許嫁は土地神さま。

夙多史

五章 困ったときの神頼み(3)

 痛む体に鞭打ってなるべく急いで帰宅すると、僕はひとまず小和を彼女の部屋のベッドに寝かせ、それから間も空けずに家を飛び出した。
 医者を呼んでくるとかそんな話ではなく、行き先は目の前のお向かいさん。インターホンを鳴らすとのんびりとした声が返ってきたが、その調子に合わせてなどいられない。
「彩羽、僕だけど」
「な、なるくん! ちょ、ちょっと待ってすぐ開けるから!」
 となぜか様子が一変して慌てて出てきた幼馴染に、僕は事情を掻い摘んで説明した。小和の手当やら看病やらをするにしても、僕一人じゃその、いろいろとやりにくいからね。着替えとか。
 もちろん説明には小和が白季町の土地神様だということは伏せていた。だが、彩羽はベッドに横たわる意識のない小和を一目すると、深刻な顔になって意外な言葉を紡いだんだ。
「病院には……連れて行かない方がいいのよね?」
 小和は神様であって人間じゃない。病院の検査を受けたりしたら、最悪シャレじゃ済まない事態に発展するかもしれない。僕の乏しい想像力じゃ宇宙人とかの研究者が小和を連れ去るような漫画的シーンしか思い浮かばないけど、それも絶対ないとは言い切れない。
 けれど、その考えに至れるのは小和を神様だと知っている者だけだ。普通はあの作業員の人たちみたいになにがなんでも病院に連れて行こうとするはず。
 なのに彩羽は連れて行かない方がいいと言った。
「どうして、彩羽はそう思うの?」
 慎重に問いかけると、彩羽はもう一度その黒真珠みたいな瞳に小和を映し、
「だって、小和ちゃんは白季小和媛命様なんでしょ?」
 予想を裏づけるには決定的過ぎる名前を口にした。
 バレてる……。
 彩羽に、小和が白季町の土地神様だということが。
 いつ? どうやって?
「ごめんね、なるくん。私、知ってたの」
 僕の顔色から疑念を読み取ったのか、申し訳なさそうに瞼を伏せた彩羽は訊かれる前に自分からそう切り出した。
「知ってたって、いつから?」
「ちょっと前。なるくんが私をあのお屋敷に連れて行ってくれた日から」
「待って彩羽、あの時の記憶があるの?」
「うん……私の記憶とは違うんだけどね」
 てことは、あの地縛霊の記憶が彩羽に残存してるってことだろうか? そんなことがありえるのか? いや、ありえてるから彩羽は小和の正体を知ったんだ。
「ごめんね、なるくんたちは隠そうとしてたことなのに」
「謝らなくていいよ。隠してた方が悪いんだし、その、謝らないといけないのは僕の方だからさ」
「?」
 小首を傾げる彩羽に僕は全てを打ち明けた。小和の神気が足りないところから始めて、彩羽に除霊術の自信をつけされるお芝居のことを丁寧に謝り倒した。
「いいよ、お芝居でも私のためにしてくれたことなんだもん。怒る理由がないよ」
 彩羽はもちろん、笑って許してくれた。その結果をわかっていたから申し訳ない気分になったけど、なんとなく、心に痞えていた物が取れて楽になったよ。
「小和が神様だってわかっても彩羽はあんまり変わらないんだね」
「えっ? そうかな? 最初は信じられなかったけど、どこか納得できるところもあるのよね、小和ちゃん。なんていうのかな、普通の人じゃないオーラがある感じ」
 まあ、銀髪碧眼の美少女なんてそこら辺に落ちてなんかないからね。
「寧ろ負けられないな、って思いが強くなっちゃった」
 大事なことをカミングアウトしたように苦微笑する彩羽。負けられないって、彩羽はなにと戦ってるんだろう? よくわからん。
「それよりも小和ちゃんだけど、病院に連れて行けないならどうすればいいの?」
 言われて僕は小和を見る。白銀の髪をした神様は、安らかとも苦しそうとも言えない寝顔だった。でも呼吸は安定していて、控え目な胸がリズミカルに上下している。
「一応、人と同じように手当してほしい。男の僕だとほら、いろいろアレだからさ」
 許嫁だから構わないじゃないか、と訴える悪魔的僕は紳士的僕が捻り潰しておく。今はふざけてる場合じゃないんだよ。
「そう、だね。なるくんにお医者さんごっこはまだ早いもんね」
「彩羽さん、君はもじもじしながらなにを仰ってるんですか?」
 ふざけてる場合じゃないのに。
 彩羽が小和の手当と着替えを始めたので、僕は部屋の外で待機することになった。その間に脳内で渦を巻いたのは、無論、白季神社の取り壊しの件だった。
 バイパス道路建設の企画はきっとずいぶんと前から進められてきたのだろう。でも、まるで悩み沈んでいる小和を狙い打つかのようなタイミングだ。
 果たして偶然か?
 もしそこに超常的な意思が絡んでいるのだとしたら――

『わしは待てるが、人間は待ってくれんからのぅ』

 緋泉加耶奈御子の言葉が蘇る。あの神様はこのことを知ってたんだ。だから時間があまりないとも言っていた。小和が属神となれば白季町は厄を逃れるかもしれない。だけど、それは白季町が緋泉加耶奈御子の物になるってことだ。
 前の白季小和媛命の旧友を疑いたくはないけれど、これはちょっと問い詰めてみる必要があるかもね。
 と僕が決意したその時、部屋のドアが開いて少し安堵した表情になった彩羽が出てきた。
「彩羽、小和の具合は?」
「うん、私はお医者様じゃないから自信はないんだけど、たぶん心配ないと思うよ。今はぐっすり眠ってるだけかな」
「そうか、よかった。そういえば小和、昨日よく眠れてなかったみたいだからね」
 階段から転げ落ちた時、僕は小和をしっかり抱き締めていた。頭を打たないように腕も回していた。多少の外傷は見当たるものの、致命的な傷は負ってないはずだ。
 寧ろ――
「彩羽、悪いんだけど……次は僕の手当をしてもらっても、いいかな?」
 体中が軋むように悲鳴を上げてる僕の方こそ、重傷だったりするんです。

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