許嫁は土地神さま。

夙多史

三章 お願いごと叶えます(7)

 二階の最奥部には殿様との謁見に使うような広い部屋があった。
 広いだけでこれといった装飾はない殺風景な畳部屋だったが、一つだけ目立つ物体が奥に設えられている。
 仏壇だ。
 天井まで届きそうな大きな仏壇が戸の開かれた状態で鎮座していたんだ。外装は黒塗りで中は金ピカ。ライトをあてると煌びやかに反射して財宝を発見した気分に浸れるね。
 その仏壇の前にゆらりと佇む人影――いた! 彩羽だ。
「彩羽、探したよ。今日は遅いからもう帰ろう?」
 本当は芝居だったことを打ち明けて謝りたいけれど、そうしてしまうとせっかくつきかけた除霊術の自信が砕け散って二度と元に戻らなくなるだろう。彩羽のためになるのなら、僕は喜んでこの嘘を背負って生きていくよ。
「彩羽……?」
 僕の声が聞こえてないのかな? 彩羽は仏壇を見詰めたまま微動だにしない。
「成人、なにやら様子がおかしいぞ」
 小和が重い口調で告げる。
 彩羽が静かに振り返る。
「…………タチサレ…………」
 ゾワリ。
 喉を傷めた時のような掠れた声が彩羽の口から漏れた途端、僕の背筋が凍った。底冷えする悪寒が全身を瞬く間に支配する。
 なに、今の?
「…………タチサレ…………」
 再び同じ声で同じ言葉を彩羽が口にした。
 次の瞬間、彩羽の頭上に一つの薄黄色い光球がポゥと浮かび上がった。炎のように揺らめく光球と、その光に照らされる彩羽が虚ろな目をしているのを見て僕は確信する。
「まさか、さっきの火の玉に取り憑かれてるの!?」
 最悪の事態だ。火の玉は僕にも見えるし、発した言葉は奇声ではなく人語。どう考えても今までの幽霊とは格が違う。
 立ち去る気配を見せない僕らに取り憑かれた彩羽が一歩、また一歩と近づいてくる。その手に握っている物は――例の破魔刀だ。
「…………タチサラナケレバ…………シネ…………」
「――ッ!?」
 ゆっくりとした動作からのありえない加速で彩羽は瞬時に僕との間合いを詰めた。そして間髪入れず振り上げた破魔刀を袈裟斬に一閃。
「成人!」
 小和が体当たりで突き飛ばしてくれなければ、僕は真っ赤な花を美しく咲かせていたことだろう。
 空振りした彩羽は虚ろな瞳のまま何度か軽く素振りをする。刀の調子を見ているらしい。その動き一つ一つが達人的で、刀に振り回されていた正気の頃とはまるで別人だ。
 なんなんだ?
 彩羽はなんの幽霊に憑依されているんだ?
「…………タチサレ…………ココカラ…………スグニ…………」
 素振りを終えた彩羽はなぜか破魔刀を左手に持った鞘に収めた。それから右足を前に出し、腰を僅かに落とす。これは――
「――居合!?」
 彩羽は人間離れした速度の摺足で隙なく僕の懐に飛び込み――抜刀。火の玉の光を反射する銀刃が首を刎ねんと迫る。
 僕は反射神経に任せて横に転がった。刹那、バキン! となにかが砕ける音。
 どうにか起き上がって見れば、大部屋の壁が綺麗な直線状に繰り抜かれていた。一切無駄な力の入っていない斬撃。あんなの喰らったら冗談抜きで一撃必殺じゃないか!
「彩羽! なにやってんのさ! 目を覚ますんだ!」
「…………タチサレ…………」
 ダメだ。やっぱり呼びかけても届かない。それにいつもならすぐに抜けて正気に戻るはずなのに、一向にその気配がない。
 僕のせいだ。
 僕が、こんなところに彩羽を誘ったからだ。よく調べもせずに『なにも起きない』と楽観的に決めつけて……彩羽を、危険な目に遭わせている。
 最低で最悪で、なんて馬鹿なんだろう。責任を取らなければならない。彩羽を無事に助けるという形で。絶対に、絶対にだ!
 彩羽に声が届かないのだったら――
「君は一体なんなんだ!」
「…………ワタシハ…………ココヲ…………マモルモノ…………」
 驚いたことに会話が成立した。
 そして今の一言でなんとなくわかった。彩羽が普段憑依される幽霊は浮遊霊――要するに自分が死んだことを理解せず、あてどなく現世を放浪する幽霊だ。
 対して、今の彩羽に取り憑いているものは地縛霊。それは土地や物、人に特別な想いを有して宿っている幽霊のことだ。普通は他の物に憑いたりはしないんだけど、あの幽霊がこの屋敷を守るためにそうしているのなら得心がいく。
 一階が子供の遊び場にされていることを鑑みると、この地縛霊が実際に守っているのは二階か、この大部屋に限定される。
 仏壇が目に入る。あそこになにかあるのかもしれない。
「わかったよ、出ていく。だから彩羽の体を返してくれ」
「…………シンヨウ…………デキナイ…………」
 彩羽が再び破魔刀を居合の形に構える。どうやら僕たちが出ていくまで彩羽から抜ける気はないらしい。困った。そうなると彩羽を置いていくことになる。
 それはできない。できるわけがない。
「成人、少しの間でいい、あいつを抑えられるか?」
 と、小和が彩羽を見詰めながら問うてくる。なにか腹案があるようだね。
「どうする気?」
「話している暇はない。いいからやってくれ。来るぞ!」
 横に飛ぶ小和に倣って僕も反対側に飛んだ。ビュン! と一瞬前までいた場所の空気が斬り裂かれる。
 地縛霊は僕と小和を交互に見て、僕から殺すことを選んだ。
 一息の内に切迫し、刃が振られる。
 右腕を掠めたけどなんとか回避し、回避できたことに自分自身で驚いた。虚弱体質克服のために伊達に身体を鍛えてなかったってことだね。
 それと地縛霊も本気で殺しにかかってきているわけじゃないみたいだ。殺気がないとわかるほど僕は武芸に秀でてないからなんとも言えないけど、今の一撃はたとえまともに喰らっていたとしても致命傷にはならなかったと思う。
 だけどこんな剣の達人を相手にしてたらあと三分も持たない。
「小和に賭けるしかないよね」
 僕は懐中電灯を彩羽に向けて投げた。案の定、刀であっさり弾かれる。
 すかさず僕は突撃を仕掛ける。振り戻された刀で横腹を斬られた。経験したことのない痛みが全身を駆け巡り、傷口から血が噴き出すのを感じる。
 でも、咄嗟の対応だったから傷は浅い。
 僕は彩羽を押し倒して体をガッチリとホールドした。中学生の頃に出原兄とプロレスごっこにハマっていた経験を活かす時だ。あとふっかふかのお胸様に顔面ダイブしているけど、生きるか死ぬかの境に変な感情は抱かないよ。
「抑えたよ小和!」
「よくやった。お前の傷も後でわたしが癒してやるからな」
 そう言いながら駆け寄ってきた小和は、両掌を彩羽の虚ろな顔面に翳した。
 途端、小和の手が白く強烈に輝いた。
 それは小和が急成長した時と同じ、温かくて優しい光。
「アガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
 彩羽が猛烈に苦しみ始めた。じたばたと暴れる彼女を僕は必死に取り押さえ続ける。小和は一体なにをしたんだ?
 十秒ほどで彩羽は力が抜け、大人しくなった。だが瞳は虚空を見詰めていて、まだ幽霊が抜けていないとわかる。
 首を僅かに動かして小和に視線をやった彩羽の口が、小さく開く。
「…………コヨリ…………ヒメ…………」
 ――えっ?
 今、この幽霊はなんと言った?
「…………ソコニ…………オラレタノデスカ…………」
 両の目尻から雫を垂らし、彩羽は――いや、地縛霊は朗らかに微笑んだ。
 そうして、安らかな表情になって瞼を閉じる。
 浮遊していた火の玉が、蝋燭の火を吹き消すように空中に溶けてなくなった。
 一気に暗くなった大部屋の中で、僕は思う。

 ――どういうこと?

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