transient

6

 20年前の春。
 一人の女子高生の遺体が発見された。通っていた高校の桜の木の下で。
 きれいに整えられた髪と制服と、手を合わせて横たわる姿は桜の花びらで埋め尽くされて、とても死んでいるようには見えなかった。
 女子高生は5日間、行方が分からなかった。いつもなら両親どちらかの送迎で学校に通っていたのだが、その日はたまたま電車で帰る予定になっていた。
 学校から帰らない娘を心配した両親が、警察に行き共に探したが見つからず、5日後の早朝、桜の木の下で発見された。
 変わり果てた娘の姿に、両親は気が狂いそうなほど悲しみ、娘を抱きしめて泣いた。
 一人っ子で、ピアノが得意な明るく元気な性格の少女。切れ長の大きな瞳が愛らしい黒髪の少女は、たった17年でこの世からいなくなってしまった。
 遺体発見から20年。まだ犯人は見つかっていない。
 当時お嬢様高校として有名だった学校での事件は、大いに騒がれ、古くからいる地域の人間は未だにそれを記憶していた。


 自分が生まれる前の葉月のことを聞いた誠は、言葉もなくリビングのソファーに座っていた。
 そばに葉月はいない。それがすごくありがたいと思った。
 聞くんじゃなかった。
 そんな気持ちが自分の中でグルグルと渦を巻く。でもそれも後の祭りだと、冷めた気分でいる自分も、誠の中にいた。
 これを聞いて、どんな顔をして葉月に会えばいいんだろう。あの明るい笑顔を見せられたら、どんな顔をして返せばいいんだろう。なんて言えば良いんだろう。
 大きなため息とともに天井を見上げる。勿論なにも浮かばない。
 葉月はちょっと離れるねと言って、姿を消した。それから誠は、母親にその事件のことを聞いたのだった。
 誠が思っていたこととはあまりにも違っていて、夕食時に聞いたことを後悔した位だ。一気に食欲はなくなりそのまま箸を置いてソファーで呆けていた。
 リビングから自分の部屋に通じる廊下を視界の端に入れた時、スッとスカートの影が見えた。思わず身を乗り出して確認するように目を眇めると、ドアにひょこっと葉月が姿を現した。
 にっこり笑って誠を手招きする。誠は一瞬躊躇ったが、ソファーから立ち上がりドアに歩み寄った。
 葉月はそのまま誠の部屋に入っていく。何も言わず誠も部屋に入ってドアを閉めた。
「…………聞いた?」
 葉月は少し緊張した様子で誠に問いかけた。誠は何も言わずに小さく頷いた。
「そっか。ごめんね、嫌な話を無理矢理聞かせて」
「いや……それは、大丈夫」
「いいよ。いい気はしないでしょ。私が死んだ時の話なんて」
 そこで言葉を切った葉月は、花の咲くような笑顔を見せた。
「でも。ちょっと嬉しいかも」
「………何が?」
「私の事に興味持ってもらえた気がして」 
 切れ長の目が細められ、その顔が穏やかに笑む。誠はいたたまれない気持ちになって顔を背けた。
「なんで、笑ってられんだよ」
「え?」
「あんた……本当に馬鹿なのか?自分が殺されてなんで笑えんだ」
 言っちゃいけない。そう思っても、誠はコントロールできなかった。
「訳分かんないだろ。何もしてないのに殺されて桜の木の下なんかに置かれて……犯人捕まってないとか。なのにあんたはいつも笑ってて……ほんと、馬鹿じゃないのか」
 声を荒げるのだけは我慢できた。でも、言葉の端々に自分の感じる黒いものが見え隠れして、葉月に言うべき言葉ではないと分かっていても、止められない。
「あげく恋愛がしたいだと。あんたの頭の中どうなってんだ」
 イラつきと自己嫌悪で、誠は頭をかきむしりながら、ベッドに身を投げ出すように座り込んだ。葉月は何も言わずに誠を見つめている。泣いたり怒ったりするわけではない。ただ黙って誠のことを見ていた。
 長い沈黙が流れる。二人の呼吸すら聞こえそうなほどの沈黙を破ったのは葉月だった。
 大きな目に揺れる暗いものが、誠を捉えた。でも、怒りなどではなく、諦めのようなものに感じる。
「いまさら言っても仕方ないんだよ。私が死んだのはもう20年前だし、死んでしまったものは…どうにもならないじゃない?だから」
「じゃあなんでまだ存在してんだよ」
 吐き捨てるように、誠は葉月の言葉を遮った。
「何かあるからまだここにいるんじゃないのか?言いたいこと、したいことあっただろう?それを奪われて、閉ざされて……笑ってんじゃねぇよ」
 誠の方が、泣きそうな声を出していた。
 俺って、最低だよな…。なんで俺が怒ってんだよ。しかもこの子にぶつけるなんて最低で最悪だ。
 誠が大きなため息をついて頭を抱え込んだのを見て、葉月はそっと手に触れた。
 葉月の手の感覚が誠に伝わる。優しくて暖かい手の感覚に、誠は涙がこぼれそうになって、ギュッと目を閉じた。俯いたままの誠の肩が震えたのを見て葉月は、そっと言葉をこぼした。
「私のしたいこと、いっぱいあったよ。でもできないじゃない。どうして自分がここにいるのかも分からない…………生きたかったよ。死にたくなんかなかった。まだまだ、人生があると思ってた……生きていたかった」
 誠の涙に触発されるように、葉月の瞳から大粒の雫がこぼれた。泣いている気配を感じて誠は俯いたまま目を開けた。視界に入る床に、葉月の涙がポタポタと落ちてくる。
 誠はその涙を拭ってやりたかったが、まだどんな顔をして葉月を見ればいい分からず、動くことが出来なかった。
 二人のすすり泣く音だけが部屋に響く。今日の帰りまで、あんなに楽しげに笑っていた葉月の涙は、これまでの分を流すかのように大粒だった。声を出して泣かない代わりに、涙は止まらなかった。
 どのくらいの時間がたったかは分からないけど、誠は体中の空気を入れ替えるように、深呼吸をして目元をぐっと拭った。
 こんなに泣いたの、子供のころ以来だ……。
 もう一度軽く息を吐いて、誠は葉月を見上げた。葉月は誠を見つめて、その切れ長の瞳を優しげに細めた。
「泣いてくれてありがとう。誠くん」
 なんで、この子はこんなことが言えるんだろう。俺なら絶対言えない。
 穏やかすぎる葉月の声と表情に、誠は驚きを隠せない。まじまじと葉月を見つめて、それからふと表情を緩めた。
「ごめん。ひどいこと言った。それと、ありがとう」
「ん?何が?」
 キョトンとする葉月の手を、誠はそっと握った。
「嫌なこと聞いたのを、許してくれて」 
「ううん。私の事知りたいって思ってくれたの、嬉しかったから」 
「でも……思い出したくなかったんじゃないのか?」
 誠の言葉に、葉月は少し考えてゆるゆると首を振った。
「忘れてるわけじゃないんだよ。でも、受け止めようとはしてるんだ。これはどうしたって変わらないから…あ、でも今は、誠くんと一緒にいられて楽しいから、忘れそうになることもあるけどね」
 にっこりと笑われて、誠は苦笑した。
「ほんと、ある意味馬鹿だよな、あんた」
「ひどいなぁ、もう」
 ぷーっと頬を膨らませて葉月は誠を睨んだ。そんな葉月の前でスッと立ち上がった誠は、ぱっつん前髪を優しく撫でて微笑んだ。
「やっぱ、馬鹿だ。でも、そこが良い所だな」
「……そう?」
「ん……」
「そっか……」
 葉月は少しだけ目を潤ませて、それからまた笑って誠を見上げた。その顔が可愛くて可愛くて、どうしようもないほど、ふんわりと、誠の心に入り込んだ。
 

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