派です」
「ハッ! あんたドラゴンのくせに辛いのダメなんだ。舌がお子様じゃあないの?」
 スプーンを突きつけたウロが見下すように笑った。
「なんで挑発してんだよ。仲良く食えよ、主役同士」
「紘也くん、あたしがこの腐れ火竜と仲良くできると思ってんの?」
「そうですマスター。ウェルシュはドラゴン族が大嫌いです。あと腐ってません」
 ドラゴン嫌いは侵略民族の白き竜のせいか、と紘也は勝手に推測する。
「いいかウェルシュ、よく聞け。ドラゴンじゃない。ウロボロスは蛇なんだ。ウロボロスは蛇なんだ」
「ドラゴンだよ!? なんで二回言ったの!? そんなに大事なこと!?」
 泣きながら喚き散らすウロは毎度のごとくスルーする。
「もういいよ! 話戻すけど、あたしは中辛派です! 幻獣界では〝ミス中辛〟と謳われるくらい中辛派です! フフフ、この中で甘口が好きなのはあんただけだよ。このカレーが中辛なのがその証拠。さあ、アウェーな気分を味わうんだね」
「だからその喧嘩腰をやめれ!」
 一人騒がしいウロを鎮めるために紘也の手がV字を取ろうとした時、愛沙が申し訳なさそうに挙手した。
「えっと、ごめんね、ウロちゃん。本当はわたしも甘口の方が好きなんだ」
「なんですと!? まさかの愛沙ちゃんに裏切られた!?」
「愛沙様はウェルシュのお仲間です」
 あまり表情に変化はないが、たぶんウェルシュは『ざまあみろ』と笑っている。
「紘也くん! 紘也くんは中辛派だよね! ね!」
「期待の眼差しで見詰めているとこ悪いが、俺は辛口派だ。辛さ二十倍は余裕だな」
「ぬはっ!? また一人裏切り者が……こうなったら最後の砦、孝一くん!!」
 とウロは今まで静かに食事を、というか紘也たちの遣り取りを楽しそうに傍観していた孝一に話を振る。彼は勿体ぶるようにスプーンを置き――
「すまない、ウロ。オレも辛口派だ。ハバネロペッパーを一瓶丸ごとカレーに投入しても楽勝で食えるくらいのな」
 それは紘也でも無理そうだ。よい子はたとえ罰ゲームでもマネしないように。
「え? なに? じゃあ、つまり、あたしがアウェーってことじゃないですかぁッ!? 気づけば全員裏切り者……ううぅ、あたしなんて部屋の隅っこで『中辛派バンザーイ。中辛派バンザーイ』って呟きながら根暗にカレー食ってりゃいいんでしょ……」
 なんかウロが自虐モードに突入してしまった。部屋の隅に移動して壁に向かって体育座りなんかをしている。流石に少し可哀想に思えてきた。
「ウロちゃん泣かないで。辛口が好きな人も、甘口が好きな人も、中辛だったらみんなおいしく食べられるんだよぅ。中辛は偉大なのです」
「ですよねー♪ 愛沙ちゃん今いいこと言ったよ!」
 前言撤回。全く可哀想じゃない。寧ろウザい。
「マスター、ウロボロスは常時こうなのですか?」
「いや、寝てる時と寝起きは隙だらけだ。試しに今度夜襲してみろ。俺が許す」
「そこは許さないでよ!?」
「あっちこっち忙しい奴だな、お前は」
「大半は紘也くんのせいじゃないかな!?」
 ぜーはーぜーはーとウロは息を荒げている。まったく、なぜ食事中にそうなるのか紘也には理解できない。
「紘也、インターホン鳴ってるぞ」
「ん? ああ、悪い孝一、全然気づかなかった」
 一人冷静に傍観者を決め込んでいる孝一だからこそ気づけたのだろう。彼が話題に介入してこないのは、見ている方が楽しいと踏んだからだ。
「んじゃ、ちょっと玄関まで迎えに行ってくるよ」
 そんなこんなで葛木香雅里がカレーパーティーに参戦。片手に持っているレジ袋は差し入れだろう。お菓子やジュース、イベントグッズまで入っている。意外にも気合い充分だった。
「かがりんに問う! カレーは何口派?」
「な、なによ、いきなり」
 リビングに入るや否やのウロの問いに香雅里は狼狽する。
「いいから答えて!」
「えっと…………中辛、かな」
 なぜか目を逸らし、前髪のヘアピンを擦りながら香雅里が答えた。瞬間、ウロのテンションメーターがおかしな方向に振り切れた。
「イヤッホハッハーッ♪ 中辛派バンザーイ! 中辛派バンザーイ! これよりあたしは中辛革命をゴゴゴシュンゴガボボフゲホンゲホン! て起こすよ起こしちゃうよ起こしてしまうよ。具体的には敵対国の武器全てを中辛カレーに沈めます。そして世界は我々中辛帝国に支配されるのです。我らに逆らった者は毎朝毎昼毎晩が中辛中辛中辛中辛中辛中辛中辛中辛中辛中辛中カラカラカラカラカラヒャッホーイ!!」
 ――バコン!
 紘也は速やかにキッチンから持ってきたフライパンでウロの後頭部を撃墜した。もちろん魔力干渉でウロボロスの魔力を乱し、部分的にパラライズ効果を付与することも忘れていない。父親を張り倒す時によく使用していたので干渉加減のコントロールは朝飯前である。
 殴られたウロは機能停止したロボットみたいにあらぬ虚空を見詰めて動かない。そんなウロを心配してか、愛沙が彼女の肩を揺らす。
「す、凄い音したけど、大丈夫、ウロちゃん?」
「一撃であのウロボロスを沈めるとは、新マスターは怒らせると怖いようです」
「ははは、紘也は本当にSだな」
「ちょっと秋幡紘也、これって大丈夫なの?」
「このくらいしないと止まらねえよ、この蛇は」
「ドラゴン! ――ハッ! あたしは今までなにを……?」
「お、起きた。『蛇』の単語がスイッチだったようだな、紘也」
「チッ」
「ちょっと紘也くん! なんでそこで舌打ち!?」
 正気に戻ったら戻ったで騒がしいウロだった。これからしばらくこんな日常が続いて行くのかと思うと頭が痛くなる。
 でも、楽しくはある。
 イレギュラーな生命体が二体ほどいるが、こうしている分には自分たちとなにも変わらない。そんな彼女たちと歩んでいく日常も悪くない、そう紘也は思い始めていた。
「よし、葛木も来たことだし、ここいらで主役の二人になにか一言喋ってもらおうか」
 急に孝一が仕切り始めた。彼はテレビのリモコンをウェルシュに渡す。マイクのつもりなのだろうか?
「一言、ですか? はい、この度はウェルシュなんかのためにこのようなパーティーを開いていただきありが――」
 言い終わる前にウロがマイク、もといテレビのリモコンを奪い取った。
「はいつまんない挨拶でした! まったく、これはこのウロボロスさんのための歓迎パーティーなんだよ? ――ゴホン、あーあー、テステス」
「テストする意味ないだろ。テレビのリモコンだぞ」
「はいそこ細かいこと気にしない! いやぁ、ウロボロスさん的にはこんな楽しいパーティーを開いてもらうのは実は初なんだよね。なんかどうでもいいのが一匹紛れてるけど、みんなあたしの大事なお友達――」
「……ぐすん、ウロボロスを〝拒絶〟します」
 マイク(もうマイクでいいや)を奪われたウェルシュが危ないオーラを纏っていた。いや比喩ではなく、真紅に揺らめく〈拒絶の炎〉に包まれてウロボロスを睥睨している。そんなに喋りたかったのだろうか。
「なんですか? やろうってんですか? 一度負けたから早速再戦の申込みですか?」
「ウェルシュは負けてません。寧ろ両腕を失っていたウロボロスの負けです」
「なんだとう! だったら次こそはっきりと白黒つけようじゃあないの!」
「はい喧嘩両成敗」
 グサッ! ゴン! とそれぞれから違う効果音が発せられた。
「あうぅ、紘也くん、なんであたしは殴ってくれないの?」
「……痛いです、マスター」
 片方は目を、もう片方は頭を押さえて仲良く蹲っていた。どちらがどうとは言わずもがなだ。我ながら器用な動きをした、と紘也は思った。
「楽しそうね、あなたたち」
「そういう葛木もな。さっきからカレー食っては恍惚としているぞ」
「なっ! そんなはずは……ええそうよ! このカレーがおいし過ぎるのが悪いのよ!」
 なぜか逆切れする香雅里。どうやら心底中辛が好きなのだと見受けられる。
「そう言ってもらえると嬉しいよぅ。作った甲斐があるというものです」
 愛沙は相も変わらずニッコニコだった。
「そうだ。カレー食い終わったらみんなでモンバロのトーナメントしようぜ」
「さっきから唐突だな孝一! トーナメントって言っても六人じゃ切りが悪いだろ」
「CPUを二体入れるとか、総当たり戦にするとか、対策はいくらでもあるさ」
 忘れていた。孝一は思いついたら即実行する男だった。
「はいはいはい! あたし賛成!」
 ウロが真っ先に賛成票を入れるのは自然の摂理だろう。愛沙も香雅里も特に断る理由がないので二つ返事でOK。紘也にしても楽しそうなので問題はない。
「……その、ウェルシュは」
 真面目キャラを通したいのか、控え目に断ろうとするウェルシュ。だが、紘也は彼女が一度「モンバロ」と呟いたことを知っている。
「お前、あれやりたかったんだろ? ずっと思ってたんだけど、実は遠慮して自分を押し殺してるんじゃないのか? だとしたらその必要はない。見てみろ、あそこで颯爽と準備に取りかかっているウロボロスの辞書に『遠慮』なんて言葉は載っていない」
「紘也くん! それはあたしがアホの子だって言いたいの!」
 最速でゲーム機をスタンバったウロがぷんすかと抗議してきた。自分にとって都合の悪い言葉を逃さないとは、なんとも素晴らしい地獄耳だ。
「……わかりました。ウェルシュもやります。やらせていただきます!」
 ウェルシュの赤い瞳に炎が滾った。どうやら自分を解放したようだ。
「じゃあこうしよう。優勝者はなんでも願いを一つ叶えてもらえる。もちろん、可能な範囲でな」
 という孝一の提案に、
「オゥ! だったらあたしが優勝した暁には――紘也くんと同衾します!」
「いや、それは無理な相談だ。二つの意味で」
「ではマスター、ウェルシュが優勝したらドーキンしてくれますか?」
「お前『同衾』って言葉知ってるか?」
 ウェルシュは遠慮したままの方がよかったかもしれない、そう紘也は早速後悔するのだった。
「わたしはね、ヒロくんとコウくんのお弁当を作らせてもらいます。あ、今はウロちゃんもいるんだよね。むむむ、これは腕が鳴ってくるよぅ」
「くだらない提案ね。ま、私が優勝したらその時にでも考えるわ」
 愛沙は紘也たちを手懐ける気だ。そして香雅里は言葉とは裏腹に物凄いやる気を見せていた。説明書とコントローラーを持って操作法の暗記を行っている。
「よし、そうと決まればちゃっちゃとカレーを片づけるぞ」
「「「「オー!」」」」
 全員が拳を天井に突き上げて鬨の声を放った。
「お前ら忘れてないか!? 本来カレーの方がメインだからな!?」
 紘也以外、だったが……。

 ちなみに優勝は孝一だった。発案者ということで願いはなかったが、悔しげな表情をした者が四人ほどハンカチを噛んでいた。
 そして、ウェルシュの実力はウロボロス並に酷かった。

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