終わった世界の復讐者 ―僕はゾンビを操ってクラスメイト達に復讐する―

触手マスター佐堂@美少女

第31話 巨大な影


 その夜は、雨が降っていた。

 大きな雨粒が、軽トラックのガラス窓を叩く音が響いている。
 それ以外の音は無かった。

 夜の街は、不気味なほどの静寂に包まれている。
 点滅する街灯の光が、ふらふらと歩くゾンビたちを照らしていた。

「白井さん、大丈夫ですか? お疲れだったら、俺が運転変わりますけど」
「ああ……大丈夫だ。ありがとう」

 運転席に座っている男――白井は、少しだけ目を閉じる。
 疲労が溜まっているのは事実だが、それは白井の隣にいる青年も同じだ。
 自分の負担をこの若者に押し付ける気にはなれなかった。

 後ろの荷台に乗っている男たちは雨合羽を身に付けているはずだが、雨は体力と体温を容赦なく奪う。
 できるだけ早くスーパーへと帰り、身体を温めてやりたかった。

 白井たちは、拠点の一つ――ショッピングモールへの連絡係として派遣された。
 『セフィロトの樹』についての警告を、ショッピングモールに篭城している人間たちに伝えるためだ。

 幸いにも、ショッピングモールに篭城している人間たちは、特に変わりがないように見受けられた。
 無事に彼らに『セフィロトの樹』についての説明と警告を終えた白井たちは、今はスーパーへ帰っている途中というわけだ。

「まあ、そろそろスーパーに着きますからね。奥さんと娘さん、まだ起きてますかね……?」
「どうだろう。時間が時間だし、寝ていても仕方ないとは思うが……」

 あのスーパーには、白井の妻と娘がいる。
 幸いなことに、パンデミックが起きた日、白井の家族たちは家にいたのだ。
 そのおかげで、白井は家族と合流することができた。

 スーパーには、自分の家族と離れ離れになってしまった人間も多い。
 娘の相手をしている時に、時折羨ましそうな目線を向けられることにも、もう慣れた。

 家族と一緒にいられる幸運に感謝しながら、妻と娘、それにスーパーにいる人間たちが少しでも快適な生活を送れるように、白井も尽力している。
 その甲斐あってか、スーパーでの生活はだいぶ安定してきたように思う。

 ずっとこのまま、穏やかな日々が続けばいい。
 そう思わずにはいられなかった。

 だが、それを脅かす者たちがいる。
 明るい未来のことを考えるのは、『セフィロトの樹』という脅威を打倒してからでも遅くはない。

 白井が、そんなことを考えていた、そのときだった。



「う、うわぁぁぁぁあああああ!!!」



 軽トラックの荷台から、悲鳴が上がったのは。

「な、何だ!? どうした!?」

 軽トラックには、後ろの様子を確認できる窓はついていない。
 窓から身を乗り出して後ろを見やると、白井の顔は真っ青になった。



 軽トラックの荷台に乗っていた男たちが、大量の触手に襲われていた。



 状況がわからない。
 何が起こっているのか。

「た、助けてくれぇ!! こいつら、中に入って……ぁあああっ!!」

 男たちが悲鳴を上げている。
 詳しい状況はわからないが、彼らが、何か得体の知れないものに襲われていることだけは確かなようだった。

「とにかく、助けないと……っ!」

 こうして走っている間にも、状況は悪くなっていくばかりだ。
 もたもたしていたら、犠牲者が出てしまう。
 ……しかし、どうやって?

 トラックを止めることはできない。
 彼らの悲鳴が、その辺りをうろついていたゾンビたちを呼び寄せている。
 今止まれば、全員がゾンビたちの餌食となってしまうことは、想像に難くない。

「し、白井さん……」
「何だ!? どうし――」

 そこまで言って、白井の身体は硬直した。

 白井たちの前方。
 そこに、何かがいた。

 それはあまりにも巨大な影だった。
 ゾンビではない。
 あれほど巨大な人間など、いるはずがないのだから。

 なら、あれは一体なんだというのか。
 いや、今はそんなことは二の次だ。

「と、とにかく他の道を――」



 白井がそう言い終わる前に、助手席に座っていた青年の頭が吹き飛んだ。



「――は?」

 フロントガラスの破片が、白井の身体にも突き刺さっている。
 青年の血と肉片と脳漿のうしょうにまみれた白井は、今起こった出来事を反芻はんすうした。

 そう。
 何かが軽トラックの窓を突き破って、青年の頭を押し潰したのだ。

 白井が放心していると、青年の身体がもぞもぞと動き始めた。
 ……いや、青年の身体が動くはずがない。
 彼の頭は、今飛んできた何か・・に押しつぶされたのだから。

 なら、何が動いているというのか。
 ……そんなもの、一つしかありえない。
 青年の頭を押し潰し、フロントガラスを突き破って飛来したものに決まっている。

 そして、前方にそびえ立つあの巨大な影が、その手に持っているもの。
 ゆるゆると、不気味にうごめいているもの。
 あれは、ゾンビではないのか。

 そこまで確認した白井は、遅れて理解する。
 あの巨大な影が、こちらに向かって、ゾンビを投げたのだと。

 青年の身体と絡まり合うようにして潰れている血まみれの肉塊が、頭を上げる。
 そんな状態になっても動ける存在を、白井は一つしか知らない。

 ゾンビだ。

「ひっ……!」

 ゾンビのあまりにも空虚すぎる瞳が、白井を見ていた。
 そして、何かを求めるように、その手を彼のほうへ伸ばしてくる。

「や、やめろぉぉおお!!」

 白井は、無意識のうちに思い切りブレーキを踏んでしまっていた。
 急ブレーキがかかったせいで、荷台の上で触手に襲われていた男が数人吹き飛んだが、今の白井にそれを気にかける余裕はない。

「ぁあぁああぁああぁあああ!!」

 もはや白井に、冷静な判断などできなかった。
 白井はめちゃくちゃな言葉を発しながら、軽トラックのドアを開けて、その場から逃げ出した。

 ――死にたくない。
 それ以外の人間的な思考など、とうに失せている。

「くっ、来るな! 来るなぁぁあああああああ!!!」

 白井の叫び声につられて、大量のゾンビたちが白井のほうに集まってきていた。
 ゆらゆらと身体を揺らしながらやってくるゾンビたちに、白井は発狂したかのように逃げ惑う。

 走っても走っても、ゾンビたちが白井のことを諦める気配はない。
 新鮮な人間の肉を求めて、彼らは逃げ惑う獲物を狙い続けていた。

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」

 やがて白井は、近くにあったコンビニに逃げ込んだ。
 幸いなことに奥の部屋の鍵が開いており、そこに入ることができたのだ。

「はぁっ……はぁっ……はー……」

 白井はドアにもたれかかり、息を整える。
 しばらくして、ようやくまともな思考ができる程度に落ち着くと、白井は部屋の中を見回した。

 気付かなかったが、この部屋はかなり臭い。
 人間の排泄物のような臭いが、白井の鼻を刺激している。
 もしかしたら、白井が来る以前に、ここで篭城していた人間がいるのかもしれない。

「……ん?」

 そんなことを考えていると、ふと、視界の下に何かが映っているのに気が付いた。

「……え?」



 白井の胸の中央から、赤黒い触手が突き出ていた。



「なんだ、これ……っがぁ!?」

 それが引き抜かれる感触と共に、白井の身体を激痛が襲い、その胸から血が噴き出した。
 白井の身体が、その場で崩れ落ちる。

 失血がひどい。
 何か、止血できるものを……。

 そう考えるも、身体が動かない。
 強烈な倦怠感と、身体の震えが止まらない。

 寒い。
 温かいものが欲しい。

 妻と娘の顔が脳裏をよぎる。
 だがそれも、一瞬で消えてなくなった。

 意識が薄れていく。
 もう、指先の感覚もない。

 そんな状態の中、白井はある一つの理解にたどり着いた。

 これが、死なのだと。



「――あなたにも救いが訪れることを、心の奥底から願っていますよ」



 白井の意識が途切れる瞬間、ドアの向こう側からそんな声が聞こえたような気がした。





 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇





「――さて。それで全部ですか」

 フードを被った化け物の報告を聞きながら、法衣の男――『知恵コクマー』は一人頷いた。

 『知恵コクマー』の周りには、同じようなフードを被った化け物たちが、彼の言葉の一つ一つを聞き漏らすまいと耳を傾けている。
 闇の中で、それらはより深い黒色をしていた。

 『知恵コクマー』の足元には、軽トラックに乗っていた男たちの死体が転がっている。
 それらの損傷具合にこそ差はあるものの、全ての死体が例外なく胸の部分を抉られていた。

 どうやら何匹かは、味見をして我慢しきれなくなり、『知恵コクマー』の許可無しに死体の内臓を食べてしまったようだ。
 とはいえ、これだけの数の化け物の中から、犯人を探すのは手間がかかりすぎる。
 手足には口をつけていないようだったので、多少のやんちゃは黙認することにした。

「胴体を摘まむ程度にしておいてくださいね。手足の腱を噛みちぎってしまうと、さすがのゾンビでも立ち上がれませんので」

 『知恵コクマー』がそう言って許可を出すと、化け物たちは男たちの死体を囲んでいく。
 そして、不快な咀嚼音そしゃくおんを立てながら、化け物たちの食事が始まった。

「……おや? あなたは食べないのですが?」

 『知恵コクマー』が不思議そうな表情を浮かべて、食事の輪から外れている化け物の一匹にそう問いかける。

 その化け物はあまりにも巨大だった。
 体長は、優に四メートルはある。
 あまりにも大きすぎて、他の化け物たちが被っているフードを被ることすらできていない。

 その化け物は、遠くのほうを指差した。
 『知恵コクマー』には、それが何を意味するのか理解できる。

「あそこですか……なるほどなるほど。それならやはり、明日はそのスーパーに行ってみることにしましょう。今度こそ、『資格』を持つ人間がいればいいのですが」

 『知恵コクマー』は新たなる『資格』持ちを探していたが、『栄光ホド』以外のセフィラはいまだに見つかっていない。
 しかし、着実にセフィラに近づいているという実感が、『知恵コクマー』の中にはあった。

「さて、明日は忙しくなりそうですね。明日に備えて、わたしも少しいただきましょうか」

 『知恵コクマー』は、化け物たちに食われている死体たちを見やる。
 中には、そろそろ動き始めている者もいるようだ。
 その様子を満足そうに眺めながら、

「あなた方には、せいぜい役に立ってもらうことにしましょうか。あそこで抵抗を続けている彼らが、神の救いを受け容れやすいようにするために、ねぇ」

 そう言って、『知恵コクマー』は陰惨に笑った。





 ――悪意が、近づいてくる。

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