今宵、真紅の口づけを
1
爽やかな風と初夏の太陽に、エレオノーラは思わず顔を顰めた。腰まである金色の長い髪の毛を風に遊ばせて、透き通る水のような明るい青の瞳で空を見上げながら溜息をつく。
「最近太陽苦手になってきたなぁ」
目に付き刺さるように感じて、体力が一気に奪われてしまう。ほんの少し前までは平気だったのに。
「仕方ないよ。私達ももう大人になってきてるんだし」
そう言いながら、幼馴染のヴェルナも空を見上げて溜息をついた。その赤い瞳が太陽を浴びて鮮やかに輝く。それから二人で顔を見合わせて笑い合った。
「そろそろ帰る?」
ヴェルナは持っていた籠にいっぱい入ったラズベリーを見てエレオノーラに言う。エレオノーラも自分が持っていた籠を見て頷いた。
「そうしようか。で、ジャム作ろう」
「うん。じゃあ行こう。」
二人で慣れた帰り道を歩き出し、何でもないことを話しては笑う。それがエレオノーラとヴェルナの日常だった。
ここは、四方を山に囲まれた国。
豊かでないにしろ、人間と魔の者達がそれぞれに共存しあう国。
国を南北に分断するように森が存在し、お互いがそれなりに干渉せず上手くいってる。エレオノーラとヴェルナは吸血族の娘で、今年18歳になる。他にも人狼や魔女、妖精などもいるが吸血族は力関係上その一番上にありながら数が少なく、エレオノーラたちも将来を背負い込まされている世代だった。
穏やかな四季のある大陸の奥まった国で、エレオノーラは何不自由なく育ってきた。吸血族とはいえ、見た目は何一つ人間と変わりはない。ヴェルナは赤い瞳が特徴的ではあるが、エレオノーラにいたっては金髪碧眼、まったく見分けのつかない容姿だ。
「ねぇ、あそこに人がいるよ?」
エレオノーラが、木陰に誰かの足を見た。長い脚が投げ出されるように見えている。しかも気配で、人間だと分かる。二人は顔を見合わせてしばらく立ち止まったまま無言で様子を見た。
魔の森といわれる、人間が住む方とは逆の森に、なぜ人がいるのか。普段は滅多に見ない人間の存在に、二人は無意識に緊張した。ぐっと両手を握って、エレオノーラが静かにその脚に近づいていった。
「ちょっと、大丈夫?」
ヴェルナはエレオノーラの袖を掴んで止めようとするが、好奇心の方が勝っているエレオノーラはそれを無視してどんどん近づいていく。
大きな木の陰に、一人の人間がいた。明るい栗色の、少し長めの柔らそうな髪。背の高いその人間は、木に凭れて足を押さえていた。
「男の子?」
エレオノーラはすぐ傍にしゃがみこんで小さな声で呟く、こわごわながらついて来たヴェルナも『ほんとだ』と、相槌を打った。人間の少年の目は閉じられていて、眉間に皺が寄っている。抑えている方の脚には、服の上にうっすらと血が滲んでいた。
怪我をして動けないのかな?
年はエレオノーラたちとたいして変わりなさそうな感じの人間が、ふとその目を開けた。視界がぼんやりとしているのか、何度か瞬きをすると、髪の毛と同じ明るい栗色の瞳が空を彷徨い、近くで自分を覗き込む女の子に止められた。
「……なんだ、お前」
不機嫌なのか、地声なのか、妙に見た目に似合わない低い声で言われて、エレオノーラは思わず息を飲んだ。
彫りの深い、まだ少し少年らしさを残すその顔が、鋭い目つきで少女を見つめている。上目遣いにその瞳がエレオノーラを凝視して、それから少しだけ体から力を抜いた。
「何でこんなところに女がいるんだよ」
「え?だってここ帰り道だし」
「帰り道?」
「そう。私の家ここを抜けたところだから」
エレオノーラが、森の先を指差すと、栗色の瞳がそのまま流されるように指先を追いかける。そして一瞬の沈黙ができた。
「お前…魔族か」
栗色の少年は目を見開いてエレオノーラを見た。そしてその斜め後ろにいたヴェルナを見て、息を飲んだ。ヴェルナの魔族独特の瞳の色に今更ながらに気付いて驚いたからだ。
「怪我、してるの?」
エレオノーラは言われたことには答えず、血の滲む脚を見て言う。
「…お前には関係ないだろ」
「それはそうだけど。でも歩けないからここにいるんでしょう?うち来る?」
「は?馬鹿なことを言うなっ。何で俺がお前らみたいな魔族の家に行かなければなんないんだっ」
眉間に思い切り皺を寄せて、栗色の瞳が嫌悪感をあからさまにした。それにヴェルナが怒って口を開いた。
「心配してるのにその言い方は何!?だいたい私達は貴方に何もしてないでしょ!?魔族だからって一括りにしないでよっ」
黒髪の間から覗く赤い瞳に、少年にも負けないくらいの嫌悪感を見せて言ったヴェルナに、エレオノーラは慌てて振り返った。
「ヴェルナ、怪我してる人にそこまで言っちゃダメだよ」
「何言ってんのよ、こいつは私たちのこと馬鹿にしたのよ?」
「…馬鹿にはしてない」
静かに、少年が言葉を零す。二人の視線が自分に注がれたのを感じた栗色の瞳が、にやりと意地悪な、蔑んだ色を見せた。
「嫌いなだけだ」
やはり、見た目に似合わない低い声がエレオノーラとヴェルナの鼓膜を震わせた。その声にはどうしようもないほどの不快感を纏っている。
「…こんな奴相手にする必要ない!」
ヴェルナは憤慨して、さっさと歩き出してしまった。赤い瞳が悔しさに涙を滲ませているのを、エレオノーラは見逃さなかった。
しかし、怪我をしてる人間を放っておくわけにもいかないと、優しい性格の少女は考える。
「あ、これ」
ふと思い出して、スカートのポケットをごそごそと探して、小さな小瓶を取り出した。薄い緑の液体の入ったそれを、少年の傍に置いて、青い瞳を笑みの形に変えた。
「私達のお薬だけど、人間が飲んでも大丈夫だってママが言ってた。体力が回復するから飲んで。このまま夜になったら、それこそ魔物に食べられるよ?」
エレオノーラの言葉を聴きながら、栗色の瞳がその小瓶をじっと見ている。返事はないが、エレオノーラは自分が出来ることはこれくらいしかないし、諦めてその場を離れようとした。
「おい」
背を向けたエレオノーラに、少年がぶっきらぼうに声をかけた。長い金髪を揺らして振り返ると、少年が見上げてエレオノーラを見た。
「お前、名前は?」
「…エレオノーラ」
「………ありがとう、エレオノーラ」
ほんの少しだけ、顔を赤らめた少年に、エレオノーラは花の咲いたような笑顔で頷いた。
「貴方の名前は?」
「エルネスティ」
「そう、いい名前ね。どうしてそんな怪我をしたのか知らないけど、気をつけて。エルネスティ」
それだけ言って、エレオノーラはその場を立ち去った。
長い金髪が楽しげに風に揺れているのは、少年の感謝の言葉のせいだと、栗色の瞳は知らない。
「最近太陽苦手になってきたなぁ」
目に付き刺さるように感じて、体力が一気に奪われてしまう。ほんの少し前までは平気だったのに。
「仕方ないよ。私達ももう大人になってきてるんだし」
そう言いながら、幼馴染のヴェルナも空を見上げて溜息をついた。その赤い瞳が太陽を浴びて鮮やかに輝く。それから二人で顔を見合わせて笑い合った。
「そろそろ帰る?」
ヴェルナは持っていた籠にいっぱい入ったラズベリーを見てエレオノーラに言う。エレオノーラも自分が持っていた籠を見て頷いた。
「そうしようか。で、ジャム作ろう」
「うん。じゃあ行こう。」
二人で慣れた帰り道を歩き出し、何でもないことを話しては笑う。それがエレオノーラとヴェルナの日常だった。
ここは、四方を山に囲まれた国。
豊かでないにしろ、人間と魔の者達がそれぞれに共存しあう国。
国を南北に分断するように森が存在し、お互いがそれなりに干渉せず上手くいってる。エレオノーラとヴェルナは吸血族の娘で、今年18歳になる。他にも人狼や魔女、妖精などもいるが吸血族は力関係上その一番上にありながら数が少なく、エレオノーラたちも将来を背負い込まされている世代だった。
穏やかな四季のある大陸の奥まった国で、エレオノーラは何不自由なく育ってきた。吸血族とはいえ、見た目は何一つ人間と変わりはない。ヴェルナは赤い瞳が特徴的ではあるが、エレオノーラにいたっては金髪碧眼、まったく見分けのつかない容姿だ。
「ねぇ、あそこに人がいるよ?」
エレオノーラが、木陰に誰かの足を見た。長い脚が投げ出されるように見えている。しかも気配で、人間だと分かる。二人は顔を見合わせてしばらく立ち止まったまま無言で様子を見た。
魔の森といわれる、人間が住む方とは逆の森に、なぜ人がいるのか。普段は滅多に見ない人間の存在に、二人は無意識に緊張した。ぐっと両手を握って、エレオノーラが静かにその脚に近づいていった。
「ちょっと、大丈夫?」
ヴェルナはエレオノーラの袖を掴んで止めようとするが、好奇心の方が勝っているエレオノーラはそれを無視してどんどん近づいていく。
大きな木の陰に、一人の人間がいた。明るい栗色の、少し長めの柔らそうな髪。背の高いその人間は、木に凭れて足を押さえていた。
「男の子?」
エレオノーラはすぐ傍にしゃがみこんで小さな声で呟く、こわごわながらついて来たヴェルナも『ほんとだ』と、相槌を打った。人間の少年の目は閉じられていて、眉間に皺が寄っている。抑えている方の脚には、服の上にうっすらと血が滲んでいた。
怪我をして動けないのかな?
年はエレオノーラたちとたいして変わりなさそうな感じの人間が、ふとその目を開けた。視界がぼんやりとしているのか、何度か瞬きをすると、髪の毛と同じ明るい栗色の瞳が空を彷徨い、近くで自分を覗き込む女の子に止められた。
「……なんだ、お前」
不機嫌なのか、地声なのか、妙に見た目に似合わない低い声で言われて、エレオノーラは思わず息を飲んだ。
彫りの深い、まだ少し少年らしさを残すその顔が、鋭い目つきで少女を見つめている。上目遣いにその瞳がエレオノーラを凝視して、それから少しだけ体から力を抜いた。
「何でこんなところに女がいるんだよ」
「え?だってここ帰り道だし」
「帰り道?」
「そう。私の家ここを抜けたところだから」
エレオノーラが、森の先を指差すと、栗色の瞳がそのまま流されるように指先を追いかける。そして一瞬の沈黙ができた。
「お前…魔族か」
栗色の少年は目を見開いてエレオノーラを見た。そしてその斜め後ろにいたヴェルナを見て、息を飲んだ。ヴェルナの魔族独特の瞳の色に今更ながらに気付いて驚いたからだ。
「怪我、してるの?」
エレオノーラは言われたことには答えず、血の滲む脚を見て言う。
「…お前には関係ないだろ」
「それはそうだけど。でも歩けないからここにいるんでしょう?うち来る?」
「は?馬鹿なことを言うなっ。何で俺がお前らみたいな魔族の家に行かなければなんないんだっ」
眉間に思い切り皺を寄せて、栗色の瞳が嫌悪感をあからさまにした。それにヴェルナが怒って口を開いた。
「心配してるのにその言い方は何!?だいたい私達は貴方に何もしてないでしょ!?魔族だからって一括りにしないでよっ」
黒髪の間から覗く赤い瞳に、少年にも負けないくらいの嫌悪感を見せて言ったヴェルナに、エレオノーラは慌てて振り返った。
「ヴェルナ、怪我してる人にそこまで言っちゃダメだよ」
「何言ってんのよ、こいつは私たちのこと馬鹿にしたのよ?」
「…馬鹿にはしてない」
静かに、少年が言葉を零す。二人の視線が自分に注がれたのを感じた栗色の瞳が、にやりと意地悪な、蔑んだ色を見せた。
「嫌いなだけだ」
やはり、見た目に似合わない低い声がエレオノーラとヴェルナの鼓膜を震わせた。その声にはどうしようもないほどの不快感を纏っている。
「…こんな奴相手にする必要ない!」
ヴェルナは憤慨して、さっさと歩き出してしまった。赤い瞳が悔しさに涙を滲ませているのを、エレオノーラは見逃さなかった。
しかし、怪我をしてる人間を放っておくわけにもいかないと、優しい性格の少女は考える。
「あ、これ」
ふと思い出して、スカートのポケットをごそごそと探して、小さな小瓶を取り出した。薄い緑の液体の入ったそれを、少年の傍に置いて、青い瞳を笑みの形に変えた。
「私達のお薬だけど、人間が飲んでも大丈夫だってママが言ってた。体力が回復するから飲んで。このまま夜になったら、それこそ魔物に食べられるよ?」
エレオノーラの言葉を聴きながら、栗色の瞳がその小瓶をじっと見ている。返事はないが、エレオノーラは自分が出来ることはこれくらいしかないし、諦めてその場を離れようとした。
「おい」
背を向けたエレオノーラに、少年がぶっきらぼうに声をかけた。長い金髪を揺らして振り返ると、少年が見上げてエレオノーラを見た。
「お前、名前は?」
「…エレオノーラ」
「………ありがとう、エレオノーラ」
ほんの少しだけ、顔を赤らめた少年に、エレオノーラは花の咲いたような笑顔で頷いた。
「貴方の名前は?」
「エルネスティ」
「そう、いい名前ね。どうしてそんな怪我をしたのか知らないけど、気をつけて。エルネスティ」
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