New Testament

巫夏希

4

 メアリーといった少女は、見た目が完全にリニックよりも年下に見えるが、悲しそうな表情を浮かべていた。その表情からはその見た目以上の年齢よりも長く生きているように思える。

「……百年前、とは一体? もしかして『喪失の一年』と関係が……」

 リニックの言葉にメアリーは微笑みを浮かべる。

「喪失の一年、か。ミスター・リニック。それについて、どれほどの知識がある?」

「知識も何も……、その時代の文献は何もかも残されていないし、政府にその時代の研究も禁じられている。つまりは誰もその時代に何があったかは把握していない。例えば、ある学者は核戦争があったと言われているし、またある学者は魔術史の転換点があったとも言われている」

「そうね。だけど、そのどれもがデタラメ。実際は違うのよ」

「……というと?」

「旧時代について、どれほど情報がそちら側に伝わっているかは知らないけど、今の時代と同じほどの科学技術があったとされているわ。そして、その世界ではあるものが製作されていたと私たちは試算している」

「……それは?」

「タイムマシーン」

 間髪を入れずに、メアリーは話を続ける。

「ですが、科学技術がそんなに高成長した文明がなぜ滅んだのか、それはまだ解ってはいません。……しかし、我々が今必要としているのは、タイムマシーンなんです」

「タイムマシーンとは、一体?」

「私にもわかりませんが、文献によれば時間を行き来出来る機械なんだとか」

「……魔法でも代用できそうですが」

「ならば、それを実践していただけますかね? 七聖書のひとつ、『ガラムドの魔道書』にはそんなものは書いてありませんでした。まあ、全方位守護魔法『ヘイロー・イレイズ』なものもありましたが」

「全方位守護魔法……?! そんなものがあるんですか!!」

「確かに実在しますよ。しかしとんでもないエネルギーを消費するので普通の魔導士が使うのは難しいですけどね」

 メアリーはそう言うとゆっくりと背もたれに重心をかけた。疲れたのだろう。

「下がってもいいですよ。……そうですね、しばらく彼らに任せておきます。シルバ」

「はい」

 そこにやってきたのは、彼女と同じ赤い髪をした少年だった。

 少年はメアリーに似た端正な顔立ちで、服を変えれば少女のようにも見える。そんな少年だった。

「どうも、はじめまして」

 少年は恭しい笑顔をリニックに見せた。

「僕はシルバ・ホークリッチと言います。どうか、よろしくお願いしますね」

「ああ、はい」

「それじゃ、あなたの部屋にご案内します。付いてきてください」

 そう言ってシルバは歩いていった。それに遅れてリニックもついて行った。


 ◇◇◇


 シルバ・ホークリッチとリニック・フィナンスは神殿の廊下を歩いていた。廊下は神殿の小部屋とは違い、蛇腹状になっており、中には硬化ベークライト(と思われる物質)で創られた板が床の役割を担っていた。

「少し話をしたいんだが」

「なんでしょう? 僕にわかる程度でよければ」

「……旧時代にはもちろん文明があると思ったんだが、何故滅んだんだ?」

 リニックがその言葉について尋ねると、シルバは少しだけ考えて話を続けた。

「僕も詳しくはわかりませんが、生命のスープってご存知ですか?」

「……ああ。たしか生命の生まれる素が染み込んだスープだったか」

「そう、そしてその生命のスープのバランスが崩れたのがおよそ一万年前。人類は『補完計画』を基に一万人のみを収容し、八千年の冷凍保存を適用した。……と文献には書いてあるそうです。その後の歴史は解りませんが、前二千年に唐突に人類が科学文明を形成した。そしてガラムド暦元年に補完計画によって冷凍保存された人類とその文明の人類が邂逅し、今の魔法史が始まったということです。まあ、あくまでも『論』ですが」

「……補完計画?」

「よくは解りませんが、その大災害インパクトのときに人類としての種を残すためにあるプログラムらしいです。……まあ、文献に残っているだけですから。本当かどうかも怪しいですけどね」

「ふむ……。俄には信じ難いですけど」

 リニックは、シルバの言葉を信じることが出来なかった。今まで彼が学んだ知識とは全く違うものであったからだろう。

 神殿協会派が全世界を制圧している現在、学問もそちら側に傾倒したものになっている。宗教が世界を制圧している、その世界であり、即ち神殿協会に都合の悪い知識は子供に教えない謂わば洗脳教育が世界全体に浸透している、ということだ。

「神殿協会は洗脳教育でこちら側を悪としていますからね。吸血鬼に『喪失の一年』も、歴史にはない空白の事実としていますし。……まあ、何でジーク姉さんはあんなことしちゃったんだか解んなくって」

「何か言ったか」

「えっ」

 シルバが振り返るとそこにいたのはジークルーネだった。

 しかし、もう就寝するつもりだったのか、ピンクのネグリジェを着て大きな兎のぬいぐるみを持っていた。

「……もう寝るのか?」

 リニックの言葉にジークルーネはすぐに携帯を取り、恐ろしい程の速さでキーを打ち込んだ。僅か数秒もないうちにジークルーネは携帯の画面をリニックに見せた。

「もう夕飯は済ませたから」

「あ、そう。……でそのぬいぐるみは?」

 再び、携帯の打ち込み。

「ルーシーっていうの」

「そうか、可愛いな」

「……どうも」

 最後はなぜか、携帯の文章にもかかわらず『…(三点リーダー)』がつけられていた。照れているのだろうか。

「まあ、いいや。とりあえず、おやすみ」

「おやすみ」

 そう言って(打ち込んで?)ジークルーネはゆっくりとふらふらと歩いていった。

「……ところでさっき彼女が夕飯済ませたとか言ってたけど、夕飯っていつ来るんですかね?」

「部屋に用意してありますよ。今日はスズキのマキヤソース添えですね」

「へえ、マキヤソースですか。こりゃまた珍しいものを」

 マキヤソースとは2000年代初頭に開発された魚醤の一種で、旧時代あった調味料『ショーユ』に似ているのだという。最近のマキヤソースブームにより品薄状態が相次いでいるらしいのだが……どうやらこの『アンダーピース』もマキヤソースのブームが起きているらしい。

「おばあちゃん……あっと、メアリーさんが好きでしてね。なんでも昔を思い出すんだって。そのスズキのマキヤソース添えも月一くらいで出てくるんです」

「思い出の品ってやつか。なるほど、食べてみるよ」

「そうしてください。……おっと、着きましたよ」

 そう言うと、目の前には扉があった。鉄で創られた強硬な扉だった。どうやら爆発魔法の対策でもしているのだろうか。

「それじゃ、お入りください。ここがあなたの部屋と……そして、鍵です」

 そう言ってシルバは鍵を差し出した。林檎があしらわれたキーホルダーをつけている、可愛らしい鍵である。

 リニックはそれを受け取り、扉を開けて、そして――扉を閉めた。

 部屋の中は簡素な作りだった。

 ランタンが机の上に置かれ、本棚もなく、ベッドがあるだけの質素な作りであった。

「これが夕食か……」

 机の上に置かれていた、マキヤソースが添えられた皿に白身魚が乗せられていた。

「どんな味がするやら……食べてみるかな」

 ぱくり。一口口にした。

「……うまい」

 マキヤソースは発売当時はそれほど注目されなかったのだが、今の時代少ない量でしっかりと味付けができるマキヤソースは一種のブーム素材となり、たくさんの番組でマキヤソースが取りだたされている。

 しかし、その使い方が案外難しく、人によってはいい味付けにならないらしいが……この味付けはリニックの舌に合うものだったらしい。

「美味い。マキヤソースはしつこい味付けだが、それを打ち消すようなカシスの香り。……誰が一体作っているんだ?」

 そんなことは結局解らないまま、食事を終え、テーブルのそばにある洗面台で(食器洗い用洗剤があったからであるが)食器を洗い、ベッドに横たわった。

 彼はコーヒーが飲みたくてうずうずしていたが、コーヒーは愚か水も飲めそうでないので、仕方なく眠ることにした。

 目を瞑って、きょうのできごとを彼は考えてみる。

 全世界魔術理論弁論大会で、論ずる予定だった錬金魔法理論は結局このままでは闇に消えてしまいそうだということ。

 ジークルーネという少女に出会い、『アンダーピース』とともに行動することになったこと。

 百年前の出来事と、それを知る少女(?)に旧時代の文明はとても高度であったこと。

 しかし……今考えてもそんなことは仕方がないのは彼にも明らかなことだった。

 そして、彼は深い眠りについた。

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