神刀人鬼

神取直樹

夢見

 また、手を握る。柔い、すぐにでも壊れてしまいそうな、その手を握る。
 羚はおぼろげながらに触れた感触で、愛の手だと理解した。ハッとし、目を見開いた。ある程度暗い中にあった網膜はまだ光に慣れない。暫く白い世界が続いた。自分の一番新しい記憶が、白い空間だったのを思い出しつつ、それでも手だけは離していなかったことに、心底驚き、少しだけ口角が上がった。
 明かりに慣れて、上半身を起こす。辺りは見慣れぬ、土壁で覆われた狭い部屋だった。羚自身はその部屋に設置された二段ベットの下の方に、愛と共に横たわっていた。二人の体には毛布と掛布団が掛けられ、どうりであんな夢を見るのだと思うぐらいには寝苦しい格好だった。
「愛、愛」
 隣でスヤスヤ眠る愛の顔を人差し指で突き、起こそうとする。文字通り餅のように柔らかく、白い肌は、硬い頬骨でそこまで指を鎮めることはできなかった。
「ンン……何よ……まだ朝ご飯には早いのよー……」
 ぼやぼや眠たげな眼を擦り、愛は羚の手を握る。握り合い、その存在を確かめ合った。パチクリパチクリ、愛は瞼を開閉して羚を見つめる。
「えへへ……何か、付いてる?」
「別に、何か、顔変わったなって、思っただけよ」
 愛は少しむくれて、上半身を起こす。羚もそれに習い少し焦って、そのままベットから床に足を持って行った。愛も一緒に、二人は手を繋ぎ、少し大きい木の扉のドアノブに手を掛ける。意外にも軽く開いたそれを、廊下と思われる空間に放り出す。小さな二人は、目の前の空間に出るべく、小さな足を共に前へ出す。扉を出るまで気が付かなかったが、何処かから大勢の声がする。甲高い声、少年の声、少女の声、何処か懐かしい声、優しい母のような声、厳しい師のような声、低く地の底から沸くような声、誰かの怒鳴り声と笑い声、色々な声が、反響して耳元に届く。一際、少女の声が響いていて、その声もまた、何か懐かしかった。
「行こう、愛」
 愛の手を引いて、羚は軽く急ぎ足でその声達の元に向かう。角は曲がらず、まだ読めない漢字で書かれた看板の掛かる、これまた大きな、西洋風の木製扉の前に。声は、もうはっきりと聞こえる。二人の手の体温は上がりきって、自分たちがどれほどに走っていたのかが分かった。
「リョーの部屋は、俺の隣な!」
 響いていた少女の声が、更に大きな声で聞こえる。後に続いて、反論の声も聞こえた。
「何言ってんだ、しばらくは父親である俺と寝かせる。教えなくちゃならんこともたくさんあるんだ。まだ一人部屋を確保する意味はない」
「ようわからんけど、俺らの部屋を早う決めてくれます?」
「殺人鬼同盟は離れで良いんじゃないの? 寝込み襲われたら大変ジャン」
「血の青そうな奴なら、遠くても殺しに行くわ。中身見せてほしいしね」
「令嬢ちゃんは、俺の隣で良いでしょ? 毒の話とかしたいなあ」
「怖い……」
「昴はどうすんだよ、アイツ、どうせうちに所属させられるっしょー」
 どこまでも脈絡のない話が続く。何か、部屋割りの話をしているらしいが、自分たちの入って良い所だとは思わなかった。ただ、リョー、アイ、と、あの少女の声で聞こえるのが気になって、扉に顔を近づけ、様子を聞き入っていた。

「誰だ」

 突然、目の前の扉に大きな影が掛かる。二人は咄嗟に振り向くが、その大きな影に素早く、細い手首を掴まれる。
「あぁ、何だ。お前らか。入れよ」
 影、否、大柄な黒い外套を羽織った男はそう言って、手を離す。少し赤くなってしまった手首を見て、男は溜息を吐き、扉のドアノブに手を掛けた。そのまま勢いで扉を開け、空気を吸った。
「会議はもう一日見越すそうだ。各藩宿舎で過ごすか城下町で過ごせとのこと……なわけだが、お前らいったい何やってたんだ? 羚と愛が怯えてたぞ」
 怯えてたのは貴方の所為ですと言いたいが、羚と愛は、男に背を叩かれ、部屋に入る。その部屋には長細い、よくテレビ番組で見るような、高級そうな、金持ちの食卓のような細長いテーブルを囲むようにざっと数えて二十人程の少女少女から若い男女までがおり、不思議と中年以上と見られる者がいなかった。皆総じて、人間ではないだろう者もいるが、美しい部類に入る者ばかりで、何かを察して、羚と愛は更に強く手を握り合った。それを見た複数の者達は、二人の顔に目を向け、誰かは笑み、誰かは呆れた表情で、誰かは一体なんだと何もわかってい無いようで、注目を集めて行った。
「羚! 羚か!」
 羚と同じ目の色の、蒼い目の色の青年がそう言って、座っていた椅子から立ち上がる。
――――青年、なのか。不思議と羚自身の奥底で、何かもやもやと、湧き上がるものがあった。懐かしいような、痛いような、甘いような、何か、よくわからないものが胃の辺りでぐらぐらと煮えるようだった。
「……はい、羚で……す?」
 どう答えたらよいのか解らない。彼は自分を知っているようだが、自分は彼を知らない。思えば、ここにいるほとんどの人間を知らない。最近の記憶にある顔もあるようだが、誰も名を知らず、友人や知人と言った関係ではない。自分が知っている人間と言えば、一方向に並んで座っている、あの殺人鬼達位だ。その他には、あの銀髪の昴という少年が顔をまた青くして、蒼い目の青年の隣にいる。
「羚、そうだ、お前は稲荷山羚。俺の息子だ。隣は鎌田の娘だな? お前の兄貴は目を覚ましちゃいるが、まだ現実を受け止めきれないらしい、部屋に籠ってるからな、後で行ってやれ。どうだ、菓子でも食うか」
 少しずつ近づいてくるその青年に、一瞬、何か恐ろしさを感じたが、後ろにいる大柄な男の所為で、足を引っ込めることも出来なかった。唖然としている二人を見て、大柄の男はまた溜息を吐いて口を開いた。
「朝治、まだコイツはお前が父親だって知らないんだぞ。それに、どうせ俺らの事を何一つとして覚えていねえし、今のお前は殆ど不審者みてえなもんだ。少しは自重しろ。昴だって、師匠のそういうところはあんまし見たくねえだろうよ」
「あ、いや、俺は、そういうことでこうなってるんじゃなくてですね……」
 昴の言葉を無視して、高らかに声が張られる。
「じゃあよ! 俺! 俺の事も覚えてねえんだよな! じゃあな! 俺な! 猫耳朝夜! リョーのオナイドシの従妹! よろしくな! リョー! アイ!」
 扉の前に居た頃から騒ぎ立てていたのはこの少女だったらしい。少女、朝夜は、血のように赤い瞳と、鴉のように黒い長い黒髪が目に付いた。彼女は黒い髪を目と同じ色の大きなリボンで縛り、着物に似た、何処か洋装にも近い、ファンタジックな服装で、テーブルの上に体を乗り出している。そんな彼女の並びには、同じ瞳と髪を持った、中性的な少年と青年が座っていた。少年は朝夜の方を見て、貼りつけたように微笑み、青年の方も、笑んではいるが、何となく聡が愛を見るときの眼に似ていると感じる。
「自己紹介ってのは、朝夜、良い考えだね。僕は猫耳乙夜。朝夜の五つ上の兄さ。君の従兄だね。もう隣は俺よりまた五つ上、つまり君とは十違う従兄の、輝夜兄さんだ。僕の事はオツ、兄さんの事はテルとでも呼んで」
 そう、手に持った小さなフォークを口に運んで、そのクリームを舐める。またウフフと笑って、朝夜の服の裾を取り、座るよう促した。乙夜は口元をずっと歪ませ、目だけは全く持って笑顔には程遠く、ただ、恐ろしくて仕方が無い。これは本能か、それともむやみやたらに羚と愛が、デパートの事があり警戒してしまっているだけか。
「まあ、良いさ。朝夜と仲良くしておくれよ。蝦夷にはあまり年の近い子がいないんだ。そう、令嬢ちゃんも是非仲良くね」
 また、彼はにんまりと笑む。それを見ていた翠眼の少女、瑞樹がさっきまでの無表情を崩して、苦虫潰したような、毒気を帯びた表情をした。その兄、水咲も、何か警戒しているようで、眉間に皺を寄せていた。
「乙、もう止せ。お前は作り笑いが下手くそすぎるんだ」
 羚の父親だと名乗っていた男が、そう言って睨む。
「あぁ、すみませんね。朝治叔父様。でももう僕のデフォルトはこれなんで。殺すしか能の無い僕には、これくらいしかないですから。あまり気分を害されるようなら、何処か行ってしまいますが」
 乙夜のその返事に、男は更に睨みをきつくする。
「はいはい、わかりましたよ。父さん連れて市場にでも行きますから、そんな怒らないでください。兄さん、行くよ」
「え、お前一人で行きなよ。俺久々に見た妹と一緒に居たいよ」
「その可愛い可愛い妹の大好物を買いに行こうって上で、丁度良いから新しいお友達と仲良く出来る空間を作ろうって気にならない?」
「なる! 乗った!」
 そういうことは普通、その本人が居ない場所で展開する話じゃないのかと、その場にいるほぼ全員が思っているだろうが、血の眼に鴉髪な青少年二人は、そのまま羚と愛の間をすり抜けて部屋を出て行ってしまった。
「なあ、副藩長さん。いや、朝治さん? って言えばええんか?」
 様子を窺うように、出雲がそう言うと、男も口を開く。
「あぁ、そうだ。朝治、稲荷山朝治。蝦夷藩副藩長。これからお前らの上司になる予定だ。覚えとけ」
「それはええんやけど、羚君座らせんでええんか。口ぽっかり開けて、可愛いらしいなあ」
 ハッとして、朝治は羚と愛の方を見、勢いに任せてまた口を開ける。
「二人とも座って良いぞ! スマン! 忘れてた! 俺の隣にいなさい! 昴! 殺人鬼同盟の方に位置変えていてくれ! 大丈夫! お前ならやれる!」
 その隣にいる昴が、苦笑しながら出雲の方を見ていたのが、一瞬、羚と愛の幼い二人にも哀れに思えたのは言うまでもない。

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