朧月夜に蓮華と愛

30.お別れと決意。


「あ、黙って出てきてしもうた……」
 どーん! とお城のような門を眺めて、蓮太郎がぽやっとした口調で呟いた。少し前に呼び出されて来たばかりの自分の生家を前に、蓮太郎の金色の瞳が不安げに揺れる。
 自分の中で何かが足りない。それは、いつも神社で会う相手がしばらく顔を見せてくれていないことが原因であると分かりきっている。ただ会いたくて仕方がない。自分で抑えきれなくて子供のように駄々でも捏ねたい気持ちにすらなる。
    しかし、もし成実が自分を必要としていないのであれば、それは押し付けでしかない。気が弱いせいで最後の一押しができない自分をふがいないと思うものの、それ以外にも考えなければいけないことがあって、余計に成実に対して何もできないでいる。自分と成実を取り囲む問題が一つでもなくなれば、それをきっかけに変われるのかもしれない。そう思えば思うほどいてもたってもいられなくなって、気付けば旅支度をしてここまで来た。大きなすげ笠の下で金色の瞳が意を決したようにきゅっと前を見つめた。
「よし」
 一つ息を吐いた後、蓮太郎は背筋を伸ばして歩き出す。白く優雅な歩き姿に門番が誰だと視線を投げるが、それがここの跡取りだと理解すると、慌てた様子で重く頑丈なそれを開けた。
 緊張して手が震える。知らずに眉間に深い皺を刻みながら蓮太郎は中に入り、そこに見える圧倒的な造りをした自分の家を見上げた。今自分が暮らしているあの家とは全く違う、更に大きな二階建ての屋敷。赤と金色を基調にしたそこを見上げて、思わず足が止まった。
「……朧、楓たちも、すぐに帰るから心配せんといて下さいね」
 辺りに蓮華が咲き誇る見慣れた庭を視界に入れつつ、蓮太郎は狐の本家に足を踏み入れた。
「ただいま戻りました。蓮太郎です」
 よく通る声にしばらくすると、ぱたぱたと数人が慌てた様子で廊下を走ってきた。楓たちによく似ているが幾分大きな子狐たちが、約束もなく帰ってきた蓮太郎に驚きを隠せないように三つ指をつき頭を下げた。その狐たちの頭の飾りに、蓮太郎が首をかしげた。
「なんでそんなんつけてるん?」
 みれば可愛らしい花飾りをしている。撫子の花を、結い上げた白銀の髪に織り込むようにして飾っているのだが、普段はそんなものをしていない。何か行事でもあるのかと蓮太郎が尋ねると、少し言いにくそうに一人の子狐が答えた。
「今日は、撫子様の輿入れです」
「撫子の?」
 あれっきり会っていない義理の妹の名前が出て、蓮太郎は心臓が跳ね上がる思いがした。ここに撫子を連れてきたのは朧だったので、解呪されてから蓮太郎がまともに会うことはなかった。操られていたときのことは記憶にないので、正直撫子に対しては未だに複雑なままだ。小さいころから知っているだけに簡単には見捨てることも、怒りを継続させることも難しかった。
 そして先ほどの言葉は一体どういうことなのだろうかと疑問がわきあがる。狐の輿入れは家をあげて行われるのに、自分には聞かされていなかったことにも蓮太郎は驚いていた。それにしても家の中が宴のような華やかな気配はない。せめてもの思いだろうか、子狐たちの衣装が少しばかり明るく、髪型もいつもよりも凝った印象があるくらいだ。自分が知らないのだからもちろん朧も知らないのだろう。最も知っていてもあの性格で撫子の輿入れに参列するかといわれたらそれもまずないのだろうけど。
 蓮太郎ははたと我に帰り、慌てて子狐の間をすり抜けて廊下を走った。後ろから名前を呼びながら追いかけてくるそれらを引き離すように、どこまでも続く磨きぬかれた歴史を感じさせる板の上を、気配を頼りにある一室を目指していった。御簾の降りた豪奢な部屋を幾つか通り過ぎ、裏庭というにはあまりにも大きな、しかし正面の門には通じておらず、質素な印象で屋敷の裏にある門に面している庭へ面している廊下に出た。
 そこには小さくても繊細な飾りを施した籠があった。白い装束を纏った狐が数人。どれも髪の毛や胸元、身体のどこかに撫子の花飾りをしている。そして見知らぬ紺碧の装束を纏った狐も数人いた。この屋敷を訪れるものであれば大抵知っているはずの蓮太郎でも見たことがない顔。それはどこかの、あまり交流のない一族なのだろうか。そうぼんやりと考えている蓮太郎の立っている少し先の御簾が上がり、手を引かれた誰かがゆっくりとした動作で現れた。それを見た蓮太郎が小さく息を呑んだ。
 白無垢を着込んだ撫子が、角隠しの下で長い睫毛を伏せがちにして手を引かれている。白無垢がどんなときに着るものなのかはさすがに蓮太郎も知っている。先ほど子狐たちが言っていたことはやはり本当なのだと、目の当たりにしてようやく金色の瞳が理解した。
「撫子……」
 無意識に唇を割って出た名前に、呼ばれた撫子が弾かれたように視線を上げた。金色の瞳が彷徨った後、蓮太郎の姿を視界に入れた。
「れんにいさま……」
 まさか会えるとは思っていなかったのは撫子も同じだろう。潤みを増してしまった瞳を見開き言葉も出ないのか、小さな声で呼びなれた名を唇に載せたっきり黙りこんでしまった。
 輿入れだというのに、撫子の顔はまるで生気がなく人形のように真っ白だった。とても幸せだと感じられるものではない少女の顔から、蓮太郎は目が離せない。
 そして周りにいる者も、誰も言葉を差し込まないでいた。撫子の輿入れは内密に行うものだったのだろう。まさか今このときに蓮太郎が帰ってくるとは思いもしなかったという動揺が見て取れた。視線を決して蓮太郎や撫子に合わせることはないが、二人の挙動にどうしたものかと思考をめぐらせてるようだった。
 気まずい沈黙をわずかでも慰めるように、温かな風が表の庭に咲き乱れる蓮華の香りを運んでくる。簡素で小さな庭には樹木はあってもたおやかに揺れる花はない。まるでそれがここがまさしく日の当たらない日陰のような場所として見えた。そんなところから輿入れをする撫子に、蓮太郎の優しい瞳が苦悩し歪む。
「撫子、どこに行くの?」
 やっと出た言葉はそんな、なんともなさけない言葉だった。家を離れてしまう妹に対して、もっと気の利いた言葉が出ないのかと自分でも呆れてしまう。蓮太郎の戸惑いの大きさを感じてる撫子は、蓮太郎の言葉に視線を俯け視界を狭めた。
「撫子? 返事してくれへんの?」
 自分がされたことでこうむった迷惑を考えれば、ここはたとえば何も言わずに踵を返しても誰も責めないだろう。だがやはり長い時間を共に成長してきて情のほうが蓮太郎は勝る。心底憎むことができない狐は、もう最後になるかもしれない妹の姿を目に焼き付けようとする。長い睫毛の下の金色の瞳がやんわりと細められる。
「撫子。綺麗やねぇ」
「……申し訳ありませんでした……」
 にっこりと笑った蓮太郎に向かって、撫子は視線を伏せたまま小さく泣き出しそうな声で言った。
「兄様には迷惑をかけてしもうて、ほんまにすみませんでした」
「うん……もうええよ」
 意識を戻したときも、蓮太郎は撫子に対して怒っていたのではなかった。ふがいない自分のせいで成実を悲しませたことに怒りを覚えていただけだった。撫子に対して何かを思わないでもなかったが、自分に対する撫子の気持ちを気付かなかったことも、やはり自分の落ち度だと感じる。何も返してあげられないことが申し訳なく、だがこれ以上撫子に期待をさせるようなことはしてはいけない。それも分かっているから、父親の判断に何も言わないでいた。
 白い花嫁衣裳を着た撫子をもう一度見つめながら、蓮太郎は静かに頭を下げた。
「このたびのご婚礼に際して、謹んで心よりお祝い申し上げます」
 頭の高い位置で結った白銀の髪が、さらりと蓮太郎の頬の横を滑り落ちる。視界を隠された蓮太郎の耳に撫子が小さく息を呑む気配が届いた。
「ありがとう……ございます。兄様」
 涙を含んだ撫子の声が蓮太郎の鼓膜を打つ。家族として育ってきた少女と良い関係を続けられなかった悔いが残るが、これも長として今在る父親の判断ならば、例え蓮太郎でも何もできなかった。狐の中で家長たるものは何よりも権限を持つのだから。だからこそ責任も大きく重圧もある。数の多い一族をまとめるのは楽ではない。
 適当な心で継いではいけないのだ。揺らぎを消しきれない弱い自分が顔を出しそうで、蓮太郎は頭を上げないまま撫子を見送った。
 ふうっと、大きくため息を落としながら頭を上げたところで、荒々しいほどの足音が聞こえぎょっと後ろを振り返る。そこで更に目を丸くして身を強張らせた。
 長身の蓮太郎よりもまだ更に大きな身体が視界いっぱいに入り込み、威圧されているようでなんとも居心地が悪い。本人は決してそんなつもりなどないのだが、いかんせん体格もよく背も高いとなればそれも致し方ないというものだった。
 自分の父親とは言え、いきなり現れた大きな身体からにゅっと伸びてきたしなやかで逞しい腕に、蓮太郎が小さく息を呑んで肩をすくめる。その縮こまった白銀の頭の上に、こちらもやや荒々しく思えるほどぽん!と手が載り、豪快にわしゃわしゃと撫で回された。
「蓮太郎やないかぁ。急に何の用事や? お父ちゃんの顔見たくなったんか? ん?」
 わははと笑う声も頭を撫でる手つきも優しいどころか荒っぽいほどであるが、その中に溢れるほどに愛情を持ち合わせてくれているのも分かっているから、蓮太郎は心から嬉しくて顔をほころばせた。
「はい。お父様にお話があって参りました。少しだけお時間をいただけますか?」
 高い位置にある父親の金色の瞳を見上げて、蓮太郎は穏やかに、しかし一本芯の通った声でそう言った。

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