天井裏のウロボロス

夙多史

Section4-3 真実と本音

「お、お前は!?」
「宝剣強盗!?」
 紘也と香雅里は同時に身構える。誰も気づかなかったのは魔術で気配を消していたからだろうが、一体いつから祭壇の裏に潜んでいたのだ。
 と、宝剣強盗に気を取られた紘也たちの前を何者かが駆け抜けた。そいつはそのまま地脈のエネルギーを吸い続けて輝きが絶頂へと達した〈天叢雲剣〉を奪い取る。
 一体誰が、とそいつを視界に入れた紘也は絶句した。
「夕亜!? どうして!?」
 混乱する香雅里。宝剣を奪ったのは白装束を纏った少女。つまり日下部家宗主――日下部夕亜だった。宝剣を引き抜いた夕亜は調子を確かめるためか数度刀身を回し見る。そしてなにかを納得した顔になった彼女は、宝剣を握った腕を大きく振り被り、
お兄ちゃん・・・・・!」
 驚愕の台詞と共に宝剣強盗へと投擲した。
 回転しつつ宙を飛ぶ抜き身の日本刀は、男に直撃する寸前に不自然に速度を落とし、彼の右手に収まる。
 夕亜は宝剣強盗を攻撃したのだと考えたが、違う。彼女は宝剣を投げた時になんと言った? 紘也の聞き間違いでなければ『お兄ちゃん』と口にしていなかったか?
 宝剣強盗がすっとマフラーを取る。背後の氷にも負けない冷たい表情がそこにあった。
 その瞬間、香雅里があからさまに瞠目する。
「日下部朝彦!? どうして、あなたは半年前に妖魔との戦闘で死んだって……」
「日下部って――はぁ!?」
 紘也は思わず素っ頓狂な声を発した。先程からの急速過ぎる展開に冷静さが行方不明になっている。とりあえず捜索願を出しても見つかる気がしないから状況を整理してみる。
 巷で噂の宝剣強盗は日下部夕亜の死んだはずの兄だった。ダメだ。今の紘也の混沌とした頭ではこれ以上うまく整理整頓できそうにない。
「実はね、香雅里ちゃん。アレ、嘘なの」
 戦慄く香雅里に、男の横に並んだ夕亜が無垢な微笑みで告げた。
「どういうこと? 夕亜、説明して! これは一体どういうことなの!」
 香雅里は気色ばんで叫んだ。ウロやウェルシュに至っては展開についていけず沈黙している。
「そうね。ちゃんと説明して納得してもらわないとダメだよね」
「構わん、夕亜。俺が話す」
 話し始めようとする夕亜を制し、宝剣強盗――日下部朝彦が一歩前に出る。
「端的に言おう。半年前、俺は俺自身を死んだことにし、各地の陰陽師から宝剣を奪ってきた。全ては八櫛谷に封じてあるヤマタノオロチを滅し、そして夕亜を救うためだ」
 彼の言っていた『大切なもの』とは夕亜だった。そのことにも一驚を喫したが、この状況に動顛しているのはどうも紘也たちだけである。儀式場に集まった日下部家の陰陽師全員が、日下部朝彦の存在を当然とばかりに認識している。要するに、宝剣強盗は日下部朝彦の単独犯ではなく、日下部家全てが周知していた犯行ということだ。
 一つ深呼吸をし、香雅里は落ち着きを取り戻す。
「端的過ぎるわ、日下部朝彦。あなたは本当にヤマタノオロチを一人で倒せると思っているの?」
「無論だ」
 朝彦は懐から三枚の護符を取り出し、宙に放った。それらは三種三様の宝剣へと変わると、彼の周囲を一定軌道で回り始めた。さらに右手に握る〈天叢雲剣〉に指で妙な印を刻んだかと思えば、葛木の宝剣であるそれも他と同様に周回軌道へと乗る。それは〈天叢雲剣〉も完全に彼の手に落ちたことを意味していた。
「この最大まで地脈から魔力を得た四本の宝剣があれば、俺は神話級の術者と同等かそれ以上の力を手に入れたことになる。だが一人でとは言わん。彼の妖魔を滅ぼすためには日下部家の総力を使わねばならない」
「本当にうまくいくとは思えないわ。それに夕亜、あなたは封印することに賛成じゃなかったの? どうしてそんな成功するかも怪しい賭けに乗ってるのよ!」
「なにを言っているの、香雅里ちゃん。そんなの決まってるじゃない」
 夕亜は真に悪意のない笑みを浮かべ、

「だって私、死にたくないもん」

 無邪気な声で、彼女の根本に存在する気持ちを曝露した。
 その本音は、きっと親友である香雅里にも初めて曝け出したに違いない。香雅里はたじろいでいたが、紘也は心がスッキリするような安心感を抱いた。夕亜も死を恐怖する人間で、犠牲になることが自分の存在価値だと信じているわけではないと知ったからだ。
「俺たちはこれからヤマタノオロチの封印を解くことになるが……邪魔をするなよ、秋幡辰久の息子。真実を知った今の様子からして、貴様は俺たちと同じ想いのはずだ」
 朝彦は凍てつくようでいて強い意志の炎を宿している瞳で紘也を睨んだ。心のなにもかもを見透かしているような口調だったが、あながち間違ってはいない。
 冷静さが戻ってくる。
 自分の友人がこんな儀式で犠牲になるなんて御免だ。ましてや気持ちを押し殺してまで辛い役目を背負う姿なんて見たくもない。
 ならば、答えなど決まっている。
「ああ、そうだな。邪魔はしない」
「ちょっと秋幡紘也!? あなたは自分の役割を放棄する気!?」
 香雅里が血相を変える。が、彼女の言葉には紘也を止める力などない。確かに今朝のミーティングで紘也は儀式の邪魔をさせないと心に誓っていた。しかしそれは儀式の方法を知らなかったからであり、今は状況が一変している。
「ヤマタノオロチには勝てないかもしれない? 勝てたとしても多くの被害で出るかもしれない? ふざけるなよ。そんな不確かな予想を恐れてお前が日下部を殺すことになるくらいなら、俺は少しでも希望がある方を選ぶ!」
「うっ……」
 香雅里がなにも言えなくなるのを認めると、紘也は後ろにいる自分の契約幻獣たちを見回した。
「でも悲しいかな。選んだところで俺に戦う力なんてない。だからウロ、ウェルシュ、お前たちの力を貸してくれ」
「なぁにを今更言ってんですか紘也くん。そんなのもっちのろんに決まってるじゃあないですか! でも流石は紘也くんだね。あたしの好感度は鰻のぼりの鯉のぼりですよ♪」
「ウェルシュも異存はありません」
 彼女たちなら反対などしないと確信していた。紘也は安堵に顔を緩ませ、それから毅然とした様子で日下部朝彦に視線を戻す。
「というわけだ。邪魔はしないが協力はさせてもらうぞ。ヤマタノオロチ討伐のな」
 宣告すると、朝彦は静かに目を閉じた。
「……フン、勝手にすればいい」
 呟くように言うと、彼はコートを翻して祭壇を登り始める。公転する四本の宝剣が歩行スピードに合わせて移動する。が、その時――
「だ、ダメよ! 今ヤマタノオロチの封印を解いちゃダメ!」
 大声を上げた香雅里が朝彦を止めんと地面を蹴った。ほとんど反射的に紘也が手首を掴んで制止させなければ、彼女は脇目も振らず朝彦に飛びかかっていただろう。
「待てよ葛木! お前はまだ日下部を犠牲にするつもりなのかよ!」
「違うわ!」
「?」
 そこで初めて紘也は香雅里が別の理由で動いたことを悟った。
「私だって、本当に滅することができるのなら諸手を上げて賛成するわ。でも今はダメ。知らないのなら教えてあげる、秋幡紘也。ヤマタノオロチには〝霊威〟って特性があるのよ。記録によると強大な念力のようなものとあったけど、それだけじゃない。もし個種結界を張られたら、周囲に在る力の弱い生物が〝霊威〟にあてられて妖魔化してしまうの。生物にはもちろん人間も含まれるわ。私には日下部家の人間の多くがそれに抵抗できるとはとても思えない!」
 必死に、それはもう心の底から必死に訴える香雅里。朝彦は足を止め、顔だけこちらを振り返った。
「フン、貴様が懸念することくらいなら全て対策している。妖魔化に関しては、俺が日下部家の者にそうならないよう術式を編んでいる。問題はない」
「日下部家だけじゃないわ。この八櫛谷には私たち以外の人間もいるのよ」
 言われて紘也はハッと気づいた。
「そうか、孝一と愛沙か!」
 二人は八櫛亭で紘也たちの帰りを待っている。八櫛亭には香雅里の部下もいるが、負傷していても彼らは葛木の術者だ。〝霊威〟とやらに堪えることは可能だろう。しかし、孝一と愛沙はなんの力もない一般人なのだ。
「悪い! 封印解くのを少しだけ待ってくれ。宿にいる一般人を避難させたいんだ」
 携帯は圏外だから伝えるにも一度八櫛亭まで戻る必要がある。
「残念だが無理だ」
 冷徹な朝彦は即座に切り捨てた。
「奴の個種結界の範囲はこの八櫛谷全域を包む。貴様の連れをその外へ逃がすまで待っている余裕はない。そんなことをすれば宝剣に貯蓄された魔力が抜けてしまう上に、この日この時刻に高ぶっていた土地の霊気も下がる。再び充填できるほどの力を地脈から得ることができなくなる。そうなっては終わりだ」
「終わらないよ!」
 叫んだのはウロだった。彼女はずかずかと紘也よりも前に歩み出ていく。
「終わるわけがない! あたしが終わらせない! たとえあんたの剣が全部ナマクラになったとしても、この常にスターの音が鳴り続けるくらい無敵状態なウロボロスさんが百万回〝再生〟してでも勝利してみせますよ!」
 実に頼もしい彼女の言葉だが、日下部朝彦は鼻息を吹いて一蹴する。
「貴様らの事情に付き合うつもりはない。どうしてもその一般人を救いたいなら自分たちだけでなんとかしろ」
「ええ、なんとかしてみせますとも! だからそのためにまずはあんたを力ずくででも止める! ――ってことでいいよね、紘也くん?」
「ああ、そうだな」
 サムズアップ&ウィンクでアピールしてくるウロに呆れつつも、その意見には賛成票を投じる紘也だ。こちらの都合など知ったことではないと朝彦は態度で示している。
「さっき邪魔はしないって言ったけど撤回する。今封印を解くことにはどうしても納得できないんだ。文句はないよな? 勝手にしろと言ったのはあんただ」
 紘也の啖呵に呼応するように、ウロ、ウェルシュ、香雅里が戦闘態勢を取る。
「……やはり、貴様らは俺の障害となるか。ならばこちらも邪魔はさせない!」
「! 上です、マスター」
 鼻の利くウェルシュが真っ先に反応した。紘也がそれを認知する前に彼女は上方に跳躍し、紘也たちを覆うように〈守護の炎〉を展開する。その刹那、白熱する輝きが雨のように降り注いできた。輝きは鳥の羽根らしき形状に見えた。
 条件反射で頭を庇う紘也たちだが、頭上にはウェルシュの〈守護の炎〉が広がっている。あらゆる敵意を遮断する最強の盾は、隙間なく降り続ける輝く羽根を一切通すことはない。
 輝く羽根の雨は数秒で止む。
「よく我の奇襲を防いだ。流石だと賞賛すべきか」
「あいつは、ヤタガラス!」
 天井の穴から差し込む太陽光を背に三本脚の怪鳥が翼を羽ばたかせていた。昨夜ウェルシュに手酷くやられたのかと思っていたが、まだ動けたのか。
「マスター、ヤタガラスはウェルシュが〝拒絶〟します」
「よし、任せた」
 ウェルシュは背に赤き翼を生やして宙を舞う。彼女がヤタガラスを抑えている間に日下部朝彦を止めなければならない。でなければ孝一と愛沙が危険だ。
「余所見しててもいいけど、私たちが足止めに加わらないと思ったらダメよ」
 凛とした声音は夕亜のものだ。彼女はいつの間にか紘也たちの周囲に数多くの護符を半球状に配置していた。
「これは?」
「逆結界よ」と香雅里が冷や汗を垂らしながら、「普通の結界と違って対象を中に閉じ込めるためだけの術式。こと『足止め』に限って言えば封術師は相当に厄介な相手になるわ」
「ふふん、このウロボロスさんを檻に入れようってんですか。残念だけどね、夕亜っち。そんな小細工はあたしの前じゃあ意味を成さないんだよ!」
 ウロが突撃を仕掛ける。どうやって結界を破るのかと思いきや、なんのことはない。単純明快、力技だ。
「らぁあっ!!」
 裂帛の気合いと共に彼女の細腕からは考えられない剛拳が大気を裂く。岩をも砕きそうな右ストレートが結界の境界にあたる見えない壁を打つ。聞き慣れない打撃音が反響し、空気に波紋が発生する。だが――
「オォアウチ!?」
 奇妙の悲鳴を上げてウロは弾かれた。結界はビクともしていない。尻餅をついたウロは反射した痛撃に右手を押さえ悶えている。
「ごめんね。私の逆結界は今まで破られたことがないの。お兄ちゃんが封印を解くまでそこで大人しくしていてくれると嬉しいなぁ」
 夕亜は得意顔だった。これはただの結界ではなく、日下部家宗主による逆結界。ウロボロスすら跳ね返す強度は、確かに並の魔術師程度では破ることなどできやしない。
「むぅ、やるね夕亜っち。紘也くんちょっと待ってて。あと三回くらい殴れば罅が入りそうだから」
「それじゃ遅いんだよ」
 けれど、結界だとわかれば紘也は強い。
 朝彦は既に踵を返して祭壇を登り始めている。急がなければならない。こんな結界に時間を取られているわけにはいかない。
「五秒で破る!」
 紘也は結界の見えない壁に触れる。精神を集中させて己の魔力を制御し、結界を構成している魔力に干渉する。その魔力の流れを読み、逆を辿り、供給源を見つけ――
 ――そして断つ。
 パン! 紘也から最も近い護符が風船のように弾け飛んだ。
「え?」と夕亜の表情が固まる。だからといって紘也の魔力干渉は止まらない。
 パン! パン!  パン!     パン!   パン!     パン!
   パン!      パン!  パン! パン!
パン!  パン!   パン!    パン!     パン!        パン!
「えええええええええ!? う、嘘でしょう?」
 次々と連鎖的に破裂していく護符に夕亜は驚愕のあまり目を見開いた。ざわざわと、周囲の術者たちにも動揺が伝播する。
「止まりなさい、日下部朝彦!」
 結界が完全に消滅するや否や、香雅里が護符から〈天之秘剣・冰迦理〉を抜刀して大地を蹴る。疾駆する香雅里に朝彦は足を止める気配を見せない。
 と、香雅里の進路上に夕亜が割り込む。
「止まるのは香雅里ちゃんの方!」
「そこをどいて! 夕亜!」
 訴えるも道を開ける気のない夕亜に、香雅里は逆刃に握った〈冰迦理〉を横薙ぎに一閃する。言っても聞かないなら気絶させるしかないと考えたのだろう。
 刃の背が夕亜の胴に食い込もうとしたその瞬間、バチイィ!! とスパークが発生して香雅里は弾かれたように三メートルほど吹き飛んだ。
 夕亜は両手に一枚ずつなにかの護符を指で挟み持っている。あれが特殊な力場を生成して香雅里を弾いたのだ。
「痛っ……」香雅里は身を起こし、「夕亜! あなたわかってるの! ここでヤマタノオロチの封印を解いたら宿にいる二人が妖魔化する危険があるのよ!」
「香雅里ちゃんが孝一くんと愛沙ちゃんを助けたい気持ちはよくわかったわ。でも、私は死にたくない。一人罪を犯してまで力を手に入れたお兄ちゃんの努力を水泡に帰したくない。あの二人には悪いけど、ここは譲れない」
「そう。なにを言っても無駄なようね。だったら私は本気であなたを排除するわ!」
「覚悟を挫かれた今の香雅里ちゃんに私は殺せない。私も香雅里ちゃんを殺せない。だけどお兄ちゃんが封印を解くまで時間を稼ぐことはできるわ。ただ、香雅里ちゃん相手だと私も本気にならないといけないよね?」
 すっと夕亜は瞑目する。彼女はたった一秒で精神集中を完了させ、魔力が極限化するまで高めた。
 ゆっくりと瞼を持ち上がった時、日下部家宗主としての引き締まった顔がそこにあった。
「本当に残念。香雅里ちゃんは私の味方になってくれると思ってたのに、今は彼らの方が大事なんだね」
「そんなことない。夕亜は私のたった一人の親友と呼べる人。私は夕亜を捨てたんじゃない。みんなが助かる道を選んだの。だから夕亜も絶対に助けて見せる!」
「私もそんな理想に縋れたらよかったんだけどね」
 香雅里は〈天之秘剣・冰迦理〉を、夕亜は護符を構え、お互いの意地をかけて衝突する。
 しかし、戦闘が始まった時点で足止めが目的の夕亜の勝利だった。朝彦は祭壇を登り終えている。今、彼を止められるのは紘也とウロの二人だけ。だから紘也はウロボロスの契約者として彼女に命じる。
「ウロ、どうにかして封印解放を阻止しろ!」
「イエッサー! って言いたいんだけど、どうも難しいっぽいよ」
 日下部朝彦ばかり注意していた紘也だが、ウロに言われるまでもなくそのことには気づいていた。
「確かにまあ、難しいけどよ」
 紘也とウロの周りを、総勢三十人の日下部家の術者が包囲しているのだ。彼らはじりじりと包囲の輪を縮めており、ネズミ一匹抜け出す隙間もない。
「そこをどうにかするのがお前の仕事だろうが」
「なんて無茶振り!? だけどそれでもやってのけるのが一騎当千たるウロボロスさんです! 期待にお応えしましょう!」
 こういう時のウロは頼もしいが、いかんせん時間がない。封印解除にはどのくらいの時間がかかる? 逸る気持ちに心臓を蝕まれるような感覚に苛まれながら、紘也は突破口を見つけるために目を配らせた。

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