許嫁は土地神さま。

夙多史

一章 ちみっ子神様は僕のヨメ?(5)

「おおぉ……おおぉ……おおおおおぉ!」
 ホットプレートから漂うジューシーな香りに小和が目を丸くしていた。肉汁を滴らせながら芳ばしく焼けていく特上カルビを見詰める瞳にはお星様がキラッキラと輝いている。
「うふふ、この秘伝のタレにつけて食べるのよ」
 母さんが小和の取り皿に肉を装って食べ方を教える。まるで我が子に接するような優しい笑顔だった。母さんがあんな顔を最後に僕に見せたのはいつだったかな? ちなみに秘伝でもなんでもない市販のタレだよ。
「~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
 言われた通りに特上カルビをタレにつけて口に入れた小和がビクンと跳ねた。もぐもぐと咀嚼しているうちに表情がうっとりと蕩けてくる。余程の美味しさだったんだろうね。
「こ、これが美味いという感覚なんだな!」
 新しい発見をしたとばかりに小和はガツガツと肉を貪り始めた。まるで遠慮がない。お箸をグーで持つなんてお行儀が悪いぞ。
 小和はこれまで『食べる』という行為を経験したことがなかったそうだ。神様だからね。基本的に食べなくても問題ないみたいなんだよ。だけどこんな風に人の姿をしているとお腹も空けば眠くもなる。人間と変わらないらしい。
「人の姿をしてない方が家計には優しそうだね」
 小和の食べっぷりに思わずそう呟いてしまった。
「この姿でないと……はむっ……存在を……もぐもぐ……維持できないのだ……ゴクン」
「話すか食べるかどっちかにしようよ」
 本当に神様なのか不安になってきたよ。ていうか神様が肉なんて食べていいの?
「神気は神の生命力だと教えただろう? その神気は土地神の領土に住む人間の信仰心から集まる。つまり神気の減少は土地神の存在を人間が忘れつつあるという証だ。この白季町にわたしを知っている者がどれほどいるか、成人はわかるか?」
「少ないだろうね」
 たぶん、僕と両親とお年寄りくらいだ。白季神社の存在だけ知ってる人ならもっといるだろうけれど……。
「信仰されない神はやがて消滅する。それを防ぐためには神気の代わりになる力を摂取しなければならない」
「だから人の姿になって食事をする?」
「成人にしては物わかりがいいな。はむっ。なんだこれ? なかなか噛み切れないぞ」
 小和が食べたのはホルモンだ。確かになかなか噛み切れないし若干臭ったりするけど、噛めば噛むほど口内に旨みが広がる僕の大好物さ。
「もしかして僕の許婚っていうのは、ただご飯を食べさせてあげるだけでいいの?」
 なんか女の子を餌づけするみたいだ。僕はどちらかと言えば蹴られたりする方が興奮ゲフンゲフン! 一緒に並んで歩みたい派だから支配欲はあんまりないよ。
「それだけじゃない。母の神気が埋め込まれ、白季小和媛命に強い信仰心を持っているお前の傍にいればわたしの神気も少しずつ回復するのだ。直接交わればお前から神気を吸収することもできる」
 お前の寿命は縮むがな、と小和は生キャベツをシャキシャキさせつつ付け足した。
「交わるって、キスとか?」
「うむ。もっと深いことをすればより多く吸収できると思う」
「……もっと深いこととは?」
 訊き返すと、小和は食べるのを一旦止め、思案するように天井を見上げて――かぁあああああっ。温度計のごとく首から真っ赤に染まり上がった。
「う、うううううるさい黙れ祟るぞ!!」
 そして慌てて肉を掻き込み始める。あたふたしてる小和の姿がなんと言うか、可愛い。僕に支配欲はないけど、Sの人の気持ちが少しわかった。
 とりあえず纏めてみると、僕と一緒にいることが小和の消滅を防ぐことに繋がるわけか。そのための許嫁。本当に神様と結婚しなきゃならないわけじゃないんだね。それならまあ、いいんじゃないかな。妹ができたみたいで。『おにいちゃん』と呼んでもらうことも真剣に検討してみようと思う。
「……」
「……」
 ハッ! なにやら軽蔑に似た視線を感じる!
「成人、父さんはお前を信じていた」
「なんで過去形!? 今も信じ続けてよ!?」
「親の前で女の子をイジメる子に育っちゃうなんて、親の顔が見てみたい」
「自分で『親の前』とか言っときながらなにほざいてやがるんですかあなたは!?」
 疲れる。この両親に対するツッコミが疲れるよ……。
 肉だ。肉を食べよう。喋ってるうちに半分もなくなってるし。いやその前に冷や汗で流し過ぎた塩分を味噌汁で補給しないとね。
「あ、そのお味噌汁母さんの自信作よ」
「ぶふぅッ!?」
 口内を浸食する例えられない凄まじい刺激に僕は堪らず噴き出した。体が熱くなったかと思えば急激に寒気を覚えて痙攣が止まらない。続いて体内から溶かされていくような感覚に襲われ意識が飛びそうになる。硫酸を飲まされた方がまだマシかもしれない。
 景色が映像のように切り替わる。綺麗なお花畑に大きな川。その向こうで死んだはずのおじいちゃんが手を振ってる。――いや違う。アレは手旗信号だ。なになに……『こ・っ・ち・き・ちゃ・ダ・メ・絶・対』……ハッ!?
「んもう、汚いわね。噴き出すほど美味しいのはわかるけど」
「なら母さんも自分で啜ってみればいいと思うよ」
「知ってるでしょ? 母さんは、自分で作ったものを食べるとジンマシンが出るの」
「他の人はそれだけじゃ済まないんだけどね!」
 僕や父さんはもうすっかり鋼鉄の胃袋だから復帰も早いけど、小和が食べたらどうなるかわかったもんじゃない。だから味噌汁は飲まないように薦めておいた。
 けれど捨てるとなると作った母さんにも食材にもお百姓さんとかその他諸々にも悪いから、小和の分まで残さず食べますとも。死ぬ思いで。捨てたら環境にどんな悪影響が及ぼされるか想像するだけで恐いもん。
「ああ、そうそう、父さん明日から海外転勤になったから」
「へえ……………………は?」
 今、さらりと大変なことを聞いた気がする。
「急に決まっちゃってさ。断るに断れなくてはっはっは」
「はっはっは、じゃないよ!? 地方公務員の父さんがなんで海外に飛ばされるのさ!?」
「緋泉市と外国の都市が姉妹提携してて、その交流員として派遣されるって聞いたな」
 緋泉市とは白季町の隣にある県下でもかなり大きな都市のことだ。父さんはそこでお役所仕事をしているんだけど、はっきり言ってわけがわからない。
「あ、母さんもついていくことにしたから」
「いやいやいや、ちょっと待ってよ! 家のことはどうするの? ていうか、なんにも聞いてないんだけど」
「黙ってた方が面白そうだなんて思ってないんだからね。急な話で教えるタイミングがなかっただけだからね」
「そのツンデレはよくわからないよ母さん!?」
 リビングに置いてあった旅行用のバッグはこのためか。二人分だったから僕を置いていくことは前提だね。海外で暮らすなんて御免だから構わないけど、いろいろと心配だ。我関せずといった様子で肉を食べ続けてる小和が羨ましいよ。
「家のことなら大丈夫よ。彩羽ちゃんには言ってあるから」
「おかしいよね! 実の息子に話す機会はなくてお向かいさんにあるとかおかしいよね!」
 ダメだ。味噌汁と叫び過ぎで食欲なくなってきた。まだカルビを三切れしか食べてないのに。
「まあまあ、お互い夫婦水入らずでいいじゃないか。ただし、節度は守るようにな」
「昔の成人だったら心配だけど、もう私たちがいなくても平気でしょ?」
 決まったことは覆せない、二人の態度はそんな感じだった。これはアレかな? 僕に逞しく生きてほしいという試練なのかな?
「……わかったよ。こっちはこっちで、なんとかやっていくさ」
 僕はもうなにもかも諦めて溜息をつく。なるようになれだ。
 横を見ると、夫婦と言われた小和がカルビを咥えたまま固まっていた。嫁というよりも、やっぱり突然できた妹って感じだよね。
「で、ちなみにどこの国?」
「ボスニア・ヘルツェゴビナ」
「どこ!?」
 あとで調べてみると、東ヨーロッパ辺りだとわかった。

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