transient

8

 あったかい手だな。
 誠は体にあたる風に体を震わせながらも、ポケットの中にある小さな手にそう感じていた。
 葉月の手をきゅっと握り、ただ黙って歩いている。
 葉月も特に何も話さず、少し緊張しているのか、俯き加減のまま誠と並んでいた。
 髪の毛が顔を隠してしまっているから、どんな顔をしているのかは誠には分からない。でも、遠慮がちでも、誠の手を握ってくれているのが嬉しかった。
 小柄な葉月の歩幅に合わせるように、いつもとは違ってゆっくり歩く。そんなことも気恥ずかしくて、それでいて楽しいと思っている自分がおかしい。
 二人はそのまま、駅前の方に向かって歩いた。
 そこそこにぎわっている駅前には、クリスマスカラーの装飾が施された店が並び、明るい照明に照らされている。葉月はゆっくりと周囲を見渡して顔を輝かせた。
「明るいねぇ。なんか久しぶりにこんな風景見たよ」
「そうなのか?」
「うん。誠くんに出会うまでは学校から出る気にもならなかったし…出ても楽しいなんて思えないって考えてたから」
 駅前で一番大きなツリーの前に立ち、葉月はそのてっぺんで誇らしげに飾られている天使を見上げた。
 大きな瞳に、たくさんのライトが映り込む。それをぼんやりと見て、誠は思っていたことを口に出した。
「あの、さ…親は、どうしてる?」
「おや?」
「葉月の、お父さんとお母さん。今はどうしてる?」
「田舎に帰ってる」
 葉月はにっこりと笑ってあっさり答えた。誠は葉月の手を引いて、ツリーの良く見えるベンチに腰を下ろした。
 寒くて、二人とも自然とくっついて腰を下ろしたことには気づいていない。
「田舎、遠いのか?」
「うん。飛行機で行かないといけない。でも私なら、行こうって思えば行けるんじゃないかな。幽霊だし」
 冗談めかして笑った葉月は、すぐに笑顔をしまいこんで小さく息を吐いた。
「なんて……本当は会いたいんだ。…でも、会えない。私が死んだとき、お母さんは心がおかしくなって、違う人みたいになって……そんな風にしたのは私だと思うと……怖い。今のお母さん見るのも、それを見た時の私がどんな風になるのかも分からなくて。お父さんは、お母さんがそんなことになってしまったから、自分が悲しむ暇なんてなかったのかもしれないけど、それでも、私が死ななければ苦労はかけなかったじゃない?」
 葉月の口から、ポロポロとこぼれてくる心は、やはり自分の死のことに対する恨み言ではない。どれだけ家族を思ってこの20年を過ごして来たか考えると、誠の胸も苦しくなる。
「あ、でも、家はまだあると思うよ」
「家?」
「うん。私が生まれる前に建てた家が。何年か前に、それだけがどうしても見たくて行ってみたことがあるんだ。でも見たら泣いちゃった。一人で見た事後悔して、悲しくて。私のことがあってから売りに出したみたいで、今は違う人が住んでるはずだけどね」
 目の前のカフェから、有名なクリスマスソングがかすかに聞こえてくる。それに葉月が突然「これまだ流れるんだね」と笑った。その顔が少し泣きそうな顔をしていた。
 誠はその笑う顔を見つめて、小さく言う。
「行ってみるか?」
「…え?」
「家。さすがに親に会わせてやれないけど、家なら行けるし、今日なら俺がいるから」
 明らかな戸惑いを見せた葉月は、しばらく考え込む。膝元に視線を落とし、自由な方の手が、その複雑な柄に包まれた太ももをそろそと、心もとなげになぞっていた。
 誠はただ黙って答えを待っていた。嫌なら無理に行くことはない。でも、さっき彩の部屋で見せた葉月の顔が気になっていた。親のことを話した葉月の顔に、恋しさのようなものが見て取れたからだ。
 もし、何かできることがあるのなら、してやりたい。大それたことは考えていないが、少なくとも、自分が触れること、葉月が触れてくることで、今までできなかったことをしてやれるなら、この子のしたいことをさせてあげたい。それだけだった。
「行ってみたい、かも」
 葉月が突然ぽつりと呟いた。それはあまりにも小さくて、誠は聞き返す。
「行きたい。前は泣いてしまってすぐに学校に帰って来ちゃったから。ちゃんと、見たい」
 パッと顔を上げた葉月の目には、すでにうっすらと涙が滲んでいる。
「じゃあ、行くか。俺は道分からないから案内してくれよ」」
 立ち上がり、葉月を見下ろしてその髪の毛を撫でると、大きな目が嬉しそうに細められた。
 そのまま、駅に向かって歩き、慣れた様子で葉月は案内してくれた。
 葉月の住んでいたところは、電車で6つほど離れた場所で、高級住宅地と言われるところだった。なだらかな坂道に沿って、見栄えよく区画整理されて、雰囲気がまるで違った。どう見ても大きい家が程よい感覚で並んでいる様子は、海外のドラマの風景のみたいだと、誠は考えた。
「こっち。あと少し」
 緩やかな曲がり角の先を指さして、葉月は言う。その顔が強張っているように見えて、立ち止まった誠は、ポケットの中の手にまた力を入れた。
「嫌なら…帰るか?」
 葉月は一度ギュッと目を閉じて、それから誠を見上げた。
「大丈夫。見たい気持ちは変わらないもん」
 と言って笑った。誠は何も言わずに頷いて、再び歩き出した。
 高い壁と、大きな気木が視界から抜けると、白い壁の家が目に飛び込んできた。上品な佇まいの家にはいくつかの窓から明かりが見えた。
「……ここ?」
 立ち止まって家を見つめる葉月にそっと聞くと、目線を家から外さないまま頷く。
 誠とつないだ手が、小さく震えている。指先が不安そうに誠の指を探そうとして動いた。誠も家を見つめたままその手に答えるように握り直す。
 静かな住宅街に、立ちすくんだまま何も言わずに、どれくらいの時間が流れたかは分からない。街灯と、穏やかな窓の明かりが、今の自分たちとあまりのも違って見えた。
 この家で過ごしていた葉月はどんな子だったのか。今となっては確認することもできないことを、誠は考える。見たこともない家族の風景を想像して、泣きそうになった。
 きっと、ただ事件の事だけを聞いていたら、「不幸な出来事」としてしか感じなかったかもしれない。でも、目の前にいる葉月のことを知ってしまったら、とても古い事件としては片づけられなかった。
 気がつくと誠は、葉月に向かい合い、反対側の手でその細身の体を引き寄せて、抱きしめていた。
「……誠くん」
 葉月の震える声が自分の体を浸透して聞こえてくる。細くて小柄な葉月は片腕だけでも十分、誠の腕におさまった。
「ごめん。俺……情けないな」
 声を出せば、自分のものじゃないように思えて、震えているのが恥ずかしくて思わず笑いそうになった。
 葉月には笑っていてもらいたい。泣き顔なんか見たくない。そう思えば思う程、こんな風にしかできない自分が情けない。
「ありがとうね。ここまで一緒に来てくれて。ありがとう」
 葉月も自由な方の手で誠の背中に手を回して、優しい声で答えた。
 葉月の中に、複雑な思いが波のように押しよせてくる。両親の顔も、かつて暮らした家の中の間取りも家具の配置も、どんな匂いだったのかさえありありと。
 でも、不思議と楽しかった、幸せだったことの方が多く思い出されている。自分の身の上に起きた事よりも、ふわりとした感触にも似た、温かな思いでに浸れることに、葉月は安堵した。
 もう一人で暗い気持ちのまま過ごすのは嫌だ。どれだけ憎んでも叫んでも、何も変わらない。なら、笑っていたかった。誠と過ごすようになって、余計にそう思えるようになった。目の前で、涙を滲ませてくれるこの人に、嫌な顔を見せたくない。少しでも私のことを見ていてもらいたいから、笑っていようと思うようになった。
 葉月の中で、誠が大切で大きくて、離れたくないと思う存在になっている。この感情の名前を葉月は知っているが、認めたくない。どうにもならないのに、認めてしまいたくない。
 恋愛がしたいなんて、思わなければよかった。
 葉月の頭の片隅では、ぼんやりとそんなことを考えている自分がいた。

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