New Testament

巫夏希

14

 ガラムド暦2015年。

 バイタス港を出港する一隻の帆船があった。それは、たった二日前ならば有り得ない出来事であった。

 二日前、バイタスは『謎の』火災に襲われ街の半分が瓦礫と化した。しかし、フルたちやシルバが居たお陰で僅か二日で街は活気を取り戻すまでに復興が完了していたのだった。

「いいんですか? 僕らだけ船を出させてもらっちゃって」

 ルーシーが訊ねると、三角帽子を被った顎髭を生やした男が、歯を輝かせた。

「いいんだよ。バイタスの復興はあんたらが居なかったらあと一ヶ月はかかっていたろうよ。その感謝を考えるとこれくらい安いもんだ」

 そう言って、再び男は海を眺めた。

 この世界における帆船は魔法を用いて操縦するものとなっている。『帆船』というよりかは『蒸気船』に帆船が合体したような感じである。

 海水を取り込み、それを術師が分解する。水と塩に別れた、その水の一部をさらに酸素と水素に分解する。さらに空気中の炭素と水素を結合させメタンガスを作り出す。それを用いて火を起こし、その蒸気によりタービンが回転し、エンジンが起動するシステムだ。

 このシステムは至極難しいようにも思えるが、実際にはとても単純で分解を一度行えば水が無くなるか止まる指示を与えないかぎり動き続ける非常に単純な代物であった。

「……あぁ、こういうのはやっぱり落ち着くなぁ……」

 甲板にいるシルバが海を眺めながら呟く。メアリーがぽんと肩を叩いた。

「だよね。こういうのは何というか……いいよね。あー、私も凡て片付いたら海の見える家で暮らしたいなぁー!」

 海が見える。

 それは百年後のそのとき、メアリーが住んでいるアンダーピースのアジトの特徴そのものだった。アジトは隠れてさえいるが、断崖絶壁に近い岬にあるため眺めは最高なのであった。

 もしかしたら彼女はこの時からあのような場所で暮らすことを考えていたのかもしれない――シルバは、メアリーの話を聞いてそんなことを考えていた。

「どうしたの、シルバ。そんな神妙な面持ちで」

「ん……。いや、何でもないよ。少し考え事をしていただけさ」

 少しと呼べる程のものではない。もっと重大なことだ。

 シルバがメアリーを助けたから、結果としてバルト・イルファは彼女を連れ去ることが出来なかった。この時点で歴史が大きく変わってしまう。バタフライエフェクトを、まさに忠実に実行しているといえる。

 このまま進めば、歴史はどうなってしまうのだろうか――それは彼らにも解らない。強いて言うならば――。

「神のみぞ知る、ってことだな」

 呟きは、誰にも届かなかった。


 ◇◇◇


 マリアがヤンバイト城に住むようになって二日が経ったが、彼女は既にこの城に馴染んでいた。

 『働かざる者食うべからず』というリュージュの提言で、この城に住む人間はどんな些細なものでも職に就いている。床の雑巾がけから風呂掃除、食事の配給とリュージュの身なりを任せられたりと、様々あるが、だからとはいえその職種で地位が違うとかそういう訳でもなく、リュージュの下にいる大臣衆三人組の下に、その様々な仕事を行う人間が皆平等に並んでいる。だから彼らは皆平等な地位に立っている。

 因みに彼女に与えられた仕事は『洗って乾いたお皿を、ちゃんと乾かしたかどうか確認する』係である。必要があるのかないのか解らない役割だ。

 今日の昼御飯の後にある仕事を済ませたマリアは自らの部屋へと戻りながら、考えていた。

 あまりにも優しすぎることだ。マリアたち百年後の人間が書物などで知ることの出来るリュージュの姿はこれの真逆だからだ。冷血で冷徹で残虐の限りを尽くす極悪非道、それが彼女の歴史的評価だった。

 しかし今の彼女からはそんなものは一切見られない。まるで夢を見ているようなそんな感じだった。

「百聞は一見に如かず、だなんて言葉はあまりにも有名だけれど、これはあまりにもギャップが激しすぎるよなぁ……」

 そしてマリアは自らの部屋に着いて、扉を開けて入った。

 ――ここでマリアは違和感を覚えた。

 彼女は確かに出ていくとき鍵を閉めたはずだった。

 しかし、今はそんなものは見られない。これはつまり――。

「……誰かがこの部屋に入った。否、『入っている』」

 そう言って彼女は窓の方に目をやる。そこには窓枠に腰掛け、こちらに微笑みを送る少女の姿があった。

 少女の服装は布のワンピースただそれだけで、右耳に小さなピアスをして、さらに身体的特徴を言うなら、黒髪で赤い目をしていた。

 しかし、マリアが違和感を覚えたのは、正確には彼女の存在等ではない。

「あなた……人間じゃないわね」

 そう。

 少女からは、普通の人間ならば、普通の魔術師ならば、有り得ない程の魔力が感じられた。あまりにも底が見えない強大な魔力を感じ、マリアは蛇に睨まれているような錯覚を覚える。

「私は」

 少女の口から声が紡がれる。歌うように、さも世間話でもしているかのように、彼女は彼女の正体を話し始めた。

「メタモルフォーズだよ。それも人間の器にあるメタモルフォーズ。アイスンとかみたいに人間に化けているわけじゃない。私は人間の器にしか留まっていられない、失敗作のような感じかもしれないけれど、ただ一つの『究極のメタモルフォーズ』よ」

「究極のメタモルフォーズ……ですって」

 マリアは少女が最後に言ったそれをリフレインする。

 メタモルフォーズはカミサマの使いと呼ばれる異形だ。人間に変身することはあっても、メタモルフォーズそのものが人間の姿をしているなど聞いたこともない。だからこそ――というよりかは、だとしても、それを打ち破る形のメタモルフォーズが居てもおかしくはないが、そもそも文献には残っていない。

 表舞台にはまったく登場しなかったメタモルフォーズ。それが『彼女』だということだろうか。

 マリアがあれこれ思考を回転させていると少女はゆっくりとこちらに歩いてきた。その姿だけ見ればどこにでもいそうな少女である。

「……あなたは未だ未だこの世界を知らなすぎる。文献に書かれていない=居ないだなんて話にならない。そもそもそうなら考古学で異なる学説で争うこととかないじゃない。だって、もし、そうだとするならば争う必要が全くの無駄になる。必要性が失われる。想像力が失われないが創造力は失われてしまうだろうね」

「模造品を創ることすらされない……そういうこと?」

 マリアの言葉に、少女は小さく頷いた。

「想像力も創造力も人間にあるものだし、高等生物特有のものだ。だからこそ、歴史には誇大解釈されて出来事が載せられる。人間の想像力をフル回転させ創造したものだ。……まぁ、流石に初めからという訳にもいかないわけだし、精々本当に僅かの誤差に過ぎない……と歴史書を書いている人は思うわけ。しかし結局は私みたいに表舞台には全く登場しないキャラクターだって居るわけだし、一概に歴史書が良いとも言えない訳よ」

 なんだかこの『人間』は長台詞がお気に入りらしい。先程から長い言葉ばかりをこの問答に投入していたからだ。

「ともかく、だ。どうして私の部屋に居るのか、先ずそれから聞いておきたいね」

「それよりも話したいことがある。いいか、ちゃんと聞いておくれよ。ほんの一回しか正確に話さないからね。究極のメタモルフォーズでも失敗はあるから、二回目からも同じように台詞が聞けるとは思わないでくれ。人間だって僅か一日で殆どの記憶を失うからね。おあいこというわけだ。尤も、私が今から話すことはあなたにとっては恐ろしいほど重要なことなのだけれどね」

「わかった、わかったから短くコンパクトにまとめて話してくれない? 長い話の中がスカスカだと聞く気が失せるんだよね」

 マリアはそう苦言を呈したが、当の本人はわざとらしく、はたまた大層らしくそれに続けた。

「そういえば『中身がない話は聞くに値しない』だなんてどこかの科学者だかが言っていた気もするけれど、そいつはどうなんだろうね。確かに中身がない話は聞くに値しない……のかもしれない。だがね、こうも考えられないだろうか? 中身がない話を敢えて聞いて、生きていくには無駄な知識を仕入れる……何とも面白い話だとは思わない?」

「無駄な知識を仕入れるよりかは有益になる知識を仕入れる方がいい。人間の記憶領域は有限なのだから」

 マリアの言葉に少女は小さくため息をついた。それは諦観でもあり、失望でもあったように見える。

「解り合えるかとは思ったら、矢張そうもいかないよいね。人間というのは都合のいい生き物だけれど、時にそれが牙を剥く。だからその前に殺してしまった方が都合がいい。……あぁ勿論何もあなたを殺す訳ではない。ただの例えだ。一例を上げたに過ぎない」

「……そんなことはいいから、『話したいこと』って何なのよ。話さないならばこのままあなたを突き出すことをも不可能ではないし、容易なのだけれど?」

「そう言われると仕方がない。口も回ってきたし、そろそろ話をしようか。私が知っているとっておきの秘密について、だ」

 そう言って少女は立ち上がり、直ぐ傍にあるベッドに腰掛けると、隣を軽く叩いた。それを見て、マリアはベッドに腰掛ける。

「私は最初に自己紹介した通り失敗作でね。それがどれくらい失敗作かといえば本当に微妙なくらいなんだ。旧時代の言葉に、『画竜点睛』だなんて言葉があるけれど、まさにそれに近い。最後の『詰め』が足りなかったんだ。そのせいで、私は失敗作……欠陥品として生まれた」

「どうして失敗作だと、自覚出来ているの?」

「私は元々『全見の眼』を持ってこの世界に生を受ける予定だったんだ。メタモルフォーズが体内に持つ無限のエネルギーと、何でも見通せる祈祷師の眼……これさえ聞けば解るとは思うが、それは最凶の存在だった。強いのではない、『凡てを圧倒出来る』力を持った存在を作り上げること、それが彼らの目的だった」

「彼ら?」

 マリアの問いに、少女は微笑んだ。

「『フォービデン・アップル』という組織があった。彼らは不老不死を望み、世界の掌握を望んだ。しかしそんな甘い考えは失敗に終わった。何故か? 彼らは力で捩じ伏せようとしたからだ。圧倒的で、一方的で、絶対的な力。それを用いて彼らは絶対的支配を目論んだ。だが、力で支配すれば必ず反発が来る。そういう反発に組織は耐えきれず……崩壊し、計画は失敗に終わった。それがちょうど二千年ほど前の出来事だ」

「二千年も生きているのかしら? 幾らメタモルフォーズだからとはいえ、そこまで長生き出来そうにはないけれど」

「体内にある知恵の木の実のエネルギーを微小ながら消費することでなんとかなっているよ。だから、私は正確には不老不死ではないんだ。だって知恵の木の実のエネルギーが切れればもう終わりだから」

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