救世魔王の英雄譚(ヒロイックテイル)

夙多史

序章

 その日、地球に魔王が降臨した。
 場所は東京都某所のとある学校――その広大なグラウンドである。
 どことも知れない空間から突如として現れた魔王は、悍ましい姿をした魔族の軍団を率いて声高々に宣言する。

「これより貴様らの世界はこの俺――『恐怖の魔王』アンゴルモアの支配下とする!」

 異界語で紡がれた言葉は、果たしてこの世界の住人に理解できるのだろうか? だが理解しようがしまいがこれから魔王軍の行うことは変わらない。
「歯向かう者は皆殺しだ。俺に服従しろ、現世界人よ!」
 ミノタウロスを思わせる牛頭に血色の爛眼、三メートルを優に超す巨体の腰には禍々しい鞘に収まった巨剣を佩いている。吐息をする度に魔力が紫色の霧となって口から漏れるその様は、見る者に絶対的な恐怖を与えることだろう。
 普通ならば。
「おい、なんか変なのがグラウンドに出てきたぞ」
「魔王だってさ」
「よりにもよってここを狙う魔王か? 馬鹿じゃねーの? どこの世界にいた奴だよ」
「アンゴルモアとか言ってたわね」
「どっかで聞いた名だな」
「あれよあれ、ほら、一九九九年に来るって予言されてた恐怖の大魔王」
「ちょ、どんだけ遅刻してんだよ」
「本人だったらお気の毒ね。当時なら難なく侵略できたかもしれないのに」
「マジうけるんですけど」
 グラウンドに面した校舎の窓という窓から人間が魔王軍を興味深げに眺めている。それはいい。当然の行動だ。だが、彼らは一切恐怖という感情を見せていなかった。
 アンゴルモアの異常な聴力で聞き取った言葉は、現世界語なのにどういうわけか理解できた。
 もちろん、あからさまに馬鹿にされていることも。
 もしや恐怖を通り越して正常な判断能力を失っているのかもしれない。だとしても侮辱された怒りは消えることなく増大し、アンゴルモアは手始めに視界に映る全てを焼原に変えようと決断する。
 あとはただ、軍団に一言命令を下せばいい。
「殺せ」
 と。
 それだけで無力な人間どもを愉快に蹂躙できる――――はずだった。
「――ッ!?」
 その光景を目撃し、アンゴルモアは絶句した。
 最前衛を任せていた屈強な魔族の戦士たちが、凄まじい衝撃音と共に数百人単位で一瞬にして消し飛んだのだ。

「いずこからお越しマヌケ様か存じ上げませんが」

 魔王軍が消し飛んだ場所に佇んでいたのは、この学校の制服と思われるブレザーを纏った金髪の少女だった。
「攻める側として、情報収集が疎か過ぎるのではございませんか? ここをどこだとお思いになられているのでございましょう?」
 彼女の姿が確認された途端、校舎の窓際に詰め寄っていた人間たちが騒ぎ始める。
美ケ野原夢優みかのはらむゆうだ!」
「年間救世数三十三。いきなり第五位様の登場だ!」
「もうあの魔王軍終わったわね」
「マジうけるんですけど」
「いや待て、美ヶ野原夢優だけじゃない!」
 直後――魔王軍の右翼が火山の噴火を思わせる業炎に包まれた。
 それと同時に、左翼に天を衝くほど巨大な黒い竜巻が出現した。
 灼熱の炎は意志を持つかのように高速で広がり、魔族の猛者たちを逃げる暇も与えず喰らっていく。黒い竜巻――否、黒く見えるのは巻き込まれた魔族たちだ。それほどまでに竜巻の威力が強く、軍勢は成す術なく次々と飲み込まれてしまう。
 超災害級の攻撃に、アンゴルモア自慢の魔族の戦士たちがごっそり削られ跡形もなく消えていく。
「ふあぁ……この世界を襲う魔王なんて珍しいから出てみれば、雑魚過ぎてつまんないし。欠伸が出るし」
「最初にここを襲った勇敢さは誉めてもよかったが、どうやらただの無知のようだ」
 右翼には最前衛を消し飛ばした少女よりも小柄な赤毛の少女が、左翼にはどこか冷めた目をした少年が立っていた。
 人間たちからまた歓声が湧く。
火神洸かがみほのか鷹嘴恭平たかのはしきょうへいだと!?」
「年間救世数四十二の火神。年間救世数三十八の鷹嘴」
「嘘だろ、三位と四位まで揃ってんのかよ!?」
「正直この程度の魔王軍ならあたしでも勝てそうなのに……」
「マジうけるんですけど」
 人間たちが口々に語る言葉はなぜか理解できるが、アンゴルモアにはその内容がさっぱり理解できない。
 しかし、目で見た状況は誰かに言われなくてもわかる。
 異界と繋がるゲートから援軍が絶えず溢れるアンゴルモアの軍勢だったが、たった三人の人間に手も足も出せず蹂躙されているのだ。
 絶望を与えるはずが、逆に与えられている。
 悪夢なら覚めてほしい。
 まさか魔王の自分がそう思うとは思わなかった。
 そして――校舎の屋上。

「悪いわね、ここの人たちって、魔王と名乗る者には容赦ないのよ」

 漆黒のロングヘアーを風に靡かせた少女が、オーロラのように幻想的な輝きを放つ長剣を握ってアンゴルモアを見下していた。
 新手の登場である。
 それも現在進行形で魔王軍を駆逐している三人よりも強大な力を感じる。
「な、なんだかわからんが、こ、これ以上貴様らの好きにはさせん!」
 片手を屋上の少女に翳し、アンゴルモアは掌に膨大な魔力を収斂させる。大気がピリピリと振動し、グラウンドの砂が無重力にでもなったかのようにゆっくりと舞い上がる。
 数秒の溜め。
 その後、小さな山なら軽く消滅させるだろう魔力砲が射出された。
 が――
「なっ!?」
 少女が極光の剣を前方に翳しただけで、魔力砲は見えない壁にでも衝突したかのように轟音だけを残して霧消してしまった。
 校舎内の人間たちが歓喜にざわめく。
「今の……久遠院姫華くおんいんひめかだ!」
「嘘!? どこ!? 姫華様どこにいるの!?」
「屋上だ! くそっ、こっからじゃ見えねえ!」
「マジうけるんですけど」 
 戦場で魔王軍を相手にしていた三人も顔色を変える。
「まあ、姫華様まで出陣なさるなんて」
「てか、第一位まで出しゃばって来ちゃラスボス横取りされちゃうし」
「救世数はあの魔王を倒した者に加算される。もたもたしてられんな」
 三人の勢いがさらに増す。
 炎がうねり、風が荒れ、衝撃が駆け抜ける。
 流れ込んでくる援軍の数よりも、討滅される数の方が圧倒的に多い。
「なんなんだ貴様らは! なんなんだその力は!」
「なんなんだって言われてもねぇ」
 混乱のあまり叫び散らすアンゴルモアに、屋上の少女は困ったように頬を掻き――

「だって私、勇者だし」

 事もなげに、そう言った。
「な……に……?」
 勇者。魔王をやっているとどこの世界でも必ず聞く称号である。
 確かにかつて勇者を名乗った者たちは一騎当千の実力者だった。が、所詮は人間の一人。当千ならばそれ以上の兵力を投入することで返り討ちにしてきた。この世界とて、勇者一人現れようがいつも通り蹴散らせるはずだった。
「右の子も、真ん中の子も、左の男子も、校舎から見てるだけの人も含めて、ここにいる全員が勇者」
 屋上の少女が告げる事実にアンゴルモアの思考が真っ白に染まった。
 極光の剣がその輝きを強くすると、少女は屋上から空中に身を投げた。だが落下することなく空を飛んでアンゴルモアの頭上へと舞い来ると、彼女は邪気のない笑みを浮かべ――
「なにせここは国立英雄養成学校――世界を救う勇者が集う学校だもの」
 救ってるのは主に異世界なんだけどね。
 そう付け足して、少女は輝く剣で魔王アンゴルモアの巨体をあっさり両断した。
 魔王は、世界に降臨して十分も経たない内に討伐された。

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