朧月夜に蓮華と愛

3.狐と神様の思惑。

 夜になり今日はいつもより早く帰り道にたどり着いた成実は地元に駅についた途端、駅のホームで涼子に会った。
「あ」
「あ」
 二人とも視線が合うなり同時に短く言葉を零す。それから少しぎこちない様子で頭を下げた成実とは対照的に、涼子は見るものを思わず笑顔にさせるくらいに朗らかに微笑んだ。
 大きな瞳の目尻が下がり、柔らかい印象がいっそう柔らかく、そして子供のように愛らしさを増す。顔の造作がずば抜けてかわいいという訳ではない涼子の、この愛らしさはどこから滲み出すのだろう。と成美がぼんやり考えたくらいだった。
「成実さんいつもこの電車なんですか?」
 人の間を器用に、小走りで寄ってきた涼子がにこにこと笑って問いかける。
「ううん。いつもはもう少しだけ遅いかなぁ。今日はたまたま早かっただけ。涼子ちゃんはこの電車なの?」
「はい。学校からまっすぐ帰って来ると大体この時間ですね」
 地元が遠く離れている成美にはよく分からないが涼子の制服には見覚えがあり、噂程度で進学校であることは知っていた。極普通の学力の学校に通って卒業した成実は放課後なんてバイトか遊んでいただけなのに、と少し遅いだろう涼子の帰宅時間に感心した。
 何となく帰り道が同じなこともあって、そのまま並んで改札口を抜けて歩く。
 横を歩く、見れば見るほどどこにでもいる女の子の涼子と、あの妖しげな狐たちと神様が結び付かない成実は、歩きながらいくつかの質問を投げ掛けた。
 話によると、小さい神社ではあるが歴史自体は古いらしい。涼子が生まれたときにはすでに朧も蓮太郎も神社を守る立場にあったらしく、父親に聞いてもいったいいつからあの人外の存在がいるのかは定かではなかった。しかし狐たちは涼子と家族まで守護してくれていると涼子は言う。
「何がといわれたらうまく言えないんですけど、でも気配とかで、離れていてもいつも朧たちがいるのは分かるんです」
 にっこりと涼子が笑ってそんなことを言うが、人外の存在を初めて見た成実には全くもって信用できないことでもあり、ただ頷くしかできない。
 因みに狐には「格」のようなものがあり、朧と蓮太郎は「野狐やこ」という一番下に当たるらしい。年月を重ねていくとその「格」は上がり、そして蓮太郎はなにやら狐の一族を治める者の資格を持つとかなんとか。その辺は涼子もあまりよく知らなかった。
「じゃあ、朧は?」
 成実が何となく聞くと、涼子は愛らしく首をかしげて「んー」と少し考えた。
「そこまでは知らないんですけど、蓮太郎を守るのが役目だとかいつも言ってます。確か朧の方がお兄ちゃんなんですけどね」
「……おにいちゃんって、あの二人……兄弟なの!?」
「え? そうですよ? よく似てるじゃないですか」
 成実が驚いた声を上げると、涼子が意味が分からないといった様子でまた首を傾げた。
「似てる……? どこが?」
 黒と白という、まったく似ていない色もそうだが、明らかに性格も違うし、成実には何がどうなっても似てるなんて思えない狐たちだった。
 しかし涼子はにっこりと笑って返す。
「笑顔、そっくりですよ。優しいんです」
「えがお……」
 笑顔なんて蓮太郎はともかく、朧のなんて見た記憶ないよってくらいだし、いやいや確かに笑ってたけど、意地悪っぽいというかなんというか。しばらく真剣に成実は考えてみたけれど、やはりどれだけ考えてもあの二人が似てるなんて結論には至らなかった。
 主に狐たちの話をしているうちに、駅から程よく離れた静かな道に入り込んで、次第に見えてきた生い茂る木々が視界に入り込んできた。成実も涼子も気付いて、そして涼子に誘われるまま、成実は赤い鳥居を潜った。
 赤い鳥居が外との見えない壁になっているのか、それを潜り抜けた途端、境内にぼんやりと青い火がいくつか浮き上がり、その中で黒い尻尾を優雅に躍らせて朧が舞い上がるかのように空へと身を跳ねさせていた。
 頭の高い位置で結われた長い髪も夜風に靡き、羽毛のような軽やかさで宙返りをして見せた朧が、長い脚で器用に鞠を蹴ってる。テレビでしか見たことがないが、これは昔の蹴鞠なのだろうか、と、成実はぼんやりと夜空に浮かんだ朧が美しい模様の鞠と戯れている様子を眺めた。
 小気味良い音をさせて鞠を蹴っていた朧がふと赤い瞳を地上へと落とし、涼子と成実を見つけると鞠を片手で受け取り降りて来る。周りにいくつもの青い火を従えながら髪と尻尾を揺らめかせてる。それは星の小さな瞬きを抱いた空を背にして荘厳にも見え、しかし今日の朝も見た少しやんちゃな感じの姿は、やはり人外で三度目になっても妖しさを感じてしまう成実とは対照的に、涼子は慣れた様子でにこやかに笑った。
「ただいまぁ、朧」
「おー、おかえり。……なんや、まーたお前来たんか」
「またって……ほんとにいちいち腹が立つわね、あんたの言い方」
 ぶしつけな視線と言葉に成実の顔がむっとなり朧を睨む。
「そんな怒ることちゃうやろ? 皺ふえるで?」
「……あんたの言葉が腹立つのは関西弁だから? それともあんたの性格の悪さが滲み出てるせい?」
「関西弁も俺の性格もええもんやで? 単にお前の性格の悪さちゃうの」
 にやりと朧は笑って見せる。赤い色を挿している赤い瞳が長い睫毛に囲まれて意地悪げに細められている様は、からかいの色を隠しもしないまま成実を見て更に笑みの形に変わった。
 それ以降無言で半ば睨み合うように視線を重ねている二人に、涼子は呆れたように笑い、そして社の屋根に向かって声をかけた。
「蓮太郎? いないの?」
「いますよー」
 涼子の呼びかけに朗らかな声が聞こえ、これまたふわりと屋根から何かが下りてくる。白い輝きを持ってそれが涼子の前に姿を現した。
「涼子、おかえり。成実さんも」
 にっこりと金色の瞳が優しげに笑んだ。白く大きな尻尾と耳がやはり妖しいが、それでも優しさと穏やかな雰囲気があるせいか、単に色のせいなのか、そして単に単に見慣れたのか分からないが、少しだけ成実は肩の力を抜いて微笑んだ。
「こんばんは」
 そんな成実を見て、朧が凛とした眉をひくりと動かした。
「なんか俺のときと態度ちゃうやないか」
「そう? だってあんたと違って優しいもの」
「は? 俺かて優しいわっ」
「……どの口が言ってんのよ」
 朧の言葉に成実が「は?」と首を傾げた。それに朧はまた眉を動かす。重さなどないような動きで成実に近づくと、その赤い瞳で見下ろして不機嫌そうな声を零した。
「どんくさいお前がこけそうになって助けたったん俺やないか」
「なっ……どんくさいって何よ!?」
「どんくさいやつほどそうやって怒るよなぁ。ほんま」
「はぁ!? そんなことないわよッ」
「だーかーらー、そんな怒ったら皺増えるて。もう若ないんやから」
 成実がいちいち反応するたびに、朧は面白そうにニヤニヤと笑みを浮かべて言葉を返す。それをやはり半ば呆れたように涼子は大きな瞳で見つめ、蓮太郎はなんとなくはらはらした様子で眺めていた。
 そこに、またふわりと赤い気配がやってくる。夜の闇がだんだん濃くなってくる時間帯に浮かんだ赤い光は、朝見たときよりも妖艶に見えて、成実がビクッと身体を強張らせた。
「ほんま今日は賑やかやなぁ」
 鈴の転がるような声に、また光が変化へんげを遂げて人の形に変わる。銀色の瞳をなにやら楽しげに細めた神様、サクラが姿を現して、と思ったらいきなり朧に向かって持っていた鞠を投げつけた。
「おわッ。お前何すんねん!!」
 まっすぐに飛んできたその鞠を、身を仰け反らせるようにして避けた朧が目を剥いて反論するが、サクラはたいして気に留めていないように視線をちらりと廻らせただけで、そのまま朧の横、すなわち成実の前に降りて来る。
「あんた」
 可愛らしい容貌とはかけ離れた、その銀色の突き刺すような眼差しに、成実は何も言えないまま視線を交錯させる。そんな成実の前に立ってサクラはしばらくしげしげと眺め、そして静かな声で尋ねた。
「なぁ、この子ら怖くないの?」
「はい?」
「だから、朧と蓮太郎のこと怖くないんかって」
「怖くない……こともないですけど……」
 この銀色の瞳の前では、嘘をついてもすぐにばれてしまうと成実は感じて、正直に言葉にした。その言葉に涼子も朧も蓮太郎も特に何も返さない。ただ黙ってサクラのしようとしていることを見守っているという感じだった。
 サクラはじっと成実を見つめてまた口を閉ざす。何もかも見通してしまう輝きを持ったその刃物のような瞳をわずかに細めた後、小さく笑った。
「正直なんは良いことやねぇ」
 穏やかさを感じさせる声音に、成実が思わず肩の力を抜いた。朧も蓮太郎も人外のもので妖しさと怖さがあるが、サクラはそれ以上に神であるということもあってか、神聖な空気と美しさとが二人の狐たちに比べて圧倒的な存在感としてあった。ただの人間の成実にはそれは神々しいのだが、それ以上に怖かった。無意識に両の手をきゅっと握りこんだ成実のそれを見て、サクラは更に笑みを深める。ぞっとするくらい綺麗な笑みを。
「あんたの反応は間違ってない。人間としては正しいくらい正しい反応やで。私はそれを責めてるわけやないねん」
「あの……何を言いたいんですか?」
 サクラの言いたいことが分からず、成実は小さく息を呑んだ後問いかけた。サクラの輪郭を彩る淡い紅色の光がやけに綺麗に見えた。やはり怖いけど。
「人間は……自分らの範疇外のことを嫌うやろう?」
「え?」
「最初は言いように持ち上げよる。都合のいいときはアヤカシの子でも大事にしよるけど、でもすぐに掌を返してしまう。あんたらの言う神の力っちゅーもんが怖くなったときには、恩もなんも忘れて迫害しよるんや。私はかわいそうな目にうてきたアヤカシの子をようさん見てきたからなぁ。心配なんや」
「サクラ、何言うてんの?」
 サクラの言葉に朧が首をかしげて言葉を挟む。蓮太郎も言葉にはしないがやはり同じように感じているのが見て取れた。
 そんな二人を振り返り、サクラが小さくため息をついた。
「この子の記憶を消そうかと思うてな」
「へ?」
「はい?」
「サクラさん…?」
 サクラの何気ないような声で言った言葉に、涼子までもがぽかんとして、妙な沈黙が垂れ込めた。勿論成実も同じだった。静かな神社の中が更に静かになったような気がして、そして秋の風が冷たく感じた。
 サクラはそれも特に気に留めた様子もなく、長い髪をふわりと躍らせて成実を振り返る。愛らしさと妖艶さを併せ持った笑みを湛えて成実を見ると、ぽってりとした唇から言葉を零した。
「朧はあほやし、蓮太郎はぼーっとした奴やけどな」
「……ちょ、サクラ。お前喧嘩売ってんのかッ」
「サクラさんひどいやないですかっ」
「やかましい、黙っとけあほ狐」
 白と黒の狐の抗議を、キッと睨みつけたサクラが黙り込ませて、再び成実に向き直る。それから真剣な声音で続けた。
「でもやな。こんなんでも大事な狐やねん。この子らがおるからここは神聖な場所で在り続けられるし、こんなアヤカシの子がいてるから私らものんきにさせてもらってる。だから、この子らが人間から嫌な思いをさせられるのは耐えられへん。あんたに罪はないし、憎くてこんなこと言うてんちゃうのだけは分かってや。ただ憂いはできるだけ小さいうちに払っておきたいんや。人間とアヤカシは着かず離れずが一番やしな」
 成実に――というか人間に――対する警戒心と狐に対する気持ちを隠しもしないサクラは淡々とした口調で話した。
 神であるサクラがいったい今まで人間とアヤカシの何を見てきたのかは、成実には当然ながら分からない。ただ記憶を消されることに驚いて何も言葉を返せないでいた。
 しばらくそのまま誰も何も言わない時間が続いた。相変わらず神社の中は静かで、灯篭の中に明かりがほんのりと燈っている幻想的な空間に人間と人外のものの気配だけがある。
 記憶を消される。
 そんな中で、成実はそのことに対して恐怖を感じた。記憶なんて消えたこともないし、消されたこともないしで、すっかり混乱した思考ではこの完全な美しさを持つ神聖な存在に反論することもできない。次第に脚も震え始めて、何をされるのかという怖さが身体のそこから湧き上がって涙が滲んできた。ぐっと我慢したつもりでも、それは成実の意思に反して溢れ出し、秋風に冷たくなり始めた頬にポロリと落ちた。
「僕は、反対です」
 そこに厳しさを持った凛とした声が投げ込まれて、サクラが声の主を振り返り、成実も視線を流した。
「蓮太郎?」
 サクラが呼んだ名前の狐、蓮太郎が、白い尻尾をふわりと揺らして歩み寄ってくる。小柄なサクラを見下ろすようにして目の前に立ち、そのまま優しく微笑んだ。
「この子は、大丈夫やと思います。確かに人間の中にはひどいことする輩もいてはるけど、この子はそんな子ちゃうと思います……というか、大丈夫です」
 柔らかい言葉と声ではあるが蓮太郎がはっきりと言い、サクラの銀色の瞳を見つめた。
「ほんまにそう思てるんかいな」
「はい」
 サクラの確認するかのような言葉にも、蓮太郎は間をおかずにしっかりと言葉を返す。まっすぐに見つめ返す金色の瞳は濁りなく夜の中に輝いた。
「俺もそう思うでぇ」
 そこにのんきな声を挟み込んだのは、黙っていた朧だった。赤い瞳をにんまりと笑みの形に変えてふわふわと自身の身体を宙に浮かせた。そのまま軽い動きで鞠を蹴り上げながら社の屋根に上がった。
「コイツどんくさいから姑息なことよう考えんと思うでぇ。だから俺らに害ないって。サクラ心配しすぎや」
「どんくさいって、また言った……」
 あっけらかんとした朧の言葉に成実が思わずむっと眉根を寄せるが、言葉が悪くても成実をかばってくれていることは理解できて、それ以上は何も言えなかった。
「私もそう思いますよ。サクラさん」
「なんや、涼子までそんなこと言うんかいな」 
 サクラの眉がくいっと上がり、銀色の目が眇められて涼子に止められる。しかし涼子はそれに可愛らしく微笑んだ。
「成実さんは優しいから、朧たちのことも受け入れてくれるかと。サクラさんの言いたいことも分かりますけど、記憶はそのままにしてあげてください」
 そう言って、深く頭を下げた。
「僕からもお願いします。せっかく縁あって出会えたんですから」
「縁かどうかは分からんけど、記憶消すのは俺反対やし。ええんちゃう? 細かいこと気にせんでも」
 次々に訴える少女と狐を、サクラはじっと無表情で見ていたが、三人の意思を確かめるように眺めた後、そのまま成実をもう一度見つめた。
「あんた……信用してええんか?」
「え……?」
「この子達のこと誰にも言わへん、裏切らへんて、約束できるか?」
 射抜くほどに強い力を持ったサクラの眼差しに、成実がぐっと言葉を詰まらせる。しかし記憶を消されることも嫌だし、狐たちに危害を加えるつもりもないし、誤解されているままなのも嫌なので、震えてしまっている手足に力を入れてしっかりと頷いた。
「約束します」
「……分かった。ほなええわ」
 成実の視線を受け止めた銀色の瞳があでやかに笑みの形に変わると、そのまま無邪気な笑みへと変わった。その笑みを湛えたままサクラの姿がかすみ始める。
「私の言いたいことはそれだけやったんや。済んだからでかけてくるわー」
 先ほどまでの真剣さはなんだったのかと思うほどのんびりとした声だけがこだまするように残り、あ、と思ったときは空気に溶けるようにサクラは姿を消していた。
「…………なんやったんや? 今の」
「さぁ……サクラさんの考えは時々分からないですからねぇ……」
 朧と蓮太郎が首を傾げる中、緊張が解けた成実ががっくりと膝を折るようにして脱力した。
「はああぁぁぁぁ……怖かったぁ……」
 思わず本音が出た成実がバッグを抱き締めて大きく息を吐く。それに蓮太郎が成実の前に歩いてきてしゃがみこんだ。そのまま優しい目で成実を見つめて、ふんわりと微笑んだ。
「良かったですね」
「あ……うん。ありがとう……かばってくれて」
「別にお礼を言われることしてませんよ。ほんまに思ったこと言うただけです」
 力の抜けた成実の頭を、蓮太郎が優しく撫でながらまた微笑んだ。金色の瞳がやけに綺麗で、そして何よりも優しくて、成実もいつの間にか素直な笑みを浮かべていた。
 とにかく、何にもなくてよかった。
 いつの間にか時間もたっていて、神社の中はひんやりとした秋の夜風が一層満ちていた。

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