神刀人鬼

神取直樹

死屍

 政府は強い階級制度で成り立つ、単一種族主義国家である。その構成種族は主に人。その「人」は原種を主として、サキュバス種やインキュバス種等の比較的繁殖力の高い種が多く、不老である神や鬼をある程度退けても成り立っている。また、それらの人による階級制度は、主に『最上流層』『上流層』『中流層』『下流層』『最下流層』の五つの層に分けられ、絶対的なものである。特に最下流層は非人や奴婢と呼ばれ、何も知らない中流層を除く人々に卑下にされ、その短い一生を実験体や使い捨ての兵士、それが絶えないようにする繁殖用として終える。
 今ここにいる、元は非人や奴婢と呼ばれたこの三人は、その最下流層から運良く、なのかは本人達もよくわからないままではあるが、条件付きで最上流層へと引き上げられた者たち。
 政府軍が翌日に戦闘を控えているとき、兵士たちの多くは下流層以下であることもあり、逃げ出すことの無いようにと、いつも使用されている集団牢獄の中でも、専用のもっと頑丈なものに移される。集団牢獄は最下流層の家でもある。実験体も少なからず訓練をさせられる兵士たちも、日常的にいる場所。三人は、その、自分たちがいるはずだった場所を見回っていた。
「おいヤナシ! ヤナシったら! お前だろ!? 乙の四七八番だよな!」
 突然、集団牢獄、明日出兵の一つから、一人の男の声が聞こえた。それは三人の中の一人、黒髪と黄土の瞳が特徴的な男、島谷浩太に向けられたものだった。そうだとわかるのは、本人のみではあるが。
「うるさい。乙の……三〇七番だったか……俺はそんな名前じゃないし、あんまり騒ぐと看守に殺されるぞ」
 島谷がそう言うと、男はぎょっとして口をつぐみ、近くにいた看守がこちらを睨む。元非人である島谷が何か事を起こさないかと、睨むのだ。時折、島谷らのように最下流層から上流層以上になるものが現れるが、そういった者たちは必ずと言っていいほど、この集団牢獄に来ては、彼らの元の仲間たちを牢から出そうとする。三人が集団牢獄に来たのは初めてではない。以前は何も起きなかったが、数度にわたって来るのは聊か危なっかしい。何せ、看守側から見れば脱獄の下見に来ている可能性は大きいのだから。
 特に看守が見ていたのは島谷の服の裾を掴んでいた金髪赤目の青年。彼は母が実験体、父が捕虜であるにも関わらず、胎児であったうちに最上流層に流れ込んだ男である。理由は看守たちも知らないが、彼の母を知っている看守から話を聞いた、今ここの番人をする看守にとっては、一番の危険要素である。しかも、金髪の青年、名は厳島深夜、というらしいが、彼は最近の政府軍の兵士転送の要とも言える人物で、かなりの力を持った術者であるという。
「おい深夜、お前が明日転送する奴ら見たいって言って来たんだろ。俺の後ろに隠れてどうすんだよ」
 呆れた島谷が、深夜の腕を掴んで前へと引っ張り出す。
「こいつらがお前が殺す奴らだ。これでも一部だが、目にしっかり焼き付けとけ」
 島谷の言葉には重みがあった。その言葉を聞いた牢獄の中の者たちは三人を睨みつけ、深夜は顔を青くして、三人の中の一人である茶髪の無気力な青年、少佐は、微動だにしなかった。
「どういうことだよ! ヤナシ! 今なんてった!」
 先程島谷を呼んだ男が、今度は声を荒げて叫んだ。他の者たちに押されて、鉄格子の一番前に来ている。今は彼がこの牢の先導者になっている。島谷は眉間に皺を寄せ、深夜を一度少佐の隣まで引かせて、男の元まで顔を持っていく。男の顔は、顎の部分が継ぎ接ぎで、目を腹部にやれば、その腹部はさらに継ぎ接ぎだった。
「……あぁ、俺、お前のことはミオナって呼んでたな、確か。実験室に連れてかれるのがいつも同じ時間帯で、牢も一緒だったからよく覚えてるよ」
「そんなこと、今言ってどうする!」
「同感だ。けどよ、それなら、お前だって『明日死ぬかもしれない』って現実に、声を上げてどうすんだよ。言い返してやる、『そんなこと、今言ってどうする』 そうだろ、なあ」
「……お前はそれで良いのか……? ここにはお前を助けてくれた奴らだっているんだぜ……? 後悔しないのか……なあ」
「今までに俺らの目の前で死んだ奴は何人いると思ってるんだ。全員を助けろとでも言うか? 疲れてるんじゃねえのか?」
「……あっち側に行って、疲れてるのはお前の方だろうがよ……なあ、ヤナシ、助けてくれよ……お前、優しい奴だったじゃねえかよ……名前を憶えてるくらいならたす」

――――グシャリ、と島谷の目の前で、男の、ミオナの頭が割れた。割れたと言うより、潰れた、の方が近いかもしれない。
 ミオナだったモノの頭だった場所にあるのは、斧の刃。その斧の刃が、頭蓋骨を割り、脳を一刀両断し、眼球を飛び出させていた。
「……出来るだけ長生きさせて苦しめる島谷より、俺、優しいよ、一応」
 少佐の手にある斧。それが、狂気の元だった。
「看守さん、一人くらい良いよね。あのままじゃ暴動も起きそうだったし、見なかったことにしておいて」
 お願い、と言うように、首をかしげる。島谷は目を見開いたまま動けず、深夜に至っては胃の内容物を全て出そうとしていた。それを見て、看守も、了解の意を示す。
「行くよ、二人とも」
 動けそうにない二人の手を引いて、少佐がエレーベーターまで歩いて行った。



「で、戦闘直前だっていうのにグロッキーなわけだ、二人とも」
 三人の上司、兼、保護者のような立ち位置であるこの男は、白衣と伊達眼鏡、黒をベースにした青いメッシュの長髪を緩くまとめ、青紫の瞳で三人を見て微笑んでいた。彼の名は藍月、政府の最上流層に身を収める一人であり、政府の技術力の最大の要。三人のような、政府の中でも特別な存在を扱う、大きな管理者権限も持つ男。
「厳島君は良いけど、島谷君はしっかりして欲しいなあ。直接的に殺すのは明日の君の仕事だろう? 深夜君は送り込むだけで、運が良ければ帰ってくる人もいるんだからさ。そう気に病むことでもない。ま、自分から見たいと言っておいてゲロったのはイケナイコト、だけどさ」
 クスクスと笑う彼は、顔が青いままの深夜の頭をなでる。わずかながらの父性と、半分以上の冷たさと、それ以外の狂気性は、この様子からはわからない。まるで子供のような、突発的な行動が多い。
「戻してしまったこと、弟たちと妹には言わないでくれますか?」
 やっとのことで深夜が絞り出した言葉は、自分の事ではなく、どちらかと言えば、被扶養者たちの事。
「夢羽君たちかい。大丈夫、僕は言わないから。他の二人が言う可能性は抑えられないけど」
 少しの絶望と、納得。四人が話をしている隣の部屋から聞こえている騒ぎ声で、それは納得ができる。薄い壁でしか遮られていないのだから、会話内容は筒抜けだ。
 もう一つの部屋で行われているのはおそらく実験と戦闘の練習だろう。狂ったような笑い声を続けて出しているのは、郁子。早口で何か狂ったように喋っているのは、光助。姿こそこちらの部屋ではわからないが、二人が隣で何かしでかしているのは明らかだ。もう聞きなれた歌のようなものだが、聞いているとこちらも狂いそうで、恐ろしい。感情の高ぶっている二人を止めるのは無理であると知っているから、その歌を止めには誰もいかないが。
「そう言えば、その夢羽君と瑛斗君と……六華ちゃんだっけ、今どうしてるんだい? 流石に寝ている時間ではないだろう? 特に瑛斗君なんて明日初の出撃だろう」
 藍月がそう言うと、島谷も深夜に注目する。深夜は少し戸惑ったのか、いつもの癖で、まだ乾いていない頬の傷を撫でた。
「えぇ、瑛斗は初めてってことでちょっと戸惑ってるみたいで、繁縷さんと蘿蔔さんのとこに行って落ち着かせてもらってます。お二人は先輩ですから。怪我しないように準備するのにも良いかなって」
 それを聞いた藍月はうんうんと頷いて、また問う。
「じゃあ、他の二人は?」
「あぁ、二人は……」

「兄ちゃ。お腹空いた」

 突然鉄の扉を開けて、四人の空間に入ってきたのは、銀髪の長い髪をフードで隠した少女。その長髪の先には目の無い二匹の蛇の頭がついていて、ギュー、キュー、ギュギュン、等、可愛らしく鳴いていた。少女は自分より一回り程度小さい兎のぬいぐるみを胸の前で抱えて、テトテトと深夜の近くまで歩く。
「お昼ご飯食べたい」
 少女の蛇は座っていて丁度いい高さにある深夜の頬に頭をこすりつける。それが、六華特有のおねだりの仕方だった。
「ごめんごめん。もうそんな時間だったか」
 深夜が六華の頭を撫でる。丁度、鉄の扉から他の二人も入って来る。
「深夜、すまない。この子達があまりにもお腹が空いたと言うので連れてきてしまった……」
 少しきつい目つきの女性は、ミオ。その足元でずっと黙って深夜を見つめているのは夢羽。
「良いんですよ、もう用は終わってましたから。丁度良かったです。二人は良い子にしてましたか?」
「あぁ、静かに本を読んでいたよ。父さんの本は二人にとっても面白いらしいな。途中であの野郎どもに連れてかれた瑛斗にも会ったが、瑛斗は本を読みたがらないのか?」
「あー……あの子は、ちょっと、大人しくできないんですよ。元気なだけだと思ってください。体を動かすのは得意ですから」
 ふと、ミオが言った「父さんの本」も読ませて良いものかわからなかったが、突っ込むのをやめた。彼女にとっての父と呼ぶ者は、深夜の隣にいる、藍月だからだ。藍月がやっていることも、郁子や光助がやっていることとそう大差ない、人体実験。その関連の本で埋め尽くされた書物庫に、実際のところ、まだ心の成長が上手くいっていない、幼い子供たちに行かせたくはなかった。それでも、必然的なのだろうか。幼いと言えど、瑛斗、夢羽、六華は人を食う人種。中でも、狩りを積極的にするという、戦士向きの、狩人になるべくして生まれてきた、危険種。人を寄せ付けるために進化した、銀髪と金の目による美貌と、懐に入り込んだ獲物を捻り潰すための腕力、容易く獲物に殺されないための圧倒的な生命力。そして、三人にはまだないが、成熟した者には、捕食器という器官がある。
 特に瑛斗は、その捕食器が先日発現した。そのために、明日、戦地へ赴く。そのために、繁縷と蘿蔔に預けた。人を食うことが出来ない深夜には、保護者であっても解決できないことがある。彼らがいずれ必ず戦地へ行き、戦わなければならないことを第一に、捕食器の使い方、狩りの仕方は、同じ食人種で危険種であるあの二人でなければ教えられない。
 深夜は、ただひたすらに、幼い子たちが、この狂った国家に染まってしまわないことを願うしか、出来ることはなかった。

「……飯食うんだろ。食堂行くなら行こうぜ」
 始終黙っていた島谷がそう言ったのをきっかけに、その部屋にいたほとんどの者が動き出す。藍月一人だけが、自室でもある、研究部屋を動かず、皆にヒラヒラと手を振るのみだった。
「父さん、兄さんたちがお世話になりました」
 ミオが藍月にそう呟いて、皆を引き連れる。その前には自然と島谷が早歩きで出ていく。歩く速度は、起源と比例して、早いときは機嫌が悪い。それを知るのは、一番古い記憶から今までずっと共に生きてきた、ミオ、深夜、少佐の三人だ。特にミオは、島谷を『兄』と呼ぶだけあって、彼の異変には敏感であった。
「兄さん、何かあった? 表情と足の動きが硬い。それじゃ、明日に支障が出る」
 多少舌足らずではあるが、彼女の言葉はいつも的確だ。
「まあ、色々とな。大丈夫だ、いつもの事だからよ、気にすんな」
「貴方はいつもそうだから痛い思いをして帰って来るんでしょう。やめた方が良い、痛い思いは出来るだけ少なく行こう。そう私に言ったのは貴方」
「…………」
 だんまりを始める島谷に、ミオは鼻でため息をした。島谷の前に出て眉を顰め、半分、島谷を睨みつけるような。
「止めはしないけれど、どうか、貴方にこれ以上の不幸無きように。シスターが言っていた。そう、シスターが、貴方に伝えろと」
 そこまで言うと、島谷が何か話したそうに口を宙でパクパクとし始める。それを見て、目を見開いて、何を言いたいのか確かめる。感情は口元にも出る。言ってしまえば、彼は体の動き全体でその感情がよくわかってしまう。
「ミオ、シスターは今何処にいる?」
「今日はカタコンペに。明日の出撃者達の無事を祈ると」
「了解。ちょっと行ってくる。ついでにヤニも入れてくるから、先、勝手に食っててくれ」
 島谷は皆から離れ、再び地下へとその歩みを進めた。それを深夜と少佐だけが立ち止まって見る。



 言うことは、決まっていた。自分がこれからすることの無様さと、無力さを誰かに言わねばならないと思っていたから。シスター、貴女なら、聞いてくれることでしょう。カタコンペの天使、貴女の信じている神を、俺は信じないけれど。俺は、俺の武士道と言うものを信じるのみだけど。最後、貴女なら聞いてくれると信じられる。
 祈りのように、そう、彼は小奇麗に掃除された煉瓦の、地下に続く階段を下りて行った。カタコンペは聞き方によっては良いが、政府で言うカタコンペは、言わば死体捨て場。死んだ下流層以下の者たちを焼くこともなく、捨てる場所。捨てられるときは、その辺に山積みにされて置かれる。シスターは、それを一つ一つ並べて、祭壇を自分の手で作り、死者や下流層以下の者たちのために祈っている。彼女は最上流層であるのに、政府で最も幕府の国民を殺してきた者だというのに。
 そんな彼女が、白い肌を青い水晶から出る淡い光で照らし、静かに息をしていた。死体の腐敗臭は、彼女の腐敗防止処置によりほとんどしない。
「どうかしましたか、コータ。貴方がここに来るのはとても珍しいですね」
 鈴をかき鳴らしたような声。澄んだ、少女の声。それでも彼女は、この政府の中で最年長の女。
「丁度、貴方の事を話そうと思っていたんですよ。センに」
 島谷が身構える。セン、という名前に、恐れが湧く。やめてくれ、シスター。これじゃ、俺は貴女に何も言えないじゃないか。
「セン、コータが来ましたよ。いつも大変なことをしてくれているんですから、労ってやってください。ほら、コータも近くにおいでなさい」
 祭壇の影から、小さな少年が、その身にあった軍服を着、歩いてくる。見た目は八歳か、九歳程度。あどけなさと王者の風格。矛盾するその二つを重ね合わせる。彼が、彼こそが。
「いつも大変? このお人形みたいな餓鬼が? 笑わせるな。言うことだけ聞くだけのドールが」

――――玄武の亀、セン、あるいはスズ。政府という国の、実質的独裁者。

 島谷は、口をつぐんで、ここを出ることだけを考えた。

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