悠久のアトランティス

夙多史

第04話 ドラゴンの意図

 そう、ドラゴンだ。
 ディオにとってはお伽噺や伝説でしか聞いたことがない、最強最悪の生物。
 そのドラゴンが、鼓膜を破らんばかりの咆哮を発してこの都市に向かっている。死と破壊が明確なイメージとなって脳裏に浮かび上がる。
 逃げなければ!
 でも、どこに?
 あのドラゴンが一度暴れたら、この都市がいくら大きくても数刻で壊滅してしまうだろう。逃げるのは無駄だ。
 ならば立ち向かい、撃退するのか?
 不可能だ。ちっぽけな人間に過ぎないディオが刀一本振り翳したところで、ドラゴンは気づきもしないだろう。
 なにも名案を思いつかないまま、ドラゴンは都市の上空までやってきた。そのまま唸りを上げ、時には牙の並ぶ大口から火炎を零し、狙いを定めるかのように都市の周囲を旋回し始める。
 蜘蛛の子を散らすように我先にと逃げ出す少年少女たち。とにかくどこか遠くへ、と考えているのだろうか。
 しかし、ディオとイラハは広場を動かなかった。
「……おかしいわ」
「うん。あいつ、どういうつもりなんだ?」
 ドラゴンから都市を攻撃する意思を感じなかったからだ。ただ飛び回り、王様候補生たちを恐怖で掻き乱しているだけのように見える。
 ドラゴンが都市の反対側に姿を消してからようやく、ディオは広場に他にも人が残っていたことに気がついた。
「おう、あの竜を狩った奴が王になれんのか?」
 好戦的な笑みを浮かべて身の丈ほどもある大剣を軽々と担ぐのは、傭兵のような武装をした大柄で色黒な少年。
「あ、あんな化け物がいるなんて聞いてないよぅ~」
 広場の角で情けなく震えているのは、ライトブルーの髪色をした小柄な少女。
「……フン。あんなものまで持ち出して僕たちになにをさせる気だ、《アトランティス》は?」
 建物と建物の間から意味深に天を見上げているのは、ボロ布のような黒いローブで身を包んだ細身の少年。
「ど、ドラゴンなんてお伽噺でしか見たことありませんわよ! どうなっているんですのここは!」
 中央で腰を抜かしていたのは、先程まで演説をしていた王女様風の少女。
 広場に残っていたのは、ディオとイラハを除いて彼彼女ら四人だけだった。逃げ遅れた者もいれば、ディオたちのようにあえて留まった者もいるようだ。
「ドラゴンが去っていくわ」
 イラハが白く細い小枝のような指で天空を差す。彼女の指が指し示す先には、巨翼を力強く羽ばたかせて何処へと飛んでいくドラゴンの姿があった。その後ろ姿からは、『役割を終えた』とでも言うような雰囲気を醸し出している。
「一体、なにがしたかったんだ、あのドラゴンは?」
 わけがわからずディオは呟いた。もっとも、ドラゴンの考えていることなんて人間にわかるわけがない。ただの気まぐれだったのかもしれない。

「僕たち王様候補生を都市中に分散させるためだろう」

 ディオが自分の中で結論づけようとしたところに、黒ローブの少年が歩み寄ってきた。まさか向こうから話しかけられるとは思わなかった。
「あんたは?」
「貴様は礼儀を知らんのか? 相手の名前を訊くならまず自分から名乗れ」
 ムカつく態度だったが、言っていることには反論できないディオである。
「俺はディオだよ。こっちはイラハ」
 勝手に紹介してしまったが、イラハは文句を言わなかった。ただコクリと会釈しただけで、その後は警戒の視線で黒ローブを睨めている。
「……僕はヴァイスハイト。《アトランティス》の王となり、その力を持って祖国に繁栄を齎す者だ」
 黒ローブの少年――ヴァイスハイトは億劫そうにそう名乗った。だがその声には、嘘偽りなく明確な目的を持って王を目指している意志を感じた。
 と――
「そりゃあ、聞き捨てならねえな。王になんのはこのオレ――アビシオン様だ」
 大剣を背負った大柄な少年が近づいてきた。アビシオンというらしい彼は、挑発的に笑いながらヴァイスハイトだけでなくディオたちまで見下している。
「フッ、見るからに知力のなさそうな小物が王になるとは笑わせてくれる」
 嘲笑を返したヴァイスハイトに対し、アビシオンはニィと唇を歪め――
 ――一瞬で鞘から抜き放った大剣でヴァイスハイトの鼻先寸前を掠めた。剣身を叩きつけられた白タイルの地面が爆発でも起こったかのように弾け飛んだ。
 なんてパワーだ。
 軽く石礫で被害を受けつつ、ディオはアビシオンの腕力に驚嘆した。
「見たか? 力こそ全てだ。オレはこの力で《アトランティス》の王となり、あらゆる世界の頂点に君臨してやるのさ」
「フン、カスの思想だな。この世界が紡がれた物語だとすれば、貴様のような奴は真っ先に噛ませ犬として退場するところだ」
 ヴァイスハイトは顔色一つ変えていない。それどころかローブから指揮棒のような杖を取り出し――
「我解き放つは裂刃の颶風ぐふう、彼の力、風霊の意を宿し天空を踊れ」
 早口で呪文らしき文言と唱え杖を振った。刹那、アビシオンの両脇に旋風が巻き起こる。
「魔法!?」
 ディオは思わず叫んでいた。魔法。ディオの世界にも存在している力だが、一握りの才能ある人間にしか使えない。生で見るのは初めてだ。
 少しでも触れれば八つ裂きにされ兼ねない刃風に、しかしアビシオンは動じなかった。
「魔法か。オレの世界だと廃れちまった力だ」
 ひゅー、と口笛を吹いて余裕を見せつけるアビシオン。
 とその時――ピュン!
 ヴァイスハイトとアビシオンの間を、一本の矢が引き裂いた。
「おやめなさい!! あなたたち!!」
 続いて強い意志の込められた怒声が凛と響く。例の演説をしていた王女風の少女が、どこに持っていたのかロングボウに次の矢を番えていた。
「このような時に争っている場合ではありませんわ。あのドラゴンが一体なんだったのか、他の候補生たちはどうなったのか。都市の現状を逸早く把握するために動くべきですわ」
 真剣な眼差しで訴える演説少女にディオはハッとする。
「そうだ、その通りだよ。えっと、ヴァイスハイトだっけ? さっき王様候補生を都市中に分散させるためとかって言ってたけど、どういうこと?」
 訊くと、ヴァイスハイトは腕を組んで鼻息を鳴らす。
「言った通りだ。あのドラゴンは様子からして野生のモンスターではない。恐らく《アトランティス》の意思によって動いている存在だろう。だとすれば、候補生を散り散りにさせたのはなにかしらの意図があると見ていい」
「そ、そこまで考えていらしたとは、驚きですわ」
 演説少女が目を丸くする。するとそこにアビシオンが野太い声を割り込ませる。
「おい女、てめえは争ってる場合じゃねえとか言ったが、そもそもオレたちは争うためにここへ乗り込んだんだぜ。さっきの竜が開戦の合図だってんなら、オレは迷いなくここにいる全員を斬り殺すつもりだ」
「女ではありませんわ。わたくしにはレギーナという名前があります。我が世界の全土を統べる帝国の第三皇女ですわ」
「ほ、本当に王女様だったのか」
「王女ではなく、皇女ですわ」
 なにが違うのか凡人のディオにはさっぱりわからない。ディオの世界だと王制を敷いている国家は数えるまでもないほど少なく、ほとんどの国が民主制。だから王女や皇女などという単語は物語の中でしか馴染みがないのだ。
「わかっているとは思うが」とヴァイスハイト。「身分など、この《アトランティス》では全くの無意味だ。王族だからといって《アトランティス》の王になり易いわけではない」
「忠告されずともわかっていますわ。それに、わたくしは別に王になれなくてもよいのです。誰が王となろうとも、この《アトランティス》と国交を結べさえすればわたくしの目的は達成されますわ」
「フン、なるほど。だからあのくだらない演説か」
 自分の行動を馬鹿にされたレギーナはムッと唇を尖らせた。彼女の必死さをこの目で見ているディオも少々イラッときた。
「ちょっとあんた、そんな言い方はないだ――」
 言いかけたところで、ずっと無言を貫いていたイラハに袖を引かれた。
「イラハ?」
 訝しげに彼女を見ると、
「なにかが始まるわ」
 イラハは、都市の中央に聳える巨塔を見上げながらそう呟いた。

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