今宵、真紅の口づけを

3

 それぞれの赤い瞳が、真紅の瞳と栗色の瞳を見つめている。双子達もフェリクスも、何事かといった様子で言葉を挟まずに、ただ見つめてくる。
「なんで…エーヴァたちが…」
 エレオノーラも驚いてしまって、何が起きたのか分からなかった。だが、その少女を抱き締めているエルネスティが息を飲んだのだけは感じた。
「おまえ…」
 抑揚のない低められたその声は、以前聞いたことのある声だった。それに驚愕したエレオノーラはエルネスティを見上げる。その目に映った少年の顔は、信じられないものを見るようにリクの向こうを睨みつけていた。激しい感情を剥き出しにして、揺らめく焔を隠そうともせずにまっすぐに見つめる先に、フェリクスがいる。
「なんだ?なぜ人間がこんなところにいる」
 憮然とした様子のフェリクスが、それでもどこか楽しげに自分を睨みつけてくる人間の少年を、暗い赤の瞳で見返した。相変わらず仕立てのいい黒の上下に身を包んだフェリクスが、獲物を狙うかのような眼差しでエルネスティを見始めているのに気づいたエレオノーラは、思わずエルネスティを庇うように前に立ち、声を荒げた。
「エルネスティに何かしたら私が許さないから!」
 その声は、双子達でさえ聞いたことのない激しい感情を秘めていた。その様子にエーヴァもカトリネもますます呆然として何も言えなくなり、リクは僅かに目を見開き、フェリクスは更に楽しげににやりと笑った。
「なんだ、もう獲物だけは見つけたのか?」
「な……」
 あまりにもひどい言い方に、エレオノーラは言葉を失った。そんな目でエルネスティを見たことなど、勿論一度たりともない。頭に血が上っていくのをありありと感じながら、真紅の瞳でフェリクスを睨みつけた。
 その時、エルネスティがエレオノーラの肩をつかみ、後ろに下がらせる。押し倒すかのような強い力にエレオノーラがたまらずよろめくほどだった。
「なんでおまえがこいつを知ってるんだ」
 低い声のまま、ちらりと視線を流した少年がエレオノーラに問いかけた。その目に燈る焔はそのままに、剥き出しの激しい感情をエレオノーラにまで斬り込むようにして、しかし声だけは淡々とした調子で。
「なんでって…。エルネスティこそなんでフェリクスを知ってるの?」
 僅かに気づいている自分を隠すように、少女は少年に問うた。否定してほしいと思いながら、でも、もうそれはないとも思っている。
「……二人目だよ」
 それにエルネスティあっさり過ぎるほどあっさりと答えた。もう隠すものは何もないといった様子で、妙に表情のないまま少女に向かって答えて、そのままリクの後ろを抉るように睨んだ。
「………」
 その言葉にエレオノーラはやはりと思いながらも愕然とする。吸血族は数が少ないとはいえ、他にもいる。それなのに、エレオノーラとエルネスティの知らなかった繋がりがこんな形であったなんて思うはずもなかった。たった一人の少年の周りで三人も人が亡くなったことも稀なのかもしれないが、それに加えてこんな事実も明るみに出た。何も知らないまま、18年幸せに生きてきた少女と、苦しんで悲しんで生きてきた少年の間にあった出来事はあまりにも違いすぎた。
 何も出来ず驚く少女と、怒りを滲ませて睨む少年の視線の先で優雅に立っていた青年、フェリクスが、何のことだか分からないといった顔で、にやりと笑った。
「二人目?訳のわからんことを言う人間だ」
「おまえはもう忘れてるんだろうな」
「忘れるも何も、覚えている必要すらない事だと思うが?」
 明らかに馬鹿にしたような態度のフェリクスの言葉に、エルネスティは息を飲み、その両手を力いっぱい握り締めた。怒りと憎悪で爆発しそうな自分を抑え込んでいる姿が震えている。歯を食いしばり今にも飛びかかろうかというくらいに睨みつけて、でもそれだけはしてはいけないと思う。
 こんな憎い相手でも、エレオノーラにとってはきっと大切な存在たちなのだろう。エレオノーラ以外の赤の瞳は、エルネスティにとってはただのおぞましい邪な存在でしかない。黒衣の男も、その後ろにいる男も、横で不安そうに瞳を揺らしている少女達も、殺してやりたいくらいに憎い。ただ赤だというだけで、その瞳を潰してやりたいくらいに、自分の中に激情が迸る。
 でもしてはいけない。人として生きていくうえで、それだけはしてはいけない事だった。何も持たない少年が唯一誇れるものは、まっとうに生きている事だけだ。それを失ったら、何もなくなる。この自分を庇ってくれた少女に対しても、誇れるものがなくなると。その気持ちと、少女への温かな感情だけでなんとか踏みとどまった。
 だが、激情はそれを許してはくれない。真っ黒な闇がエルネスティの心を食い破らんばかりに荒れ狂い、はけ口を求めて暴れまわる。頭のてっぺんから足の先まで燃えるように広がるその黒いものが侵食していくのを止められない。家族の敵を目の前にして、これを抑えられる手立てを知っている者がいたら教えてほしいと、懇願しているだろう。
 無意識に、身体が動いていた。一歩、二歩と、ふらりと動いたその均整の取れた身体を、エレオノーラがしがみつくようにして止めにかかる。
「だめッ」
 そのまま少女はエルネスティの腕を取り、後ろに身体を翻す。力一杯引っ張りながら、逃げた。自分の大好きな家族と、青年と、元婚約者の従兄弟から、少年を守るために必死で逃げた。
「エレオノーラ!」
 双子達が同時に姉の名前を呼ぶ。何があったのか全く分からない妹達は、ただ姉が心配でそれぞれに色合いの違う赤の瞳に涙をためて、姉の後を追いかけようとした。
「行くな」
 そこに声を投げ込んだのはリクだった。厳しい眼差しでエーヴァとカトリネを制した青年に、二人とも驚いて立ち止まった。
「…なんで止めるんだ?」
 それにフェリクスがさして興味もないが、といった様子で問う。
「あの子はもう、止まらないからだよ」
 フェリクスと双子達に向けて、リクはエレオノーラたちが立ち去った方向を見たまま、静かに言った。
 自分を見て、何かを言いたかった少女の顔を思い出しながら、青年は小さく溜息をついた。まっすぐに見据えた少女の中にあった感情を、リクは認めようとしていた。穢れのない穏やかさと熱情を秘めたその真紅の瞳は、リクが初めて見るエレオノーラの顔だった。総毛立つほどに綺麗な瞳の中にあった、少年に対する狂熱とも言える感情を見せられては、もう何も言えない。
 どこまでも歩く先には何もないのに、それでも良いんだな。
 生まれたときから見てきた愛しい少女の、リクにとっては悲しい成長ではあるが、それを感じて、明るい赤の瞳を複雑な色に染めた。
 そんな青年の気持ちを、エレオノーラは理解する事ができないでいた。ただ森の中を、自分の家から離れるためだけに、最愛の少年の腕を取り走っていた。
 

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