神刀人鬼

神取直樹

現身

 嵐過ぎ去るように。いや、竜巻に巻き込まれたと言った方が早い。意味の解らない服を着ていたり、絵本や児童文庫で読んだようなバケモノが、ニュースで聞いたような殺人鬼達が、自分達を取り囲んでいる。今更もう遅いかもしれないが、羚はその異常性に気が付いた。今の今まで何故だか何も感じていなかったのだ。これが当たり前で良いのだと、もう良いのだと、まるで麻薬でも吸い込んだような気分だった。高揚と恐怖と、何故だか懐かしさと、日常でいつも感じていた愛への気持ちと、全てが混ざり込んで脳から消えない。
 高低左右上下増減、夢現。頭が痛い。懐かしみ、というのがどういった感覚か、本能的には解っていたが、不安定で、それでいて何か崩れやすい気がした。
 事実、羚の気分は最悪だった。一度に体験したことが多すぎたのか、気持ちがパンクしそうで仕方が無い。先程まで話していた人が死んだのに、それを見てもあまり何とも思わなかったのに、今になって嘔吐感が全身を支配し出す。
 床に蹲るより先に、愛が突然手を握ってきた。
「羚、無理することないのよ。私がいるからね」
 愛の方が、女の子であるはずなのに落ち着いている。どこか光の無い瞳が何かおかしいとも思ったが、彼女の一言を聞いただけで、羚は前を向いてしまった。

 笑っていた神野が、まだ割れていないガラスに手を置く。
「昴、開けるか」
 目線を窓の外に向けたまま、自らの写るガラスの表面を摩り、そう言った。昴はそれに対して暫く俯いている。
「どうなんだ」
 神野は振り向いたが、未だ昴は首をかしげている。
「出来なくはない……と思います」
「じゃあやれ」
「でも俺の技量と体力じゃ、この人数を一度には……」
「あぁ、それもそうか。なら、あっち側に手伝いを呼べば良いか」
「いや、それでも流石に……」
「……仕方が無い。早速だが使うしかないな。蠍」
 蠍、と言われて「はいはーい」と返したのは長身のマフラー男。蠍はコートの内ポケットに手を入れてもぞもぞと動かす。彼の掌には布に包まれた円盤状の物体が二つ。ちらりと中が見えたが、その見えた部分が落ち始める太陽の光を反射させた。
「八咫鏡と浄玻璃鏡。合わせ鏡の神器、発掘、そして使用者への継承完了ってことで。良いね?」
 布に包まれたままのそれを、昴は蠍から受け取り、布を丁寧に剥がしていった。その表情が強張り、焦りや恐怖を帯びていたのは、見間違いではないだろう。手もいくらか震えている気がする。
「……これ、お、俺が使うんですか?」
 昴が一言口にすると、彼を取り巻く二人はこくこくと首を上下に動かした。
 ゆっくりと落ち着いた、自らが沈黙しなければいけない雰囲気が続くのに耐えかねた水咲が、ちょこちょこと歩いて、ガラ空きの昴の後ろへと回る。自分よりも少し背のある昴の肩から目を出した。
「なんだ、ただの鏡じゃん」
「うわっ!?」
 青い顔で昴は水咲を見る。一瞬鏡を落としそうになったが、あたふたとしながら空中でそれらを掴み、床に落ちるのを阻止した。
「た、ただの鏡じゃねえよ! 原種で政府の中流だったお前には解んねえかもだけど!」
「原種? 中流? 意味わかんないんだけど、その変な鏡ってそんな凄いの?」
「凄い……っていうか……何と言うか……ちゃんと選ばれた奴が使えば……」
 目を、神野と蠍へ向ける。神野は仮面に描いたような笑顔を見せ、蠍は少し後退りをしているようだ。
「その選ばれたのがお前だ。所有を拒否するなら今ここでミンチにしてやろう。次の所有権を持っている者はもう解ってるからな」
 目に、光が無い。その場にいるただ一人を除きほぼ全員が背筋を凍らした。
 昴は凍った背筋をそのままに、急いで手を動かす。先ほどよりも青い顔を下に向け、掌へ爪で傷を付けて碁盤の目のような模様を付けた。その傷を鏡の反射面へ着ける。血みどろになった鏡の面をひっくり返し、左右両掌に持ち、一度息を吸う。
「…………」
 手が震えている。その作業の早さと狂気すら見える両手の赤を、水咲は柄にもなく冷や汗を垂らしながら見守る。
「弐零点壱陸捌玖陸壱陸弐壱捌壱弐……」
 呪文だろうか、早口で彼は何か呟いている。どこかで聞いたことがあるような数字の羅列のような音がする。青白い顔と手の肌から、更に紅いものが溢れてくる。髪で隠れている顔の右側から、一番血液が流れ出している。気が付けば、鼻と口の端からも滴が垂れていた。
「陸漆点陸零捌陸伍弐玖参壱壱零参肆玖……っぁぁあああああああ!」
 少年は叫び、鏡をガラスに叩きつけた。突然の事で殺人鬼と羚達は皆一様に目を丸くする。勢いなのか、それとも必要な事なのか、昴はそのままガラスへ身を委ね倒れ込んだ。だが、白く眩しく光り誰も写さなくなったガラスは彼を受け止めることをしなかった。
 昴の体はそこにあったはずのガラスにぶつかることなく、通り抜けてしまった。
「……成功かな?」
 蠍が昴の足を掴み、引きずると、息荒く意識があるかないかもわからない彼の顔が見えた。
「お疲れ様。鏡、俺が持っておくから意識だけは保っておいてよ。急いで向こうに行くから。良いね? 暴君隊長なミコト君?」
 そう言った目線の先には、神野が無表情で佇んでいる。
「あぁ、良いぞ。討伐隊は先に進め。俺は殺人鬼同盟と羚達の後ろを行く」
 一瞬嫌悪の表情を出した出雲が、ぼそりと口を動かした。
「嫌やわあ……あぁいう俺様……」
 いや、アンタも大概だろ、と淳史が心の底で呟いた時、討伐隊だと思われる面々は牛角の男と昴を残してどこかへ消えていた。
「さて、君等も歩いてもらおうか。昴君の意識が保てる間にさ」
 蠍の言葉に、ハッと気が付いた淳史は他の殺人鬼達と共に光るガラスだった物に近寄る。しかしながら警戒心を緩めることが出来ず、誰もそこに手を入れようとする者はいなかった。
「大丈夫、怖くない怖くない。道に迷うことも無いから。その光を潜れば君達が望んでいた幕府だ。そこが桃源郷とは断言しえないけど……来たかったんだろ? 政府に仇成す、全く違う世界に、さ」
 彼の言葉は毒の様だった。何かを麻痺させるように、何かが薄れていくのを感じる。手が動く。足が動く。周りがまだ何も出来ていないのを確認して、淳史は光の中に飛び込んでいった。
 それに続き、息を思い切り吸い込み、水咲が飛び込む。またそれを見た妹の瑞樹が平然と、散歩でもするように光の中に歩いて行く。何もないのを確認したのか、出雲が一つ溜息を吐いて神野をチラリと見、春馬が己の服の裾を掴んだことを見、口角を少しだけ上げて前に進んだ。
「……殺人鬼はお前で最後だが」
 神野がみどりを見て言う。
「……私は……幕府、というものに興味が無いんだが」
 みどりがそう言うと、神野は肩をすくめて眉間に皺を寄せた。
「だがな、私はお前とそこのお前を知っているから行くんだ。知ってる、全部知ってるんだよ。お前が知りたいと思っていること全部。お前の家族も記憶も全部私は持ってる」
「…………だから?」
「だから、お前が必要になったら全部やる。必要にならない方が良いがな」
 そんな言葉を残して、少女はピョン、と飛んで光に包まれる。
 殺人鬼達が居なくなると、羚と愛が神野へ顔を向けた。お互いに体を密着させ、離れたくないということを誇示するように、幼い大きな瞳で精一杯睨みつける。聡はその後ろで二人の後ろを守るようにして不安げに神野を見ていた。
「ほら、お前等の番だ。さっさと行けよ。どうせこちら側に居たって殺されるだけ。幕府なら足掻くことが出来る。特にお前等は幕府の鍵に成りうるんだ。手厚い加護があるだろうよ」
 三人のことを見つめる眼に、相も変わらず光は無い。それを恐ろしいと思ったのは聡のみで、羚と愛の二人はまたお互いに目を見合わせた。
「……一緒に来てくれる?」
 羚がそう言って、愛を見つめた。
「私は良いわよ」
「……僕は愛と聡さんのお母さんを殺した人と仲良くなるかもしれない。僕が誰か殺すかもしれない。知らない人に馬鹿にされるかもしれない」
「良いわよ。そんなの」
 死が軽い、狂気を含んだ会話であることに、幼い二人は気が付かない。保護者でもある聡の生気が、羚の話を聞いた時点で消え失せていたことに気が付いていない。
「心は決まったか?」
「「うん」」
 たった一人を除いて、何か不思議な薬を飲んだように心地よい足取りで、手を繋いで、毒々しいまでの眩い光に包み込まれていった。



 目を開けねばならない。光は全く温かくない。むしろ刺さるような違和感がある。左手の柔らかな感触を確認して、そのまま羚は目を開けた。
 自分が宙に浮いているわけではなく、自分の足に確かに感覚がある。どこか氷のような冷たい場所に、自分と愛は立っているのだとわかる。だがそこが何処なのかわからなかった。白く白く続く空間とあるかもわからない地平線が続いている気がした。愛は未だ目を瞑って羚の手を握っている。それに安心して、周りを見渡し、状況を判断した。しかし何処にも何もなく、本当にただ何処かへ取り残されたようだった。
「……誰か、誰かいませんか」
 声は木霊することも無くその場に落ちた。その言葉に気が付いたのか、愛も目を開ける。
「何、何よ」
 愛が不安げに羚の腕にしがみ付いた。一瞬それに対して顔を赤らめてしまったが、羚は頭をふるふると振って気を持ち直す。
「えっと、わかんないんだけど、とりあえず、歩こっか」
 精一杯の笑顔で、愛を元気付けようと必死になる。だがぎこちないのが目立ったか、愛は羚の頬を摘まんで上へ持ち上げた。
「下手くそなのよ!」
「にゃ、にゃひが!?」
 暫くそんな会話を続けて、二人はお互いに何か隠そうとした。

 数分経っているだろうか。コツコツ、と二人以外の何かの音がした。おそらく足音だ。それを聞きつけた羚は愛の唇に人差し指を乗せ、静かにするよう促した。
 羚らしくないが、愛は羚の焦りに近い感情を感じて黙った。笑わず泣かず無表情でいる羚を見たのは初めてで、少しだけ驚きがあった。
 ピリピリとした雰囲気で、羚は耳を研ぎ澄ます。コツコツと足音は近付いている。聞こえるほど近くに居るのだから、目視も出来るはずだ。そう思ってまた辺りを見渡した。
『おい、小僧』
 突然聞こえた声に、二人揃って声の主を探す。しかし何処にも誰の姿も無い。
『お馬鹿だね。こっちだよ、子供達』
 僅かな振動を感じ、足元を見下ろす。愛と羚の間に、黒い影があった。
「うわぁ!?」
「え、何!?」
 黒い影は二人の驚く姿を見てククッと声を絞って笑う。よくよく見れば、その影はちゃんとした形があり、ショートの黒髪に、丸めの女性の顔、黒い着物で、着物の左肩には芒の絵があしらわれている。顔にシンメトリーに二つずつ、爪で掻いたような赤い模様がある。一番に驚いたのは、額の左に一つ、右に三つ、綺麗に並んだ角が生えていることだった。正に鬼。良く聞く鬼という化け物のような女性だった。しかし彼女は化け物のような雰囲気が無い。
『ハハッ驚かせたかい? すまないねえ、久々の客人だったからさ。あぁ、でもアンタ達は別に私に関係してるわけじゃないもんね。すまないすまない』
 明るい笑顔の鬼女は、羚達と見てそう笑う。
『ま、アンタ等がここにこの時間来るなんて思ってなくてさ。今度会う時はどんな姿かねえ。楽しみだよ』
 笑ってはいるが、嗤ってはいない。先ほどまで暫く嗤いが降りかかり続けたせいか、気が抜けてしまって仕方が無い。二人は腰を下ろしてその女性の顔を見つめた。
『何だい何だい! 見つめられちゃ恥ずかしいよ! おばさんあんまし人前で話すの慣れてないんだからさ。それに、そろそろ出なきゃ駄目だろう?』
「何処に出るんですか」
 羚の質問に、鬼女はまた優しく笑った。
『行かなきゃだろう? 幕府に、現実に』
「「…………」」
『お黙りなさるな、お二人さん。何、何度か私とは会うことになるだろうさ。まあ、私とは限らないが、ここに来ることになるよ。きっとね…………来て良いモノかは別として、さ』
「はい?」
 女性の声が一気に遠くなる。二人は足元が消えてしまっていることに、すぐには気が付かなかった。足元が崩れ、一気に鬼女の足元へと落ちる。
『頑張れよ! 姉なんぞに負けんじゃねえぞぉぉ……』
 彼女の顔を下から見て、最後、姉という言葉を聞きつけて、羚は意識を手放した。

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