神刀人鬼

神取直樹

肉食

 声は、言葉を紡ぐ。叫び声、命令の宣言が、耳をつんざく。これは、操られている、というべきである。食事マナーを掻き消した、形容しがたい昴の口元は、ぽかんと開く。それは、相手方の銀髪金目にも同じであった。出雲の声を聴いた全ての人間が、一度、脱力して、確かに、人形のようになる。それこそ、誰もが、誰もが、出雲の言いなりだ。
『道を開けろ』
 私に、と付け足して、そうすると、瞳孔瞼が開き切ったままの、蘿蔔が、クッと体を動かして、出雲の歩く道を作る。その先にいた人間たちも、声が聞こえていた者たちは、皆、出雲の歩く前を避けた。
『ここの長は誰だ。手を上げろ』
 ふと、そう、落ち着いた口調で、それでも揺らいでいる音で、言った。すると、人の奥の奥で、小奇麗な手袋を付けた手が上がる。そこまでの最短ルートが、人の大群に隙間を作る形で現れる。道を開けろと言ってあったからである。
 昴は分析していた。動けない体でも、理性は回る。が、本能は回らない。出雲の声は、聞いた人間たちの本能に、深い思考に根差し、命令している。異質な音が、異常に馴染む。テレパスのようなものかと思えば、そうでもない。この声のことを、何となく、知っている。
『お前か』
 出雲が、手を上げていた、妙に着飾った軍服の女の前で微笑む。女は、恐れていた。何か、知っているようだった。出雲が女の首に手をかけて、にんまりと笑んだ。
『私に首を絞められている者に、発言を許そう』
 恐怖で強張った女の顔が、少し、歪んで、音を発する。それは、許されたのではなく、強制されているようでもある。
「……っ……言霊遣いっが、な、何故ここに」
 言霊遣い。昴は聞いたことがあった。声と言葉という二つを成して、神刀人鬼の人の全てを操れるとされる、少数民族である。血筋とその才能が開花するかどうかの運、見つかれば政府でも幕府でも捕縛されるであろう希少さと、特殊さと、戦力。出雲だけが異質に見えた。操る側、支配する側に完全に、一人で立っている彼が、何か、王のような風格を持って、畏れを叩きつけてくる。
『遺言を』
 しかし、出雲は、次第に、疲れたような様子で、急ぐような形で、言葉を置いて行った。
「……死ねない」
 女は、そう、頭を垂れて、目をそらす。首と口だけが、動く。
「死ぬことは許されない。この戦場で死ぬということは負けるということだ。負けは許されない。よって死ぬことは許されないのだ」
 焦りと、信仰に近い物言い。戦時下のその言葉は盲目を象徴する。「許されない」ので、あれば。
『私が許そう。お前は死ね』
 閉口しかけの、張りつめたものを解いてやるような、少々、優しい物言いではある。それが、ほんの少しの文章の、言葉の紡ぎ方で現れているわけではない。奇妙なくらい、恐れを抱かせない、その表情である。ニヤニヤしている、出雲らしい、そんな顔ではない。聖人、という称号が似合う。
 それにつられてか、言葉にかかったのか、女は、懐にあった銃を取り出し、頭に付きつけ、引き金を引き絞った。躊躇がない。昴はそれを見守って、自分の体が、半分、動けるようになっていることに気が付く。ハッとして、出雲の方にしっかりと目を向けた。足音が聞こえる。誰も動けないはずのこの状況で、誰かが、走る音。
「出雲! 逃げろ!! 罠だ!」
 昴が言うよりも早く、みどりが昴を抱えて遠くに走り出し、春馬が出雲に叫んでいた。それに気が付いた出雲も、全速力でその場を離れる。一人、背を向けずに女に目をやっていた昴は、見ていた。女の腹に、注射器か何かを突き刺し、歯を食いしばる、幼い子供の姿を。それが、自分よりも幼い、自分と同じ色の、少年であることを。繁縷が、食い荒らした頭が、笑っていたことを。

――――刹那、断末魔が唸る。
 何かが爆発した衝撃と、体に打ち付ける痛み。断末魔は女の声である。いや、声ではないかもしれない。既に、咆哮。空気の擦れる現象と化した。どれほどまで遠くに来れただろう。その距離が、命綱になっていたのは確かである。衝撃で、倒れた四人は、その咆哮の元を見る。
「なんや、あれ」
 出雲が、地獄でも見たかのような、苦々しい表情を浮かべる。いつもの出雲だ。少なくとも、数日共に過ごして知っている、出雲ではある。
「獣だ。捨て身の最後の攻撃ってやつ」
 昴が冷静にそう言った。異常に頭は冴えている。
「生粋の、純血の、完全な人間に、神刀鬼の血液を直接一定量打ち込むとああなる。だから幕府でも血液は保存を徹底しているんだ」
 説明は、淡々と、要らぬことまで言ってしまった。みどりが近くに落ちていた、銃を取る。それを、獣に思い切って投げつける。おおよそ百はメートルで離れているが、獣の皮膚にめり込んで体液を噴出させるくらいには、威力があった。その皮膚、柔らかそうに見えるが、周囲の物という物を音を立てて潰していったり、壊していくくらいには頑丈である。土煙が晴れて、詳細、その形が分かった。
「肉塊だな、正に。あれが獣とは笑わせる」
 みどりが、冷や汗をかきながらもそう皮肉ったように、獣の姿とは、肉塊の姿を取り、巨大な目玉をランダムに体に埋め込ませる、肉戦車である。ゴプ、という音と共に、肉塊の隙間から人間のものをそのまま大きくしたような歯が並んだ、口が見える。その口に、次々と、体を支えている腕とは全く違う腕のような肉を生やしてそれで運んでいく。運んだのは、周囲に散らばった、人間の肉である。
「……美味そうな匂いがしねえ」
 昴が、獣のかき集めている肉の臭いを、風下であることを利用して嗅ぐ。だが、もう、自分を狂わせたような、あの香りはしない。死んだのであれば、肉があるのであれば、臭いは確実にするであろうし、おそらくは、逃げている。
「とりあえず、ここから逃げよう。獣を討伐すれば今回の戦いは終わる。あれが指令だったなら、ここが本営だったなら、もう政府側は壊滅してるんだ。あとは討伐隊に任せよう」
 鏡になりそうなものを探して、昴達は少しずつ、獣から遠ざかり、走る。全力で走れば、おそらくは途中で失速し、獣と対峙することになるだろう。未だ、獣が食うことに熱中しているうちには、体力を温存したいと、速足程度の速度で動く。ふと、昴は道端に落ちている人間の欠片を拾っては口に運ぶなどして、その場その場で、少ない体力を補っていた。
「何や、お前の方がアイツっぽいな。お前と似たような奴なんか?」
 奴、だの、アイツ、だのは、おそらくは獣のことだろう。出雲はこの状況ながらも、何か、楽しんでいるようであった。
「断じて違う。俺があんな理性の欠片も無い腐ったゴミに見えるのか」
 昴が、歯ぎしりしながら、眉間に皺を寄せながら、出雲の笑う言葉を遮って、唸る。
「冗談やって」
 心底楽しそうにしているその表情が、変わらない表情が、言葉で操られていた記憶も相まって、憎たらしくて仕方がない。
「昴、あんまり怒るな。怒るだけ無駄だ。そいつは永遠にお前みたいなクソ真面目な野郎にはその顔崩さんからな」
 みどりが、先陣切っている先で、そう音を落とす。成程、そうらしいと、昴も、出雲の隣で押し黙った。本陣に戻ればすぐにでも殴ってやろうと、その横顔の頭を狙い続ける。
『前見て走れ』
 出雲がまた、うねりを含ませた声を上げた。
「…………!」
 昴は強制的に前を向く。言霊を使っているらしいときの出雲は、異様に、一瞬だけ見えた顔が、美しいと感じる。元々の顔はそこまで良いものではない。どちらかと言えば、平凡である。ひとたび付き合いを無くせば、忘れるであろう顔。だからこそ、殺人鬼として顔を覚えられずに活動出来ていたのかもしれない。そう考えると、殺人鬼同盟は、春馬とみどり以外の四人は、基本的にはすぐに忘れられるような、特徴のない顔をしていた。その中でも、出雲は特に、忘れられやすい。けれども、昴は、先程見た、一瞬だけのその出雲の顔を忘れられずにいる。そういう能力なのかもしれない。昴は諦めて、ずっと前を見ること、空間移動を使える鏡面を探すことに徹した。

 暫く走り続けると、見知った顔が、こちらに向かってくるのに気が付く。
「遠征隊だッ」
 遠くから、そんな声が聞こえた。出雲には覚えがある。彼はまさしく、討伐隊の、蛟の大和である。
「このまま走って本陣に戻る方が良いんじゃないか」
 春馬が、そう呟く。確かに、獣は追ってもこない。前には仲間の最前線がいる。それも策だろうと、昴は答えようと口を開ける。少し後ろで走っていた出雲が、その音を遮った。
「全員止まれ!」
 それはただの忠告。それも、焦りを含んだもの。驚いて、三人は立ち止まる。ふと、その瞬間、一瞬だけ周囲が暗くなった。まるで、上になにかが飛んできたように。その飛行物体が何なのか、すぐにわかった。
――――ド、グシャッ
 そう、前に数人いた幕府の者たち――勿論、大和を含むを潰して、肉の塊が降ってきた。それは、先程発生した、獣、その、形が変わった姿である。巨大な肉塊に、幾つもの人間の腕とその腕に似た巨大な肉の帯、それが先程までの姿である。しかし、今はどうだろうか。ぬらりとした目玉付の筋肉は、生き物としての形、特に、アマガエルのそれに近い形に成りあがり、沢山あった人間の腕は集約して前足に、肉の帯は強靭な跳躍力を生み出すための後ろ足と化した。確実に、変異している。
「……まずいぞ、これは」
 昴が、冷や汗をかきながら唸る。ある程度、姿が見えない程度には離れていた自分たちに、おそらくは一度で追いついた脚力。それを見た後では、逃げ道を思いつかない。通る中で、空間移動が出来るような鏡面はなかった。昴が自分含めて四人を術で運ぶという、体力を削るような奥の手は使えない。
 純粋な、異形との戦闘。それになった瞬間、暗殺者たちは無力と化す。彼らは兵士ではない。暗殺者である。
「撃て!」
 獣の後ろから、幕府側からそんな、恐怖を帯びた声を聞きつける。銃火器を乱射したようで、幾つか流れ弾を四人で避けた。しかし、ほとんどの鉛玉や衝撃波は、獣の肉体に吸収されていく。獣は、歯を見せて笑った。
「全員防御態勢に移れ!! 早く!!!」
 ある男がそう叫んだ時にはもう遅い。打ち込んだ側から、攻撃した全ての物理現象が、戻される。文字通り戻されてしまった。その先にいたのは、打ち込んだ本人たちである。乱射が乱射で還る。避けることに特化した幕府の装備では、簡単にそれらは肉体を貫通させていく。幾人かが持ち前の特性で避けたり、防御の体を取って生き延びていたが、攻撃が利かないとわかるといなや、建物の裏などに隠れていく。だが、その隠れた場所はすぐに獣にはわかる。体に満遍なく視覚器官を埋め込んだ獣には死角が無いに等しい。一瞬で、口から出した長い舌で、隠れた者たちを絡めとり、口の中に入れた。入れた瞬間には、銃撃の音や、暴れる声が聞こえる。しかし、獣が蛙らしからぬ咀嚼の動きをすると、その声は断末魔へと変化し、やがて静かになる。
 四人は静止したまま動けない。動けばこちらを見ている目によって、自分たちは踏み潰されるか、舐めとられるからである。
「…………」
 静かに脳の回路を動かす。全員がそうであった。どうしても、蛙の姿をしてるせいか、蛙のことばかりが浮かんで、走馬燈はどうにも来そうにない。ふと、昴は思いつく。
――――何故こいつは俺達を襲わないんだ?
 一番近くに、自分を嬲ろうとした者達がいるのにもかかわらず、獣は動かない。それの理由が、理解できなかった。だが、次第に、昴は、蛙の特性を思い出した。
 視力はそこまで良くないのではないか。もしかしたら、自分たちは生きているものとは認識されていないのではないか。
 昴の獣に対する知識は「人型生物の殺戮が第一目的である」「初動では自分の体を形成するために死体を食うが、変異後は生きたものしか狙わない」「自分の形に近い生物と似た性質に寄る」という推測の三つである。もしそれが全て正解であるならば、おそらく、昴達は死体として見られているのだ。
 蛙は静止したものを認識はしているが、視力自体はそこまでは良くない。また、サーモグラフィーの機能を持っているが、ここには死んですぐの暖かい死体がそこら中に転がっているから、それとは見分けがついていないだろう。
 つまりは、動かなければ襲われることは無い。しかし、動かなければいつかは踏み潰されるのがオチである。状況の打破が、効かない。脳をどんなに動かしても、今の四人が生き残れる可能性を考え突かない。それこそ、幕府側から、何かしらの動きが無ければ何もかもが無駄である。静まった最前線の戦場で、昴は息を飲んだ。飲んだ、ごくりという音と僅かな喉の動きに、獣が気づく。目玉がぎょろりと動いて、昴を見た。
 そんな中、獣の足元で、ずりゅりと、肉の擦れる音がして、ガチャリと、一瞬で、金属を動かす音が過ぎる。

「気づけッ! あんのクソ隊長!!」

 大和が、無傷の全裸で、発砲する。その音に気付いた獣が動いた瞬間、気がそれた一瞬に、昴は、打開策を探ろうと周囲を見渡す。発砲した先では、色のついた煙と、眩い光が上がっていた。周囲にいた中でも出雲は、大和の下半身を見ていたが、それを昴は一瞬、何故、と思いつつも無視する。光で、足元の血だまりが鏡になる。ポケットから神器の鏡を取り出して、叫んだ。
「バイバイだ! クソ肉蛙!!」
 四人がすっぽりと、血だまりの鏡に落ちた。その後、ある少女の咆哮が獣にまで届いたのは、昴達が移動したのと同時である。

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