朧月夜に蓮華と愛

44.実力行使。


 数時間後。明け方のこと。
 どかんと派手な音がして、兄弟たちを伴って現れたサクラに――屋敷のどこかに穴を開けたらしい。サクラ曰く景気づけだという――集められた長老たちは腰を抜かすほどに驚愕した。
 まさか自分たち一族が仕える主がこの場にいるなんて考えもしなかったといった様子で、誰もがぽかんと口を開けている――サクラ自身が、朧たちに自分が来ていることを隠しておけと命令したからなのだが。
 普段威厳たっぷりの長老たちのそんな顔を眺めた朧が思わず吹き出し、蓮太郎は居心地が悪そうに身を小さくしていた。
 そして誰よりも震え上がっていたのは、兄弟の父親である銀だった。サクラの息を飲むほどに整った顔に浮かぶ、艶やかな笑みに見たことはないが極楽というものが見える思いだった。
「久しぶりやのぉ、じじいども」
 上座にどかっと腰を下ろしてサクラは微笑んだ。長い黒髪を流れるままに、赤い装束がやはり重さもないように微風に揺れる。
「な、ななななんでサクラ様が……」
 散々銀を罵ったちんまい年老いた狐が、金色の瞳を落ちそうなほど見開き声を出した。明らかに震えているその声音に座敷の端に座っていた朧が、また小さくであるが吹きだし、それをたしなめるように隣に座っていた蓮太郎が軽く自分の肘で朧の肘を突いた。
「んー? ちょっとお前らに言いたいことがあってなぁ」
 さもつまらなさそうに、神は視線を廊下越しに見える庭へと流した。そこは先日見たままに、たおやかに蓮華が咲いている。白む空の蓮華もまた風情があり美しい。
 可憐な花が揺れているのを眺めたまま、サクラは脇息の横に置いてある煙草盆の上にあった煙管を手に取り、おもむろにそれをすこーん、っと慌てふためく老狐めがけて投げつけた。
「ひぃっ!」
 ずらりと、横一列に並んだ長老と言われている狐たちは、サクラの行動に目を丸くして硬直する。朧も蓮太郎もそれにはさすがに目を丸くし、列の一番端に座っていた銀は、気に入りで、しかも高価な煙管を投げ飛ばされたことに情けない声をあげた。
 見事、煙管はちんまりとした狐の額に命中した。
 火がついていなかったことは不幸中の幸いかもしれないが、かなり痛かったようで、皺皺の手で額を押さえて蹲る様子を、サクラは斜に見下ろして意地悪げに微笑んだ。
「しかしまぁ、ようも孫みたいな可愛い蓮太郎と朧に……お前らほんま鬼畜やなぁ」
 のんきな口調でそんなことを言い、どこから出したのだろうか黒地に赤い花の刺繍が施された扇子を開きながらサクラは言う。
「澪のこともせやけど、年寄りはいつの時代も底意地の悪いことをする。私にも堪忍袋ってのがあってやなぁ、今回お前らのしたことに、ちょっと文句の一つでも言うとかんと気がすまんのや」
 凍てつくような月の瞳が、順番に長老たちに巡らされる。勿論空気も凍りつく。
 サクラが本気で怒っていることはそれだけで充分すぎるほど理解できた。背筋を駆け上がってくる嫌な感覚に、その場にいた全員の尻尾が逆立った。
 やはり銀に至っては泣き出してしまいそうなほどだ。一族の中でも抜きん出て大柄なはずなのに、その身体は震え、今すぐにでも逃げてしまいたいと、そんな風に見える。
「いくら温厚な私でもな、これは許されへん。古臭い習慣も大事かもやけど、それを若いもんにそのまんま押し付けるのはいかがなものかと思いますが、じじいども?」
 サクラは澪の件を淡々と話した。
 その昔、澪の父親が人間に恋をして結ばれたこと。そして澪ともう一人、妹が生まれたこと。その後に澪たちが歩んだ道筋のこと。
 いまやこうして年を重ねている狐たちでも、生まれているかいないかの時代。ありのままを見てきたものはいない。サクラでさえ当事者ではなく、澪の記憶を遡って知ったこともある。
 それくらい長い時間を一人で過ごしてきたのだと、もういない小さな狐を思い出し、サクラの眉間に皺が刻まれた。
「お前らの先代もたいがいなことしよったけど、それをまた利用するて……けったくそ悪いったらないわ」
「しかしサクラ様……」
 比較的若い狐が口を挟もうとサクラに声をかけた。しかしサクラはそれをあっさりと遮る。有無を言わせない迫力に、何もしていない銀の額に汗が流れた。
「やかましい。言い訳なんか聞きとうない。それにな、私はもう決めてん」
「は……?」
 いったい何の繋がりがあるのかと思うほど、サクラの話す内容が切り替わったように思えた。朧が赤い瞳を瞬き、蓮太郎も何事かと言いたげにきょとんとした。
「おい、サクラはなんの話をしてるんや?」
「さぁ……なんでしょう……」
 ひそひそと色違いの髪を寄せ合い話していると、サクラの視線が今現在社を守っている兄弟に止まる。月の瞳が真っ直ぐに縫いとめられ、二人は何もしていないのに飛び上がった。
「蓮太郎、朧」
「は、はいッ」
「な、なんや……?」
 離れた場所から良く通る声を投げられ、思わず身を正す。サクラは上座で脇息に凭れたままその視線を皆に廻らせると、世間話でもするかのようにのんびりとした口調で言った。
「今日から私の独断で、好きうた者同士で結婚することを許可する。人間でもアヤカシでも何でも気持ちは一緒や。しょうもないこと言うてんと、幸せやったらそれでええやないか」
「………………は?」
 奇妙な沈黙が流れた後、誰もが言われたことを理解できないように、きょとんとした。朧が間抜けな表情で唯一零した、返事ともつかない音だけが温かな風にふわりと解けていった。
 そしてサクラの前に横並びに座っている狐たちは、神の言葉を飲み込んでいくと表情を変えていく――青ざめるもの、震えだすもの、表情は変わらなく呆然としたもの。
 その中で大柄な狐はぽっかーんとしたままだったが、やがてうれしさを滲ませ、息子たちを見て口許に弧を描いた。その顔はどこか泣きそうにも見えた。
 朧も蓮太郎も、次第にサクラの言葉を理解すると、色違いの瞳でみつめ合う。
 勿論、蓮太郎にすれば願ってもないサクラの言葉であり、朧にとっても嬉しいことだ。互いの瞳に映る互いの顔が、笑みを象っていく。和らいだときの目許が良く似ていた。だが。
「そんなこと許せるはずないでしょうがッ!」
 怒りにも似た感情を宿らせて、一人の狐が声を荒げた。
 興奮して顔を赤くした老いた狐は、腰の曲がっている身体ですばやく立ち上がると、無礼を承知でサクラの前で立ち止まった。
「……なんや?」
 神はしかし、脇息に凭れ寛いだまま狐を見上げる。ほかの老狐たちも互いの顔を見合わせてざわめきたった。
「あなたはアヤカシを根絶やしにしたいんですか! 今でさえ昔に比べると数は減ってきてる。そこにほかの血を入れることは、私は断じて許せませんっ」
「誰も根絶やしなんて言うてへんやないか。それに、今のままやったら確実に血は絶えるで。よう考えてみいな」
 鼻息荒く自分の前に立っている狐に、サクラは「まぁ、落ち着きや」と座るように促した。よっと身体を起こすと、神は扇子を手で遊びながら続ける。
「血族婚ばっかりやと、そのうち生まれてくるもんに異常が起きるかも知れん。濃すぎる血は悪さしよるからな。それに薄まろうとなんであろうと、未来へつなぐのはこれから生まれてくるアヤカシや。死んでいくお前らの言うことを聞いて、幸せになれんのもかわいそうやろ。ここは一旦古臭い考えを捨ててみてもええんちゃうか?」
 言葉を一旦切ったサクラは、長老たちの後ろで話を聞いていた兄弟に視線を流した。
 勿論この兄弟が生まれたときのことも、サクラは知っている。
 朧も蓮太郎も生まれたときは皆に幸せを運んできた。誰もが笑顔で誕生を喜んだ。普段手荒な扱いをしているが、サクラは本当にこの一族を愛し、そして感謝している。
 だからこそ、幸せでいてほしいし、絶えてほしくない。
「朧は、色は違うけど、立派にアヤカシを受け継いでるやないか。力もお前の若い頃よりも大きいかもしれんで?」
「……朧は、出来損ないの狐や。私はまだあいつを一族やと認めてません」
「出来損ないて、こらまたひどいことを言う」
 老狐の言葉にサクラは大げさに驚いて見せた。
「お前らがどんだけ嫌がっても朧は仲間や。この子おるから蓮太郎は頑張れるし、朧も蓮太郎がおるから頑張れる。二人一緒でないと、あの子らは成長でけへんねん。朧を仲間やと認めへんのやったら、私の社はお前らには任さへん」
「……はい?」
「耳が遠くなったんか? 私の言うこと聞かんかったら、お前らはクビや」
 妖しげな笑みを湛えた月の瞳に真剣さを帯びて、サクラは言った。そのまま立ち上がり、突然大きな光の球を手の上で溢れさせた。
「しょうもないこと抜かすばっかりでおもんないわー。せや朧、蹴鞠でもするか?」
「け、けまりて……はぁ!?」
 上座から少し離れていた朧は、サクラが何を言い出したのか分からずぽかんと口を開いた状態だったのだが、そこにサクラは細く小さな足で光の球を蹴り飛ばした。
 しかしそれは思った以上に威力があり、朧はとっさに立ち上がって脚でけり返した――つもりだったのだが、どうしたことなのか、光は天井へとぶち当たった。
「やばっ」
 明らかに違う方向にとんだ球を見て朧が目を見張り、蓮太郎が小さく悲鳴を上げた。長老たちも何が起きたのかわからず、銀もまた手も足も出ない。
 直後、どかんと派手な音が全員の鼓膜を刺激した。
「ぐだぐだ言うならクビだけですまへんでぇ。私はな、今虫の居所が悪いねん」
 新たに光を作り出しながら、空が見えるようになった広間の天井を眺めて、神は嫣然と微笑した。

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