神刀人鬼

神取直樹

鉈刃

 敵意を感じることが出来ない瞳に、自分の顔が写る感覚は、最早消えかけた感情に熱いものを差し込んだ。キッと見つめてみたが、少年は困った顔で笑うばかりだ。
「俺は水咲って言うんだ。風野水咲。お前とは二つしか違わないからそんな気にしなくて良いよ」
 ヒラヒラと左手を振り、右手から落とされたそれは一つの隔たりとも思える壁を作った。手に持つその刃物は少年には不釣り合いな刃渡りで、五十センチはあるだろうか。何処かで見たことあるような、鋸の様だが、刃の部分は包丁の様になっていて、それも砥がれていて鋭く、紅い液体で鈍く光り輝いていた。
 しばらく、音も無くその場に佇むしかなくなって、動かない女性の胴体の裾を握っていた。少年――水咲の無邪気な非の打ちどころのない、如何にも子供のような表情を眺める。歳が二つしか変わらないと言うと、十二歳だろうか。羚自身もそんなことしか考えられないくらい、何かが追い込まれているらしい。
「初々しくて可愛いなあ。去年の俺みたい。あ、でももう少しお前は耐性があるかも」
 それはどういうことだと、口を開けてしまいたかったが、それをする気力も湧かない。震えは止まっているのに、脱力が過ぎて笑いまで込み上げてくるようだ。
「あっ……あぁ、あ、はは……」
 表情の引き攣りと、自分が発した声で、自らがもう笑ってしまっていることに気が付く。
「おいおい笑うなよ」
 心底驚いた表情で羚の顔を覗く水咲は、手に届く場所に置いておいた刃物を手に取り羚の頭を左手で撫でた。
「今、俺の妹が連れ出してくれるから心配しないでよ。大丈夫大丈夫。俺の妹は頭良いし優秀なんだから。それに、さっき出雲さんから聞いたけど愛だっけ? あの子は殺さないらしいから。あぁ、聡とか言うシスコンさんも。何かねえ、疑いが無いんだってさ。俺頭悪いからよくわかんないけど」
 愛と言う名前を聞いた瞬間に、羚の背がビクついた。良かった、大丈夫だ、生きてる、僕も生きてられる、大丈夫、愛、アイ、愛がまだいる。更に自分の口角が上がっていることが、もう自覚出来ていた。
「うわぁ、嬉しそうだねえ……」
「うん、嬉しいんだ」
 初めての開口に水咲も戸惑ったようだが、それに対して躊躇も無く羚は立ち上がり、愛の母の体に手を添える。そのまままたそこに座り込んで目を瞑った。
「僕には親も兄弟姉妹もいない。一人っ子なんだ。お母さんは三年前に事故で死んじゃった。僕だけその時に無傷で生きてた。父さんは知らない。離婚したとか言われたけど、僕は本当に何も知らない」
 淡々と、語る。まるで水咲より歳が上の様に語り始めた。その眼は生気が宿っていない。何体という死んだそれを見てきた水咲は見慣れていた。
 それこそ、数か月前の自分を見ているようだ。自分が佇むのは血溜まりとまだ熱のこもった死体の前。後ろにはもう吐いてしまったらしい妹が泣き出している。
「お兄さん、聞いてる?」
 一気に現実に引き戻したのは羚の幼い声だった。
「あぁ、聞いてる聞いてる」
 こいつも大概、同類かもしれない。そう水咲が考えていると、白衣から携帯が鳴った。癖のようにポケットから携帯端末を取り出したが、そこには非通知としか表示されておらず、流石に羚の言葉も無視せざるを得ない。
「悪い、聞いてる暇なくなったわ」
「どうしたの?」
「うん? あぁ、何かおかしなことになってるらしくて。一緒に来てくれる?」
 羚の細く白い手首を掴む。羚も水咲に促されるままに立ち上がったが、上手く膝に力が入らなかった。なんとか足の裏に床を付けて支えたが、ネバついた血液がズボン全体に浸いてしまい、とても動きにくい。
「……これ、ちゃんと落ちるかな」
「流石に無理だろ。お父さんにでも新しいの買って貰えば?」
「からかってる?」
「いや、ガチ」
 また少し困った顔で水咲が笑った。きっと、彼は羚よりも羚の周辺のことを知っている。それが知りたくて、求めたくて、羚は水咲の腕をしっかりと握った。
「教えてくれる?」
「あぁ、教えるさ。というか、解るさ、多分」
「根拠は?」
「無いな。でも、多分、大丈夫だ」
 羚はその多分が一体どこから出てくるのか聞きたいが、そのまま二人で歩き出す。一瞬だけ振り向いてみたが、そこに何も感じられなかった。


「あー、ヤバいねえ。捕られちった」
 ビルの屋上、スコープ越しの彼は独り言のように言った。それは独り言ではないが、現状を見ただけでは独り言のようにしか思えない。ただ、それを後ろで眺めるのは、彼の知らない顔をした少年だ。
「これで今のところ、テメェ等の勝ちってこった。まぁ、そうでなくても負けはしないだろうがよ」
 少年に語りかけ、スコープから目を離した。もう警戒する必要はないと判断したからだ。しかし武器を下ろすことはせず、少しだけ腰を浮かせ、中腰に構える。
「うちの隊長が遊ばなきゃ、それなりに勝ち点稼ぐさ。テメェ等の目的なんてたかが知れてら」
 ヘラッと笑って見せると、少年も胡座をかいて――それでも手に持っていたハンドガンだけは隠さずもそのままだったが――瞼を半開きに見つめてくる。そして口を開いた。
「それ、もしかして俺等のことが怖いんすか?」
「はぁ? ちげぇよ馬鹿垂れ。お前は恐くないね。テメェ等のリーダーがとんでもねぇ」
「あー……出雲さんか。あの人は気を付けた方が良いかも」
「そう、その出雲風太。殺害動機がテロでも幕府への移住でもねぇ。ありゃあ一体何者――」
――――そこまで言い欠けた頃に、突然熱い風が彼の背にかかった。

「風太は大量殺人をしてもどうと思わないから。俺みたいに」

 ハンドガンを投げ付け、少年はジャンバーのポケットからレモンとも似ているそれを取り出した。手榴弾のピンに歯をかけ、抜き、また投げ付ける。対象物とは至近距離であるから、そのまま距離をとりに走る。
「テメェこの野郎! 爆弾魔の」
 刹那の爆発音に、その後の言葉は掻き消されてしまう。どうせ起動リミッターを改造し、自分の逃げられるギリギリには破片もなにも飛ばさないように出来ている分、威力は弱い。
「あぁそうだ! 爆弾魔の石原淳史だ! 以後お見知りおきを! 討伐隊の坂田信博さん!」
 淳史が屋上の建物で身を隠し、破片も何もあまり飛び散らなかったのを見て、坂田の返事を心底ワクワクさせて待っていた。爆弾魔として、淳史は優秀だった。相手によって火薬量を自在に操り、規模を変え、被害を変える。今回もそれが当たっているはずだ。殺す気は無い。殺せなどしないのは初めからわかりきっている相手だ。討伐隊と言う相手は殺せないのだと、そういう知識があった。だが、なぜ殺せないのかは情報が無く、納得がいかなかった。
「テメェよお……」
 その答えを明かしてくれたのは、坂田だった。その坂田と言えば、先程まで着ていた少し古そうな上着が爆風と破片により布切れになり、自分で覆い被さったのか腹の皮は焼け焦げ裂けて、少しだけ体液を出していた。その体液は瞬く間に蒸発し、全身に出ていた火傷もみるみる消えていく。肉が足りないところは他の筋肉が増殖し覆って行っては、皮膚が再生するように更に覆って行った。人間ではないその傷の修復に見とれていれば、いつの間にか坂田の体は元に戻っていた。
「これ疲れるんだから止めさせてくれねえか。むやみやたらに人間を傷つけるもんじゃあねえよ」
「人間? 面白い冗談を」
 どう考えても、彼は人間ではない。おそらく淳史がいくら銃で穴を開けても、火を放って焼いても、得意の爆弾で再三引き千切って焼いてしまっても、死になどしない。殺せないという答えだ。
「人間がそんなに傷を早く治したら恐ろしいよ。俺の殺してきた人間に、アンタみたいな人はいなかった」
「そりゃあそうだろうよ。俺、ここの世界の人間じゃねえもん」
「ふうん、じゃあ、その世界の人間は皆そんな感じなの?」
「いや、そうじゃあねえな。俺と神野たちだけだ」
「神野? また大層な名前で。偉そうなことだ」
「あーあ、その言葉、全部筒抜けだぜ? 良いのか?」
 坂田が手に持っていたのは携帯らしい。画面には『バカミノ』と表示され、スピーカーで集音されている。淳史の発言は、神野とやらに聞こえてるようだ。
「これ、上司に嫌われたらヤバい感じ?」
 その言葉は実に阿呆らしく、表情を付けて言ってみたのだが、坂田の表情は無に変わり銃を構えていた。標準を合わせている。赤いレーザーは淳史の心臓辺りを当てて動かない。条件反射。後ろに振り返って左足をねじり、瞬時に右へ動いてポインターを避ける。最早どこに着弾するかもわからないが、目視したところ坂田は体の動きを変えていない。スコープに目を当て獲物を捉えている。
――――バンッと、引き金が引かれて、クラッカーなんて比じゃないような音がした。

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