朧月夜に蓮華と愛

12.相容れない関係と相容れそうな関係。

 その明らかな敵意を見せる眼差しの前で、成実は言葉を出すことができないまま、しかし視線を逸らすこともできないで、息を呑んだ。
 蓮太郎と同じ色の瞳で、これほど厳しい色を滲ませて睨みつけられるのがいたたまれない。と言うか、初対面なのにどうしてこんなに睨んでくるのかもさっぱり分からない。
 呼吸さえ苦しくなりそうなその視線を、成実の後ろにいた朧も感じたのか、大きくため息をついて遮った。
「撫子、何でもかんでも睨むなや。成実ビビってるやんけ」
 撫子。そう呼ばれた少女が成実から視線を外し、背の高い朧の分だけ瞳を持ち上げる。しかし敵意は一向になくならずそのまま朧の赤い瞳を睨んだ。
「別に睨んでへん。朧のクセに私にえらそうに言わんといて」
 先ほど蓮太郎を呼んだときと同じ可愛らしい声だが甘えるような丸みはなく、刺々しく聞こえる。蓮太郎の妹のはずならば朧の妹でもあるはずなのに、撫子は朧を呼び捨てにして尚且つ嫌悪感さえ滲ませている。
 この関係、ややこしくない?
 成実がぼんやりとそんなことを考えていると、蓮太郎が慌てたように撫子を自分の後ろに下がらせた。
「こら撫子、そんなこと言うたらあきません。朧もお前のお兄ちゃんなんですから。それに成実さんをなんて目つきで見てるんですか」
 撫子を大きな背中に隠して、蓮太郎は何度も成実に頭を下げた。恐縮しきってしまっているその様子は、なんだか可愛いもので思わず笑ってしまいそうだったが、背中から顔を出している撫子がまたじろりと睨んでくるものだから笑うに笑えず、どんよりとした空気が四人を包み込んだ。
「蓮にいさま、この人間はなんなの?」
 大きな瞳で見上げる撫子に問われ、蓮太郎がふと視線を成実に流した。その長い睫毛に囲まれた瞳が優しさを滲ませ、それからふんわり、穏やかに笑みを零す。その笑顔は今まで見てきた蓮太郎のどの笑顔とも違う、優しく温かく、成実に向けられる特別な感情を、蓮太郎でさえ気付かないうちに宿していた。
「成実さんは、最近僕たちと仲良くしてくれてはる人ですよ。撫子も挨拶してくださいね」
 艶やかな撫子の髪を撫でて蓮太郎は言う。しかし撫子は厳しい視線を解かず成実を睨みつける。きゅっと唇を噛み、眉間に皺を刻みながらぷいっと顔を背けた。
「人間と仲良くする必要なんてないもの。私この人嫌い」
 はっきりと言った撫子の言葉はいくら成実でも傷つかずにはいられない。確かに人間と関わりを持つのはいいことではないとサクラも言っていたし、いやならそれでもかまわないけど、でも言葉にされると悲しくもなるし嫌な気持ちになってしまうのは止められない。
 何も言えなくなってしまった成実は、睫毛を伏せてその場をやり過ごすしかなかった。蓮太郎は撫子を悲しそうに見つめ嗜めるが撫子は顔を背けたまま拗ねている様子を見せた。それを見ていた朧がむっとしたように瞳を歪め、蓮太郎が撫子にしているように成実を長身の身体で隠すように庇った。
「撫子言い過ぎや。成実悪いわけちゃうやろっ」
「朧……?」
 濃紺の甚平の背中で視界を遮られ、成実はキョトンと目を瞬かせた。大きな背中がやけに温かく思えた。
 撫子は朧の言葉を鼓膜で受け止めると、更に嫌そうに眉根を寄せて蓮太郎からすり抜けるように前に出る。さらりとした、質の良さそうな藤色の装束の裾が動きにあわせて柔らかく揺れた。
「朧は私らと違うから人間と仲良くしててもええやろうけど、私らは人間なんて必要ない。朧みたいな妖狐の誇りのない出来損ないと一緒にせんといて!」
 朧の生い立ちを知ってる成実も思わず目を見張るほどきついことを言い、撫子は白い燐光を残して姿を消した。そのとき顔を覗かせていた成実を睨みつけ、嫌悪感を刻むようにしていたのもはっきりと見て取れた。人外のものからのその眼差しに成実は恐怖にも似たものを感じて、自分でも気付かない間に朧の服の袖をきゅっと握った。
 気まずさしかない空気を残して去っていった燐光の名残を目で追いながら、蓮太郎が深々とため息をつく。俯きながら髪をかき上げて、がっくりと肩を落とした。その尻尾がすっかり丸まってしまっている。
「成実さん……」
「な、なに?」
 視線を持ち上げた蓮太郎の表情は暗く、成実は言葉を見つけられない。穏やかな笑顔の蓮太郎しか殆ど見たことがないだけに、この表情は胸に来るものがあった。
「ほんまにすみません。撫子のこと。それに、朧もすみません」
 長身の身体をちぢこめるようにして蓮太郎は頭を下げた。
「私は……うん。大丈夫だよ」
 本当は嫌な気分なのだが、それで蓮太郎にあたるなんて筋違いだし、そもそも蓮太郎は悪くない。成実は少し強張る顔をなかば無理矢理笑顔に変えて微笑んだ。朧はまだむっとしたままであるが、しかしその感情の行方は蓮太郎ではない。それだけははっきりとしているので、黒い狐の怒ったような顔も次第に薄れて呆れたものに変わる。
「俺に対して撫子がああなんはいつものことやないか。気にせんでもええねや」
「はい……でも、朧も撫子の兄様なのは変わらんのに、いつまでも変なことにこだわって……」
 言葉に力がなく、明らかに蓮太郎は困っているようだった。朧が人間と狐の間に生まれたことを知ってはいるが、だがやはり全てを知らない成実は口出しすることではないと黙った。軽はずみなことを言っていい話でもないのだし、この件の関しても、何を言っていいのかも正直分からなかった。
 神妙な顔つきの蓮太郎と成実とは反対に、言われた朧は実にあっけらかんとして、いつものように笑う。
「気にすんなって。俺が撫子の言う完全な狐やないってことは事実なんやからしゃあないやん」
 強がりでも何でもないまっすぐな朧の顔と言葉に、蓮太郎は悲しそうに微笑む。金色の瞳がはかなく揺らめき、うっすらと滲んでいるものが見えた。
「僕は、朧はちゃんとした狐やと思ってます。僕なんかよりずっと強いし、それに僕なんかより、長になるべきやとも……」
「あほか」
 蓮太郎の言葉を遮るように朧が鼻で笑い一蹴した。切れ長の赤い瞳を蓮太郎に縫いとめたまま、ずかずかと歩み寄ると、気前よく蓮太郎の頭をはたいた。すぱーん! と境内に音が響き、その衝撃に蓮太郎が思わずよろめく。
「お前が跡継がな誰が継ぐねん。弱気なこと言うのはかまへんけどやな、自分を落とすような言い方はするな。せやないと一発くらいですまへんからな!?」
 手に青い炎を滾らせて、朧の赤い瞳がうっすらと笑みを孕む。もともと妖艶な赤い瞳に更に妖しさが増し、成実が無意識のうちにその瞳に魅入られるように息を呑んだ。 
 そのまま朧は、声だけはどこまでも気楽に話を続ける。
「それに俺はもしその資格があってもやな、めんどくさいことは嫌いやから跡継ぎなんかにはならん。だからお前しかおらんねん。せやから、頑張れ蓮太郎」
「朧……」
 叩かれた頭を押さえながら、蓮太郎は涙を滲ませた瞳で黒い狐を見る。揺らめく瞳の中には親愛の情が溢れんばかりに湛えられている。しばらく黙っていた蓮太郎だが、やがて気弱になっていた自分に活を入れるように小さく頷き、そのまま姿勢を正して朧に向き直ると、優雅な所作で頭を下げた。
「変なこと言うてすみません」
「ん。分かればええねやー」
 蓮太郎が頭を上げると朧は心底嬉しそうに笑い、わしゃわしゃと白銀色の蓮太郎の頭を撫でた。
「ほな俺ちょっと帰るわ。後は若いもんに任せるから仲良くやってちょうだいやー」
 突然くるりと成実に向き直った朧がにぱっと笑ってそんなことを言う。言っている意味が分からない成実が首をかしげて怪訝な顔になると、今度は蓮太郎に向かって朧は口を開いた。
「撫子とお前があんまり仲良さそうに見えたから、成実がやきもち焼いてたで。女の嫉妬は怖いから、小さいうちに消しとかななぁ。モテる男は辛いなぁ蓮太郎?」
「……は?」
「お、朧……あんた……なに、言って……」
 そ、それって私が蓮太郎を好きだって言ってるようなもんじゃないの何言ってくれんのよこの性悪狐!! と、思うものの、朧の発言で頭の中がバグってしまった成実は言葉を出すことができないままあわあわと唇を震わせているしかできない。
 一方の蓮太郎も段々と朧の言った意味を脳が理解するにしたがって、顔を赤くしておろおろとしてしまうようだ。何を言えばいいのか分からないのは人間も狐も同じらしい。
 そんな二人を見た朧が、笑い転げながら姿を掠めさて消えていく。どこまでも明るく悪戯好きの狐の残していった言葉のおかげで、成実と蓮太郎の間に先ほどとはまた違う意味の沈黙が漂い、しばらくの間は黙り込んで視線を彷徨わせながら、寒さも気にならないほど互いの気配だけを感じることになった。 

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