New Testament

巫夏希

12

「母さん」

 ゆっくりと、そして確りとその足を、リリーの元に向かうために一歩づつ踏み出す。

「リニック、あなたいったい何をしようと……」

「止める。この悲しい戦いをだ」

「どうやって!?」

 ガラムドは感情的になってまでリニックを止めようとする。先程までカミサマになれるなどと言っていたのだから、当然とも言えるだろう。

 だから。

 だからこそ。

 リニックは言った。

「僕だってカミサマになれる可能性がある! さあ、メアリーさんを離せ!」

 その言葉を聞いて、リリーは意外にも驚くことはなかった。それどころか笑い出したのだ。この展開に笑っているのか、この状況に笑っているのかは正直なところ誰にも解らなかった。

 しかし、直ぐにその理由を彼女自らが答えた。

「とうとうあなたもそれを知り、理解するようになったか……。いいや、別に構わないさ。それに対して文句を言う必要性すら感じないからねぇ……」

「やはり……母さん、知っていたんですね。僕はこういう人間だと」

「あんたの父さんの話を、一切していなかっただろう? フィナンスというのは生まれてからずっと私の家の姓だ。……ならば、あんたの父親は誰なのか? そういう結論に至るよねぇ、リニック? 私はそんなこと一度も言っていないからねぇ」

「誰なんだ……誰なんだ、いったい」

「あんたの父親は世界一有名だよ。そして、もっと言うならあんたの母親もだ」

「母さんは……母さんじゃないって言うのか?」

「そう言ったとしたらどうする?」

 リリーは笑っていた。

 そしてリニックは何も言えないまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 リリーの話は続く。

「私がこんな計画を遂行しようと決意したのは、今から二十年前のこと……ある組織に属して間もないときのこと。組織は遺伝子系の研究をしていたっけかな、私はそこで実力を積んでいった」

 そして、話は二十年前に遡る。


 ◇◇◇


「ちょっといいかな、リリーくん」

 廊下にて、主任研究員のラスターク・レーテンベルグからリリーは声をかけられた。

「何でしょうか」

「そんな堅苦しい話ではない……私たちは『組織』の下で働いているということは嫌と言うほど聞いた話だろう? 組織がそろそろ計画を進めたいというものでね……、いよいよ実行に移したのだ」

「その計画とやらを一端の研究員である私が知っても構わないのでしょうか」

 リリーはそんな質問をする必要などないと思ったが、一応訊ねた。

「問題ない。何故なら君は『選ばれた』。カミの子の教育係にね」

 それを聞いてリリーの気持ちは高揚した。それは彼女にとって、とても嬉しいことだった。

 カミの子。

 それは神軍兵を作る前、その組織が行おうとしていた計画の、その第一段階だった。

 この世界でいうところの『カミ』とはガラムドのことだった。混沌に満ちた世界に降臨した唯一無二の存在だ。

 では、カミの子とはガラムドの子のことを指すのだろうか? と言われれば、それは違うことになる。

 正確にはガラムドの『血筋』のことを、この計画では『子』と言った。

 しかしながら、その血筋を、いわゆる試験管で育てるわけにはいかなかった。まだ秘密裏だということに重ねてまだ技術が進歩していないということが最大のネックになっていた。

 そこで、とある科学者は考えた。


 ――若い母胎を使って、カミの子を育てる


 周りから見ればその結論は少々難解なものだったが、しかしその科学者は単身でそれを実行してみせた。

 結果は失敗に終わってしまったが、科学者はある手応えを感じていた。

 このまま続ければ、真に我々の計画は成功する。そう思わない科学者などもはや何処にも居なかった。

 科学者たちは、いつしかその禁断とも言われる実験に虜になっていったのだった。

 そして、リリー・フィナンスは、その実験の『適格者』であると認定された。

 カミの血筋と、それを補うための強い血筋。それらが合わさることで『カミの子』の生誕と呼べる。

「……そして、カミの血筋とはメアリー・ホープキン、それを補う強い血筋とは予言の勇者、フル・ヤタクミのことだ。メアリー・ホープキンの卵子にフル・ヤタクミの精子を受精させ、それを私の母胎に入れる……それによって、真にカミの血筋は継承されたといえる」

 舞台は再び現代――ガラムド暦2115年に戻る。メアリーはまだ磔にされていて、リリーは饒舌にそれを語っていた。

「つまり……何が言いたい?」

 痺れを切らしたリニックは――もしかしたらその時点迄で薄々気付いていたかもしれない――リリーに言った。

「育ての母親に乱暴な口調は駄目だぞ、リニック。お前は暫く独りだったから仕方がないことかもしれないが……とはいえ、これは駄目だ。駄目すぎる。まぁ、結論を急ぐ気持ちも解る。お前の存在意義に関わる話になるからな……。ならば、話してやろう、その結論を。もうお前は薄々気が付いているかもしれないが――」

 そして。

 その結論が、リリーの口から語られる。

「――お前はメアリー・ホープキンとフル・ヤタクミの子供だよ、リニック・フィナンス」

 その真実を聞いて。

 その事実を聞いて。

 リニックはその真実を理解しようとはしなかった。

 リニックはその事実を理解しようとはしなかった。

 生まれてずっとリニック・フィナンスはリリー・フィナンスの息子だと自覚していたからだ。まさか生まれて直ぐに「自分の母親はほんとに自分の母親なのか?」と疑ってかかる人間は居ないだろう。

 リニックは、リニック・フィナンスは、今まで自分が生きてきた凡てを否定された、そんな気がした。

 自分の母親は自分の母親ではなかった。

 その事実をそう簡単に認められなかった。

「大丈夫」

 しかし、そんな不安はたった一言で、優しさが込められたたった一言で払拭されてしまった。

 それを言ったのはレイビックだった。

「あなたの母親が誰であろうとあなたはあなたに代わりがない。あなたの代わりは誰も務められないのよ。リニック・フィナンスはあなたにしか務めることが出来ないのだから……」

 レイビックのその言葉がリニックの不安を溶かしていく。

 そして。

「母さん……いや、リリー・フィナンス! あなたは必ず倒す、この世界は誰のものでもない、皆のものだ……!」

 その言葉とともに最後の戦いの火蓋が切られた。

 この戦いはどちらが勝つのか――今は誰にも解らない。



 ◇◇◇


 その頃、フルたちは温泉地エルプトへ到着していた。

 様々なイベントの順序がごちゃごちゃになってしまっていること、まだ彼女と遭遇していないことを考えると、シルバは心苦しかった。

 このままでは、フル・ヤタクミという存在が宙に浮いた形になってしまうのではないか。

 リュージュの存在を疑い出したのはタイソン・アルバと出会ったからだ。しかし、今は未だ彼とは出会っていない。

 だから今シルバが「リュージュは悪玉だ」などと言っても彼らは信じないだろう。

 もしかしたら、2115年のリュージュは――それを目的としていたのではないだろうか? 予言の勇者を倒し、今度こそ自分が凡てを統括する世界を作ろうとしているのではないだろうか?

 今の彼には、何も解らなかった。


 ◇◇◇


 2115年。

 その瞬間。

 世界が崩壊を開始した。

 いや、正確には――歪み始めた。

「……!」

 それはリリーにも想定外の出来事のようだった。

「フハハハハ……! アーッハッハッハッハッハッハッハッハ!! まったく、どうして人類はここまで醜くて、野暮ったいのか!! せっかく生まれた『カミの子』もこの様だ」

 背後を振り返ると、オール・アイがゆっくりと立ち上がっていた。

「人間はどうしてここまで愚かで! 愚直で! まどろっこしいのか? せっかくここまで私がお膳立てしてやったのに、それを凡て無駄にする! 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も!! 何回やったか忘れてしまったくらいだ! そのどれものチャンスを無駄にした! ここまで浅はかで、ろくでもない生物は初めて見た!」

「オール・アイ……! 確かに殺したはず……!」

「殺したァ? あんなもんで殺せるとでも思ったか! 思ったのか? ……くだらないね。そもそも私を抜き出そうという考えがくだらない! 世界をお前にくれてやろう、と私は言いチャンスは何度も与えた! それで叶えられなかったのが悪いんだろうが!」

 オール・アイは早口でそう言った。あまりにも早く話していたのに、不思議とその言葉は聞き取れた。

「……お前はいったい何者なんだ……!」

 リニックはさっきから動悸が止まらなかった。動揺によるものではない。緊張によるものでもない。もっと単純な感情だった。

 怯え。

 それは人間の原始の感情の一つとも言われているものだった。

 それを察してか、オール・アイの口はますます緩んでいく。

「ならば、教えてやろう。……私は多次元宇宙を監視する役目を持つ監視者モニターだよ。だが最近は少々つまらなくなってきたのと、それ以上に重大な問題が起きたものだから色々と手を加えさせてもらっているがね」

「監視……者?」

 リニックもレイビックも、オール・アイが何を言っているのかさっぱり解らなかった。

 オール・アイの話は続く。

「この世界は非常につまらなくなった。この世界をただ監視するだけが仕事だった私にとって、少々刺激が欲しかったのさ。それで考え付いたのが……『異世界ファンタジー』ってやつだよ。科学が発展しすぎちまうと、誰しも『別の世界』を求めるだろう? だからそういう人間を無作為に異世界に連れていこう……そう考えた」

 オール・アイは顔をしかめる。

「……だがね、駄目だった。異世界に人間を持ち込むには幾つかの厳しい条件が必要だった。だから私はこう考えた」


 ――ならば、未来を異世界にして、未来に飛ばしてしまえばいい


「……とね。当時『地球』という惑星は人口問題と食糧問題に苛まれていた。だから私はそんな偉い人間に言ったのさ」


 ――あっという間に人間を口減らし出来るいい方法がある


「簡単に食い付いたよ、まったく馬鹿な人間だった!」

 オール・アイの言葉はにわかにも信じがたいことだった。

 だがリニックとレイビックには、何故かそれが『真実』だと、それがこの世界の凡てだと、認識し始めていた。

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