New Testament
9
その頃、シルバはあれ以上得られるものもない――そう判断し、日記帳から記憶を探るのは、やめた。
あまりいい情報が得られなかったのを悟られてしまったらしく、戻ってきた直後はメアリーに「大丈夫?」と言われてしまった。シルバは直ぐに小さく頷く。
時計を見ると時刻は午後十一時をさしていた。そろそろタイミング的には寝ないと明日に響きそうだが、メアリーはまだ眠る様子は見られなかった。
そもそもの話、メアリーが独りで海岸を歩いていなければ、シルバは未だに路頭に迷っていたに違いなかった。
一先ず。
ここまで来たには何かを実行せよ、というメッセージなのかもしれなかった。
「メアリーさんはまだ寝ないんですか?」
シルバが訊ねると、恥ずかしそうに手を振って、答えた。
「別にメアリーでいいよ。……だって見た感じ同い年っぽいし」
なるほど、確かにそうだ――シルバはそう考えると、改めて訊ねた。
「メアリーはまだ寝ないんですか?」
「まだ敬語が抜けきっていないけど、及第点。まぁ、いっか。初対面の人に突然そう言われてもしょうがないよね」
メアリーはそう言うとベッドの上に置かれていた小さな鞄から地図を取り出した。
地図は丸まっていた。それを床に広げて、ある場所を指差した。
「今はここに居るのよ」
そこには船のマークとともにバイタスと書かれていた。
バイタスはハイダルク北に位置する港町だ。新鮮な海鮮物がとれ、潮風が心地よい。また、隣国スノーフォグへの船が発着する港としても有名である。
スノーフォグへ向かうには船しか方法がない。スノーフォグの周りの海は特殊な気候であり、いつも荒れ狂っている。だから時折、こうも呼ばれる。
「スノーフォグには、悪魔が居る……そう聞いたことがあるわ」
「悪、魔……?」
メアリーが言った言葉は、はじめ冗談かと思ったが、しかし実際は違う。彼女の目は、真っ直ぐシルバの目を見ていた。嘘をついている表情にはとても見えなかった。
「悪魔といっても誇張表現に変わりはないんだけれど……。スノーフォグの海の荒れ狂う感じからそうと揶揄されているだけの話だし」
「……はぁ、なるほど」
そんなことを聞いていたが、案外シルバはそれを聞き流しているようにも見えるが、この時代――『喪失の一年』の情報は研究者が喉から手が出るほど欲しいものだ。だからこういう情報というのはとてつもなく、貴重である。
だからシルバはそんな情報を無下にしておらず、メアリーの言葉を一言一句漏らさずに記憶していたのだ。
メアリーの話を延々とシルバが聞き、それにたまに頷いたりなどして、大体一時間が経過した。
さすがに眠くなったのだろう――急に話が聞こえなくなったと思ったらベッドに横たわり、寝息を立てていた。
シルバはメアリーに毛布をかけてあげ、漸く彼は一息つくことが出来た。
「やはりここは、誰がどう見ても『喪失の一年』ということになる」
シルバが独りごちっていることには、彼自身気付いていない。しかし、彼は話を続ける。
「つまりはガラムド暦2015年ということだ。この考えはそれ以上でもそれ以下でもない……。カーディナルがここへと連れてくるのは、彼女の正体からして早からず遅からず何れはやって来ることだとは思っていた」
彼はカーディナルの正体を知っているわけではない。
カーディナルとのファーストインプレッションで、彼女が何者かを一瞬にして理解したのだ。
それは『同族』だから解ったのかもしれない。それは『家族』だから解ったのかもしれない。
その理由は彼にも解らなかったのだが、しかしこれだけは理解出来た。
『これほど強大な魔力が染み出てきて、同じ家系の人間など、ただの一人しか居ない』
果たして、人間の定義が『寿命が百年程度の哺乳類二足歩行動物』だとするならば、その定義から若干反することになるのかもしれないが、人間ということに変わりはなかった。
その人間は、この時代ではスノーフォグに居るはずだった。何故ならば彼女は長年その国の統治を行っているからだ。
そこでシルバはある仮説を立てる。そして、もしそれが成功すればどうなるか――さらにその続きを考えた。考えられるのは、ただ一つしかなかった。
予言の勇者を抹殺すること。
シルバたちの時代にいるメアリー曰く、ASL――シュラス錬金術研究所――というこの時代において、錬金術研究の最先端をいく研究所の書庫にそのようなことが認められていたらしかった。
何故彼女が予言の勇者を抹殺しようとしたか――それは誰にでも理解出来る。予言の勇者に邪魔されては、不味いことがあったからだ。
メアリー曰く、それは『祈祷師』そのものの起源に迫るものらしい。祈祷師とは、人々の未来を祈り、それから人々を導く存在だった。それゆえ、世界で重要な事を予言し、それが的中した人間には、莫大な報酬と高い地位が約束される。
だからいつしか人々は――祈祷師を信じすぎてしまっていた。彼女たちにしか見えないことを、自分たちにも教えてもらおうとしたのだ。
「……おやおや、どうしてここにメアリー・ホープキン以外の人間が居るんですか? おかしいなぁ、非常におかしい」
――と、ここでシルバの思考は唐突に中断された。声が聞こえたからである。
それを聞いて、シルバは振り返る。そこに立っていたのは、全身が真っ赤な男だった。髪は燃え上がるように逆上しており、服は赤を基調にして、黄色の波線を際立てている。
「……まぁ、いいや。まだ時間はあるもんね」
そう言って男は時計を見る仕草をした。
その後、ゆっくりとお辞儀をする。
「僕の名前はバルト・イルファって言います。以後、お見知り置きを……まぁ、ここで完膚なきまでに叩きのめすから『二回目』なんて無いに等しいのだけれど」
バルトはそう言うと、右手をちょうど彼の口ほどの位置まで掲げる。
そして、ふぅ――と息を吹き掛けた。
刹那、彼の右手からは炎が巻き起こる。まるで彼の右手が巨大な蝋燭であるかのように、か細くではあったが、しかしきちんとそこに炎があった。
「まぁ、僕はこういう『人間』なわけだ」
「え、詠唱もせずにノーモーションでそんな魔法撃てるはずが……」
「確かに僕は魔術師だよ。しかし……いつこれが『魔法』って言ったかな?」
バルトのその言葉の意味は、シルバには理解出来なかった。
だが、バルトはシルバの解答など待つつもりはなかった。
バルトはその言葉を吐き捨ててから行動を開始する。素早く、かつ正確に走り、シルバの懐へと潜り込み、炎を撃ち込んだ。
ほぼゼロ距離からの火炎放射。普通の人間がそれを食らっていれば、死んでいたに違いない。
そう、『普通の人間ならば』。
結論から言おう。
シルバは無傷だった。どこの一ヶ所も怪我などしていない。
だからとはいえ、それで揺らぐバルトでもない。バルトは自らの人差し指を口元に添え、大きく息を吹いた。
すると、それを媒体にして火炎が完成する。荒れ狂う動き――それはまさに『龍』だった。
「ベヘモスって言ってね。見れば解るが龍なんだよ」
バルトは頼んでもいないのに解説を始めた。
「この龍の体内は千度は悠に超えているだろうね。鉄が簡単に融けてしまうのだから。鉄が簡単に融けるんだ。人間なんてあっという間に融けちまうだろうね」
バルトはそんなことを言っていたその間にも、シルバは作戦を練っていた。それにしても、この部屋はあまりにも暑い。熱を使っているからだろうが、この熱気は他の部屋には漏れていないのか――といらぬ心配をしてしまう。
あまりいい情報が得られなかったのを悟られてしまったらしく、戻ってきた直後はメアリーに「大丈夫?」と言われてしまった。シルバは直ぐに小さく頷く。
時計を見ると時刻は午後十一時をさしていた。そろそろタイミング的には寝ないと明日に響きそうだが、メアリーはまだ眠る様子は見られなかった。
そもそもの話、メアリーが独りで海岸を歩いていなければ、シルバは未だに路頭に迷っていたに違いなかった。
一先ず。
ここまで来たには何かを実行せよ、というメッセージなのかもしれなかった。
「メアリーさんはまだ寝ないんですか?」
シルバが訊ねると、恥ずかしそうに手を振って、答えた。
「別にメアリーでいいよ。……だって見た感じ同い年っぽいし」
なるほど、確かにそうだ――シルバはそう考えると、改めて訊ねた。
「メアリーはまだ寝ないんですか?」
「まだ敬語が抜けきっていないけど、及第点。まぁ、いっか。初対面の人に突然そう言われてもしょうがないよね」
メアリーはそう言うとベッドの上に置かれていた小さな鞄から地図を取り出した。
地図は丸まっていた。それを床に広げて、ある場所を指差した。
「今はここに居るのよ」
そこには船のマークとともにバイタスと書かれていた。
バイタスはハイダルク北に位置する港町だ。新鮮な海鮮物がとれ、潮風が心地よい。また、隣国スノーフォグへの船が発着する港としても有名である。
スノーフォグへ向かうには船しか方法がない。スノーフォグの周りの海は特殊な気候であり、いつも荒れ狂っている。だから時折、こうも呼ばれる。
「スノーフォグには、悪魔が居る……そう聞いたことがあるわ」
「悪、魔……?」
メアリーが言った言葉は、はじめ冗談かと思ったが、しかし実際は違う。彼女の目は、真っ直ぐシルバの目を見ていた。嘘をついている表情にはとても見えなかった。
「悪魔といっても誇張表現に変わりはないんだけれど……。スノーフォグの海の荒れ狂う感じからそうと揶揄されているだけの話だし」
「……はぁ、なるほど」
そんなことを聞いていたが、案外シルバはそれを聞き流しているようにも見えるが、この時代――『喪失の一年』の情報は研究者が喉から手が出るほど欲しいものだ。だからこういう情報というのはとてつもなく、貴重である。
だからシルバはそんな情報を無下にしておらず、メアリーの言葉を一言一句漏らさずに記憶していたのだ。
メアリーの話を延々とシルバが聞き、それにたまに頷いたりなどして、大体一時間が経過した。
さすがに眠くなったのだろう――急に話が聞こえなくなったと思ったらベッドに横たわり、寝息を立てていた。
シルバはメアリーに毛布をかけてあげ、漸く彼は一息つくことが出来た。
「やはりここは、誰がどう見ても『喪失の一年』ということになる」
シルバが独りごちっていることには、彼自身気付いていない。しかし、彼は話を続ける。
「つまりはガラムド暦2015年ということだ。この考えはそれ以上でもそれ以下でもない……。カーディナルがここへと連れてくるのは、彼女の正体からして早からず遅からず何れはやって来ることだとは思っていた」
彼はカーディナルの正体を知っているわけではない。
カーディナルとのファーストインプレッションで、彼女が何者かを一瞬にして理解したのだ。
それは『同族』だから解ったのかもしれない。それは『家族』だから解ったのかもしれない。
その理由は彼にも解らなかったのだが、しかしこれだけは理解出来た。
『これほど強大な魔力が染み出てきて、同じ家系の人間など、ただの一人しか居ない』
果たして、人間の定義が『寿命が百年程度の哺乳類二足歩行動物』だとするならば、その定義から若干反することになるのかもしれないが、人間ということに変わりはなかった。
その人間は、この時代ではスノーフォグに居るはずだった。何故ならば彼女は長年その国の統治を行っているからだ。
そこでシルバはある仮説を立てる。そして、もしそれが成功すればどうなるか――さらにその続きを考えた。考えられるのは、ただ一つしかなかった。
予言の勇者を抹殺すること。
シルバたちの時代にいるメアリー曰く、ASL――シュラス錬金術研究所――というこの時代において、錬金術研究の最先端をいく研究所の書庫にそのようなことが認められていたらしかった。
何故彼女が予言の勇者を抹殺しようとしたか――それは誰にでも理解出来る。予言の勇者に邪魔されては、不味いことがあったからだ。
メアリー曰く、それは『祈祷師』そのものの起源に迫るものらしい。祈祷師とは、人々の未来を祈り、それから人々を導く存在だった。それゆえ、世界で重要な事を予言し、それが的中した人間には、莫大な報酬と高い地位が約束される。
だからいつしか人々は――祈祷師を信じすぎてしまっていた。彼女たちにしか見えないことを、自分たちにも教えてもらおうとしたのだ。
「……おやおや、どうしてここにメアリー・ホープキン以外の人間が居るんですか? おかしいなぁ、非常におかしい」
――と、ここでシルバの思考は唐突に中断された。声が聞こえたからである。
それを聞いて、シルバは振り返る。そこに立っていたのは、全身が真っ赤な男だった。髪は燃え上がるように逆上しており、服は赤を基調にして、黄色の波線を際立てている。
「……まぁ、いいや。まだ時間はあるもんね」
そう言って男は時計を見る仕草をした。
その後、ゆっくりとお辞儀をする。
「僕の名前はバルト・イルファって言います。以後、お見知り置きを……まぁ、ここで完膚なきまでに叩きのめすから『二回目』なんて無いに等しいのだけれど」
バルトはそう言うと、右手をちょうど彼の口ほどの位置まで掲げる。
そして、ふぅ――と息を吹き掛けた。
刹那、彼の右手からは炎が巻き起こる。まるで彼の右手が巨大な蝋燭であるかのように、か細くではあったが、しかしきちんとそこに炎があった。
「まぁ、僕はこういう『人間』なわけだ」
「え、詠唱もせずにノーモーションでそんな魔法撃てるはずが……」
「確かに僕は魔術師だよ。しかし……いつこれが『魔法』って言ったかな?」
バルトのその言葉の意味は、シルバには理解出来なかった。
だが、バルトはシルバの解答など待つつもりはなかった。
バルトはその言葉を吐き捨ててから行動を開始する。素早く、かつ正確に走り、シルバの懐へと潜り込み、炎を撃ち込んだ。
ほぼゼロ距離からの火炎放射。普通の人間がそれを食らっていれば、死んでいたに違いない。
そう、『普通の人間ならば』。
結論から言おう。
シルバは無傷だった。どこの一ヶ所も怪我などしていない。
だからとはいえ、それで揺らぐバルトでもない。バルトは自らの人差し指を口元に添え、大きく息を吹いた。
すると、それを媒体にして火炎が完成する。荒れ狂う動き――それはまさに『龍』だった。
「ベヘモスって言ってね。見れば解るが龍なんだよ」
バルトは頼んでもいないのに解説を始めた。
「この龍の体内は千度は悠に超えているだろうね。鉄が簡単に融けてしまうのだから。鉄が簡単に融けるんだ。人間なんてあっという間に融けちまうだろうね」
バルトはそんなことを言っていたその間にも、シルバは作戦を練っていた。それにしても、この部屋はあまりにも暑い。熱を使っているからだろうが、この熱気は他の部屋には漏れていないのか――といらぬ心配をしてしまう。
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