比翼の鳥

風慎

第36話 マチェット王国動乱(5)

 車輪が勢い良く回り、硬質な音が断続的に周りへと響く。

 それは、この蜥蜴車が、なりふり構わず先を急いでいるからに他ならない。
 同時に、それは、搭乗者の快適性を完全に無視する結果となっているのだが、俺はリリーのお陰でその不幸を味わうことはなかった。

 だが、俺とリリーの対面に座る彼女は、その限りではない。

「!?」

 声こそ出さないものの、そのしかめっ面と、目の端に微かに滲んだ涙を見ればわかる。
 蜥蜴車が、ちょっとした岩に乗り上げ、アクロバティックな軌道を描くたび、彼女のお尻は、その振動を直に受けるわけだ。
 かと言って、不規則に揺れる車内で立つのも危ない。
 少なくとも、一般人程度の身体能力では、下手をすれば壁に打ち付けられてしまうだろう。
 リリー程の手練てだれになれば、揺れに合わせて体勢を維持することも可能なのだろうが。

 大きな音を立てて、また車が一瞬、宙を舞う。
 そして、声にならない悲鳴が、車内に確かに響いた。

 哀れな……。

 そんな俺の視線に目ざとく気づくと、一瞬、こちらを睨んだあと、プイッと視線を窓の外に逸らす。

「リザ、辛いなら無理に着いて来なくても良いのではないですか?」

 リリーがそんな彼女……今はいつもの軽装に着替えたお姫様へと声をかける。

「良いのよ。私が着いて行きたいと思ったんだから」

 そっぽを向きながらも、横目でリリーを見つつ、そう不貞腐ふてくされたように答える。
 更には、それに……と、続けた後、

「私がちゃんと見てないと、意味な、べっ」

 またもや激しく揺れた車内で、流暢に喋るものだから、見事に舌を噛んだ。
 両手で口を庇うように覆いつつ、何故か俺の方を恨みがましく見る。
 その目は、「お前のせいだ」と、理不尽な怒りの声が聞こえる勢いで、雄弁にその感情を物語っていた。

 いや、俺何もしてないんだけどなぁ……。

 困ったように俺は肩をすくめる。
 その動作が気に障ったのか、更に眉の角度を鋭角にする彼女。
 まぁ、そんな彼女が舌を噛んでくれたおかげで、静かにはなった。何故か俺の好感度を犠牲にして。

 ふと、窓の外を見れば、チラチラと視界に紛れる鎧姿の兵士が見える。勿論、蜥蜴車に走って付いてこれるはずも無く、その身は同じ、蜥蜴の様な生き物にまたがっている訳だが。
 そんな兵の中には、良く見ると見知った顔もあった。どうやら、いつもお姫様を送り届けてくれている方々の様だ。

 その内の一人と目が合い、小さく礼をされたので、こちらも返礼しておいた。
 こんな所までお守とは……大変だな。

 そんな事を漠然と思いながら、俺は先程のやり取りを思い出していた。


 あれから、結局のところ、目の前のお姫様に魔物の討伐を依頼された。

「もし、貴方が魔王でないのなら、魔物を倒すことに協力できるでしょう?」

 そんな挑発じみた言葉をかけてきたお姫様の提案を、俺は二つ返事で受け入れたのだ。
 だが、俺がなんの躊躇ちゅうちょもなく提案を受け入た事実が、却って逆にお姫様の感情を逆撫でしたらしく……。

「……では、私も見届けましょう」

 とか、澄ました声を出しながら、眉間にしわを寄せつつ部屋を出ていき、戻ってきた時には、いつもの軽装になっていた。
 変な所で負けず嫌いだから、このお姫様は厄介である。

 ただ、途中、扉の向こうから、両親……国王と王女のものと思われる声が、【サーチ】を使うまでも無く、こちらにまで聞こえてしまっていたのだが……その会話の中に、到底、見過ごす事のできない重大な発言があったのだ。

「おお、リザ。お前が行く必要などないだろう? 今は、街道に例の化け物も出ると言うし。先程の詳しい報告によれば、その化け物が、魔物を率いているという情報もあるぞ。な、考え直そう? パパと一緒に、ここで待とう? な?」

「そうよ、私の可愛い可愛いエリザベス。聞くところによると、黒と白いまだらな模様を持つ鳥様な化け物と言うじゃないの。しかも、鳥の様な姿なのに、恐ろしい速さで地を駈け、とても大きな声で鳴くらしいわよ? そんな化け物を相手に貴女がそんな危ない事する必要なんてないの。ママと一緒に、お茶でもしながらゆっくりと待ちましょう?」

「そうだぞ、リザ」「ね? エリザベス」

 それに応えるお姫様の声は低かったので詳しくは聞こえなかったが、両親の心配をやんわりと制し、無理矢理出てきた事は、この状況が物語っている。

 まぁ、そんな事はどうでも良い。
 いや、正直、お姫様のお守など面倒ではあるが、それ以上に、この話で気になるのは、魔物の軍勢を統率しているという化け物の事だ。
 俺とリリーは、その情報を聞いてしまった時、お互いの顔を見合わせてしまったぐらいだし。

 そう。似ている。その特徴が俺達の家族を助けてくれていた、と、酷似しているのだ。

 まさか、とは思わない。むしろ確信すらしている。

 元々、契約をしたのは、ルナだ。その彼女はもういない。
 そして、俺が倒れ、ルナがこの世界からいなくなった事で、に、どんな影響があっても不思議ではないのだ。
 ましてや、世界に蔓延る俺の魔力の影響力は、あまり宜しい物では無いようだし。その影響力は、下手をしなくても精霊にだって及ぶだろう。
 最悪、堕ちていたとしても、敵対してきたとしても、何の不思議もないと、俺は覚悟していた。

 そんな風に、先程の一件を思い出していた俺の耳に、鈍く響く車輪の音が戻って来た。
 だがそれが、今の俺には、まるで運命を司る神の糸車の音の様にすら感じられる。
 この運命を望んだのは、一体、誰なのだろうか。紡いでいるのは、誰の手なのか……。

 尚も思案していると、ふと、手に温かさを感じた。
 どうやらリリーが俺の手を柔らかく包む様に握っているようだ。

 見ると、彼女は少し緊張した面持ちで、俺にすがる様な視線を向けていた。
 耳は完全に萎れた様に頭に張り付いている。
 視界の端にかすかに見える尻尾も萎んでしまったように細く、いつもの柔らかさを感じる事が出来ない。

 彼女もまた、俺と同じ可能性に思い至っているのだ。だからこその、この状況であるのだろう。

 もし、仮に……いや、変な楽観はもうやめよう。これが誰の意思であるとしても、恐らく再会は成るだろう。
 今回の相手が予想通り俺達の知っている存在ならば、かなりの苦戦を覚悟しなければならないだろう。

 音速を超える事も可能な、圧倒的なまでの機動力。
 森の木々を簡単に薙ぎ払う衝撃波を、ほぼノータイムで放つ事の出来る攻撃力。
 そして、精霊と言う反則なまでの物理耐性を備えた存在。

 ましてや、それが恐らくだが、狂暴化して制御を失った状態で暴れているという。
 何より、元家族の一員を相手にしなければならないかもしれないと言う、心にかかる大きな枷がある。

 リリーも、もしかしたら相手をするのを躊躇ためらってしまうのかもしれない。
 そして、今の俺では、彼女の足手まといにしかならないだろう。

 だから、正直言えば、様子だけ見て撤退するのも、ありだとは思っていた。
 ……だが、今、彼女の目を覗きこんで、彼女の胸の奥底に眠る願望に気付いてしまった。

 全力で戦ってみたい。

 怯えと躊躇ためらいの色をたたえた、リリーの瞳の更に奥。
 家族の中で、最弱だった彼女。
 その瞳の奥底に、最強の一角にいた存在への憧れと、それに挑んでみたいと言う闘志を、俺は感じ取った。

 越えてみたい。

 粘液まみれになり、泣きそうになりながら、修行していた彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
「隣にいたい」と、叫んだ彼女の声が聞こえた気がした。

 そうだな。彼女もまた、森のいた頃の気弱な彼女では無いのだ。
 だから、俺は、自然とこう口にしていた。

あぶぅ大丈夫あうぁ~いり~あ今のリリーならあえぅ~あ勝てるよ

 止める事はしない。どの道、俺の考え通りなら、強制的に戦闘へと発展する。
 どうせ戦うしか無いのならば、彼女の思うが儘にやれば良い。

 全く疑いのない俺の声を聞いて、彼女の目が見開かれる。
 そして、音でもするんじゃない無いかと言う勢いで尻尾が膨らんだ。へにゃりと横たわっていた耳が、一瞬震え、天を突いた。
 それは、一瞬のことだったが、それだけで十分だったようだ。

「はい。ツバサ様は、私がお守りします。……絶対に」

 俺を見つめ、そう答えた彼女の目に、迷いはなかった。
 だが、次の瞬間、彼女は頬を赤く染めると、潤んだ目で俺にハッキリとこう告げた。

「で、ですから……私の一番近くで、見ていて下さい。そうしたら……私……何でもできる気がしますから」

 頬を染めながら少しはにかんだ彼女から、正に不意打ちとも言える言葉を受けて、俺も一瞬、動揺する。

 もう、何この子、可愛すぎるんだが!?

 時は経っても、リリーはリリーだった。
 可愛らしいリリーのまま、それでも彼女は強くなった。
 大丈夫だ。もし足りないなら俺も支える。彼女の努力と、想いを俺も信じる事にする。

 そんな想いを籠め、俺が、「あぃ」と言葉にならない言葉で返答すれば、花の咲くような笑顔を見せるリリー。
 ふと、視線を感じそちらに目を移せば、ほころぶような笑顔を見せる彼女を、何故かうらやむ様な、悔しそうな顔でみつめているお姫様がいた。

 そのお姫様も、俺と視線が合った瞬間、何故か泣きそうな表情を浮かべながら、慌てた様に目を逸らしてしまった。
 ふむ、やはりお姫様は、リリーに対して、何か特別な思い入れがあるようだな。

 そんなお姫様の様子が気になった俺ではあったが、突然、急停車した蜥蜴車が生み出す慣性によって、その思考は強制的に中断させられた。

「前方に魔物の群れ!」

 そんな声が響くと同時に、散会していた兵たちが馬車の周りに集まってくる。
 なるほど。【サーチ】からも、明らかに数値のおかしい魔力を持った何かが、こちらに向かっているのが確認できた。

 リリーを見ると彼女は頷きを持って、その意図を俺へと返す。
 そして、彼女は車内の隅の方でひっくり返っている哀れなお姫様へと目を向けると、そのまま口を開いた。

「リザ。貴女は、ここで待機して。ここは高台だから、良く見えるでしょう? もし万が一、魔物が抜けて来るようなら引き返して。後は、私達で何とかします」

 慌てた様にお姫様が体を起こし、何かを言おうと口を開く前に、リリーは更に、強い口調で彼女を抑え込む。

「ごめんなさい、この戦い……貴女を守る余裕が無いんです。その位、危険なの。だから、危ないと思ったら引いて」

 真剣な表情でそう語ったリリーを、お姫様へは驚きの表情で見つめる。
 しかし、その深刻さが理解できたのだろう。数秒、目を瞑ると、何かを決意した様に、口を開いた。

「わかったわ。貴女がそこまで言うなら、私も無理は言わないわ。けど、無事に帰って来て。私は、貴女がいないと……」

 だが、そんなお姫様の必死な想いの詰まった言葉を、まるであざ笑うかのように、咆哮が掻き消した。

 急いで蜥蜴車の外へ出るリリー。
 車の止まっているそこは、なだらかな丘陵の頂点だった。

 そして、遠くまで見渡せるその場所に立って尚、その大きさは良く分かった。
 稜線の彼方に見える無数の陰と、その中にあってひと際目立つシルエットが一つ。

 丸みを帯びた流線型の体躯に、血の様に赤い嘴。そして、その端からボトボトと、涎を垂らし続けている。
 その表面は、元々白かったはずだが、今はその色をまるで汚されたかのように黒く斑に染めていた。
 その黒い染みの様な模様は時々、黒い霧の様な物を噴き上げ、その体躯を隠す様に覆っている。
 黒い鱗に覆われた細い二本の足が交互に動き、鋭い爪が、大地を割る。
 まるで切れ込みの様に見開かれたその目は、今は真っ赤に染まり、まるで全てを憎むかのような憎悪に支配されていた。

 だが、俺とリリーにはすぐにわかった。変わり果てた姿ではあったが、それでも、分ってしまった。

 ふと俺達の姿を認めてか、軍勢の足が止まる。
 丘の上から俺とリリーは、その軍勢と、それを率いるその禍々しい影を見下ろす様に対峙した。

 一瞬、音が失われたように、静けさが場を支配した。

 次の瞬間……百獣の王を思わせる咆哮が木霊こだまする。
 それはまるで旧友に再会したような、はたまた、親の敵に対峙したような正反対の歓喜を伴って俺達の耳に響く。

 そして、尚も狂った様に咆哮を上げる姿を見て、リリーは一言、悲しそうに呟く。

「ビビさん……」

 だが、その声は、尚響く咆哮に、あっという間に掻き消されてしまったのだった。

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