今宵、真紅の口づけを

3


 それから数日間は穏やかな時間が流れた。変わらぬ愛情を分かち合うエレオノーラとエルネスティは、やはりいつもの森の中で時間を持ち、澄み渡る冬の空のように綺麗な心を合わせている。何でもないことを話しながら過ごす時間を、少女も少年も痛いくらいに大切にして、そして一秒でも惜しくてたまらないように身を寄せ合って共に過ごす。
 今日も、うっすらと雪が積もった森の中に二人はいる。寒くて仕方ないけれど、その寒さすら愛おしいようにエレオノーラは空を見上げた。黒いコートにマフラーと手袋。エルネスティも黒いコートを着込み、大切な少女の視線をなぞらえるように空を仰いだ。
「初夏だったのにな」
 ポツリと、少年は言葉を零した。
「え?」
「初めて……おまえに会った時、まだ夏の前だった」
 懐かしそうに瞳を和らげた少年は、エレオノーラの真紅の瞳に視線を下ろす。
 あの日がなければ、今の二人はない。あの森の中での出会いがすべての始まりだった。それを二人は同じように思い出す。
 幼馴染といた少女、足を怪我して動けなかった少年。互いに魔族と人間で、嫌悪感を見せていた少年に戸惑った。でも心根の優しい少女は、あの時体力の回復する薬を少年に手渡した。
 それが、始まり。
 それから今日まで、会った回数はそれほどでもないのかもしれない。でも時間ではなく、中身はとても深くて濃いものになったと思う。魂まで持っていかれそうなくらいの深く激しい、そして純粋な感情を持たせてくれた互いの存在が、どれくらい幸せで大切なのだろう。相容れない者同士の恋愛なんて、他の者がみれば悲恋でしかないのに、エレオノーラとエルネスティにはそうではない。それどころかこの関係を築くことが出来てよかったとすら思っている。
 もし、出会わなかったら。そう考えるだけで、今は身を引き裂かれる思いだった。だから、これでよかった。何もかも捨ててもかまわないと思える恋が出来て、少年も少女も、今はよかったと感じている。
「ありがとうな」
「……何が?」
 突然お礼を言われてしまい、少女はその瞳を瞬かせた。それにエルネスティは小さく笑って金色の髪を撫でる。
「俺と、一緒に……いてくれて」
 恥ずかしいのか、ほんの少しだけ言いにくそうに少年が言葉を零した。栗色の瞳を空に向けたまま、声音だけはたまらなく優しく紡ぐそれ。エレオノーラは温かな気持ちを持ちふんわりと微笑んだ。
「私こそ、ありがとう。こんな私のことを好きになってくれて」
「……こんな、じゃない。おまえはおまえだから」
 視線を合わせるように、エルネスティはエレオノーラの顔を覗き込んだ。まっすぐに向けられる綺麗な少年の眼差しに、少女の心臓は高鳴り、甘くなる。穢れのないこの少年の心の中に自分がいると、そう思えることがエレオノーラの何よりの喜びだった。
「ねえ」
「ん?」
「ごめんなさい」
「……何が?」
 ふとエレオノーラの言った言葉に、今度は少年が言葉を返した。まったく分からないといった様子のエルネスティに、エレオノーラは伏せ目がちに続ける。
「この間、私の言ったこと」
 この間。それは始めて人間の命を奪ってしまって日のことを指していた。その日、互いに約束したことを思い出す。エレオノーラのひたむきな思いをエルネスティは受け止め、そして約束をした。二人でいるための約束は、少年には重いものだ。でもそれをエレオノーラが望むなら、それしかしてやれないなら、叶えてあげようと少年は思った。
「俺のことは気にするな。大丈夫だから」
「私ずるいよね……自分だけ楽になろうとして……」
「そんなことない。もう……何も言わなくて良いから」
 俯いてしまったエレオノーラの身体をやさしく抱き締めて、エルネスティは笑う。何もかもを包み込みたくて、この空からはらはらと舞い降りる雪ですら、少女に触れさせたくなくて、ただ一緒にいたくてその細い身体を抱き締めて、白い景色を反射するように輝く金色の髪に頬を寄せた。
「お前が言ってくれたこと、嬉しかったんだから……本当に何も謝ることなんかない」
「嬉しい?」
 思わぬ少年の言葉に、エレオノーラは自分より上にあるエルネスティの顔を見上げた、肩を優しく抱きこまれて見上げた少年の顔は、少女が思っていたよりずっと近くにある。その距離にまた心臓が高鳴る。見下ろしてくるエルネスティの瞳に自分が映っている。赤い瞳を栗色の中に見つけて、その顔がいつもの自分だと思って、ホッとした。
「一緒にいたいって言ってくれたから。…………ずっと一緒にいたいって、それが嬉しかった」
 きっと自分の気持ちを話すのは得意ではないだろう少年は、どうしても恥ずかしさが先に立つのか、言葉を捜すように視線をめぐらせる。その様子でさえ、甘く震えてしまうくらいにエレオノーラには見えた。
 エレオノーラは細い腕を持ち上げて、少年の背中に回した。大きな体を懸命に抱き締めて、胸に顔を埋める。この感覚を忘れないようにとでも言いたげに、柔らかな頬をエルネスティのコートに寄せて微笑んだ。
「私も嬉しかったよ。エルネスティの言葉も、してくれたことも何もかも全部」
「……そうか」
 穏やかな声で返事をした少年が腕の中に取り込んだ少女を見下ろして微笑んだ。それに見上げる少女も微笑を返す。互いに大好きな笑顔を交わしながらくすくすと笑い合っていると、また、ふわりと香り立つ。
 あのたまらなくエレオノーラを魅了する香りが。濃厚に、優雅に、最愛の少年から。前回の比ではないそれに、エレオノーラは眩暈がしそうなほど、戦慄を覚えた。
「エレオノーラ?」
 僅かに震え始めた少女の異変に、エルネスティは怪訝な表情で覗き込む。何かに耐えるようにして息を飲んでいるエレオノーラを見て、その異変を理解した少年は、またふと微笑を湛えて、ぎゅっと少女を抱き締めなおした。
「何も心配するな……」
「うん……」
「約束、覚えてるか?」
「……うん」
「俺も、ちゃんと守るから」
 金色の髪を何度も撫でながら、少年はそっと少女の頬に唇を寄せて、約束を守ると、もう一度しっかりとした声で告げた。

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