New Testament
10
次の日。
「リニック、起きろ」
リニックはメアリーの呼びかけに答えるように目を覚まし、ゆっくりと起き上がった。
「メアリーさん……早いですね」
近くにある時計を眺めてみると、短針と長針は午前三時過ぎだった。まだ日の出前である。
「君が修行を申し込んだのだろう? ならば、それなりの態度がマナーってもんだろう」
「そうですね……」
リニックはそう頷き、シニカルな笑みを溢した。
メアリーとリニックは屋敷の裏庭に来ていた。トレイクには既に許可を取っているらしかった。
「それじゃ、特訓……と言ってもなぁ。私は余り人に何かを教えることはしないのよね……」
「何でもいいです。ただ僕を強くしていただければ」
それが難しいんだよね、とメアリーは苦笑いして話を続けた。
「それじゃ、錬金術について簡単に説明しましょうか。魔法に近しいけど魔法ではない、この学問はなかなか深いのよ」
「錬金魔術を研究していたんですよ? それくらい解りますって」
「そういえばそうだったね。けれど、君は錬金術の基礎をちゃんとその道の人から学んだことはないだろう? だから、先ずはそれからってこと」
そう言ってメアリーは錬金術の概念について話し始めた。
錬金術は方程式である詠唱をする『魔術』とは異なり、術を構成する方程式を脳内に置き、それを元に自らの身体にファクターをつくりあげる。
ファクターは単純に言えば円のことだ。自らの身体に円というファクターを作り上げ、術を構成する。そして対象にそれをぶつけることで、初めて錬金術は成立するのである。
錬金術は魔術と同じく、等価交換の法則を元にして成り立っている。例えば、えんぴつからダイヤモンドは生成出来るが、水からそれは作り得ない。炭素が存在しない(とまではいわないが、ダイヤモンドを作り上げる迄には量的に至らない)ためにそうなるのだ。
「……さすがにそれくらいは解りますよ」
「禁忌も知っているのか? 錬金術に関する禁忌だ」
「えーと、生物とお金を作ってはいけないということですかね」
「まぁ、及第点かな。……やはり、錬金術が殆ど淘汰されてしまったからね、寧ろそこまで言えたのは相当に文献を読み漁ったのかな?」
メアリーにそう言われて、リニックは恭しい笑顔で頷いた。
それを観てメアリーは小さな溜め息をついた。
「だけど、それで『認められた』とか思わない方がいいね。そんなもの、錬金術師の誰かにでも言ってみればいい。まぁ、先ず生きては帰って来られないよね」
「何処が間違っているんですか?」
「もう一つあるんだよ。いや、正確には二つか、作ってはいけないというものは、あと二つは存在する。『知恵の木の実』と……なんだと思う?」
急にメアリーから話を振られ、リニックは狼狽えてしまった。
「え、えーと……なんでしょう……。まったく解らないですね……」
「もう少し考えているという素振りを見せたらどうなのかな、君は」
「解らないものは解らないですよ。生物とお金と……それ以外になにがあるっていうんですか」
「答えを知りたいか?」
メアリーの言葉にリニックは頷いた。それを見て、メアリーは小さく微笑んだ。
「それじゃ教えてやろう。……四つ目のは『トリメスギストスの鍵』と呼ばれる伝説染みたアイテムのことよ」
「トリメスギストスの……鍵?」
リニックはメアリーの言っていることが、あまりよく理解出来なかった。
鍵、というからには何かの扉を開けるアイテムなのだろう――とリニックは考えたが、直ぐに、「なぜそれを作ってはいけないのか?」と単純な疑問が沸き上がってきた。
「トリメスギストスの鍵は伝説上の存在として語り継がれている代物で、やはりとある扉を開けるための鍵なのよ。しかしながら、その鍵を使うとどうなるのか……未だにはっきりしていないけれどね」
「どこを開ける鍵なのかも解っていないのに、禁止にしているってもちょっとよく解らないですね」
「そんなこと私が知っているとでも?」
メアリーはそう言って自らを嘲笑った。もしかしたら、メアリーは知っているのかもしれない――とそんな一握りの可能性を信じていたリニックだったが、それを見て完全にそれは演技ではないことを悟った。
「……ともかく、錬金術で作ることを許されないのはその三つ。だからって完全に守られているのかといえば……微妙なところだけどね」
メアリーの言葉は最後に濁った。何か考え事をしているようだった。そう――ちょうど、『これを話してもいいものか』といいのかと躊躇っているようにも思えた。
「どうしました?」
リニックは気になったので訊ねた。
メアリーは何でもないとその場を取り繕ったが、やはり気になった。
「ここに居たんですか、二人とも」
そんなリニックの考えは、突然現れたトレイクの声により掻き消された。
「……どうかしたのか?」
「朝御飯も食べずに何処に行かれていたのかと……。昨日、朝食の時間を一応言っておいたはずなんですが」
メアリーの問いにトレイクは溜め息をついて答えた。
トレイクの話は続く。
「ロゼが怒っているんですよ。ここでは全員が揃わないと食事にはしませんから……」
そうトレイクが言葉を濁すと、メアリーは「あぁ」と頷いた。
「解るよ。私だってそういう環境で育ったから、誰かが遅れたとき、それはそれは辛いものでねぇ……。仕方ない、リニックくん。修行はまた今度だな」
「そうですね」
そう言って三人は屋敷の中に入った。
食堂では顔を林檎のように膨らませたロゼが下を向いていた。下を向いていたのは本を読んでいるからだろう。
しかし、読書欲と食欲が彼女の間でせめぎあったらしく――時折テーブルに置かれたパンの皿からパンを取ろうとして右手を伸ばしたがそれをジークルーネにより弾かれ、テーブルを境界として小さな冷戦が起きていた――これはリニックが後から、その場に居たシャーデーから聞いた話である。
「遅い。遅すぎます。何をそこまで遅れる要因がありますか。あなたたちは客人なのですよ?」
「そこまで傲慢な家主も居ないと思うけれどね」
ロゼの言葉をいつものやり取りのように(実際そうなのかもしれない)トレイクは受け流した。
そして三人がそれぞれ決められた席に座ったのを見て、トレイクは言った。
「それでは……いただきます」
いただきます、と食堂を包み込む声とともに朝食は始まった。
朝食はクロワッサン、バターロール、あんパンの所謂パン類にチリビーンズ、サワークリーム、中心には山盛りのポテトサラダなどと、何処の料理なのか周りから見ても全く解らないものであった。
一先ずリニックはバターロールとあんパンを一つづつ、ポテトサラダとスクランブルエッグを目の前にあった小皿によそった。
次に空のコップを手に取り、オレンジジュースの入った瓶を持ちコップに傾けた。
「なかなかバランスをもった食事だね。一人暮らしだったんだろう?」
いざあんパンを頬張ろうとしたちょうどそのとき、同じくあんパンを手に持つトレイクに話しかけられた。
「一人暮らしでしたよ。だいたい研究職ってのは非健康に見られがちなんですけど、それが嫌なんですよ。だから、そういうところだけは健康的にと」
そう言ってリニックはあんパンにかぶり付いた。口の中に餡子の甘い風味が広がり、それは彼を唸らせる程であった。
「……美味い」
誰にも聞こえないかのような小さな呟きだったが、それはトレイクだけに聞こえていたらしく、それを聞いたトレイクは小さく微笑んだ。
「リニック、起きろ」
リニックはメアリーの呼びかけに答えるように目を覚まし、ゆっくりと起き上がった。
「メアリーさん……早いですね」
近くにある時計を眺めてみると、短針と長針は午前三時過ぎだった。まだ日の出前である。
「君が修行を申し込んだのだろう? ならば、それなりの態度がマナーってもんだろう」
「そうですね……」
リニックはそう頷き、シニカルな笑みを溢した。
メアリーとリニックは屋敷の裏庭に来ていた。トレイクには既に許可を取っているらしかった。
「それじゃ、特訓……と言ってもなぁ。私は余り人に何かを教えることはしないのよね……」
「何でもいいです。ただ僕を強くしていただければ」
それが難しいんだよね、とメアリーは苦笑いして話を続けた。
「それじゃ、錬金術について簡単に説明しましょうか。魔法に近しいけど魔法ではない、この学問はなかなか深いのよ」
「錬金魔術を研究していたんですよ? それくらい解りますって」
「そういえばそうだったね。けれど、君は錬金術の基礎をちゃんとその道の人から学んだことはないだろう? だから、先ずはそれからってこと」
そう言ってメアリーは錬金術の概念について話し始めた。
錬金術は方程式である詠唱をする『魔術』とは異なり、術を構成する方程式を脳内に置き、それを元に自らの身体にファクターをつくりあげる。
ファクターは単純に言えば円のことだ。自らの身体に円というファクターを作り上げ、術を構成する。そして対象にそれをぶつけることで、初めて錬金術は成立するのである。
錬金術は魔術と同じく、等価交換の法則を元にして成り立っている。例えば、えんぴつからダイヤモンドは生成出来るが、水からそれは作り得ない。炭素が存在しない(とまではいわないが、ダイヤモンドを作り上げる迄には量的に至らない)ためにそうなるのだ。
「……さすがにそれくらいは解りますよ」
「禁忌も知っているのか? 錬金術に関する禁忌だ」
「えーと、生物とお金を作ってはいけないということですかね」
「まぁ、及第点かな。……やはり、錬金術が殆ど淘汰されてしまったからね、寧ろそこまで言えたのは相当に文献を読み漁ったのかな?」
メアリーにそう言われて、リニックは恭しい笑顔で頷いた。
それを観てメアリーは小さな溜め息をついた。
「だけど、それで『認められた』とか思わない方がいいね。そんなもの、錬金術師の誰かにでも言ってみればいい。まぁ、先ず生きては帰って来られないよね」
「何処が間違っているんですか?」
「もう一つあるんだよ。いや、正確には二つか、作ってはいけないというものは、あと二つは存在する。『知恵の木の実』と……なんだと思う?」
急にメアリーから話を振られ、リニックは狼狽えてしまった。
「え、えーと……なんでしょう……。まったく解らないですね……」
「もう少し考えているという素振りを見せたらどうなのかな、君は」
「解らないものは解らないですよ。生物とお金と……それ以外になにがあるっていうんですか」
「答えを知りたいか?」
メアリーの言葉にリニックは頷いた。それを見て、メアリーは小さく微笑んだ。
「それじゃ教えてやろう。……四つ目のは『トリメスギストスの鍵』と呼ばれる伝説染みたアイテムのことよ」
「トリメスギストスの……鍵?」
リニックはメアリーの言っていることが、あまりよく理解出来なかった。
鍵、というからには何かの扉を開けるアイテムなのだろう――とリニックは考えたが、直ぐに、「なぜそれを作ってはいけないのか?」と単純な疑問が沸き上がってきた。
「トリメスギストスの鍵は伝説上の存在として語り継がれている代物で、やはりとある扉を開けるための鍵なのよ。しかしながら、その鍵を使うとどうなるのか……未だにはっきりしていないけれどね」
「どこを開ける鍵なのかも解っていないのに、禁止にしているってもちょっとよく解らないですね」
「そんなこと私が知っているとでも?」
メアリーはそう言って自らを嘲笑った。もしかしたら、メアリーは知っているのかもしれない――とそんな一握りの可能性を信じていたリニックだったが、それを見て完全にそれは演技ではないことを悟った。
「……ともかく、錬金術で作ることを許されないのはその三つ。だからって完全に守られているのかといえば……微妙なところだけどね」
メアリーの言葉は最後に濁った。何か考え事をしているようだった。そう――ちょうど、『これを話してもいいものか』といいのかと躊躇っているようにも思えた。
「どうしました?」
リニックは気になったので訊ねた。
メアリーは何でもないとその場を取り繕ったが、やはり気になった。
「ここに居たんですか、二人とも」
そんなリニックの考えは、突然現れたトレイクの声により掻き消された。
「……どうかしたのか?」
「朝御飯も食べずに何処に行かれていたのかと……。昨日、朝食の時間を一応言っておいたはずなんですが」
メアリーの問いにトレイクは溜め息をついて答えた。
トレイクの話は続く。
「ロゼが怒っているんですよ。ここでは全員が揃わないと食事にはしませんから……」
そうトレイクが言葉を濁すと、メアリーは「あぁ」と頷いた。
「解るよ。私だってそういう環境で育ったから、誰かが遅れたとき、それはそれは辛いものでねぇ……。仕方ない、リニックくん。修行はまた今度だな」
「そうですね」
そう言って三人は屋敷の中に入った。
食堂では顔を林檎のように膨らませたロゼが下を向いていた。下を向いていたのは本を読んでいるからだろう。
しかし、読書欲と食欲が彼女の間でせめぎあったらしく――時折テーブルに置かれたパンの皿からパンを取ろうとして右手を伸ばしたがそれをジークルーネにより弾かれ、テーブルを境界として小さな冷戦が起きていた――これはリニックが後から、その場に居たシャーデーから聞いた話である。
「遅い。遅すぎます。何をそこまで遅れる要因がありますか。あなたたちは客人なのですよ?」
「そこまで傲慢な家主も居ないと思うけれどね」
ロゼの言葉をいつものやり取りのように(実際そうなのかもしれない)トレイクは受け流した。
そして三人がそれぞれ決められた席に座ったのを見て、トレイクは言った。
「それでは……いただきます」
いただきます、と食堂を包み込む声とともに朝食は始まった。
朝食はクロワッサン、バターロール、あんパンの所謂パン類にチリビーンズ、サワークリーム、中心には山盛りのポテトサラダなどと、何処の料理なのか周りから見ても全く解らないものであった。
一先ずリニックはバターロールとあんパンを一つづつ、ポテトサラダとスクランブルエッグを目の前にあった小皿によそった。
次に空のコップを手に取り、オレンジジュースの入った瓶を持ちコップに傾けた。
「なかなかバランスをもった食事だね。一人暮らしだったんだろう?」
いざあんパンを頬張ろうとしたちょうどそのとき、同じくあんパンを手に持つトレイクに話しかけられた。
「一人暮らしでしたよ。だいたい研究職ってのは非健康に見られがちなんですけど、それが嫌なんですよ。だから、そういうところだけは健康的にと」
そう言ってリニックはあんパンにかぶり付いた。口の中に餡子の甘い風味が広がり、それは彼を唸らせる程であった。
「……美味い」
誰にも聞こえないかのような小さな呟きだったが、それはトレイクだけに聞こえていたらしく、それを聞いたトレイクは小さく微笑んだ。
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