朧月夜に蓮華と愛

19.外された視線。


「蓮太郎寝込んでるの?」
 二月も入り数日が過ぎた頃、成実が仕事帰りに神社を三日ぶりに訪れた。涼子は心配そうに眉根を寄せて、二人が立ち話をしている鳥居の下から社に向かって視線を流して言葉を返す。
「私もよく知らないんですけど、なんか儀式があったみたいです。狐たちにとっては大事なものらしいんですけど、それが終わってから寝込んじゃったって。疲れたんじゃないかって朧が言ってましたけど」
「そっか……じゃあ今日は会えないのかぁ」
 涼子の言葉を聞いて成実が思わずポロリと、とんでもなくしょんぼりした様子で呟いた。それはあまりにも悲しそうに涼子には聞こえた。
「今日の昼間、朧がだいぶ元気になってきたからって言ってましたし、もうすぐ会えますよ」
 成実のそのへこみ具合に涼子が元気付けようと何度も、大丈夫大丈夫と繰り返す。夜風がいつもより身に染みる成実は力なく笑うしかできないでいた。


 それから更に数日後の週末。涼子に誘われて買い物に行っていた成実が神社を訪れると、一人で蹴鞠をしている朧の姿が境内に浮かび上がった。黒髪に赤い瞳、濃紺色の甚平姿の黒い狐は、いつも通りの様子でふわりと鞠を蹴り上げて遊ぶ。小気味いい音をさせて高く蹴り上げては、くるりと一回転するように空を舞う様子は何度見ても綺麗だった。
「お、戻ってきたんかい。てか、お前家間違えてないか?」
 涼子の隣にいる成実を見て、赤い瞳は意地悪そうににやりと笑った。
「は? 何言ってんのよ。そこまでとぼけてないわよ私」
「いや分からんでー。自分が蓮太郎のこと好きやったんも自覚なかったやないか」
「ちょ! それ……っ。……確かにそう、だけどさ……」
 自分の鈍感さにもその点に関しては大いに反省したわよバカ! とは思うが、事実なだけに言い返すこともできない。じっとりと朧を睨みながら、成実は玉砂利を踏みしめて社のすぐ前に立つ。そして朧がいるなら今日は蓮太郎もいるのかもと期待に胸が踊ってしまうのを止められない。
 そんな成実の淡い期待は朧の言葉によって裏切られる。
「残念ながら、蓮太郎は来てないで」
「へ……。そ、そう……」
 誰が聞いても成実のかっがり感は声に現れており、涼子が思わず同情してしまうほどだ。愛らしい瞳を朧に流して問いかける。
「蓮太郎そんなに悪いの?」
「いやー……」
 朧は首をかしげてふわふわ浮いていた身体を地面に下ろし、わしゃわしゃと黒い前髪をかく。なんと言っていいのか分からないと言った様子だ。
「なんかなぁ。俺にもよう分からんねん」
「わからんって、どういうこと?」
 蓮太郎に何かよくないことでも起こっているのかと、成実も涼子も心配そうに眉根を寄せる。しかし朧は慌ててそれを否定した。
「ちゃうちゃう。蓮太郎の身体がどうとかそんなんじゃないねん。ただ、なんかぼーっとしてるねん。まぁ、元からそんなしゃきしゃきした奴やないねんけど、それでもなんかいつもと違うっちゅーか……元気ないていうたらそれまでなんやけど」
 言葉を選びながら、朧にしては歯切れの悪い表現に留まる。神社の中になんとなく沈黙が流れ、冷たい風が三人の間を吹き抜けた。
「なんともないといいんだけど……」
「そうですねぇ。私たちではどうしようもないことだし、心配するしかできないですよね」
 成実の呟きに涼子が小さく相槌を打った。朧はため息をつき眉間に皺を刻んだまま、自分たちの世界とつながるお堂を見やる。いつも一緒の白い狐がいないことは、この黒い狐の元気も多少奪っているようだ。
 成実が社の階段に腰を下ろして、今日も会えなかった蓮太郎のことを考える。頬杖をつきながら空を見上げると、成実の心とは間逆に、青く綺麗な空が視界に映りこんだ。涼子はいったん家の中に戻り温かい飲み物を準備すると言ったため、朧はなんとなく成実のそばに腰を下ろした。すっかりしょげ返っている成実を見る朧が、案じるように顰められた。
 そのとき、ふんわりと白い光が二人の前に生まれ始める。それは今から現れるだろう柔らかな白い狐の姿を思い起こさせるものだった。
「れ……」
 ぽかんとする成実と朧の前で、あっという間に蓮太郎は姿を見せた。いつもの白銀色の長い髪を頭の高い位置でまとめ、白い日本古来の装束の蓮太郎は、長い睫毛を伏せていたが、ふわりとそれを持ち上げて金色の瞳を成実と朧に向けた。
「蓮太郎、身体大丈夫?」
 成実が嬉しさのあまり、頬が緩んでしまうのを止められないまま言葉をかけた。久しぶりとまで感じるほど見ていなかった気持ちになる白い狐に、声も弾んでしまう。一方朧はなんともいえない顔つきで首を捻って白い姿を見つめた。
「蓮太郎?」
 成実の問いかけに、蓮太郎は返事をしないまま、どことなく力のない眼差しで見返しているようだ。日差しを受けて輝く白銀の長い髪が緩やかに靡ききらきらと光った。
 そのまま蓮太郎はすいと視線を成実たちから外すと、そ知らぬ様子であたりを確認するように瞳を廻らせる。
「ん? なんか探しもんか?」
 朧は立ち上がり蓮太郎のそばによりながら声をかけるが、やはり蓮太郎からの返事はない。朧に比べればおとなしい蓮太郎であるが、問われたことに対して無視をするような性格でもないので、この蓮太郎の仕種に朧がまた首を捻った。なんやこいつ、やっぱりしんどいんかいな。そんな視線で蓮太郎の整った顔立ちを見る。成実も同様に、蓮太郎らしくない態度に困惑してしまうのを止められなかった。
 それ以上声をかけるのを躊躇った成実は、黙ったまま白い狐に視線を留めている。朧も隣に立ったはいいが、自分など眼中に入っていなさそうな蓮太郎に対して、どうしたものかと考えあぐねている様子だ。
 きょろきょろと忙しく視線を巡らせていた蓮太郎が、無意識だろうか、その綺麗な形をした唇を動かした。
「撫子……」
「は?」
「え……?」
 小さな声だったので、一瞬聞き間違ったかと思ったが、成実の耳にも朧の耳にも一つの名前が聞こえた。思わず同時の聞き返してしまった二人に、蓮太郎は今度は交互に視線を止めて言う。しかしその瞳はぼんやりとだけ二人を捕らえている。
「撫子、どこですか?」
 撫子。その名前に成実も朧もきょとんとしてしまった。それって確か朧と蓮太郎の妹の名前じゃないの? と首をかしげてしまう。成実にとっては撫子の初対面の態度が自分に対してきついものだったので、正直良い感情を持つことは難しかった。しかし二人の妹だし、今度会ったときには少しでも仲良くなれればいいのだが、と、淡い期待もある。
 それにしても何か撫子に用事なのだろうかと思うが、蓮太郎の様子を見ていると、それともまた違うような気もする。
 切なそうに眉根を寄せた蓮太郎は、当てもなく彷徨う視線で撫子を探している。朧のことも成実のこともまるで興味がない。ただぶつぶつと口の中で何かを言いながら、時折聞こえてくるのは「撫子」という名前のみだ。
 成実はそれを見て堪らなく不安を覚えた。何がどうとか明確に理由を言えるものではないが、とにかく不安だった。
 いつもなら嬉しそうに笑って名前を呼んでくれるのに。穏やかに微笑んだ蓮太郎に会えると思っていたのに。なんでもない話をして、お互いに時間を分け合えると思っていたのに。
 蓮太郎の瞳が自分を見ていないようで、そして瞳に自分を映してくれていないことが堪らなく不安に思った。気付けば成実はきゅっと唇を結び、手にしていたバッグを抱き締めていた。立ち上がって蓮太郎の傍に行こうと思ったが、足が震えて立ち上がることができなかった。
 朧もまた、蓮太郎のいつもと違う様子をはっきりと感じて、腕を組みながら見つめる。頼りなげな瞳が撫子を探しているのも既におかしいし、そもそも、撫子に何の用事やねん。と、眉間の皺を解けずに考える。先日の、天狐としてのお披露目の儀式のときに撫子はいたし、そのときは蓮太郎自身も忙しくてなかなか話す機会はなかったかもしれないが、それでも合間に二人が会話をしているのを朧はしっかりと記憶していた。そして特に蓮太郎の行動も撫子の行動も気になるところはなかったのに。なのにこの執着すら感じさせる蓮太郎の態度はなんやねん。赤い瞳を眇めながら、白い狐を観察していた朧に、金色の瞳が縫いとめられる。
「撫子、隠してませんか?」
「……はぁ!?」
 思わぬことを言われて、朧の赤い瞳が真ん丸くなる。何を言ってるのか理解するのに数秒要したほどだった。しかし蓮太郎はきわめて真剣な様子で同じ質問をしてきた。朧は深々とため息をつき、仁王立ちで蓮太郎に向き直る。
「あのなぁ、なんで俺が撫子隠さなあかんねん。だいたい撫子俺のことめっさ嫌ってるやんけ。そんな奴にあの跳ねっ返りが言うこと聞くと思うか?」
 呆れた声音を隠しもしないまま言った朧に、蓮太郎がきゅっと眉間に皺を刻んで睨んだ。
「跳ねっ返りなんかやありませんよっ」
 蓮太郎にしては大きくしっかりとした声で言い返してきて。朧がぽかんとして、成実も突然のことに目を見張った。
「撫子は親もおらん中で寂しいんやと思います。だから強がってるだけなんです。僕が、守ってやらんとあかんのです。僕が……」
 言葉が少しづつ勢いをなくし、それと共に蓮太郎の視線が足元に落ちる。不安そうに伏せた視線は、心底撫子のことを気にかけていることを感じさせた。そしてその中に、他の感情も混じりこんでいるようにも、成実には感じられた。
「蓮太郎? お前……ほんまに大丈夫か?」
 朧は蓮太郎のこの変化に全く意味が分からないように、しかし真剣な表情の蓮太郎を茶化すこともできずに問いかける。蓮太郎が撫子に目をかけ相手にしてきたことはよく知っている。だが金色の瞳の中には、兄が妹を思うだけの愛情ではない何かがあるような気がしてならなかった。
   まるで、なんや好きみたいな……まさかなぁ。と、弱気ながらそんなことを思う。いやいや蓮太郎そんな器用な奴やないし、趣味はともかく成実のこと好きやったやん! 狐が狐につままれたように、おかしなことになっている蓮太郎を見て難しい顔をしながら、朧は何度も首を捻った。
 やがて蓮太郎はこちらには撫子が来ていないと納得すると、ふわりと姿を掠めさせた。無言のまま、自分と同じ色の白い狐の少女がいないことに落胆して、がっくりと肩を落としている蓮太郎は、何も言わずに白い光に包まれる。
 それを見て、成実が慌てて腰を上げた。
「蓮太郎、どこに行くの?」
 立ち上がったものの、近づく勇気がなくて成実はその場で声をかけた。声に不安が窺えるものの、存外にしっかりしたそれは確実に蓮太郎には聞こえたはずだ。その証拠に蓮太郎は金色の瞳を成実に止めて、互いの姿を認識して結ぶ。
 でも蓮太郎はその視線を極自然に、当たり前に逸らしてしまった。
 まるでそこには何もないといった様子で、長い睫毛を伏せて優雅に外した眼差しは、成実が理解する前に完全に光に包まれて、長身の狐はふわりと自分の世界に帰っていってしまった。

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