白と蒼の炎

白の炎

「なんにもない…」
 ルカは呟く。
 昼も夜もないこの混沌とした世界に、ルカとハクだけが立っている。
 風もなく、日差しもない、時間の流れすら分からない。
「ハク帰ろうよ…帰りたい」
 ルカはハクの顔に自分の頬を刷り寄せた。
『それが巫女の望みか?』
「うん。巫女なんて知らない。いらない。私は人間だしルカだよ。ハクは織だよ。だから、戻りたい。ルカと織に戻ろうよ…」
 神々しい金色の髪と、虹色の瞳と赤い紋様を持つ、巫女と呼ばれる絶対的な存在。
 それが非力な、生まれたての赤子のように見える。
『それが望みなら、我は叶えねばならん』
「戻れる?」
『戻る。我には浄化する役目がある』
「浄化?」
『アオは全てを滅ぼす力を持つが、我は全てを改める力を持つ。アオほど力が強くないので戦には向かぬ力だがな』
 そう言ったハクの姿は少し小さく見えた。
『もう鬼も消えた。巫女がいる必要もないだろう。巫女は我と共に浄められ、人へと改められよ』
 その言葉にルカは驚いてハクに詰め寄った。
「それってハクもいなくなるってこと?」
「我は消えるが、織としてなら巫女のそばにいる。巫女は全てを忘れて歩き出すことができる」
 全てを忘れる?
 ハクを?アオを?麻貴を?
「そんなの嫌だ。なんとかならないの?ねぇハク!」
『巫女としての記憶は消える。だからそれに関係する事柄も全て消えてしまう。だが巫女の器だったそなたを、我は守ろう。織としてそばにいよう。アオとも約束した事だ』 
 ハクの身体が白く輝きだす。それはまばゆい炎へと変化した。
 白とも銀とも見れるきらめく炎はルカを飲み込んでいく。
 熱さも痛みも、悲しみも、ルカを苦しめるものは何もない。まるで海の中を漂うような浮遊感と包み込む安らぎ。
 そんな感覚を感じさせるハクの炎は、混沌とした世界とルカとハクを覆い尽くし、ますます優しく燃える。
「ハク、どこにいるの?」
 ルカは手を伸ばす。真っ白な世界となった中で、迷子の子供のようにハクを求めた。
『ここに…』
 ハクの声だけがルカの脳に届いた。その声は見えないハクを近くに感じさせる。すぐそこでルカを見つめ守ってくれている。
「ハクも、辛いんだよね。アオがいなくなって」
 ルカは見えないハクに寄り添った。ルカの肌にハクの柔らかい毛の感触が沸き起こる。
『巫女ほどではない』
「…うそつき」
 ルカは小さく笑った。悲しくないわけがない。同じ思いを分け合った分身を失って、悲しくない人なんかいない。たとえ虎のハクでも。
「ねぇ、本当に、忘れちゃうの?」
『その方が幸せだ』
「そうかな…?私は覚えていたい。だめ?」
 ルカの言葉にハクは答えなかった。
 ハクにも出来ないことはある。きっと記憶を操ることは出来なのだろう。わがままを言っていると分かっている。
 麻貴もアオも、ハクも確かにルカといたのに、なかったことになって、自分は普通に生きていかなければいけない。
 いなくなった者への思いは辛いけれど、忘れるのはもっと辛いことのように思う。まして麻貴に関してはルカの人生の沢山の時間を一緒にいたのに、それが失われるのは麻貴に対して申し訳ない。
 ルカの頭の中で麻貴の笑顔が浮かんでは消える。それが新しい涙を誘う。
 ハクは姿はないが、ルカの涙をそっと舐め取った。温かな感触がルカの頬に触れる。
『目が覚めたら、憂いはなくなる。心配することはない』
 とても優しい声は、先ほどよりも遠く聞こえた。
「ハク?」
『ゆっくり目を閉じよ』
 ハクの存在が消えていく。ルカは意識が薄れていく感じに慌ててハクを探した。
 しかしまぶたは重くなり、身体の力が抜けて行く。
 声も出せず、見ることも叶わなくなった、抗うことも出来ずに白い炎の中でルカは意識を手放した。



 ルカの身体が変化する。
 身体の抹消から文様が消えていく。音も痛みもなく、肌に染み込んでいくように赤が消え、ルカは滑らかな白い肌に戻る。
 髪は長さを変えながら栗色へ。癖のない艶やかな髪は生まれ持った色になった。
 記憶が書き換えられていく。
 鬼達の怒号も、醜い姿も、それらが死にいく様も。
 銀髪をたなびかせ、赤い瞳を持った、悲しい運命を抱えた鬼の美しい立ち姿すら、ルカの中から抹消される。
 それから、しなやかな身体と強さと忠誠を持った、美しき者たちのことも。
 白と蒼のその獣のことが記憶の深淵に落ちていく。
 最後に、穏かな笑顔と優しい手のことも。



 あれは、誰…だっけ?



 ルカは目を開いた。
 その瞳は、大きくて愛らしい茶色の瞳だった。
 

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