朧月夜に蓮華と愛

15.美しき狐兄弟の絆。

「また来ちゃったよ……」
 ぼそりと、思わず成実が呟いたのは鮮やかな桃色の空の下。吹き抜ける風は春のように温かく、そして心地がいい。
 記憶と何も変わらない金色と紫の流線がたゆたうその異界の空を見上げて、ぽっかーんと口をあけている成実に、朧が一発頭に衝撃を与える。
「あほ面やなぁ、その顔」
 パシッとはたかれた衝撃に成実が一歩前に飛び出るようによろめき、油断していたところだったせいか小さくむせ込んだ。咳払いをして見上げるように睨んだ朧は、もう既に成実から離れて屋敷の中に入ろうとしていた。
「ちょっと朧っ。あんたほんとに私をなんだと思ってるのよ! 女の子をそんな風に叩くとかありえないんだからね!?」
 ぷりぷりと怒りながらも、ここで離れてしまうのは得策ではないと思う成実は、慌てて黒い狐の後を追う。小走りで近づき立派な赤い廊下をこの間は楓にならって静々と歩いたが、今回は朧の荒っぽい足取りに影響されたのか、女の子としては少々はしたないほどの歩調でついていく。
「安心しい。俺はお前なんか女やとは思ってない」
 後ろから噛み付きそうに怒ってくる成実を、振り向きながら視界の端におさめた朧がにやりと意地悪な笑みを見せた。それがまた余計に成実を怒らせると分かっている黒い狐は、実に楽しそうに喉の奥でくつくつと笑いを零した。
「それどういう意味なのよっ。失礼ね!」 
 顔を真っ赤にして先ほどまで泣いていたとは思えないほど憤慨した成実が、身長の分だけコンパスの大きな朧に必死でついていく。艶のある廊下はよく磨きこまれていて、靴下で歩く成実は何度か脚を取られそうになる。
「好きなやつから女扱いされて大事にされるだけでええやんか。せやろ? 俺がお前を女扱いせんでも、してくれる奴おるやんけ」
 歩調は緩めず朧はそんなことを言い、長い廊下を右に曲がり左に曲がり進んでいく。もうどこを歩いているか分からない成実は景色を楽しむ余裕もない。しかし言われたことにきょとんとした後、理解すると顔を更に真っ赤にしてうろたえずにはいられなかった。
「だ、誰のこと言ってんの!?」
 とは、口で言うものの、頭の中にははっきりと浮かんでいるのだ。白く穏やかな姿が。鮮明に、誰よりも綺麗に浮かび上がるその姿に、鼓動が一気に跳ね上がる。それは朧もしっかりと分かっているのか、口許に意地悪な笑みを湛えて赤い瞳を細くする。
「俺がいちいち言わなあかんのか?」
「は……?」
「俺は言うてもええけど? なんならここから庭じゅうに聞こえるくらい叫んだろか? 名前」
「いや……あの、ね? 朧?」
 どかどかと歩いていた朧がぴたりと立ち止まり、成実を振り返る。その瞳に見据えられるように成実の脚も当然止まり、互いが口を開かないので妙な沈黙が垂れ込めた。
 視線を止めておけなくなって成実が揺れるままに落としていくと、朧が一歩成実に近づき、ひどく柔らかくその髪を撫でた。
「自分に鈍感なんも程度が必要やで。俺も涼子もとうに気付いてることを、何で本人がまだ気付いてないねん」
「お……朧……」
 じんわりと熱くなってきた頬を隠すように両手で覆いながら、成実は上目遣いで赤い瞳を何とか捕らえた。その視線の先の赤が呆れたように意地悪そうに、しかし優しく笑みの形に変わる。
「い、いつから……?」
「は?」
「いつから、私……蓮太郎のこと、その……好きだった……の?」
「……はああぁ!?」
 成実が振り絞るようにして零した言葉に、朧の目が落ちそうなほど真ん丸くなって、先ほどの成実ではないがぽっかーんと間抜けな顔になった。また妙な沈黙が垂れ込めたが、しばらくしてそれを破ったのは朧の笑い声だった。
 膝からくず折れるようにして腹を抱えて笑う朧に、成実はなんと言い返したらいいかも分からない。だってこれってすごい私の本心なんだけど、なんでこんなに笑ってるのよこの性悪狐!! と、思い、次第にまた腹が立ってくる。
「おま、なに言うてんねん。あほかっ」
 ひーひーと笑いながら朧は何とか言葉を成実へと返す。
「そんなもん、俺が知ってるわけないやんけ。ほんま……何言い出すかと思ったら、勘弁してくれや」
 思う存分笑い、しかしまだくすくすと小さく笑う朧が、ようやく立ち上がって成実に向きなおる。先ほどとは違う意味で恥ずかしくなった成実は、ぷいっと顔を背けて朧をみようともしなかった。そんな成実の様子を見て更に笑いを誘われたが、朧は何とかそれを我慢してまた成実の頭を軽く叩いた。あやすようにぽんぽんと。
「お前くらいのんきな方が、蓮太郎には合うかもなぁ」
「え……?」
「あいつビビりやし気にしいやし、まぁ優しいとか穏やかとか言えばそこも長所なんやけどやな。繊細なんやろうなぁ。だからお前くらいのんきに構えてるほうが一緒に慌てんでええんちゃうかってことや」
 にんまりと笑う朧の瞳を見返しながら、成実はまだイマイチよく分かっていない顔つきで黙る。 
 自分が例えば――いい加減そろそろ認めてはいるが――蓮太郎を好きだとして、それがどう発展するかなんて想像もできない。あっちは狐だし私は人間だし、だいたいどうすればいいのかもさっぱりだ。
 だから、思う。こんな感情を持ってはいけないと。蓮太郎は不思議な私の友達でなければいけない。その友達を傷つけたから、謝らなければいけない。それだけだと。
 朧が言うように、私たちはなれないんだと。成実は無意識の間に自分が傷つかないように壁を作る。それが滲み出るように、頬が強張った。
「ん? どないしてん?」
 ひくりと引きつった成実の顔つきに、朧が覗き込むように視線を下ろしてきたが、それを成実は慌てて回避した。ぎこちなく笑いながら、朧の横をすり抜けるように歩き始めた。
「もう、そんな冗談終わりにして蓮太郎のとこ行こうよ。私ちゃんと謝りたいし」
 涙が滲みそうになって、成実はそれを我慢するのに必死だった。朧に顔を見せないまま、すたすたと廊下を歩く。胸の中にある温かくて幸せな感情を、わざと押し殺してしまわなければならないのが、苦痛だった。
「……素直やないなぁ……」
 その後姿を見つめて、黒い狐はため息をついた。しかしそれ上は追及せず、成実と共にここに来た目的を果たすために、また歩き始めた。


 やはり成実にはどこをどう進んだのかはわからない大きな屋敷のある部屋の前。御簾の下ろされたその部屋の前で、朧は立ち止まり成実を見た。
「たぶんあいつここにおる」
 声を潜めて朧は成実の背中を押す。ここってなんなの?と思う前に、成実越しに長い朧の腕が伸びて、御簾を跳ね上げるように開け放った。
「こらぁ蓮太郎!!」
 突然の朧の大声に成実が飛び上がって驚き、御簾の向こうにいた蓮太郎も何事かと振り返る。白い尻尾が驚きのあまり一瞬にして丸まってしまった。
「な、なんですか!?」
 金色の目を丸くして朧をとらえ、その前にいる成実を見て、更に見張る。しかし何を言っていいのかも分からないように、言葉を出すことはない。そして成実も何から言っていいか分からないように視線を彷徨わせた。
 一方朧はいつもと全く変わらないまま成実をつれて部屋の中に上がりこむ。蓮太郎の隣に成実を座らせて、自分は向かい合うように腰を下ろした。
「このヘタれ! いちいちそんなことで悩むな!」
「え……?」
「俺のこと聞いたんやろ? 成実から」
 朧のこと。それだけで蓮太郎は長い睫毛を伏せる。成実も自分の口から出た言葉を思い出して視線を畳に落とした。そんな二人を見て、朧が大きくため息をついた。
「あのなぁ。そんな悲しいもんちゃうからな? 俺な……」
「せやかて!」
 あっけらかんと言う朧に、蓮太郎が遮るように言葉を投げる。一瞬朧が目を見張り、だがそれ以上は何も言わず蓮太郎の言葉を待った。金色の瞳を伏せたまま蓮太郎は弱々しく、戸惑いながら口を開いた。
「僕、お父様とお母様と、ほかにもようさん、人がおって……大きくなりました。みんな可愛がってくれて、そら跡継ぎやしどんなあほでも可愛がってくれるかも知れんけど、でも幸せで……苦労とか、なんもなくて」
「おう、ええことやないか。なぁ? 成実」
 世間話でも聞いているように朧は相槌を打つ。
「うん……それは、いいことかと……」
 成実も朧にふられたものだから、そこは言葉を挟んだ。蓮太郎はそれを聞いて小さく頭を振った。
「僕がそんな風に育ててもろてる間、朧はずっと隠されて来たんやて、さっき成実さんから聞いたら、もう……申し訳なくて……なんて謝ったらええのか、分からんくて……」
 眉間に皺を刻んでいた蓮太郎が更にきゅっと目を瞑り、顔が見えないほど俯いてしまう。自分の幸せの後ろに、朧の生い立ちや育ちがあったということが何よりも申し訳なく、蓮太郎の気持ちを沈ませてしまっている。しかしそれはもう今更どうしようもないことで、それを知らなかった蓮太郎には何の罪もない。落ち込んでいる白い狐を見て、成実はやはり自分が言わなければこんなに悩ませることもなかったと、心が痛んで仕方がなかった。
 すっかり言葉をなくした蓮太郎と成実を赤い瞳がしばらく見つめていたが、その瞳の中には優しい色が滲み、そして嬉しそうに笑み崩す。
「蓮太郎やさしいなぁ」
「……え?」
「俺のことそんな考えてくれて、おおきになぁ。でもなぁ。俺結構楽しかってん」
 にこにこと子供のように朧は笑った。そこにはやはり嘘などない晴れ渡った気持ちが宿っている。組んでいた胡坐を解き、片方の膝を立ててその上に頬杖をつきながら、懐かしそうに朧は話し出す。
「俺のおかあちゃん、当たり前やけど成実らの世界で俺を生んで、俺が子供のうちに死んでしもうてん。その後はこっちの世界にお父ちゃんが引き取ってくれたんやけど、山の中に小さいけど住み心地のいい家建ててくれてな。そこに俺の世話してくれる人置いてくれたわ。たまにお父ちゃん遊びに来てくれるし、山の中駆け回って遊べるし、夏は河童と泳ぎで競争してみたり、冬には雪女とかまくら作ったり、もう年がら年中遊んでたわ」
 河童、雪女。なにその異色の組み合わせ。成実は自分の耳を疑いながら朧の話を聞く。まぁその話をしているのが黒い耳と尻尾を持つ妖狐なのだから、それも不思議ではない気もするのだけど。
「だからな、俺のことでそんな考え込まんでもええねや。俺は俺で結構楽しく大きくなってきたし、別にお前のせいでも何でもないんやし」
 金色の瞳を見つめて、朧は明るい性格そのものの笑顔を見せる。蓮太郎と似ているが色の違う瞳が細められ、長い腕を伸ばして白銀の髪をわしゃわしゃと撫でた。されるがままになっている蓮太郎が、その手の暖かさに睫毛を震わせて瞳を潤ませながら、ゆっくりと頭を下げた。言葉はないがそこには朧に対する感謝が滲み出ていた。それだけで通じ合っている兄弟は、少しばかりこじれてしまった糸を解したのだろう。
「ってことで、俺の話はこれで終わりやで。昔はなんであれ今はお前の目の前におるんやからええやないか。次は、成実と蓮太郎の番やな。……ほな、俺ちょっと腹減ったからなんか食べてくるわ」
 話が終わるや否や朧はすいと立ち上がり、さっさと部屋を出て行こうとした。そして御簾を下ろす寸前、いつもの悪戯っこのような笑みを見せる。
「ええ加減なんか進んでくれてもええねんで?」
 意味深過ぎる言葉に、成実も蓮太郎も今までの会話との違いにふたりしてぽっかーんとするばかりだった。というかそれしかできなかった。

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