朧月夜に蓮華と愛

11.もう一人の狐。

 とある休日の朝。
 成実は部屋の中で、詳しくはベッドの中でごろごろとだらけていた。外は寒いが晴天で風もあまりなく、他の家々では洗濯物が弱い冬の日差しの中でたゆたっていたりする。
 しかし独り暮らしの気楽さにかまけて一人うだうだと過ごす成実には、そんな気力はないようだ。確かに温かいベッドの中は気持ちがいいし、まどろんでいるのも悪くはない。髪もぼさぼさのまま気に入りの枕を抱きこんでうつ伏せでゆったりと息を吐き出した。
 だがまどろむ中でも心の中では、あの黒と白の狐たちのことを考えられずにはいられなかった。
 朧の生い立ちのこともそうだが、自分が最近何かにつけて蓮太郎のことを考えていることに、そろそろいい加減気付いてしまっていたのだ。
 あの白く優しい狐はいつも穏やかで、顔を見るだけで胸の中がほのかに温かくなる。ゆったりと話す普段の声音に、慌てたときの声、表情。一度しか見たことはないが、厳しい顔をして話した声音。何もかも成実のなかで降り積もり柔らかく重なってきた。
 見上げなければいけないほどの長身に、白く長い睫毛に囲まれた金色の瞳も、ふさふさの尻尾に三角の耳。
 出逢って数ヶ月、じわりとしみこんでくるあの存在感はなんともいえないものだ。
「なんか、変だよね私……」
 だって相手は人間じゃないんだよ。狐なんだよ。なんでこんなに気になってしまうんだろう。その理由を知りたいじゃない?
 寝返りを何度も打ちながら成実はそんな、理由なんてない感情について考えをめぐらせた。目が覚めてからたっぷり一時間以上そんなことをして、やっとのろのろと身体を起こしてベッドから離脱する。もともと起きた時間も早くはなかったので、時計は既に12時を少し回ってしまっていた。
 パジャマ姿で歯磨きをしながら冷蔵庫の中を物色する。あまりモノが入っていないそこには朝食兼昼食となるものは見当たらなかった。
「買い物いくかなぁ……」
 もごもごと歯ブラシを加えたまま独り言を言いつつ、成実の休日が改めて始まる。


 気温は朝に比べれば少し上がっているのか、陽射しのある場所では身を震わせるほどではない。駅前にある少し大きなスーパーで買い物をしようと、成実は散歩も兼ねてのんびりと歩く。人通りの少ない神社への道を、もはや当然のように無意識に選んでいるあたり、それだけ狐たちに馴染んでいると言うことなのだろうが、とかく自分に関して鈍感な成実はそれもまた気付いていない。
 低い冬の空と、年月を重ねてきた古い屋敷や、その中に新しく、しかし違和感なく立ち並ぶデザインの家を眺めながらゆったりとした歩調で、神社の鳥居の前まで来た成実は当然赤いそれの向こうに、見えはしない相手を探すように数段ある階段を上がった。が。
「女の子……?」 
 誰もいないと思ったのに、境内の中にいたのは一人の少女だった。女性と言うにはまだまだ若いし、涼子よりも幾分年が若そうな女の子。藤色を基調にした艶やかな中に可憐な印象の、巫女のような形をした装束を着ている。が、何よりも成実の目を引いたのはその少女の造作だった。
 白金の長い髪の毛に白い尻尾と大きな頭の三角の耳。どう見てもそれは人間ではなく蓮太郎たちの一族だと分かる。そして横顔しか成実から確認できないのだが、その横顔ですら整っていることがはっきりと分かるほど綺麗だった。
「誰なんだろ?」
 鳥居の陰に隠れるようにして少し近づき、成実が見つめる中、その少女は可愛らしい声を境内で響かせた。
「蓮にいさまぁ」
「に、にいさまぁ?」
 自分の耳に届いてきたその言葉に成実がきょとんとなる。兄様ってこと?つまりはお兄ちゃんで、「蓮」ってことは蓮太郎ってことなのかしら。ってなるとあの子は妹なの?
 じっとその白い少女に視線を縫いとめたまま考える成実の前で、その声に反応するように白いものが何もない空間から生まれ、そして形を造っていく。その、10秒もない時間で姿を現した白く長身のその姿に、成実の心臓が一瞬大きく鼓動を打つ。
 明らかにどきどきしてしまっている自分の胸に、成実は知らぬ間にぎゅっと手を握り胸元に押し当てる。甘さを持つその鼓動が落ち着かなくて仕方ない。
 目に映る蓮太郎は、金色の瞳を優しく細めて少女の頭を柔らかく撫でた。その手つきは愛情に溢れたもので、蓮太郎がいかに少女を可愛がっているか、たった一つの小さな仕種で理解できるほどだった。
 鳥居の影から楽しげに話をしてる二人を観察している成実は、動くに動けなくなってしまいどうしたものかと考えを廻らせるが、今更出て行くこともできないので、まるで何かやましいことがあるように身を隠していることしかできなかった。が。
 息を潜めて身を小さくしている成実の後ろに青いものがふわりと揺れた。しかしすっかり白い兄と妹に意識を持っていかれている成実はそれに気付かない。瞬く間に姿を現した朧が赤い瞳をじっと成実に注ぎ、そして意地悪そうに尻尾をゆらゆらと揺らしながらにんまりと目を細める。気配を消したまま地面数センチの上をするりと滑り身体を折り曲げるようにして、成実の耳元へ綺麗な形の唇を近づけた。
「盗み見は悪趣味やでぇー」
「ッきゃあああああっ!?」
 突然低くよく通る声が鼓膜を打ち、口から心臓が飛び出しそうなほど驚いた成実が、自分でもまた驚くほど悲鳴を上げた。目を見開き一瞬にして鼓動が限界まで上がり、もう何がなんだか分からない状態になってしまい、振り向き顔を確認してもこわくて尻餅をついてへたり込む。
「ちょっ! 声でかいわ。あーびっくりしたぁ」
 驚かせた朧もまた成実の声に驚いてビクッと飛び上がった。尻尾を一瞬丸くして大きな耳を手で押さえつける。
「あ、あ、あんた……。なにして……」
「なにて……お前がなんかこそこそしてるから声かけただけやないか」
 よほどうるさかったのだろうか、頭をぷるぷると振りながら朧が目を眇めた。長身の身体を丸めていたが、少しすると落ち着いたのかすいと姿勢を正した。かと思うと、また屈みこみ、へたり込んでいる成実の手を取り立ち上がらせてくれた。
「こ、こそこそなんてしてないわよ」
「ほななんでこんな所におんねや?」
「それは……なんか……その……」
 確かに隠れてしまっていたし、何も言い訳が出てこない。もごもごと口の中で何かを言っている成実に、朧が意地悪ではあるが優しい色を滲ませて頭をぽんぽんとあやすように叩いた。
「なんも隠れることあらへんがな。ほら、行くで」
「え!? ちょ……行くって」
「あいつらのとこに決まってるやろ」
 戸惑う成実にかまわず朧がぐいっと手を引く。そんな出て行っていいものなの? なんて考える暇もなく、朧に掴まれた腕をどうにもできない成実が転がるように鳥居の影から出て行く羽目になってしまった。
 玉砂利の敷かれた境内はいやでも足音がしてしまう。いやもともと叫んでしまったし隠れている必要もなくなったのかもしれない。それに元々人間よりも聴覚はいい――と勝手に成実が思いこんでいるのだが――狐二人はしっかり聞こえていただろう。騒がしく出てきた成実と朧にさも当たり前のように視線を流してきた。
「あ、成実さん。こんにちは」
 蓮太郎の澄んだ瞳が成実を視界に入れると、ふんわりと笑みの形に変わった。それに成実がまたドキッとしてしまって頬が熱くなるのを感じる。
 なんなのその優しい笑顔は! と、恥ずかしくて思わず口から出そうになったツッコミをごくりと飲み込んで、とりあえずは何もないように成実は微笑んだ。
「……こんにちは」
 本当はこんな赤くなっている顔をみられたくはない。何を思われるんだろうと不安を感じずにはいられないが、視線を逸らすのも挨拶をしないのも失礼だし、でもでも絶対顔赤いよねなんで私ここにきたの。こんなのって、そんな、信じたくないけどさ……。
 一人考えの渦の中に落ちていきそうな成実が堪らず視線をぎこちなく蓮太郎から外す。白い狐の隣には、同じように白い狐がいる。こちらは女の子だが。その子に視線を止めた成実だが、今度はぎょっとして目を見開いた。
 蓮太郎と同じ金色の瞳がじっと成実を見ていたからだ。しかもどう考えてもそれは睨んでいる。長い睫毛の下の人外の色をした瞳は、明らかな敵意をむき出しにして、瞬きもしないまま貫くような視線を送り続けていた。

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